2000年3月 パリ・イタリア旅日記   


3月23日  (4)


スペイン広場

早朝から、ずうっと、歩き回っていたこともあり、
疲れたので、さすがに今回は、タクシーで、日本食レストランに行く。
前日からの主人が、地図をみて確認していたお店だ。
そのお店は、スペイン広場と、トレビの泉のちょうど真中のあたりにある。
小綺麗なお店で、日本人ばかりではなく、現地の日本食通の
人も訪れているようだった。
私達は、生寿司の定食をとり、久しぶりの日本食に
ホッとする思いだった。旅は、楽しいけれど、
どこかで、いつも緊張を解かずに過ごしているので、
疲れもしている。でも、2週間の旅もあと、明日を
残すのみ、明後日は、帰国の途につく。

食事の後、私達は、スペイン広場へと、向かった。




スペイン広場を上から見たところ
クリック





あちこちにいる焼き栗売り

日本人の目を引くためか中田のポスターが



そこから、トレビの泉へ。





この泉を潤しているのは、2000年前に造られた
地下水道の水とのこと。さすが、ローマという感じである。
紀元前300年代に初めて水道を造ってからその後、
11系統もの水道が、造られたのだそうだ。ローマから、数10kmも離れた、
湖や川から、トンネルやアーチを通って、運ばれているのだという。
ローマ人のスケールの大きさに又、今更ながら、感心してしまうのだ。


パンテオン

目の前にいながら、見逃したのだから、情けない。


サンティニァツィオ教会

トレビの泉からそう遠くないところにある。
ガイド・ブックは、この教会の絵について
「17世紀バロック最高のだまし絵」と、言っている。
この教会は、、イグナチウス・ロヨラを
称えるために1626−50年にかけて建てられたとのこと。

ところが、完璧に造られていたはずだった教会の。
唯一の欠点は、内陣の主祭壇にクーポラが、無いこと。
そこで、天井にクーポラを思わせる絵を描くことになり、
画家が、公募される。
そこで、選ばれたアンドレア・ポッツォという画家が、
そこにあるはずのないクーポラを
一次元の絵で見事に創りあげることになる。




黒く見えるところがだまし絵のクーポラ
実際は、平面




クーポラの中心部



彼は、その絵の成功により、身廊の天井画も、依頼される。
それが、バロックの天井画の逸品といわれる
「聖イグナティウスの栄光」となる。

クーポラの絵や天井画もさることながら、
教会そのものも、なかなかの広さで、
その立派さに、思わず、ここでも、かなりの時間をかけた。
他にも載せたい映像に事欠かない教会だった。




彫刻のように見える壁や天井の絵






この教会の次に私達が行こうとしていたのは、
コロンナ宮殿内にあるというコロンナ美術館
宮殿は、あの「ローマの休日」に使われたところだ。

又、美術館には、コロンナ家が、所有のヴェロネーゼ、ティントレット等、
ヴェネツィア派の絵画やブロンズィーノの作品があるとのことなのだ。
ガイド・ブツクを片手に探し回るが、なかなかみつからない。
その途中に見つけた教会にも何箇所か寄ってみる。



サン・マルチェッロ教会

通りすがりに立ち寄った教会




目的のコロンナ美術館は、
やっと、探し当ててみると、開館時間が過ぎていて、
入れずにしまう。タクシーでホテルに戻る。

移動経路


一日中、ほとんど立ち通しだったので、さすがに
疲れて、ホテルで、一休みする。その後食事に。

その食事で、娘をすっかりイタリア嫌いにしてしまう
事件に出くわしてしまう。
客引きされるままに、入ったレストランが悪かった。
日本人の団体客と、そもそも間違えられて、
誘われたらしいのだが、彼らにすれば、団体客ではなかったことが、
まずアテはずれだったのだと思う。

態度が悪いウェイター氏にすっかり気分が悪くさせられて
後味の悪い食事をすることになったのだった。
ローマも最後に近いというのに・・・残念。



明後日の飛行機は、早朝の6時30分である。
ホテルは、四時半位に出なくてはならない。
従って、今日は、早く寝て、明日の朝もゆっくり、の予定だ。


イタリアのTVで見た日本のアニメ
これは、「忍者ハットリ君」。「赤毛のアン」も。





ローマ観光最終日(1)へ



イタリア旅行TOP