2000年3月 パリ・イタリア旅日記 


3月23日 ローマ2日目 

ヴァチカン (2)


ラファエロの間




 窓の上にラファエロ「ペテロの解放」




















大きな写真は、ここをクリック


ラフアエロ「アテネの学堂」



システィーナ礼拝堂に次いで人気があるという
「ラフアエロの間」の中の「署名の間」
混み合った中で、ガイドさんの説明を聴く。
この部屋には、「聖体の論議」の大作もある。
この部屋の名前の由来は、ここが、ユリウス二世が、重要な
書類に署名、捺印する書斎だったため、とのこと。




左「アテネの学堂」
右「聖体の論議」





この後、いよいよ私達は、システィーナ礼拝堂に向かう。
おしゃべりと撮影は禁止と、何回も厳重な注意を、受けて、
中に入る。
部屋は、いろいろな国からの観光客で埋め尽くされている。
時間と、集合の位置を指定されて、私達は、自由に見学する。
壁という壁が、フレスコ画で、覆い尽くされた、空間は、迫力がある。


システィーナ礼拝堂内部


天井画 「天地創造」(左図共・資料より)



システィーナ礼拝堂は、1480年、
シクストゥス4世の命により造られた教皇専属の礼拝堂である。

ミケランジェロが、フィレンツェからローマに
入ったのは、1505年、時の教皇、ユリウス2世に招かれての
ことだった。その3年後、彼は、教皇から、天井画の依頼を受ける。
ミケランジエロは、生涯、自分を「彫刻家」と、言い続けて
いたのだそうだ。従って、その彼にとって、この天井画の制作は、
むしろ苦痛であったようだと、本にある。実際、それについて、
父に弱音を吐いて送った手紙が残っている。
そこで、彼が、この仕事を「まるで、無駄な時間が過ぎていくようだ。」
と書いているのが、興味深い。

天井画、「天地創造」から、この「最後の審判」を引き受けるに
至るまでのミケランジエロの運命も波瀾に富んでいた。
彼は、フイレンツェの政治的変動の中で時代に
翻弄されてもいたらしい。



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