2000年3月 パリ・イタリア旅日記


 フィレンツェ 二日目 320 (2)


「花の聖母教会」(ドゥオモ)
Santa Maria del Fiore




この聖堂は、ガイド・ブックによると、
「4世紀の教会の上に、当時のフィレンツェの隆盛にふさわしく、
『出来る限り、荘厳にかつ豪勢である』ことを、旨として、
1296年から175年間の歳月をかけて建設されたのだとのこと。
約3万人が、一堂に会することが出来る大きさなのだそうだ。
八角形の内陣の上にクーポラを載せるために16年の歳月を要したと言う。







そう広くはない通りを歩いて行くと、その正面に
ドゥオモが、姿を現す。
垣間見る姿だけでも何かワクワクする風景だった。
今回は、「とうとう」ゆっくり見れる、と、いう気持ちが、なおのこと
そのワクワク感を盛り上げていたのかもしれない。





パンフレットより
ドゥォモとジョットーの鐘楼




ジョットーの鐘楼
Campanile di Giotto




高さ82mのジョットー設計の鐘楼。
1334年に建設が始められ、1359年に完成したとのこと。
ドゥオモが、この鐘楼の様式に合うように
19世紀に入ってから、ネオゴシック様式で、装飾された
のだそうだ。



ドゥオモ外側
ドゥオモの外壁の三色、白、ピンク、グリーンが美しい。



ドゥオモの中に入る











広々とした聖堂内に観光客の人達の声が、静かに、響いている。


ヴェネチアの聖マルコ寺院の中は、人間が、一人もいなくても美しい。
だからであろうが、あそこが人でいっぱいになると、
ヴェネチア生まれのマルコでさえも息苦しく感じる。
反対に
花の聖母教会の広大な内部は、小人数の人間がいるくらいでは、
空間に余裕がありすぎてがらんどうの感じだが、
ミサに出席する人々で内部が埋まりはじめるや、
この欠陥は完全に消えてしまうのだ。
花の聖母教会をつくったフィレンツェ人は、
教会の内部が人で埋まることを計算に入れてこの空間を
設定したのだとわかったとき、マルコははじめて、
フィレンツェの人々の美意識のすごさに
脱帽する気になったのだった。

(塩野七生著「銀色のフィレンツェ」より)






上の騎馬像の奥の床で、
ロレンツォ豪華王の弟、ジュリアーノが、殺された。
ロレンツォ自身は、主祭壇の奥の聖具室に隠れ、
傷を負いつつもからくも逃げおおせたのだそうだ。
これが、メディチ家を追い落とし、フィレンツェの支配者となる
野望を膨らませていたパッッイ家の「陰謀事件」だ。

この時、初め、シニョーリア広場に集まった民衆の中の、
陰謀に関与する人々が、「メディチ家を倒せ。」と、叫んでいたが、
その声は、すぐに「メディチ家万歳。」という群集のシュプレヒコールに
かき消されて行き、パッツィ家の陰謀は、完全に挫折したのだそうだ。



疲れて、壁際のベンチに腰を下ろして休む私達




洗礼堂
Battistero S. Giovanni



町の守護聖人、ジョヴァンニに捧げられた聖堂。
11世紀から13世紀にかけて建築され、八角形をしている。
三つのブロンズの扉が出入り口になっているが、
そのうちの東のギルベルティ作の扉が、
ミケランジェロが、「天国の扉」と名づけたことで、有名だ。
(オリジナルは、ドゥオモ付属美術館)
ダンテは、「新曲」の中で、ここを「麗しきサンジョヴァンニ」
と、称えたとの事だ。



洗礼堂前の人だかり

東の扉「天国の門」複製

頭上の黄金のモザイク画



天井画が、完成したのは、13世紀後半とのこと。
モザイクの制作に際しては、初めは、モザイクの先進国
「ヴェネチア」から、職人が招かれたていたが、次第に
フィレンツェの画家達も加わって行ったと本にある。



ドゥオモをもう少し見る




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