2002年10月17日〜22日
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10月21日(月)午後
胡同(フートン)観光
胡同とは、、、
元・明・清の三時代に渡って形づくられてきた町並み。
ガイド・ブックによると
「北京で、大通りから一本入った裏通りや、密集した民家を
縫うように走る路地のことを言う。」とのこと。
胡同は、三輪車で回る。
北海公園の北、胡同遊という辺りが出発点になる。
そこには、お客さん待ちの三輪人力車がズラリと
並んでいる。これは、その場面をちょっと撮り逃したところ。
路地を三輪車で巡りながら、
昔ながらの北京の人たちの生活ぶりを垣間見ることになる。
三輪車引きの人の中国語のガイドを
Mizuさんに訳してもらいながら回る。
「四合院」という伝統的な様式の建物の門構え
「四合院造り」を上から見たところ
絵葉書より
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↑美しい庭、美しい門構えもいいけれど・・・
でも、この際は、やっぱり北京路地裏模様→庶民の暮す胡同かな?
胡同も身分によって住み分けられていたそうだ。
故宮に近い胡同には、皇族、貴族など、身分の高い人が住み、
当然建物も立派。そして、少し遠くなると、庶民が暮す
質素な胡同になる。
*クリック
「あ、ネコ!」 Mizuさんの声に顔を上げると、
うーん、いい感じ。
*クリック
典型的な門と門の前の・・・
これ、何て言ったっけ? 「魔よけ」とどこかに
書いてあった気が。ガイドさんの説明?
北京市は、ここを含めて、何箇所かの胡同を
保護区に指定して残そうとはしているとのことだけれど、
一方で、全部の胡同までは、手が回らず、
その間に、胡同は、今、急ピッチで進んでいる開発のために、
どんどん消えて行く憂目なのだそうだ。
前の日、
Masaさんから、聞いたお話だ。
それにしても、
やがて、四合院が解体され、路地風景が記憶の中だけになるとしたら、、、
それは、やはり、寂しいことだ。
でも、これは、他人事ではない、お話なのだけれど。。
*クリック
*クリック
銀錠橋
胡同を一回りし終わったところ。
↓後ろに見えるのは、鼓楼
1272年元の時代に建てられたもので、
昔、時を告げた太鼓が収められているとのこと。
そろそろ、夕方のラッシュ・アワーになってくるような・・。
トルファンの干し葡萄
夕食は、
初日に苗さん宅でご一緒したIさんご夫妻や
香港からのMasaさんのお友達などと
ご一緒に上海蟹のお店でになるとのこと。
でも、
その時間までに少し余裕があるということなので、
もし、この界隈で、手に入れば、
お土産に持ち帰りたいものがあることを
Mizuさんにお話してみる。それは、トルファンの干し葡萄。
すると、Mizuさん、その干し葡萄を売っているお店を
知っているとのこと! びっくり。
これまで、「わざわざ時間を割いてまでは」と思っていたので、
敢えて口にもしていなかったコトなのに、
こんな風に機会がめぐってくるとは。
なんて、ラッキー。
それは、ちょうど読んでいた本
「ぶどう唐草幻想」(森豊著)昭和49の中に登場する。
唐草模様のルーツをシルクロードを経て探って行く、ロマン溢れる本である。
著者は、その葡萄について、こう書いている。
「いままでの黒っぽい干葡萄と違って、白緑のややくすんだ
細長い宝石の粒のような干葡萄で、馬乳葡萄といわれるもの、
甘くやわらかな香気があって、いままでの干葡萄と全く
異なった美味であった。」
ここまで、書かれたら、食べてみたくなるというものだ。
そして、Mizuさんが、つれて行って下さった市場に、
それは、確かにあった。私は、その奇遇さにワクワクして、
袋2つにざっくり干し葡萄を詰めてもらう。 ふっ、ふっ・・・。
その干し葡萄は、こちら
私には、飾り文字で表現したいほどのロマンの味だった。
トルファンに行かなくても食べられたなんて。
中国式お漬物売り
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