2001年2月中国貴州省の旅
参加したツアーの名は、長いです。
「トン族の美しき建築と貴州省少数民族との交流の旅」
といいます。
果たして、行けるものやらどうやら、とにかく闇雲に
旅の行く先を模索し始めたのが、昨年の12月も半ばのことでした。
そもそもは、マイレージを使って、最大5泊位で、
一人でタイへでも行こうと思っていたのです。
それが、一人こつこつ、旅行代理店を周り、
インターネットで情報をもとめ、ネットのよき友人にも
お知恵を頂き、しながらいるうち自分の希望の焦点が、
絞られて行きました。そして、もうこれしかない、
と行きついたのが、このツアーでした。
一人で、見知らぬ人に混じって
初めての「ツアー」で初めてのアジアの
しかも「中国の田舎」に出かけて行く、
なんていう事に対する心配は、その時、私の中には
全くありませんでした。
自分の希望に一番近い形の旅に
実際出かけられることになったのが、ただただ嬉しかったのです。
2月6日(火)
関西前泊のため、一日前に出発。
夕方出発の予定にしていたのに、
「どうせなら、早めに出て、神戸で、友達に会ったら。」と
言ってくれたのは、主人です。
娘を通じての大事な友人なので、神戸で
久しぶりに会ってとてもよい機会になりました。
あり難いことでした。
「さあ、いよいよ出発。一人旅かぁ。」と
感慨にふけりつつ撮ったもの。
神戸では、関空に迎えに来てくれた友人と、何年ぶりかの
再会をして、話に花が咲く。
でも、何しろ、明日から「中国の田舎」と
覚悟の上にも覚悟を重ねて来ている身としては、
立体道路が交差し合う近代的な町の風景が
とても不思議な気がした。
2月7日(水)
さあ、いよいよ旅の始まり。どんな人とどんな
旅になるのだろう。
空港の所定の位置で待つ。添乗員Yさんの点呼がかかる。
先に送った自分のトランクの確認後、ミーテイングルームで、
旅行の注意事項の説明を受ける。
ここで初めて、参加者が女性5名、男性9名と知る。
参加者の名簿が配られて、各自、自己紹介をする。
私は、最後の方だ。「北海道から来ました。初めての一人旅、
初めてのアジアです。よろしくお願いします。」
と、目の前に来ていた年配の女性が間髪を入れず、
声をかけてくれる。
「へぇー! あんた、北海道から? 前泊したん? よう来たねぇー!」
この「ようきたねぇー」が、私には、何とも暖かく心にしみた。
仲間に入れてもらえるんだ、という気にそのままなれた。
そして、移動を
始めた時、もう一人、目がギョロリとした
男性が、声をかけてくれる。
「札幌ていうたら、今、雪祭りと違いまっかぁ?」
正しい関西弁は、わからないけれど、そんな感じ
だったと思う。
後で、思えば、この二人が、この後、ずっと、
見事な関西のボケとツッコミで、私を笑わせてくれる
名コンビの二人だったのだ。
おかげで、私の初めてのツアーは、
毎日笑って、お腹が痛くなるような旅になった。
女性は、69歳、Tさんというが、「おかあさん」
と呼んでくれていいとのこと。旅では、そう呼んでいたので、ここでも
おかあさんと、言う事にしようと思う。
おかあさんは、もう海外旅行経験が、100回を越えると
いう旅の「つわもの」である。
そして、ギョロ目さんは、70ン歳だったと思うが、いつも
家においてきたワンちゃんが気になって仕方がないという
心優しい男性だ。
彼を私は、心の中で、「やさしいクマさん」と呼んでいた。
まぁるい体にジーンズの上下がとてもよく似合う。
でも、何しろこれは、後になって段々わかってきたことだ。
少しずつ、いろいろな人と、言葉を交わしながら、
皆さんになじませていただいて行ったのだった。
中国の飛行機のスチュワーデスさんは、清楚だ。
でも、そのわりには実にそっけない。おやつのピーナッツの
袋など、ほとんど投げんばかりにして配ってくれる。
男性のスチュワードは、ハンサムぞろい。
でも、袋は、確実に投げている。
「サービスに対する考え方が違うんでしょうかねぇ。」と
私が言うと、隣の席で神戸の地震の被災者だったという
Nさんが、「そうやねぇ。」と柔らかく答えて、ついでに
彼女の旅の経験など話してくれる。
彼女は、前にインドに行って、「もう二度とあそこには行きたくない。」
と、思ったそうだ。で、今回の旅は、それよりは、
ましだろうと思い、参加したとのことだ。
広州に着いて、
今回の旅行のほとんどの行程に付くといういわゆる「通し」のガイドの
中国人の「熊さん」(こちらは、漢字)が、紹介される。
ここで、桂林までの乗り換えの間に外のレストランで
夕食を取ることになっていた。この旅で初めての中華料理OK。
食事をしながら、シルクロードは、もとより、
ネパール、南米、アフリカ、中国の
あちらこちらの地名が旅の話として飛び交う。
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