2001年2月中国貴州省の旅
2月13日(月)
貴陽(グイヤン)着、そして、花渓(ホアシー)の青岩古鎮(せいがんこちん)へ
旅行も、もう7日目になった。
この日は、凱里を出発して、貴陽に向かう。
以前は、凱里から貴陽までは、8-9時間の行程だったのだそうだ。
でも、嬉しいことに、何と1月に高速道路が開通し、
4時間の移動で、よくなったのだという。
朝、9時30分に出発して、12時30分に貴陽到着の予定。
その後、15日に予定されていた、明の時代の建物の趣きを
今に残す村、「青岩古鎮」への訪問をこの日に繰り上げて、することに
なっていた。
お昼には、無事、貴陽に到着する。
貴陽のホテルは、「神奇假日酒店」。これが
「ホリデイ・イン」のことなのだそうだ。貴陽の
人口は、260万人。これまでの宿泊地に比べたらずっと
大きい都会になったわけで、ここからホテルは、桂林以来
久しぶりの普通のホテルらしいホテルになる。
レストランで、昼食を済ませて、
バスで、「青岩古鎮」へと出発する。
1時間ほどの行程だ。大きな通りから、田舎道に入ったところで、
バスを止め、そこから、200メートルほどを歩いて
村に入ることになる。
緩い傾斜の上の方に村の門が見えた。
周りは、田園地帯で、その先には、又、別の集落があった。
のどかな、農村の風景だ。
でも、ちょっと困ったことをここで、ひとつ。
坂道を歩き出すと、すぐ目に入ったのは、
道の脇に散乱気味の「ごみの山」だ。
中国に来て、7日目。もうそういう光景には、慣れてきた感も
あるけれど、見る度に「あれぇー」と、やはり、思うのだ。
今回も又・・・しかも、村の「入れ口」に、と思う。
例えば、川辺りに家があると、
ゴミは、裏口(多分)から、川に向かって投げる目のが普通らしい。
私達が、行ったのが春節の後だったため、そのゴミの中に
春節で使われた赤い紙のゴミが一杯混ざっていた。
家から川の流れまで、何メートルか、赤い色が混ざったそのゴミが
帯になって垂れているのをよく目にした。
そして、この村の入り口で、私達を迎えたのも、
そんな無造作にうち捨てられたゴミだった。
あまり、臭いを感じなかったのは、
・・・無意識に息を留めていたからかもしれない。
ただ、言えることは、日本のようにゴミの中に
ポリ製品とか、発泡スチロールなどのようなものがないということだ。
それを思うと、結局は、土に返るという意味で、日本などよりはまし、
とも、言えるのだろうけれど・・・。
(日本の昔もこうだったのかも)
でも、ともあれ、ごみは、ごみ。公然とあるのは、美しくはない。
そんなわけで、そのごみさえ見なかったことにすると、
何とも気持ちのいい風景の中に私達は、いたのだ。
土の道が石畳になると、塀もヨーロッパのような
石塀になる。でも、景色は、アジア。そこだけを切り取ると、
一瞬何とも不思議な気分だった。
*写真をクリックしてみて下さい
村の門を入って、中から見たところ
村の日常の風景
*クリック
町には、少しずつ、観光客の姿もみられたけれど、
ほとんどが、中国の別の場所からの人達のようだった。
ちょっと奥まったこの場所を訪れる外国人観光客は、
多くはないらしい。
そのため、村の中も、変に観光化されていず、
静かに散策を楽しむことが出来た。
村の日常生活を垣間見ながら、時には、遠い時代を
想像しながら、歩くのは、なかなか趣があった。
赤いちょうちんの家が、確か、周恩来首相の
奥さんの実家だったと・・・。
通りに出ていたお店をのぞくと、「揚げもち」屋さんだった。
添乗員さんが、買ったのを皆おごっていただいた。
ホントに日本のと同じだねぇ。と、口々に言いながら
味わった。
おじいさんの立ち話
*クリック
村の普通の暮しののどかな一コマ。
村への出入りの門
帰り際、バスへと、戻る道から、畑を見下ろすと、
はるか遠くの畑のあぜ道で、近くの子供達が遊んでいるのに混じって、
「社長」がいた。ゴルフのパッドを構えている。
そこで、「ナイス・ショツト!」とでもなれば、バスの中で
きっと、誰かが、「社長、うまおしたなあ!」とでも
声をかけるきっかけにもなったに違いない。
そうすると、
社長もそれなりご機嫌を直し、その後の展開もスムーズに
なったのかもしれないけれど、生憎、ショットは、
「ナイス」とは行かなかった。私達は、見なかったことにして、
さり気なく、バスに乗り込んだ。
そもそも貴陽には、ゴルフ場があると聞き、そのつもりで
ウェアも持って来たと言っていた社長である。
それが、この予定の変更でフイにもなっている。
嫌が上にも、機嫌は、良くないのである。
でも、皆、大人なので、
その全てを呑み込んで、さり気なく
バスに乗り、バスは、何事もなく、貴陽へと帰路についた。
再び貴陽市に戻る
ホテルの部屋からみた貴陽の町並
貴陽の町は、正直、あまり綺麗とは言えない。
町のほんの直ぐそばに火力発電所があるのだ。
「天に3日の晴れなし」という場所柄の上に
その火力発電所の煙突から出る煙が、空気を汚染している
とのこと。郊外から、戻ると市に近づくにつれて、確かに
空が、スモッグがかかりはじめ。その発生源の
火力発電所のそばを通って私達は、町に入るのだった。
用意のいい「おかあさん」は、さっとマスクをして、動きまわっていた。
夜、屋台へ
ホテルで、夕食を済ませた後、添乗員さんが、
夜屋台に連れて行ってくれるという。もちろん、手をあげて、
参加する。
タクシーに分乗して、屋台の場所に向かう。
私としては、こんなチャンスを逃してなるものか、
という所だ。9時頃だったろうか。
屋台が赤々と電気を灯し、たくさんの人々で賑わっていた。
私は、ウキウキして、皆の後についていった。
フイルムが、十分だったら,あれもこれもと撮ったのだろうけれど、
ここでも、それがネックになり、ケチっているうちに
珍しい場面は、ほとんど撮り損ねてしまった。
屋台と言っても、結構広いところもある。
屋台仲間の面々は、次の通りだ。
添乗員さん、
神戸からのおっとり女性、Nさん
4つ持ってきた帽子の内の今日は、この色「おかあさん」、
やはり兵庫県から、紳士で、とてもきさくなKさん、
ちょっと見えないけれどぬーぼーとしたOさん
ちょこんとした背中が、Eさん、である。
「まさか、犬は、ないやろね。」という皆の意見に
より、そこそこ安全圏のもので、よく火が通ったものを
添乗員さんが、選んできてくれる。
さすが、月日の経過と共に記憶が、薄れても
しまったのだけれど確か、蝗( いなご)と、田螺( たにし)は、
食べた・・と。結構、いざとなると、平気で食べれて
しまった自分に驚いたのだった。
帰り道、添乗員さんと、フィルムの話をしているのを
聞いていたらしい、Eさん、
「なんや、早よ、言ってくれたら、もっと早ようあげれたのに・・・。」
小さい声で、言うと、ポケツトから、ヒョイと一本出して
手に乗せてくれる。私は、もう大感謝で、お言葉に甘えさせていただいた。
すると、それを見ていた、Kさんも、
「何だ、そうだったの。僕も一本位なら、あげれるよ。」と、
又、一本。本当に皆さんの親切に救われた思いだった。
この先、黄果樹の滝、ブイ族の村の石頭さい、そして、
広州をフイルム一本でまとめなくては、と、とても
心細い思いをしていたのだったから。
フィルムのことで、肩の荷が下り、
ホテルの部屋にも安心して、その日私は、ゆっくりお風呂に入って、
ぐっすりと寝た。
明日は、アジア最大級の滝があるという黄果樹に行く予定だ。