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中野通り

 桜のころの中野通り。
 新井薬師のあたりから哲学堂公園にかけて通りは見事な「桜天井」になる。黄色い電車は西武新宿線。

 実害がないといえば、たしかにその通りです。中野周辺の東西南北をまるごと180度回転して認識しているため、その範囲内での位置関係はきちんと把握できていて、道に迷うこともありませんでした。また、そこから外部への交通は電車を使うので、日常生活には支障をきたさずにすみます。

 それでも、自分の方向感覚の狂いを「気にする必要はない」とは思えませんでした。ある街の風景を、「こちらが北だ」と思って眺めるのと、「こちらが南だ」と思って眺めるのとでは、まるで印象が違います。

 「そんなことはあるまい、街の印象と方角は関係ないだろう」という人のために、分かりやすい例を出しましょう。

 たとえば、漢字の「」という字を見ると、だれでも「コウ」とか「かぶと」とか読むでしょう。ところが、これをひっくり返せば「」の字になります。「由」はどう考えても「コウ」ではなく、「ユ」とか「よし」とか読むしかありません。「甲」と「由」は互いに180度逆方向を向いた文字ですが、棒の出っ張った方向が違うだけで、それぞれの印象はまったく違います。意味さえ異なります。

 方向を問題にしないならば、「甲子園」の代わりに「由子園」と書いてもいいことになりますし、「理由」の代わりに「理甲」でもいいことになります。でも、それでは何のことか分かりません。自分の娘に「甲美子」という名を付けて「ゆみこ」と読ませる親もいないでしょう。どうやら、われわれはモノがどちらの方向を向いているかによって、認識のしかたを変えるもののようです。




逆日本地図

 もっと今回のテーマに即した例として、上下を逆にした日本地図を示しましょう。

 べつに地球に上下があるわけではなし、北を下にした日本地図があってもいいようなものですが、そんな地図を見ていると、どうも落ち着かない気分になってきます。ふだん見ている形と違うからです。いや、正確には形は変わっていないのですが、向きが逆になっているだけで、われわれは「違う」と認識するのです。

 街並みを眺めるときも、これと同じで、それらの家々がどちらの方向を向いて並んでいるかということが、街の風景を決める重要な要素になるのです。ところが、僕の場合、中野の街の東西および南北を実際とは正反対に覚え込んでいるのですから、いわば僕の見ている街は現実とは逆の街、僕は「中野」ではなく「逆中野」に住んでいるということになります。




中野通りの桜

 哲学堂公園で。
 猫たちと遊ぶ近所の女の子。この哲学堂は、哲学者・井上円了が作らせたものだそうで、国籍不明の古い塔や建物が各所に配置されている。

 「逆中野」でも何でも、大学生の時の僕は、この土地を単なる仮の宿りだと思っていたので、それほど気にしませんでした。でも、大学を卒業して、大学院に入り、そこを出てもまだ中野に住んでいるとなると、そのうち「逆中野」ではなく「真の中野」(?)の姿が知りたい、と思うようになりました。

 要するに、自分の方向認識の狂いを矯正したいと思うようになったのです。

 しかしそれは、とうてい容易なことではありませんでした。何しろ長年、東西南北が逆の世界に住んでいるのです。太陽が西から出て、東に沈むという「天才バカボン」のような世界です。意識の表層で「こっちは西じゃない、こっちが東だ」といくら思っても、その当座はともかく、しばらくたつと、またもとの誤った感覚に戻ってしまいます。


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