ことばをめぐるひとりごと
その1 夕べを待つカゲロウ 「日本国憲法」に、つぎのような条文があります。 第三十八条 3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
はて、だれかがもし逮捕されたとして、自白だけが証拠の場合、どうなるのでしょうか。条文をぼんやり読むと、「有罪とされるか、または、罰せられないかのどちらかである」というように読んでしまいそうです。 拓哉君は、家では猛勉強をし、また、テレビを見ない。
というと、たいへんな努力家のように聞こえます。でも、これが実は「猛勉強もしないし、また、テレビを見ることもない」という意味だったとしたら、ただの無気力な少年ということになってしまいます。 命あるものをみるに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
とあります。すっと読めば、「人間くらい長生きなものはない。カゲロウは夕べを待って死に、夏に生まれたセミは、春や秋を知らずに死んでしまう」と読めます。でも、カゲロウが、自分の死ぬ時刻である夕べを「待っている」というのは変です。「夕べを待ち」の句は、下の「……ぬもあるぞかし」の「ぬ」に掛かっているのです。
よき人ののどやかに住みなしたるところは、さし入りたる月の色も、ひときはしみじみとみゆるぞかし。いまめかしく、きららかならねど、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も、心ある様に、……(第10段)
前者の例では、「いまめかし」「きららかなり」という形容が、両方とも後の「〜ねど」で否定されています。また、後者の例では、「この世の濁り・薄し」「仏の道を勤むる心・まめやかなり」が、後の「〜ざらん」で両方とも反語になっています。 (1997年記) |
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