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99.08.07

カゲロウ、その後

 このひとりごとの初回で、「徒然草」にみえる並立の言い方について書きました。
 「かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬ」という句は、カゲロウが夕方を待っているのではなく、「夕べを待ち」はその後の「……ぬ」にかかって、「カゲロウは夕べを待たずに(夕べが来る前に)生を終える」ということだという考えを記しておきました。
 じつはこの解釈は、主だった注釈書では明示されていないのです。どうやら注釈者の先生方はこの係り方に気付いておられないらしい、と内心にんまりしていた。
 ところが、小西甚一氏『国文法ちかみち』を見ると、ちゃんと書いてありました。何のことはない、40年も前に言われていたことであったわけです。

「カゲロウが夕方を待つし、夏の蝉が春と秋を知らないようなのもあるのだ」と訳したら、もちろん大減点。原文の意味するところは、カゲロウが夕方を待たないというのである。(p.283)

 小西氏の論は、佐伯梅友氏(『明解古典文法』など)の文法論の影響を受けているそうです。そこで、佐伯氏の書を見てみたところ、「徒然草」の並立の例はいくつか出ていますが、「かげろふの……」は出ていない。上の解釈そのものは、おそらく小西氏自身の創見でしょう。
 小西氏の本では、他に「徒然草」134段の「かたちを改め、齢を若くせよとにはあらず」が、「かたちを改めよ・齢を若くせよ とにはあらず」という並立とされています。また、佐伯氏の「並立関係でまとまる語句」(「国語研究」39)では、137段の「花はさかりに、月はくまなきをのみ、見るものかは」が、「花はさかりなるをのみ見るものかは。月はくまなきをのみ見るものかは」という並立だとされます。探せばまだいろいろあるはずです。
 ついでに、「A+B+ぬ」でAを否定する用例をもう一つ。山田孝雄が、自分の文章の中で使っている例です。

 茲に形容詞と称するは旧来形状言と称せられ、又形容詞といはれたるものなり。然れどもこのうちには形状をあらはし、形容をあらはさぬものも頗多し。たとへば、「無し」「同じ」「等し」「欲し」「空し」「惜し」「全し」は如何なる性質状態を形状するか、殆其の意を了すべからざるなり。(『日本文法論』p.229、字体改む)

 これは一見、「形容詞の中には、形状は表すが、形容は表さないものがすこぶる多い」というように読めるけれど、じつはそうでない。「形状・形容のどちらも表さないものが多い」ということです。山田自身、読みにくいと思ったか(?)、後年の『日本文法学概論』では、この個所は「然れども、これらのうちには形状又は形容をあらはすにあらざるものも頗る多し。」(p.207)と改めています。

 以下も、これまでの補足――。
 「しろばんば」に見える「ら抜きことば」ですが、方言のせりふではない例も確認しました。

 沼津行きの日、洪作はよそ行きの着物を着、新しい下駄を履いて、十カ月振りで馬車に乗った。幸夫たちは学校へ行っていて駐車場には送りに来れなかった。おぬい婆さんの方も見送りは上の家の祖母と近所の内儀さんたち二、三人だけでひっそりした感じだった。(井上靖『しろばんば』新潮文庫 p.259、ルビ省略)

 これは地の文ですから、作者のことば遣いが出たのでしょう。

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