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99.11.10

気になる「し」の用法

 作家の丸谷才一氏の文体的特徴の一つに、接続助詞の「し」の多用があります。名作『たった一人の反乱』(講談社文芸文庫)にも、この「し」が何度も出てきました。まずはいくつか引用しましょう。なお、主人公の「ぼく」は、通産省から天下りして会社に勤めている中年男です。

 酒を飲むときはたいていそうなのだが、運転して来た自動車は駐車場にあずけたままでゆくことにした。それを聞いて小栗は、人影がまばらになった宣伝部を出ながら、いかにも役人らしい実直さだとからかった、娘たちもくすくす笑う。たしかにあれは滑稽だったろうと思う。(p.18)

 ぼくは〔野々宮教授に〕思わず大きくうなずいたのだが、うなずきながら、これはまるで教室のいちばん前の席で講義を聞いている学生のようだと反省した、このまま進めばどうも相手の調子に巻きこまれてしまいそうだと心配した。彼が煙草を一本、白墨のように右手で弄びながら、そのくせいっこう火をつけようとしないことに、ぼくはかすかに苛立っていたようである。野々宮教授はつづけて、〔……〕(p.109)

「異議なし!」
 とたちまち声がかかった。今までのどのときよりも盛んな拍手が湧いた、人々はどっと歓声をあげて席を離れる。こうして、まことに奇妙な授賞式はおかしな具合に終ったのである。(p.538)

 まだまだあるのですが、ここらでやめておきます。僕ならば、ここでは「し」は使わないなあ、というところで丸谷氏は使うのです。僕と文豪を比べてはいけないか。
 接続助詞の「し」は、原因や、判断の理由を列挙するために使うことが基本的でしょう。上記の初めの例でいえば、「小栗は役人らしいとからかった、娘たちもくすくす笑う。それで、ぼくはちょっとすねてしまった」とでもなっていれば、ふつうの言い方だと思うんですね。「それで」以下が帰結の部分になるわけ。
 2番目の例も、「学生のようだと反省した、相手の調子に巻きこまれそうだと心配した。だから、ぼくは教授に反論を試みて……」というふうにでも続けば、平凡な文章となったろう。ところが、実際は「だから……」以下はなくて、話はそのまま先へ進む。
 丸谷氏が使う「し」は、たぶん単純な列挙を表すんでしょう。「Aであり、Bだ」とほとんど同じ意味で、「Aだし、Bだ」と書いていると思います。
 大正6年刊の『口語法別記』という文法書では、明治のころの用法が分かるのですが、そこでも「花は咲く、鳥はさえずる面白い春になった」「雨も降ろう、風も吹こう海上は難儀であろう」などのように、帰結部がついた例が多い(下線部が帰結部。表記は改める)。ただし、帰結部のない例もある。「酒も飲まぬ、煙草も吸わぬ」という例は、今でも言いそうです。もっとも、これは「も」が付いているところがミソで、「も」を使わず「私は酒を飲まない、煙草を吸わない」とした場合には、「……だから、堅物で通っている」のように、やはり後に何か帰結する部分が続きそうです。
 文部省唱歌の「ウミ」(林柳波作詞、1941年)には、「ツキガ ノボル、/日ガ シズム。」というフレーズがありますが、何だか、月が昇ったり日が沈んだりするのが海の大きさの理由になっているようにも聞こえて、おかしい。これは僕だけの感じ方でしょうか。
 ある方言学の本を読んでいたら、上村幸雄氏が、丸谷氏と同じような「し」を使っていました。

 それ〔有力な方言〕はおおく、政治的な中心の支配階級の方言であったり、経済的な中心であったりする、特殊な単語や表現のばあい、諸国を旅する芸人の歌詞やせりふであったりする。さらに、かきことば、文章語が方言におよぼす収束作用の程度は、時代により、印刷技術の程度、教育の普及度によりことなってくる。(上村幸雄「日本語方言の概説」『講座方言学 1 方言概説』国書刊行会 p.48)

 これも単純な列挙でしょう。「支配階級の方言であったり、経済的な中心であったり、また、歌詞やせりふであったりする」であれば、僕には違和感はありません(この「し」は「する」の連用形)
 丸谷氏・上村氏のように、単なる列挙の場合に「し」を使う書き手と、僕のように使わない書き手とがいると思います。

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