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きょうのことばメモへ三省堂国語辞典
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98.09.24

昔の常用字「愬ふ」

 「愬ふ」。
 恥ずかしながら、読めませんでした。答えは「うったふ」。現代語なら「うったえる」と言うところです。「訴ふ」と同じ意味らしいです。
 どこで目にしたかというと、終戦前後の新聞記事の中でした。たとえば「朝日新聞」声欄に、

……そのため農民は、へんとしてへ得ず、その悲憤は、敗戦後必然的に爆発したのである。(1945.12.20)

沖縄から〔見出し〕(1946.05.10)

などのように使われています。新聞記事本文でも

対ソ戦あくまで続行
 新総統、独国民に
デーニッツ新総統は一日ハンブルグ放送局を通じて次の通りドイツ全国民にへたといはれる(1945.05.03)

のように使われています。どうやら、当時この字は「常用漢字」だったようです。
 自分が読めないと、腹が立ってくるのが僕の性分で、こんな字がほかではどう使われているのか、ちょっと当たってみました。
 中国古典では「論語」顔淵編にも載っているから(「浸潤之譖、膚受之愬」)、教養ある人ならピンと来るのかもしれません。この句は日本の「太平記」にも引用されています。
 戦後すぐには、東久邇稔彦首相が、1945.09.05の演説で「我が国家及び国民の真価は必ずや世界の信義と理性にえ」と使っています(「戦後日本形成の基礎的研究」データベース)
 また、三島由紀夫の小説「金閣寺」(1956.10刊行)でも次のように何個所かで使われています。

 その晩、私は鶴川の寝室へゆき、寺の人たちの態度がおかしいと(うった)えた。(新潮文庫 p.87)

 最近は使われないかというと、そうでもなくて、藤本義一氏の使用例がありました。

 タケオが懸命に蔓を伸ばして生きていこうとする朝顔に嫉妬しているように、親は子供に嫉妬の感情を覚えて死に導くのだ。タケオの無言の行為は、その無謀な母の心理をぼくに(うった)えているように感じられた。(「風を聴く少年」小説新潮 1993.09)

 ただし藤本氏は1933年生まれで、終戦のときは12歳、戦前の文字生活を引きずっているのかもしれません(失礼)。
 いっぽう、Webで検索してみたところ、文字化けか漢字辞典のサイトででもなければ、ほとんど出てきませんでした。その中で、昭和初期に浜口雄幸首相が遊説の際に配布したという冊子「全国民にう」が紹介されていたのが収穫でしたが、これは戦前の例ということになるでしょう。おそらく常用漢字表の影響などで、現代の文章では「愬」の字は使われなくなったものと思われます。

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