HOME主人敬白応接間ことばイラスト秘密部屋記帳所

「ひとりごと」目次へ
前へ次へ
きょうのことばメモへ三省堂国語辞典
email:
98.09.03

「源氏物語」の現代語訳は長い

 このほど、瀬戸内寂聴さんの訳した『源氏物語』全10巻(講談社)が完結し、支持を得ているようです。このようにして古典が現代人に受け入れられるのは慶賀すべきことでしょう。寂聴さんのご労苦に満腔の敬意を表します。
 しかし、だ。残念ながら、僕は寂聴さんの現代語訳を読み通す忍耐力はないなあ、と思います。
 原文の「源氏」は、必要もあって何度か読み通しましたが、これは予想よりも長くて大変だった。この長さが「源氏」の特徴ではあるけれど、紫式部はもう少し短く書いてくれてもよかったんじゃないか。
 「源氏」の現代語訳は、明治の与謝野晶子のものをはじめ、昭和の谷崎潤一郎、円地文子、そしてこんどの瀬戸内寂聴訳が主なものでしょう。いったい、これらの翻訳は長いのか短いのか、ざっと見てみました。
 といっても、精密な調査をしたわけじゃありません。たまたま手元に「螢」の巻が開いていたので、その一部について、原文(角川文庫版)と上記の4翻訳の字数を比べてみました。
 玉鬘という娘のもとに、ある夜、兵部卿の宮が訪ねて来たが、娘ははにかんで会おうとしない。源氏は、娘の顔を宮に見せてやろうと思って、螢をたくさん部屋に放って、娘の顔を浮かび上がらせた、というところ。
 原文でいえば「いとあまりあつかはしき御もてなしなり。……」(角川文庫 p.22)というせりふから、「扇をさし隠し給へるかたはらめ、いとをかしげなり」という描写まで。
 この部分の字数が、下記のグラフのようになっています。

原文388字 与謝野456 谷崎518 円地518 瀬戸内603

 これを見ると、新しい現代語訳が出るたびに字数が長くなっているのですね。瀬戸内訳では、じつに原文(角川文庫版)の1.5倍だ。これはちょっと勘弁してほしい。
 谷崎・瀬戸内訳は、「です・ます体」で書かれているので、それだけでもどうしても長くなってしまう。でも円地訳は「である体」なのに、谷崎訳と同じ字数になっているんですね。
 新しい翻訳ほど、原文の意味を忠実に訳そうとするために、こうなってしまうのでしょうが、何か工夫はできないものか。
 たとえば、上記にも引用した「あつかはしき御もてなし」は、瀬戸内訳では「もったいぶった気の利かないお扱い(巻5・p.10)となっていますが、「あつかはしき」という一語を忠実に訳そうとすると「もったいぶった」「気の利かない」というふたつの修飾語が必要になるらしい。これを、たとえば与謝野訳のように「窮屈なおあつかい」としても悪くはないのでは。
 読者にとってみれば、忠実だが長い訳より、大胆でも簡潔でリズミカルな訳のほうが、読んでいてありがたいものです。しょせん、現代語訳では忠実な訳といっても限界があるから、意欲のある人には原文を読んでほしいのです。


追記 「asahi.com」のコラム「竹信悦夫の「ワンコイン悦楽堂」」で、翻訳本の「読み比べ」を取り上げるにあたってこのページにリンクしてくださいました。(2002.09.12)

追記2 2017〜20年に刊行された角田光代訳『源氏物語』(河出書房新社)の「蛍」の該当部分は438字で、これまでの現代語訳の中では最も短い字数となっています。他の2か所(「若菜上」「浮舟」)を調査した結果も、上記と基本的には似た傾向を示します(下のグラフ参照)。ただし、厳密に論じるためには、もう少しサンプルを多くすることが必要なのはもちろんです。 (2020.05.04)

源氏物語 現代語訳 文字数比較(追加調査)

関連文章=「小砂眼入調とは

「ひとりごと」目次へ
前へ次へ
きょうのことばメモへ ご感想をお聞かせいただければありがたく存じます。
email:

Copyright(C) Yeemar 1998. All rights reserved.