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03.02.13

夢を見る

 小林信彦氏の近著『名人 志ん生、そして志ん朝』(朝日選書)に載っていた古今亭志ん生の川柳に思わず笑いました。

気前よく金を遣{つか}った夢を見る
借りのある人が湯ぶねの中にいる
干物ではさんまは鰺{あじ}にかなわない(p.111)

 いったい、どういう状況で作った句なのでしょう。何ともいえぬおかしさがあります。

 ところで、最初の句にもある「……た夢を見る」という言い方は、今ではごく当たり前に使われています。または「……する夢を見た」「……するという夢を見た」というふうに言うこともあるかもしれません。夏目漱石「吾輩は猫である」にも、

昨夜〔ゆうべ〕は僕が水彩画をかいて到底物にならんと思つてそこらに抛つて置たのを誰かゞ立派な額にして欄間に懸けて呉れた夢を見た(『漱石全集 第一巻』岩波書店 p.18)

とあります。
 ところが、こういうごく当たり前のような言い方も、古代にはまだ成立していなかったようです。「……する夢を見る」は、文語文でもそのまま「……する夢を見る」でよさそうなものですが、実際、昔はそういう言い方をせず、「夢に……と見る」(完了形なら「見つ」)と言っていたようです。
 「空を飛ぶ夢を見る」は、昔ならばさしずめ「夢に、空を飛ぶと見る」または「空を飛ぶと夢に見る」となりそうです。先ほどの志ん生の川柳「気前よく金を遣った夢を見る」も、平安朝ならば「惜しげなく銭を遣ふと夢に見つ」となりそうです。
 現代語では、引用の助詞「と」のあとに来るのは「言った」「思った」などが一般的ですが、昔は「……と見る」という言い方がごくふつうに行われていました。今でも、「形勢不利と見て逃げ出した」のような場合には使われます。夢を見る場合にも、この「……と見る」という言い方が使われたわけです。
 うんと古く「万葉集」では、

剣太刀(つるぎたち)身に取り副(そ)ふと夢(いめ)に見つ何のしるしそも君に逢はむ為(604番)

となっています。「いめ」は「ゆめ」の古形。「太刀を身につけた夢を見ました。一体何の前兆でしょう。あなたにお逢いするしるしです」(『日本古典文学大系』)ということですが、ここでもやはり、「……たる夢を見つ」ではなく、「……と夢に見つ」となっています。  「源氏物語」でも、たとえば

御夢にも、ただ同じさまなる物のみ来つつ、まつはしきこゆと見たまふ(明石巻)

「(光源氏が)眠っている時にも、以前の鬼神どもが現れて自分につきまとう夢を見る」ということですが、ここでは「夢に……と見る」という構文になっています。

 「……といふ夢を見る」という構文は、やや遅れて(平安時代後期ぐらい?)出てきたようです。鎌倉時代の「平家物語」には、

この行隆、先年八幡へ参り、通夜せられたりける夢に、御宝殿の内より鬢づら結うたる天童の出でて、「これは大菩薩の使いなり。大仏殿奉行の時は、これを持つべし」とて、笏を賜るといふ夢を見て、……(巻第六・祇園女御)

というふうになっていて、これなら現代の我々でも使います。ただ、まだ今のような「……する夢を見る」にはなっていません。

 この、「……する夢を見る」の形は、中世の「仏法夢物語」にそれらしいものが出てきます。

烈子は六十年の夢を見、荘周は百年の〔間、蝶になる夢を見る

 もっとも、これは本文に疑問もありそうです。江戸後期の「誹風柳多留拾遺」には

はらむ晩妾(めかけ)切られた夢を見る(二篇)

という句が載っています。妾が妊娠した晩に、本妻に刀で斬られた夢を見るということでしょうか。これは、まさに志ん生の川柳と同様に「……た夢を見る」の形になっています。

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