02.08.28
日常生活において……

この夏、授業のなかで28名ほどの女子大学生を対象に、「『誤解』ということばから思いつくことを自由に書きなさい」という課題を出したところ、さまざまな文章が集まりました。
……と、言いたいところですが、どうも個性に乏しいものが多いというのが、正直な印象でした。同じような話が何度も出てくるのです。
たとえば、「アルバイト先に不良っぽい男がいたが、話してみるとけっこういい人だった。初めの私の印象は誤解だったのだ」というエピソードを紹介している人が3人いました。
・スキンヘッドにチャラチャラしたアクセサリー、服装も派手だし歩きながらたばこも吸う。私は初めて彼に会ったときまず、怖いという印象で近寄り難かった。しかし〔後略〕
・私が新人だったころ見た目がとても怖そうな先輩がいた。〔中略〕「〜さんは、凄い厳しいんだよ!」などとその先輩の噂を色々と聞いていてさらに自分の中だけでイメージが膨らんでいってしまった。〔中略〕しかし、〔後略〕
・K先生に持った第一印象は、《髪は茶髪・タバコは吸う・無愛想・こわい・話しにくそう》という最悪なもので、外見からはとても塾講師とは思えなかった。〔中略〕一見トラブルメーカーのような存在だが、〔後略〕
といった具合。「一見怖そうだが、じつはやさしい」という人は最終的に人望を得るのかもしません。
このほか、「いわゆるギャルと呼ばれる近寄りがたい友だちがいるが、実際は気さくだ」という話を紹介している学生が2人、「私の親しい彼(彼女)は不品行だと言われているが、実際はそうではない」という話を紹介している学生が2人、これらを合わせると、ある種の話のパターンを形成しているように思われます。
もちろん、作文のテーマが共通している以上、それに基づいて書いた文章がある程度似通っているのは当然かもしれません。でも、「誤解」ということばから思いつく内容には、もう少し広がりがあってもいいのではないでしょうか?
「教師というのは聖職だと思っていたが、報道される数々の問題教師の事件を見ていると、どうやらそれは私の誤解だったのではないかと思われてくる」
というような生意気なことを、だれか1人ぐらい書いてもよさそうなものです。でも、そういう人はいませんでした。(もともと、聖職と思われてはいないか。)
ことば遣いの面でも、なんだかみんなで相談して書いたような共通性がみられます。今回の文章は授業時間内に書かせたもので、人と相談する機会はなかったはずなのに。
よく出てくることばのひとつが「〜において」または「〜における」でした。
学生の書く文章は、全体としてむずかしいことば遣いは少ないのに、なぜか堅苦しい「〜において」という句だけは愛用されているようです。
本文中に「〜において」「〜における」を使っていたのが全部で9人、うち「〜において」が9人で、「〜における」が2人でした。
さらに目を引くのは、単に「〜において」ではなく、「日常生活において」「日常における」という句を使っていた人が5人もいたことです(使用回数は全6回)。これは多いですよ。「日常生活において」という言い方は、全体で一種の慣用句になっているのでしょうか?
・私の日常生活において言わせてもらうならば、「誤解」に比べるとこちらの言葉の使用頻度は明らかに高い。
・我々の日常における誤解はコミュニケーション内の伝達事項に起こることのほうが多い。
・誤解というのは、日常生活において非常に多く発生している。
・日常生活においてさまざまなところで誤解は生じていると思われるが
・この「誤解」という言葉は、日常生活においてしばしば耳にする機会があるが、
・私も日常生活において、なかなか誤解されがちなところがあるので困ってしまうことがたまにある。
別に、僕が前もって「日常生活において……」という見本の文章を見せたとか、そういうことではありません。むしろ、僕はふだん「〜において」ということばはあまり使いません。しかるに、学生の文章において、斯くまでこの語句が頻用せられるのは何ゆえであろうか?
僕の語感からすると、「〜において」というのはどうみても古風です。ふだんから「つとに有名」とか「〜の虞(おそれ)なしとしない」とか、「叙上のごとく」とか、「しかくむずかしい岐路に立っている」とか、「繁を省くために略する」とか、「煩に堪えぬ」とか、「漸を追ってあらわれた」とか、「ことほどさように」とかいう句を常用している人ならともかく、
「友人とのメールにおいて」
「W杯の日本対トルコ戦において」
というように、今ふうの若者らしい話題の中で、唐突に「〜において」が出てくると、ちょっとずっこけます。
そこで僕は学生たちに向かって、
「『〜において』というのはこけおどしの言い回しだから、あまり愛用しないほうがいいですよ」
といういらぬアドバイスをしたのでした。
人に聞いた話ですが、電車の中で大学生と思われる人同士が「レポートを書かなければならない」という話をしていて、
「やっぱ、レポートだから、むずかしいことば遣いで書かなくちゃだよね」
「そうそう。『〜において』とか使ってさ」
などと話していたそうです。
「〜において」ということばは、「レポート用語」、レポートを書くときに使う「お約束」のことばと思われているのかな? もしそうだとすれば、それは無用の気づかいというものです。
|