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02.01.07

向田邦子のことば

 向田邦子さんはまだ51歳という若さで亡くなりましたが、とても古風なことばづかいをする人でした。
 雑誌「日本語学」2001.10で、相模原市立谷口中学校の関口益友氏が

向田邦子の『字のないはがき』の中の、「ひどくびっくりした」という表現に、文章では見るけれど、実際には使わないと感じた。(p.47)

と記していました。関口氏が教える生徒さんは
「「ひどく」という使い方は今はしないよ。今は、「チョー」だよ
 とか、
ずいぶん昔のことばなんだね。お母さんたちだって使ってないよ」
 とかいう感想を寄せたそうです(p.49)
 いくら何でも、「ひどく」は「ずいぶん昔のことば」とは言えないのではないかな。僕の感じでは、たとえば
 「傷口が(  )膿んでいる」
 「じいさんを見舞いに行ったが(  )やせていた」
 などというとき、「ひどく」がいちばんぴったり来ます。これを「チョー」でしか表現できないとしたら、まことにつまらないことです。
 それはともかく、向田さんの文章を読むと、ふだんあまり目にしないことばが多く出てくるのはたしかです。
 テレビドラマのために書いた脚本では、さすがに古風なせりふ回しは抑えられていますが、たまに

巻子「ほら、いつもこのへんにニキビの寄りつくって」(『阿修羅のごとく』〔1979.01 NHKで放送〕新潮文庫 1985.02.25発行 p.198)

のようなことばが出てきます。ちなみに「寄り」とは「腫れものの毒が一ところに固まること。また、その固まり」(『日本国語大辞典』、用例なし)
 エッセイ『無名仮名人名簿』をみると、中学生ならぬ僕から見ても「ずいぶん昔のことば」が豊富に詰まっています。二、三挙げましょう。

気くたびれ(気疲れ)
 特に設計した人は、地団駄を踏む思いで、胃をこわしたりするのではないかと、ひとごとながら心配になってくるが、田中角栄邸の人たちにいわせると、隣りに気くたびれするものが建っちまって、落着かないったらないよ、ということになるのかも知れない。(文春文庫版 p.138)

冥利が悪い(もったいない)
 一度でいい。一人で一個、いや半分のメロンを食べてみたいと思っていた。ひとりで働いているのだから、しようと思えば出来ないことはないのだが、果物に三千円も四千円も払うことは冥利が悪くて出来ないのである。(p.225)

中(ちゅう)っ腹(不機嫌)
 役目を果たしたので安心して、朝刊でも読もうかと立ちかけたら、電話が鳴った。今度は夫人である。
 「起してもらって文句を言って悪いけど、あなたも気が利かないわね」
 中っ腹な声である。全然意味が判らない。(p.276)

 そのほか、
「やだ。前よか肥ったみたいだねえ」(『無名仮名人名簿』 p.151)
 というような「よか」なども多用されていて、彼女が育った戦前の東京のサラリーマン家庭のようすを髣髴とさせます。
 ところが、彼女は小学校のころ2年間だけ鹿児島で過ごしたことがあります。そのころのことばがポロッと出ていることもあります。

 この演説が効を奏したとみえて、彼女〔猫〕はみごもった。お婿さんのところから帰ってすこしすると、米粒のようにカチびっていた八個のオッパイが桃色にふくらんで来た。(『無名仮名人名簿』 p.294)

 「かちびる」というのは、固くなるということですが、これはどうやら東京のことばではありません。愛媛県(かちばる)、岡山県(かちんばる)、鹿児島県(かちびっ・かちびれる)、宮崎県(かちぶる)など、おもに西日本で使われていることばのようです。
 いわゆる「気づかない方言」で、向田さんもうっかり使ったのでしょう。

関連文章=「ついつい出る方言

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