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01.10.24

福井で聞いたことば

 いっこうに止まない雨を小さなビニール傘だけでしのぎつつ、僕はもう2時間以上も福井県の山中をさまよっていました。
 昼に永平寺を出発し、南を指して山越えの最中でした。この先の「越前高田駅」から一乗谷へ向かおうという計画です。

 周囲数キロにわたって、人家もなく、人も通らず、丈の高い杉などの林と無情の雨だけが周りを囲む。ズボンの裾もリュックサックも濡れ通って、風邪を引くのが先か、駅にたどり着くのが先かと心細い気持ちになりながら、ようやく探し当てたその駅は、悲しやなプラットフォームだけの無人駅。しかも、張ってある時刻表を見ると、次の電車は2時間近く先だという。

 「これじゃあ、一乗谷に着くのはいつのことやら……」
 絶望的になりつつ、付近に見つけた民家。玄関先で大工仕事をしていたおじさんに、トイレを拝借かたがた尋ねてみました。
 「電車は、当分来ないようですね?」
 「赤字線じゃでなあ。ほっじゃけど〜、一乗谷まで道があっさけ〜、歩いたほうが早いかもしれんのう……」
 おじさんは純正福井弁で話し始めました。僕は内心、大喜び。あまりにも見事な土地のことばで、初めのほうは半分ぐらいしか分からなかったほどです。山の中で雨に降られたおかげで、なまの方言に出会うことができました。
 このおじさん、近くにあった段ボール箱に地図まで書いて、とても丁寧に道を教えてくれました。全部で5、6分ほどの時間を割いてもらったでしょうか。

 残念なことに、録音機もないため、おじさんの貴重なせりふのほとんどは忘れてしまいました。今、僕が書いたせりふは、おじさんの発言そのままではありません。しかし、「あっさけ〜」(あるから)、「ほっじゃで〜」(そうだから)など、いくつかのことばは耳に残りました。微妙に上下する語尾のイントネーションも、福井弁ならではの響きをもっていました。

朝倉氏屋敷  おじさんの説明に従って、それから小一時間ほどで、なんとか一乗谷に到着することができました。ここには、室町時代に一帯を支配した朝倉氏の遺跡が残っていて、当時の街並みが復元されているところもあります。

 一通り見終わったのは夕暮れ時。福井市内へ行くバスを待ちながら雨宿りをしていると、管理事務所のおじさんが声をかけました。このおじさんがまた、気さくによく話してくれる人。
「会社員ですか?」
「いえ、あの、大学に勤めています」
ほうしっと(そうすると)、ここへは研究のために?」
「えー、いや、ただの旅行でして……」
 おじさんとの会話はひとしきり続きました。ここでもまた、「録音機がほしい!」と切実に思いました。

 1996(平成8)年にNHKが行った県民意識調査によれば、「お国なまりを恥ずかしい」と思う県の第1位が福井県なのだそうです(NHK「ふるさと日本のことば」2000.07.16放送)。福井市内の書店を見ても、福井の方言関係の本は1冊も並んでいません。とても残念なことです。

 でも、福井で出会った人々は、気軽に地元のことばで話してくれました。市内を走る市電「すまいるトラム」の車掌さんは、「100円持ってなる?」と言っていました。方言の本は買えませんでしたが、代わりに、生きたことばをお土産に持って帰ることができたわけです。

 方言に限定しなくても、この土地の言語生活は豊かでした。コンビニエンスストアで客の小学生が店員に「ありがとうございました」と言って去ったのを聞いたとき、ここの空気が東京とは決定的に違うことを感じました。

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