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01.07.08

TとDの発音

 森喜朗前首相が「IT(情報技術)革命」を「アイテーカクメイ」と言っていたのは記憶に新しいところです。古い人は「T」を「テー」と発音していたことがこれで分かります。
 小学生の時(1979年)、NHKの朝のドラマ「マー姉ちゃん」を見ていたら、終戦直後の場面でブローカーふうのおっさん役の俳優が「DDT」を「デーデーテー」と発音していました。昔は「ティー」「ディー」とは言っていなかったのだな、と子ども心に思いました。
 もっとも、それが規範的な発音だったというわけではないようです。当時のニュース映画「日本ニュース」8号(1946.03.07)のナレーションによると

 入浴するにも並々ならぬ苦労、石鹸の配給は思うに任せず、これではシラミもたかるし、ノミも増える一方。このノミやシラミが、ただかゆくていまいましいというだけならまだしも、発疹チブスをまいて歩くと聞いては、捨てては置けません。進駐軍では、当の日本の防疫陣以上に、発疹チブスの蔓延を憂慮しております。
 すでに大阪では八百名近くの発疹チブス患者が出ました。ここは大阪駅。進駐軍はアメリカ製のDDT〔ディーディーティー〕消毒薬を提供、ノミやシラミの撲滅に力を貸してくれました。(NHK「NHK特集アンコール・激動の記録 第3回」1991.07.31放送)

と言っています。アナウンサーなど教養ある人は「T」は「ティー」、「D」は「ディー」と言っていたようです。
 小学1年生の時担任だった60歳近い女の先生は、僕たち生徒に家庭への連絡ノートを取らせようとして、「PTAの案内」というつもりで

ぴちえのあんない

と板書しました。先生はおそらく、ふだん「ピーチーエー」と言っていたのでしょう(もしくは、生徒に「てぃ」と書かせるのはむずかしいと判断し、しかも、「て」よりは「ち」のほうが原音に近いと判断したのでしょう)。
 「テー」と「チー」では聴覚印象がまるで違います。「T」の日本語発音としては、昔はどちらが主流だったのでしょうか?
 幕末の中浜万次郎訳『英米対話捷径』(1859)では、アルファベットにふりがなを振って
 「ヱー ビー シー リー イー ヱフ ヂー ヱイチ アイ ゼイ ケー ヱル ヱム ヱン ノー ピー キウ アー ヱシ チー ユー フヘー タブリヨ ヱキシ ワイ ジー」
 としています。
 ここでは「T」は「チー」、「D」は「リー」です。ただし「thirteen」は「サアチン」、「pretty」は「ブロテ」、「misty」は「メステ」で、[ti]の音写についてはチ系・テ系両方あります(長母音がチ、短母音がテとおぼしい)。「Lady」は「レーデ」、「dissipated」は「デシパーデ」。
 1883年(明治16年)に5版の出た『英学独案内 全』(真野秀雄挿訳・ウェブストル氏スペルリング、競錦堂)では、
 「エー、ビー、シー、デー、イー、エフ、ジー、エーチ、アイ、ジェー、ケー、エル、エム、エヌ、オー、ピー、キユー、アール、エス、テー、ユー、ヴイ、ダブルユー、エキス、ワイ、ズイ」
 となっています。ただし「thirteen」は「ソルテーン」、「University 大学校」は「ユニバーシチー」、「Steel 鋼鉄 ハガ子」は「スチール」で、[ti:]はチ系・テ系両方あり。「Discount 割引 ワリビケ」は「ジ(ス)カウント」、「District 戸長」は「ヂストリクト」、かと思えば「Department for Home Affairs 内務省」は「デパートメント……」。
 明治末の1909年(明治42年)の『増訂 新語学独案内』(エフ・ブリンクリー著、三省堂)では
 「エー ビー スィー ディー イー エフ ジー エーチ アイ ジェー ケー エル エム エヌ オー ピー キュー アール エス ティー ユー ヴィー ダブリュー エクス ワイ ゼド」
 となっていて、かなり今日の感覚に近い音写をしています。
 楳垣実『日本外来語の研究』(1943)には

明治期には気取つた風に響いた外来語も,大正期になると極く自然に聞えたのである。〔略〕たとへば〔ti〕〔di〕〔si〕〔fa〕〔fi〕〔fe〕〔fo〕などの音節が自然に発音出来るやうになつたのは、この期の末ごろからであらう。(p.112)

とあります。これを併せて考えると、昭和には、もう一般的な教養層ではすでに「T」は「ティー」、「D」は「ディー」だったのではないでしょうか。
 今回はごくざっと不十分に歴史を見渡したにすぎませんが、「T」の読み方としては、「テー」よりも「チー」のほうが古いのかな、という感じを受けました。

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