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01.04.21

役所は命令する

 役所から発表される文書には、いろいろ不思議な約束事があります。文言の意味があいまいになり、行政が滞っては困りますから、それぞれの語をきちんと使い分けておく必要があるのでしょう。
 よく聞くのは、「又は」と「若しくは」、「及び」と「並びに」の使い分け。これは、「(A若しくはB)又はC」「(A及びB)並びにC」という関係にあるのだとか。ほかにも、「4月20日以前」は20日を含むが、「4月20日前」は含まないなど、うるさいことになっています。
 もう15年以上前、NHK放送文化調査研究所が北海道庁の職員340人を対象に、公務員自身が気になる言い回しにはどういうものがあるか尋ねました。そのトップは「〜するものであるとする)」「〜にかかる」「〜殿」で、それぞれ11人でした(「言語生活」1985.11 p.62、杉戸清樹)
 「〜するものとする」は、たしかに分かりにくい言い回しですが、これもただ漫然と使われているのではないようです。「〜すること」などの命令表現と区別して使われているのでしょう。たとえば、学習指導要領では1989年以来、国旗・国歌について

入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする(高等学校など)

とあります。「〜すること」という表現は、次のように使われます。

国歌「君が代」は、いずれの学年においても指導すること(小学校)

 「〜するものとする」は、「〜すること」よりは婉曲なニュアンスがあります。どちらも命令表現であり、その強さによって使い分けているのでしょう。とはいっても、現実に、ほぼ全国の学校で国旗掲揚・国歌斉唱が実施されているわけですから、「〜するものとする」にも強制力があることは間違いありません。
 これ以外に「〜することとする」というのもあります。「〜するものとする」が、これからずっとそういう状態であるようにせよ、というニュアンスであるのに対し、「〜することとする」は、早くそのことを実行せよ、というニュアンスがあるように僕には感じられます。
 「……指導するものとする。」より前、小中学校の指導要領では「……国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい。」というふうに書かれていました。一方、高等学校では「……国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましいこと。」とあり、日本語の命令表現としてはめずらしく形容詞に「こと」がついています(ふつうは動詞や、その否定形に「こと」がつく)。「望ましいこと」は、「望ましい」よりもやや強い命令表現であるように思われます。
 これらを総合すると、役所の命令表現は、度合いが強いほうから、

「○○すること」→「○○するものとする」→「○○することが望ましいこと」→「○○することが望ましい」

となるのではないでしょうか。
 形容詞などに「こと」をつけて命令表現にする奇妙な言い回しは、お役所独特のものらしいですね。たとえば、最近雑誌に載っていた厚生労働省の広告に次のような例がありました。

10.〔……〕・破線内の事項については、制度として設けている場合に記入することが望ましいこと

11.「退職に関する事項」の欄については、退職の事由及び手続、解雇の事由等を具体的に記載すること。この場合、明示すべき事項の内容が膨大なものとなる場合においては、当該労働者に適用される就業規則上の関係条項名を網羅的に示すことで足りるものであること
 なお、定年制を設ける場合は、60歳を下回ってはならないこと

*この通知書はモデル様式であり、労働条件の定め方によっては、この様式どおりとする必要はないこと

(厚生労働省・労働条件通知書記載要領〔広告〕「週刊文春」2001.03.22 p.187)    

 「望ましいこと。」は「望ましい。」、「足りるものであること。」は「足りる。」、「下回ってはならないこと。」は「下回ってはならない。」、「必要はないこと。」は「必要はない。」とするのがふつうの日本語のはず。文法に反する危険に目をつぶってまで、あえて「こと」を加えているのはどういう意図があるのでしょう。
 たとえば、「この様式どおりとする必要はないこと。」というのは、
 「お上が『必要ない』と言ってやっているのに、ガチガチにこの様式を守るようなことはするな」
 という意味をこめているのでしょうか。
 なお、この文章の「学習指導要領」引用文については、文部科学省ホームページの「報道発表一覧」1999.09の通知を参考にした部分があります。


追記 冒頭の「若しくは」「又は」の使い方が逆でした(訂正しました)。間違いやすいので注意していたつもりなのですが……。風早正毅さんよりご指摘いただきました。どうもありがとうございました。(2001.05.24)

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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