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きょうのことばメモへ三省堂国語辞典
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01.02.23

大湊を追う

 前回の文章で、
 〈「に」は相手と直接関わらない、「を」は相手と密接に関わる〉
 というようなことを書きました。われながら雑な言い方ですが、こういうのはなかなかすっきりと説明することがむずかしいのです。
 「後考(こうこう)俟(ま)ちたい」という言い方があります。論文でうまい結論が出ないときなどに、後の人の考えに期待したいということです。「後考俟ちたい」という人もいます。
 僕の感じ方では、「後考〜」というと、《自分の考えを発展させてくれる相手がいるかどうか分からないが、もしいればあとはその人に任せたい》といった一歩引いた印象があります。一方、「後考〜」というと、《そういう相手が現れることを大いに待ち望んでいる》という感じがします。
 かように、あるひとつの動作や作用を、とらえ方によって、「に」を使って表すことも、「を」を使って表すこともできます。

 平安時代の「土左日記」に、「に」と「を」との違いを考えさせる例があります。作者の紀貫之は、今なら「(どこそこの)土地に向かう」というときに、「(どこそこ)を追ふ」という言い方をします。列挙すれば、

廿八日。浦戸より漕ぎ出でて、大湊(おほみなと)を追ふ

九日のつとめて、大湊より奈半(なは)の泊(とまり)を追はむとて、漕ぎ出でにけり。

十一日。あかつきに船を出だして、室津を追ふ

廿二日。昨宵(よんべ)の泊より、他泊(こととまり)を追ひてゆく。

五日。けふ、からくして、和泉の灘より小津の泊を追ふ

といった具合。
 今日の目から見ると、面白い表現ですね。「大湊」という土地「に」向かうのではなく、「を」追いかける。いわば、「大湊」を追跡の相手と考え、船で近づいて捕まえてやろうとするわけです。相手(大湊という土地)と積極的に関わろうとしている。
 今ならばふつうに使う「(どこそこ)向かふ」という表現は、昔は「接近する」という意味では使われず、「面と向かう」という意味で用いられたようです。
 「万葉集」の「那賀に向へる曝井の」(旧1745番)を講談社文庫では「那賀に向かって流れ出る曝井」と解釈していますが、むしろ古典文学大系の「那賀に向き合っている曝井」という解釈のほうがよいと思います。
 「〜に向かふ」で「〜に接近する」の意味を表す例は、「平家物語」に

いざや六波羅におしよせて、夜打にせん。其儀ならば、老少二手にわかッて、老僧どもは如意が峯より搦手にむかふべし。(永僉議)

のように出てきますが、古い例は「接近する」と解釈しないほうがよいのではないでしょうか。
 「土左日記」の「大湊を追ふ」と同じように、「万葉集」でも「源氏物語」でも、ある土地に向かうときは「に」ではなく「を」を使います。

天地の神を祈りてさつ矢貫き筑紫の島をさして行く我れは(万葉集・旧4374番)

みづからは、山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず、山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆく、となん見はべりし。(源氏物語・若菜上)

のように。「(どこそこ)をさして行く」は、今の言い方である「(どこそこ)を目指して行く」に通ずるものでしょう。もっとも、同じ「を」でも、「土左日記」の「(どこそこ)を追ふ」、追跡して行くという表現のインパクトには負けるでしょう。

関連文章=「「に」と「を」」 「「江戸時代に」と「江戸時代へ」

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