01.01.01
年改まりては
うかうかしているうちに21世紀となってしまいました。どうしたもんでしょう。この分では、早晩、22、23世紀もやって来るのではないでしょうか。
メディアの発達によって、新年の挨拶にも新しいものが加わったようです。「あけおめことよろ」なる挨拶があるというのを知ったのは、「週刊朝日」に載った甘粕りり子さんのエッセイによってでした(2000.11.17)。これは携帯メール(ケーメール)でやりとりできる文字数が限られているための略語であるようです。もっとも、もはや死語かもしれないので、今年の年賀状でこのことばを使うことはしませんでしたが。
新年の挨拶がどう変遷してきたかをたどるのは、なかなか難しいようです。「明けましてお目出たうござります」という挨拶は、江戸時代も後期の上田秋成「胆大小心録」に出ています。式亭三馬「浮世風呂」では、
ばゝ「ハイ豊猫{とよねこ}さん、明{あけ}ましては結構{けつかう}な春{はる}でございます(新日本古典文学大系 p.153)
とか、
六十ぢかきばあさま ハイ是はしたりどなかたと存{ぞんじ}ました。まづあけましてはけつかうな春{はる}でございます(p.164)
とかいう形で出ています。
「明けましておめでとう」という言い方は、いずれこの前後の時期からのものでしょう。今度出た『日本国語大辞典 第二版』には「明けましておめでとう」は出ていませんでしたが、これぐらい載せてもいいのではないでしょうか?
平安時代はどうだったでしょうか。11世紀の「源氏物語」をみると、年始状で「何ごとかおはしますらん」というような挨拶が使われています。
阿闍梨のもとより、「年あらたまりては、何ごとかおはしますらん。御祈祷はたゆみなく仕うまつりはべり。今は、一ところの御ことをなむ、やすからず念じきこえさする」など聞こえて……(早蕨巻)
これは、宇治で姉妹で暮らす姫君の許に、新年、山の阿闍梨からワラビを送ってきた場面です。「年が改まって、何がありますでしょうか(どのようにお暮らしでしょうか)」ということでしょう。
この言い方は、臨時的なものではないようです。他の個所に出てくる新年の手紙にも、
女の手にて、「年あらたまりて何ごとかさぶらふ。御私にも、いかにたのしき御よろこび多くはべらん。……」(浮舟巻)
とあります。これは、宇治の浮舟という姫君についている女房右近から、京の女房宛てとして出されたものです。
「何ごとかさぶらふ」の意味は、やはり「お変わりございませんか」というほどのものでしょう。新年でないときの手紙にも、このことばは使われています。たとえば、薫君が出した手紙について
御文には、「日ごろ、何ごとかおはしますらむ。山里にものしはべりて、いとど峰の朝霧にまどひはべりつる、御物語もみづからなん……」(宿木巻)
と書かれています。「毎日どのようにお暮らしですか」ということでしょうね。
「何ごとかおはしますらん」「何ごとかさぶらふ」は、「源氏物語」の世界では、まあ常套句といってよいと思います。あまり他の古典では目にしないようですが、どの程度の広がりがあったのか、知りたい気がします。
新年の挨拶として「年改まりては、何ごとか……」と言った例も、やはり「源氏」以外では目にしたことがありません。しかし、意味としては「明けましておめでとう」ということですから、平安時代の人に道で会った場合、このように言っても通じると思います。
●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。
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