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00.10.26

「自由学校」のことば

 獅子文六の小説「自由学校」は、戦後間もない1950(昭和25)年に新聞連載され、大好評を博したそうですが、今では絶版で、簡単には読めなくなっています。だいたい、獅子文六の名自体、忘れられかけているようです。
 戦後、突然に「自由」を手にした夫婦は、互いにどういう形で付き合ってゆけばいいのか、それをこの小説は考えさせます。男女がそれぞれ自由を確保しつつ一つ屋根に暮らすことができるかというテーマは、現代にも通じるはずです。
 怠惰な夫を「出ていけ!」とたたき出した勝気な妻・駒子と、彼女にたたき出された夫・五百助。それぞれが経験する数か月にわたる冒険がストーリーの中心です。
 家を出ざるを得なくなった五百助のその後の運命はすさまじいもので、僕は男としてすこぶる感情移入して読みました。女性が読めば、さぞ痛快な小説ではないかと思います。どうして絶版になったんでしょう。
 結末も、当時としてはアッと驚く展開といえると思います。
 ところで、この「自由学校」、使われていることばも、隠語が多かったりして、興味を引きます。
 列挙してみると、ネス(素人)、キス(酒)、フリ十(20円)、ノビ(泥棒)、タタキ(強盗)、シラベ(小太鼓)、ヨスケ(鉦)、トンビ(笛)、ハイノリ(自転車泥棒)、ナガシ(田舎回りのユスリ)、オモヤ(警視庁)、アンバコ(留置場)、ヒゲ(思想犯)……といった具合。
 このほか、「飛んでも、ハップン!」「ネバー・好きッ!」などの流行語が出てくるわけですが、このあたりはわりと有名でしょう。
 もっとも、「自由学校」の用例は、上の隠語(のほとんど)を含めて『日本国語大辞典』にも多く取られており、こと新しく再論する余地は少ないかもしれません。「テレヴィジョン」という語の早い例(NHKテレビ放送開始の1953年より早い)もこの小説に出てくるのですが、その例もすでに『日本国語大辞典』には収録済みです。
 以下では、そのほかのちょっと気になることばをまとめてみようと思います。

横断線
 数寄屋橋の横断線を渡る時に、隆文は、なんの躊{ためら}いもなく、肱をくの字に曲げて、駒子の方へ、さし出した。(新潮文庫 1973.08.10発行39刷 p.60)

 このことばは『日本国語大辞典』にありません。今の「横断歩道」でしょうか。昔のことは分からないのですが。
 横断歩道のデザインは最近も変わりましたが(シマシマだけになって縦棒がなくなった)、何度か変遷があったのでしょう。敗戦直後はどのようなデザインだったんでしょう。

なんですね
「まァ、なんですねえ、静かにお歩きなさいな……」
 同じ時に出てきた藤村夫人が、早速、娘をたしなめた。(p.81)

 古風な言い方です。今ならば「まァ、なんですか」というのが一般的でしょう。中年女性がよく使ったことばです。岡島昭浩氏のご指摘ことば会議室では、国立国語研究所『現代語の助詞・助動詞』にこの言い方が報告されているそうです。見てみると、「幼年クラブ」1949.10 p.23の「なんですね,おかしなことを。」という例が出ています。

全然
「ええ、オバサマになんとかして貰わないと、あたし、全然、持てあますのよ」(p.84)

 「全然おもしろい」などの言い方は誤用だ、とは従来よく指摘されてきたことです。「全然」が来ると、「〜ない」など否定の語で結ばなければいけないというのです。
 最近は、「いや、『全然〜肯定』は鴎外や芥川も使っていた。昔からある言い方だ」ということが言われ出したせいか(石山茂利夫『今様こくご辞書』 p.118など)、「全然〜肯定」をあえて使う人もいます。
 ただ、芥川が「老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されてゐる」(「羅生門」)と使ったような「全然」は、「すべてにわたって、全部」の意味です。一方、今の「全然おもしろい」という場合の「全然」は、「非常に」という意味で、ちょっと性格が異なるようです。「全然おもしろい」というような使い方は、やはり新しいといえるでしょう。
 その新しい用法は『日本国語大辞典』も認めていますが、いつごろから使われ出したのか、用例がないので分かりません。「自由学校」のこの用例を入れてもいいんじゃないでしょうか。

だれも
 その中で、勤労生活をしてるのは、道路局人夫の鈴木だけで、後は、拾い屋や、自由労働者といった仕事の持主だが、不思議と、誰も、気弱な、好人物性を顔に表わしてるのを、五百助は、見てとった。そして、話の様子では、誰も戦後の没落者であって、爺さんのようなヴェテランは、一人もいなかった。(p.182)

 この「誰も」は、違和感を感じない人も多いかもしれませんが、今の若い人なら「みんな、気弱な、好人物性を顔に表わしている」のように「みな」とか「みんな」というところでしょう。
 「だれも」と来れば、「だれも行かない」「だれも読んでくれない」など、否定の語で結ぶのが一般的だと思います。もし「だれも」を使いつつ否定の語で結ばない場合は、「誰もが〜表わしている」「誰もが〜没落者であって」などのように、「だれもが」の形を取るのではないでしょうか。
 「だれも〜肯定」の形は、今では古風だと思います。ただ、方言には残っているかもしれません。出雲地方では「だれんも行くだらーか?」などと言うそうです。

 そのほか、この小説で初出ではないにせよ、「堅人(かたじん)」、「テケツ」(チケットのこと)、「小体(こてい)な二階屋」「ナンドリと」などという珍しいことばが多く出てきます。
 「自由学校」、やはり絶版は惜しいと思います。

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