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00.10.19

人気のない「来冬」

 「この工事はライシュンから始まります」
 と言われたとき、頭にはまず「来春」という漢字が浮かぶのではないでしょうか。来春、つまり来年の春であります。ただし旧暦でいうと、正月、2月、3月が春の季節に当たるので、「来春」はまた「来年の正月」のことでもある。
 「来春」という文字がうまく相手に伝わらないときは、「らいはる」と言ってもいいようです。室町時代の「日葡辞書」にも「らいはる」は載っています。
 では、
 「この工事はライカから始まります」
 と言われたときにはどうか。カメラの会社が工事をするのかと思う。これは「来夏」のつもりで言ったのですが、ちょっと相手には伝わりにくいのではないでしょうか。
 「この工事はライトーから始まります」
 これも分からない。右側から始めるような感じだ。「来冬」と受け取ってくれる人は少ないでしょう。
 きわめて危ういのは、
 「この工事はライシューから始まります」
 で、こう言われると、まず100人が100人、次の週、ネクスト・ウィークから始まると解釈するでしょう。「来秋」とはちょっと考えにくい。
 「君、前の授業で『来週までに宿題をやってきなさい』と言ったでしょう。どうして忘れてきたの?」
 「え、あのー、『来秋』だと思ったもんですから……」
 そんなことを思う人はいません。
 同じく季節をいうのにも、「来春」は理解されやすく、「来夏」「来秋」「来冬」は理解されにくいといえるでしょう。世の中は不公平にできています。
 試みに、手許にある主な国語辞典17冊を片っ端から引いて、「昨〜」「今〜」「来〜」に季節の名が下接している単語が載っているかどうかを調べてみました。その結果が以下の表です。




      大日国訂 日国大初 広辞苑初 広辞苑5 大辞林初 大辞林2 明解国初 明解国訂 三省堂4 新明解初 新明解5 例解国26 新選国7 岩波国5 新潮国訂 新潮現2 集英社初
      昨春
      昨夏
      昨秋
      昨冬
      今春
      今夏
      今秋
      今冬
      来ハ
      来シ
      来夏
      来秋
      来冬

      ・左欄「来ハ」は「らいはる」、「来シ」は「らいしゅん」。
      ・上欄は辞典名。「初」は初版、「2」は第2版、「訂」は修訂または改訂版。
      ・辞典名略号は以下の通り。大日国=大日本国語辞典 新装版1971(1941年の修訂版と大差ないと思われる)。日国大=日本国語大辞典。大辞林2=インターネット大辞林第2版。明解国=明解国語辞典(初版は復刻版による)。三省堂=三省堂国語辞典。新明解=新明解国語辞典。例解国=例解国語辞典。新選国=新選国語辞典。新潮国=新潮国語辞典。新潮現=新潮現代国語辞典。集英社=集英社国語辞典。

      ・○=項目あり。用例がある場合は次の略号で示す:室=室町 江=江戸 明=明治 漢=漢籍。位相表示がある場合は次の略号で示す:文=文章語(「漢語的表現」を含む) 口=口頭語。
      ・/=項目なし。
      ・岩波国5には「らいしゅん ▽「らいはる」とも言う。」とある。

 これを見ますと、もっとも多くの辞典で項目に採用されているのは「来春」(らいはる・らいしゅん)です。特に「らいはる」は、『岩波国語辞典』では項目にないものの、「らいしゅん」の項目で説明されているので、事実上は、調べた辞典の中ではすべてに登場します。
 一方、人気のないのは「来冬」。17冊のうちで、たった3冊にしか出てきません。「来週」と紛れそうで危険な「来秋」よりもまだ人気がないのは、いったいどうしたことでしょうか。
 「来冬」とは「来年の冬。」(『三省堂国語辞典』)ですが、新暦の場合、「来冬」と言っただけでは、来年の1月、2月ごろを指すのか、それとも来年の12月ごろを指すのか分からないので嫌われるのかとも思います。でも、そんなことをいえば、「昨冬」だって事情は同じはずです。それなのに、「昨冬」は15冊に登録されていて、大人気なんですね。不思議です。
 「来冬」は、用例がまったく無いわけではありません。インターネットで検索してみると(「goo」は最近語句検索しにくいので、「infoseek」を使用)、たとえば次のように出てきます。

〔オオワシは〕2月半ばにカムチャツカに帰ったそうですが、来冬も雄姿を現してくれるでしょうか。(読売新聞関西発 記者のインターネット探訪 渡り鳥の飛来

 活字でも探せば出てくると思います。でも、「来春」よりはきっと少ないはずで、もし見つければ、貴重な例ということになるでしょう。
 それにしても、これらの辞典を比べてみると、「来春」以下の採否の基準があまりに違うので笑ってしまいます。
 『新明解』の初版なんて、「昨春・秋・冬」はあるのに「昨夏」だけないのはどうしてでしょうね。あとの版では、ほとんど削られていますが、これはもしかすると、編者が不統一に気づいたものの、「言えるか、言えないか」を考えているうちにだんだん分からなくなってきて、
 「えーい、もう面倒くせえ」
 とばかりに、「らいはる」以外は全部切り捨ててしまったのか……?
 一方、『新明解』の兄弟分に当たる『三省堂』は、「理論上はすべての組み合わせがありうるぞ」ということで、全部載せたのかもしれません。編者の見坊豪紀氏は、すべての実例を採集していたかもしれません。


P.S. 「ことば会議室」の「来春・来夏……」のスレッドでの議論を参考にさせていただきました。ありがとうございます。

追記 『日本国語大辞典』には、「こんはる(今春)」もあります。また「とうはる(当春)」「とうなつ(当夏)」も。「夏」の重箱読みは珍しい。仮名垣魯文『安愚楽鍋』をみると、

それに燕枝{えんし}が当春{とうはる}のはなし初{ぞめ}に自作{こしらへ}やした嵐{あらし}の花{はな}おぼろの月影{つきかげ}といふ呼物{よびもの}をはなしますのに(仮名垣魯文『安愚楽鍋』三編上 1872年刊)

のように「とうはる」が出てきます。国立国語研究所の索引ではなぜか「当」「春」に分けてあります。(2000.12.01)

追記2 「毎冬」を「まいふゆ」と読む例。NHK「スタジオパークからこんにちは」(2001.11.26 13:05放送)で上田早苗アナウンサーが「(クリスマスプレゼントを父母が)まいふゆまいふゆ選んでくれてるんだな」と言っていました。(2001.11.28)

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