HOME主人敬白応接間ことばイラスト秘密部屋記帳所

「ひとりごと」目次へ
前へ次へ
きょうのことばメモへ三省堂国語辞典
email:
00.02.29

ないければ・んければ

 日ごろ、「早くしなければいけない」というふうに使われる「なければ」ですが、こういうことばにも歴史があります。
 うんと昔は「ずは」と言いました。たとえば、「源氏物語」では、「人の命久しかるまじきものなれど、残りの命一二日をも惜しまずはあるべからず」(人の命は永遠ではなかろうが、残りの命は一日二日でも惜しまなければならない)というふうに使われています。もっとも、これは男性の僧都のせりふ。
 途中をすっ飛ばして、江戸時代には「ないければ」という言い方が出てきた。「なければ」と似ていますね。手許の文庫本の「春色梅児誉美」から拾うと、

ナニ私しゃア寔{まこと}にこまこりますヨ。いふことをきくのは否{いや}。聞{きか}ないければあの通り、いじめて朝晩やかましく、マアどふしたらよからふねへ。(岩波文庫『梅暦(上)』 p.38)

などとあります。今の「聞かなければ」に相当します。これは1832年ごろの例。奥村彰悟氏による洒落本の調査では、これより前の18世紀後半の江戸語で、すでに「ないければ」は「ねば」「ずは」などと並用されていたそうです。
 さらに奥村氏の論文によると、「んければ」という言い方が、明治になってから多く見られるようになったといいます。特に教養のある男性の話しことばに特徴的に現れるようです。尾崎紅葉「金色夜叉」(19世紀末〜20世紀初頭)でも多用されます。今、新潮文庫によって例を出せば、

約束をした宮の、余所へ遣ると云へば、何かお前に不足でもあるやうに聞えるけれど、決してさうした訳ではないのだから、其処はお前が能く承知してくれんければ困る、誤解されては困る。(「金色夜叉 前編」新潮文庫 p.47)

 これはお宮の親父さんが、貫一に婚約解消を迫る場面。今ならば「承知してくれなければ困る」と言うところでしょう。
 現在使われている「なければ」は、これも奥村氏によれば、1850年を中心に「ないければ」から変化したということです。
 さて、では、昔使われた「ないければ」や「んければ」は、どこに消えてしまったのか。いつごろから使われなくなったのでしょうか。
 ことばが、いつごろ「死語」になったかということを特定することは難しい。ひょんなところで復活することがあるからです。
 昨年末、週刊誌を見ていたら、パンク歌手・俳優・作家等の顔を持つ町田康氏の文章に出てきました。

しかし、だからといってリスク・危険を避け、安全確実を第一に考えて生きていけばいいのかというとさにあらず、昔から、虎穴に入らずんば虎児を得ず、なんてなことが言ってあるように、ある程度のリスクをとらんければ利益もまた得られぬのであり、人生のある局面においては無謀ともいうべき勇気、度胸が必要となるのである。(町田康「アナーキー・イン・ザ・3K」週刊朝日 1999.12.03 p.49)

 町田氏は1962年、堺市生まれ。30代の氏は、どのようにしてこの「んければ」を使うに至ったか。尾崎紅葉や夏目漱石などの文学作品を通じてか、それとも、周りの人が使っていたのでしょうか。
 方言としては、どこかに残っているのかもしれません。辞書をちょっと見たかぎりでは、見つかりませんでしたが。福井を舞台にした水上勉の「雁の寺」では「中学を出んければ、雲水にもなれんぞ」と出てきます。
 僕自身も、何かの拍子に冗談で使いそうなことばではあります(くだけた文章など。口語では使いにくい)。僕の場合は、どこで覚えたんだっけ。
 もっとも、「んければ」はまれに使うとしても、「ないければ」となると、ちょっと使いにくい。上の町田氏の文章でも、「ある程度のリスクをとらないければ……」となっていたなら、読者の理解度も低下するのではないでしょうか。

「ひとりごと」目次へ
前へ次へ
きょうのことばメモへ ご感想をお聞かせいただければありがたく存じます。
email:

Copyright(C) Yeemar 2000. All rights reserved.