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哀愁のヨーロッパ
極私的旅行術/スタイル・技術・情報・道具/title.gif
My own way to travel abroad ; style, technique, information, goods


スタイル篇/title.gif
My style


スタイル篇・CONTENTS

【上手な旅行法なんてない】
【私の旅の条件】
【なぜ旅をするのか? 】
【で、具体的な目的とは?】
【目的達成型旅行の問題点】
【大事なこと(3つの格言)】
【パックツアー批判】(仮題)
【バックパッカー批判】(仮題)
【自由という名の重荷】(仮題)


【上手な旅行法なんてない】

いきなり自己矛盾である。「ワンランクアップの旅行術」とか「海外旅行で失敗しない方法」なんて読んでもためにならないのだ。成功とか失敗とかは関係ない。旅なんてやった者勝ちである。人の講釈なんて聞くもんじゃない。だいたい、「いい旅」ってなんなんだ? 私はパスポートと帰りの航空券と現金を盗まれるというドジを踏んだことがあるが、このときの旅行は私にとっては「いい旅」だったし、いい悪いの基準が各個人によって違うという以上に、旅そのものが予想外の出会いとか失敗とか試行錯誤を内包しているのではないかと思う。

じゃあ、なんでこんなページつくったの? と聞かれたら、

「出来心。」

と、答えるしかない。旅行記だけだとなんかさみしいしさあ。

これじゃダメ? まあ、まじめに答えれば、私は旅行なんて技術とかコツなんていらないし、やってるうちに覚えるものと思っていたのだが、世の中にはいろいろな人がいる(どんな人かはおいおいと語るとして)ことが、だんだんわかってきたのだ。私のようなわずかな海外旅行経験しか持っていない人間が、なんだかんだとノウハウを公開するというのは役に立たないと考えていたのだけれど、自分なりの方法論や経験をさらけだして、それをサカナにして楽しむのもありかな、と。

だから、これから書いていくことは、完全に私のひとりよがりであって、これが正しいとか、こうすれば失敗しない、というものではない。むしろ、こんな馬鹿なことやってら、とか、もっといいやり方があるのに! ということの方が多いと思う。これは別に謙遜しているわけではない。ただ、こんな問題や視点もあるんだよ、ということであたたかく見ていただければ嬉しい。しかも、(これから書くけど)いろんな旅行のタイプがあるなかでもかなり限定した範囲でのことしか知らない。だから、いろいろ偉そうに蘊蓄を垂れても「まあ、そうは言っても怪しいもんだ」ぐらいに読んでいただきたい。

なお、これからの記述であなたあるいはあなたの関係者が不利益をこうむったり、健康を害しても、気の毒には思いますが、責任は負いかねます。試すときには、あくまでもat your own riskでお願いします。

(C) Takashi Kaneyama Dec. 15, 1998


【私の旅の条件】

もしも時間もお金もたっぷりあれば、もちろんいい。しかし、時間のある学生にお金はなく、多少お金のできた社会人にはまとまった休暇が取れない、というのが大方の現状ではないだろうか? そうではない、という人はここでは対象にしない。うらやましいけど。で、私は社会人になってから海外旅行をはじめたので、ここでは限られた時間のなかで自由旅行をするパターンに限ってお話したい。以下の条件は、「こうでなければダメ!」という条件ではなくって、「こういう旅行しかしたことがない」(例外はあるが)という意味なので、誤解しないように。具体的に書いてみよう。

1.ひとり旅である

2.自分でプランニングする手配旅行である

3.旅行日数は10〜19日、たいていは2週間程度

4.予算は航空券、宿泊、現地移動、食費などを含めて20〜30万円ぐらい

5.事前に調査および資料集めをする

6.旅行における獲得目標と優先順位を明確にする

7.贅沢でも貧乏でもないリーズナブルなバジェットツアーをめざす

1.は、別にこだわっているわけではない。ただ、あまりに特殊で過酷な旅行なので、同行する人が(もしいても)かわいそうだから。また、夏休みや年末年始などの繁忙期をはずすためにスケジュールがあいにくいし。もはや、ひとりであることに慣れてしまったので、ひとり旅以外は発想しにくいということもある。

2.まあ、私のプランは想像を絶しているので、普通のツアーにはない(と思う。確認したわけではない)。また、ツアーで旗の後をついていくのがイヤだ。着いた空港でターンテーブルで荷物を待つのがカッタルイ(私は荷物を預けないので)。あの時は賞品として当選したからガマンしたけどさ。

3.平日を5日連続休めば9日の休暇になる。これが最低線。これ以下だとワンポイント旅行で、まるで日帰りのような気分になる。また、20日以上も休むと、会社に机がなくなる。悲しいながら、これが世間のしがらみ。

4.これは、最近はとみに差が激しくなっている。96年のオーストリア・ドイツ旅行ではオペラ3回、コンサート3回などと大散財をして大幅に予算を超過した。基本的にはエアが数万円〜10万円台前半、宿泊費は1泊3,000〜8,000円、食費および行動費が1日2,000〜5,000円というところか。期間が長ければ倹約するし、美術館の入館料やコンサートではまったく節約しない。サラリーマンは時間を金で買う、という側面はたしかにある。

5.短い旅行で帰りの飛行機もフィックスしている場合、最大限の成果を上げるためには情報が重要。とくに美術館の休館日と開館時間。イタリアのように午前中のみ開くところが多いと、このスケジュールのやりくりで旅程が決まる。

6.あらかじめ立てた予定、状況に応じて変更可能なエスケープ・ルート(山登りの計画で、本来のプラン以外の非常ルート)、臨機応変な判断に必要な優先順位が毎日あるわけですね。われながら、よくここまで作るわ、と思うが。

7.予算にも関連するが、バスタブは要らないがプライバシーは確保したい、いつもはTシャツだけど時々はオペラに行く、という程度のこと。

以上の設定条件に基づいて、私の旅行は構成されている。他にもあったかもしれんが(あ、そうだ、「知人を訪ねない」というのもあった。だって「修業」にならないもん)。まあ、とりあえず。

(C) Takashi Kaneyama Dec. 15, 1998


【なぜ旅をするのか? 】

旅の目的をいまさら語るのは相当はずかしいものがある。しかし、これを議論しないとこの「極私的旅行術」が始まらないので。

「自分を探しに」とかいうのは、この場合なしね。本当に自分を探したいんだったら、レポート用紙とペンを用意して、自分が得意なこと、自分がやりたいことを思いつくままに列挙する方法が一番です。あ、パソコンに入力してもいいんだけど、なぜかそれだと気分が出ないんだよなあ。ちなみに私の自分探しの結論は「早く隠居して意地悪じいさんになりたい」だった。この方法も底が浅いな。

それはさておき、なんで目的から入るかというと、旅行をひとつのプロジェクトに見立てて、目的、背景、目標の分割、実行手段、プロセス、各案のコストとメリット、オプション、達成度評価みたいな手法を取るから・・・というわけではない。単に「旅行がしたい!」という人がけっこういて、そういう人は、とかく「イタリアって面白い?」とか聞くのだが、私には答えようがないのである。で、「買い物とか美術館とかはいいよ」と言ってみると、実際に行ったら「日本人ばかりだった」「午後に行ったら閉まってた」「宗教画ばっかりでつまらない」とか不平をこぼす。あんたはいったい何を求めているのだあああっ! と怒るわけにもいかず(弱気)、ここで発散しようということでして。

私の最初の海外旅行はL.A.だった。ローズボウルを見るためだけのツアーで、本場のアメリカンフットボールの試合を生で見ることが唯一最大の目的だった。まあ、ついでにディズニーランドとかポール・ゲティ美術館に行ったけど。その次はニューヨーク出張。そして継続中のヨーロッパ旅行は最初から美術館総ざらいをめざしているので、だいたいは旅行に行って何をするのかという獲得目標と優先順位が明確な旅しかしていない。

もうひとつ、私にとっては旅行は「修業」という面がある。自分から行動し、コミュニケーションしなければならない局面に追い込んで自分を鍛えるのだ! と昔はまじめに思っていた。いつもひとり旅だったのは、単に一緒に行く友人がいなかっただけのような気もするが。むしろ、ひとりの方が、調整やら判断がカンタンだから楽かもしれない。以前は、「おお、ちゃんと独力でロンドンからマドリッドへの飛行機の切符を買えたぞ!」とか喜んでいた(ええと、bookingだけではなくて、purchasing one-way ticketね。このとき日本で手配したのはロンドン・イン、パリ・アウトの航空券だけだった)が、実にあさはかだったものだ。

で、何を言いたいかというと、まず明確な目的がある旅行についてしか、これからは語らない(語れない)ということなのだった。実は、今は目的のない旅に憧れていたりするのだが。どこで、何をする、何を見るということをあらかじめ決めずに、その土地の出会いを大切にするのもいいと思う。旅は手段ではなくて、それ自体が目的だっていい、たしかに。ただし、そのことを自覚してほしいが。別に目的とか目標なんてたいしたものではない(というか、抽象的なのはやりにくいが)。旅にくっきりとした輪郭を与えるのは確固とした目的なのだ!

(C) Takashi Kaneyama Dec. 15, 1998


【で、具体的な目的とは?】

わかりやすい例

ロンドンのパブでビールを飲む
本場のベルギーワッフルを食べる
スペインのひまわり畑のなかに立つ
ヴェネツィアの謝肉祭に仮面をかぶって参加する

わかりにくい例

ロンドンで本場のジェントルマンの考え方を知る
ウィーンで世紀末文化について考察する
スイスの大自然を味わいたい

というわけで、要するに大項目でくくらずに、具体的かつ現実的な場面設定に置き換えてしまえばいいだけなのだ。また、この例からもわかるように、目的を明確にするということは、ある程度、対象の地域について調べて学習することを必要とする。ガイドブックなんか見ずに新鮮な気持ちで異文化に触れたい、というのはそれはそれでいいのだが、その場合は壮大な無駄と膨大な時間を覚悟しなければならない。そういうタイプの旅は、ここでは考えない。何しろ、時間がないし。

さあ、漠然としたイメージを具体化する作業にかかろう。幸い、ヨーロッパなら参考文献には事欠かない。インターネットだってある。各国観光局もある。地名がわからない1枚の写真の風景を探して旅に出る、なんてのもよいではないか。避けたいのは、イメージばかりが先行して具体的目標が伴わない場合。「スイスでアルプスの少女ハイジの気分を味わいたい」と行っても「人ゴミだらけだった」「私の期待していた風景がない」なんてことになる。この場合、自分のイメージ自体があやふやで、明確な像を結んでいないことがある。まあ、日本語における「イメージ」というのはそういうあいまいな状況をさす言葉なのかもしれないが。

もっと本質的なことを言えば、「そうそう、こういうもの(風景、食べ物、人・・・)に出会いたかったんだ!」ということは滅多にないような気がする。旅は、自分のもっている知識や経験やイメージを裏切りつづける。それも、多くは悪い方に。「世界三大がっかり」どころではない。毎日がっかりのしつづけだったりする。しかし、これが逆転する瞬間があるんだな。ずっと私に冷たかった街に、突然親しみを感じる瞬間。あるいは、目当ての美術館で期待したほど感動しなくても、街角で道に迷って見上げた教会が美しかったりするのだ。

話を元に戻して。目的を、たとえば、「ウィーンの世紀末」というところまで絞れたら、目標設定はむずかしくない。クリムトやココシュカ→美術、オットー・ヴァーグナー、アドルフ・ロース→建築、マーラー、ブルックナー→音楽、その他文学やら精神医学やらたくさんある。お菓子でもいいし、カフェだっていい。さて、私がじかに触れたい世紀末はどれだろう? 私の魂を震わせる世紀末は? と、だんだん焦点を絞り、ポイントを列挙し、スケジュールに落とし込んでいく。

さあ、目的も計画もできた、とする。しかし、私はまだ自問しつづける。「私がこの旅に求めているのは何なのだろう?」と。そう、ヴァーグナーの建築を踏破し、グラーシュを味わい、オペラも観た。だが、心の中のこの空虚は何なんだ?

(C) Takashi Kaneyama Dec. 15, 1998


【目的達成型旅行の問題点】

自分で宿を探し、バスに乗り、コンサートの席を確保していくということをつづけていると、それだけで自己満足に陥りやすい。自分で旅行をプロデュースし、コントロールしている快感というか。まあ、楽しいんだけど。

自分で作ったスケジュールを消化していくだけになる危険がある。他人が作ったスケジュールよりはいいかもしれんが。とくに1日にいくつもの美術館を回ると、フラフラして最後には義務的に見るだけになったりする(この疲労感には"museum fatigue"という名前がついている。視神経から入る情報過多、過剰刺激に対する体の防御反応らしい)。

脇目をふらない、なんて、これ、もったいない。四方八方に目を配ってなんか面白そうなことはないか、好奇心全開でいたい。目的地から目的地へ最短時間で行くしかない過密日程だと、大道芸人に気を引かれても立ち止まれない。

最大の問題は、「ブリューゲルを見た」「パブでビールを飲んだ」という時点で目的を果たした気になりかねないこと。本来の目的は、その先にある(さっきと矛盾してる? いやいや、ここが重要)。ここで単に「細かく描いてるな」「ぬるいな」という感想でとどまっているようでは、勉強不十分。わざわざ大枚はたいて「ホンモノ」に出会った甲斐がない。

その先にある目的が見つからない。そう、時々感じる空虚のことだ。「なんで、こんなところに来たんやろ?」みたいな気分。私が思うに、この疑問がまた旅に出る原動力ではないかと。たぶん、これだけ目的もはっきりさせ、可能な限り完璧な日程を組んでも、いや組んだからこそ、こうした不思議な感情に達するのだろう。漠然と旅行していたら味わえない次元の不満。

結局、どれだけ思い入れがあるかどうか、かもしれない。ふわふわと行ってきて「よかった」「つまらなかった」と安易な感想を聞かされると、とても悲しくなってしまうのだ。既成の権威とかイメージに振り回されずに、本当に会いたいものに会いたい。

(C) Takashi Kaneyama Dec. 15, 1998


【大事なこと(3つの格言)】

もっとも重要なことは

1.「生きて帰る」

これだけ。次には

2.「法を犯さない」

「つかまらない」ということではないことに注意。

3.「命の次に大事なパスポート」

お金より、パスポート。パスポートなしでは、日本から送金してもらっても受け取りに困難を伴う。

こうやって書き出すと、かなり間抜けだ。でも、これは私が確信している、旅行において守るべきルールだったりする。しかも、この順番で。

1.「生きて」というのはそりゃ最優先だわな。「帰る」というのは、あくまでも「旅行」であって「移住」ではない、ということだ。「健康に」というコトバはあえて使わない。命が大丈夫な程度には自分を酷使してもいいが、死ぬような危険は冒さない。水道水は飲むが、汗で濡れた下着のまま寒空の下に立ったりしない、という程度のことだが。

2.法は、もちろん現地の法律であって、自分の常識のことではない。「郷にいれば郷に従え」を、最低限のレベルで守る、ということだ。麻薬といえば、「ミッドナイト・エクスプレス」を思い出す。あれは悪夢だ。西欧でも、いろいろ物騒な局面があったりする。

3.かつて、マドリッドでパスポート、帰りの航空券、現金を盗まれた。大使館でのパスポートに代わる帰国証明書の発行には帰国便の予約証明が必要で、その帰国便の予約には現金が必要で、その現金を入手するためにはパスポートが必要で・・・という無限循環を聞いたときには頭を抱えたものだ。 「パスポートがないと、送金しても現地で受け取れません」と、東京銀行(当時)横浜支店の行員は、送金を渋った。結局、その現地、マドリッドの東京銀行で、「健康保険証の番号、誕生日で本人確認しましょう」という打ち合わせが成り立ったのだが。また、トラベラーズ・チェックの盗難による再発行でも、本人である証明がいる。だいいち、ホテルでパスポートを請求されても、警察で発行してもらった盗難証明書を見せるしかないのだから。

結論:パスポートさえあれば、人生は明るい。

(C) Takashi Kaneyama Dec. 15, 1998


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