読 書 案 内 

 
  
 岸上大作  『意志表示』 角川文庫

 岸上大作は一九六〇年十二月五日に自殺した。当時彼は若手歌人のホープとして期待されていた。国学院大学の学生でまだ二十一歳だった。『意志表示』はその翌年に出版された彼の作品集である。自殺の理由を「失恋の果ての自殺」と彼は遺書に書いているが、絶筆のノートや彼の残した短歌を読めば、その死は、六十年安保闘争が象徴した時代の重力によって、真面目で不器用でナイーブな一人の青年が無惨に地面に叩きつけられた結果であることが分かる。彼は、樺美智子が国会で死んだ六月十五日、棍棒で殴られ負傷している。時代というものに深く交錯していたのだ。「意志表示せまり声なきこえをただ掌の中にマッチ擦るのみ」「装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている」といった歌を収めたこの作品集に、人々は共感した。そこに、すぐに傷つくような柔な心で政治闘争に参加した若者の、誠実な声を聞いたからである。岸上があこがれ反発もした寺山修司は岸上の歌を未熟だと決めつけたが、未熟であるからこそ、時代と自分との軋みの中で、ただ傷つくというようにしか生きられなかったその姿をより直接的に表現し得たとも言える。現実の政治や思想は、岸上のような弱さやナイーブさを踏みにじることで、そのリアリティを得てきた。それは今でも変わらない。そこに痛みを感じる者が存在する限り、岸上の『意志表示』は読まれつづけるに違いない。


   神谷美恵子 『生きがいについて』  みすず書房

 著者は、津田英学塾の学生の時にらいで苦しむ患者の存在を知る。激しい衝撃を受けた著者はその後精神科の医者となってらい患者の心の治療に尽くす。世間から隔離され、生きる希望をもてない限界状況の中で、患者は人間としての生きがいをどう持ったらいいのか、たぶんに著者はそのような問いを発し続けていたのだろう。本書は、まさに、らい患者の苦悩を通して著者が思索した「人間の生きがい」についての考察である。生きがいを説くことはともすると、宗教者の説教のようにある教訓的な生き方の押しつけになりがちである。本書が優れているのは、らいで苦しむ患者の心の世界を例にあげながら、一方で、博学なまでに様々な哲学者や思想家の考察を紹介していくことで、「生きがい」についての現実的でしかも緻密な分析の書になり得ていることだろう。本書は一九八〇年に著作集の第一巻に加えられ一九九六年には二十二刷りを数えた。いかに読まれているかがわかるだろう。現代の人間が「生きがい感」の喪失にいかに苦しんでいるかがこの本の売れ行きによってよく見えてくる。著者の述べる「生きがい感」とは、精神的な存在としての自己を認め、他者に奉仕できるような心のあり方を目指すというもので、簡単にマネのできるものでないにしても、物質的な豊かさから精神的な豊かさへとシフトした現代人にとっては、生き方の重要な参考書であり続けるに違いない。


   江藤淳 『成熟と喪失 ゙母゙の崩壊』 講談社文芸文庫

 人間に孤立を強いる父性の国アメリカでの著者の果敢な戦いを描いた「アメリカと私」(昭和40年)を書き終えた後、著者は、母性の国日本に生きることの病理に注目し、本書(昭和42年)を書く。その病理とは、成熟できない病理と言ってよい。父との対立を通して自我を形成していくのが父性原理の国の成熟だが、母が支配する日本では、母を失った子が母のいない絶望的な孤立を引き受けるというようにしか成熟はやってこない。だが、母に依存するばかりの戦後の知識人(男)は、母を失ってもただおろおろするばかりで成熟できないのだ。そういった戦後の知識人(男)の病理を、日本の戦後という時代の病理に重ねて、著者は、安岡章太郎「海辺の光景」や小島信夫「抱擁家族」などの小説から丹念に読み解いた。小説の解読が、これほどまで鮮やかに日本人とその時代の病理を剔抉した例は希有である。本書は、戦後の日本と知識人の姿が、いかに自立していない滑稽なものなのかを見せつけ、知識人(男)にショックを与えた。著者は、治者としての父性の回復を主張はするが、著者の提示した「成熟の喪失」の光景の前にはそれも空しく映る。母性からわれわれは解き放たれるのか。その母性が崩壊したとき本当にわれわれは成熟できるのか。この問いは、父性的な絶対的価値など見いだしようもない現代において、いまだに重い問いかけである。


   寺山修司 『家出のすすめ』 新潮文庫

 本書は当初「現代の青春論」(三一書房1963)として刊行されるが、1967年に改題されて本書になる。「書を捨てよ町に出よう」(1967)とともに、家出のすすめを説く著者の代表的評論集である。青森での少年時代、著者はすでに俳句や短歌で世に認められていた。東京に出た寺山はまず歌人として注目を浴びやがて演劇に映画にとその活動の範囲を広げていく。寺山の世界とは、戦後民主主義への嫌悪であり、エロスによる反秩序、反倫理の姿勢である。従って、全共闘の時代と重なり寺山は若者に大きな影響を与える。特に本書は多くの若者の家出を誘発したと言われている。家出のすすめとは自立のすすめであるが、実は、その自立は、家父長的な秩序からというより、母からの自立であるところに意味がある。父を早く失い母一人に育てられた寺山にとって母殺しや母子相姦は重要なテーマであった。母はそのまま日本や土俗的な風土に重なる。寺山の世界は土俗的なエロスに満ちながら自立をめざそうとするものなのだ。若者が寺山に惹かれた理由は、鬱屈したエロスを抑圧せずに(閉じこもらずに)反秩序(自立)である世界を寺山に見いだしたからである。アングラ演劇として開花する寺山の世界は、今や、劇画やゲームの世界に市民権を得た感がある。しかし、そこには明確な秩序への反発はない。早死にした寺山はどう思っているだろうか。


   三浦つとむ 『日本語はどういう言語か』 講談社学術文庫 

 主体的唯物論者として知られる著者三浦つとむは、独学で言語理論を勉強し、本書において独自の言語理論を構築した。西欧の言語理論では、伝統的に意味内容を記号としての言葉それ自体から独立させる。伝えるべき真実の内容は神の世界のようにどこかに存在し、言語はそれを伝えるだけの役割と考える。そのような言語理論に対して、言語の意味作用は、主体の対象を認識する活動(過程)そのものであるととなえたのが日本の言語学者時枝誠記の「言語過程説」であり、三浦は、時枝の「言語過程説」をさらに発展させ、言語の表現は、話し手と対象との複雑な関係を反映した人間の認識作用そのものであるととらえる。この理論の優れているのは、人間の複雑な認識過程に合致するものとして日本語の構造を解き明かしたことにあるが、もう一つは、吉本隆明の「言語にとって美とは何か」に影響を与えたように、言語表現に人が何故「感動する」のかその理由を解く理論的な手がかりを与えたことにある。超越的に存在する真理を伝えたから感動するのではなく、感動の根拠は、認識のプロセスを伝える言語の表現それ自体にあるとする本書の言語理論は、吉本隆明によって喧伝され、日本の文学批評にも影響を与えたのである。現代の日本では、西欧の言語や思想を根拠にしたソシュール等の言語理論がもてはやされているが、日本語という言語から生まれた本書のような言語理論はもっと見直されるべきであろう。


  吉本隆明 『共同幻想論』 角川文庫

 「共同幻想論」(1968)は、戦後思想の巨人吉本隆明が、自らの固有の思想を構築した重要な本。戦後の〃知の領域〃に与えた影響も大きかった。
 戦後の知識人にとって最大の問題は、近代的な意味での国家と古代に起源をもつ天皇制とが、断絶なく結びついている日本という国家の特異な構造を解明し、その呪縛(じゅばく)から逃れることだった。それは「戦後」という時代を生きる知識人の義務ですらあったが、その仕事を、西欧の歴史観(例えば唯物史観)の当てはめではない、独自の視点による解明として最初になしえたのは、本書であると言っていい。
 本書が画期的だったのは、柳田国男の「遠野物語」を手がかりに、国家、宗教、家族といった制度を、「幻想」の問題として徹底して解明したことにある。たとえば、国家も天皇制も村落の神も皆「共同幻想」にすぎないというようにである。吉本は、この「共同幻想」という用語に高度な普遍性を付与することで、われわれは何故国家や宗教や法を生み出し、何故それらに呪縛されてしまうのかという本質的な疑問に、きちんと答えたのである。そこに本書がたくさんの人に読まれた理由があろう。
 だが、人間の幻想領域総体を扱う本書も、人間をモノとして消費する現代社会での人間の苦悩にどれだけ答えられるだろうか。本書の新たな読み替えが今求められている。


   蓮實重彦著 『反=日本語論』 ちくま文庫

 著者は、フランス文学者であり、文芸評論家、映画評論家としても著名。本書は1977年に書かれ読売文学賞を受賞している。フランス人の妻と日本語とフランス語の両方を母国語とする息子を持つ著者は、妻や息子とのやりとりの中で、「日本語」に対して徹底した異議申し立てを述べている。その異議申し立ては、著者の体験を通しているものだけに説得力があり感動的ですらある。だが、本書の意義は「日本語」に対するというより、「不自然なものを自然なものとみなす」制度そのものへの異議申し立てになっているところにある。「反=日本語論」は「反=制度論」であるのだ。著者は、近代以降の民主主義を含めた「制度」の欺瞞性を暴くことによって、いかにわれわれが不自然なもの意味づけられないものすなわち「差異」そのものに取り囲まれているかを明らかにする。その戦略は、多くのポストモダンの言説と同じではあるが、西欧思想の解読ではなく、著者の生それ自体に根ざす思考であることによって、凡百のポストモダン言説を越え、人間の普遍的な生の問題に届いているといっていい。「反制度論」の言説は、多様性を排除し自己中心化する「制度」を常に批判する批評の言説である。そういう言説を駆使する著者が現在東大の学長であることは皮肉だが、むろんそのことは、制度の中心に位置する著者の批評の言説が今注目されているということである。


  柄谷行人 『マルクスその可能性の中心』 講談社 

 西欧哲学の超越性を保証する根拠の無根拠さを暴いたのはニーチェであるが、柄谷行人は日本に於いてそのニーチェの役割を担おうとした思想家である。本書で、柄谷は自分のニーチェ的役割を完成させたと言っていいかも知れない。柄谷はマルクスの「資本論」を独自に読み解く。ある商品に価値があるように見えても、本当は、相異なった世界に属す他の商品との差異がそこにあるにすぎない。それなのに、あたかも価値らしきものがその商品の普遍的な価値(真理)のように現れるのは、その差異を隠蔽する(中心化)からである、と言う。つまり、柄谷は、この本で、差異(同一的でない世界と言えば分かりやすいか)を隠蔽する、われわれの知(中心化)のありかたを徹底して批判したのである。その思考はニーチェやデリダなどの影響を受けたものだとしても、閉塞的な近代の知の枠組みを疑いはじめていた70年代以降の日本の思想状況(ポストモダン)を担うものだった。独自な知の枠組みを構築した吉本隆明とは違って、柄谷は知を相対化する批評家として若者にも大きな影響力をもった。柄谷以降、「真理」は「差異のたわむれ」と言い換えられ、知の枠組みを疑う言説だけが一人歩きした。それは、価値なき混迷の時代の到来を意味する。実は、本当に差異だけがたわむれる時代には、柄谷の批判は意味をもたない。今そういう時代になってしまった。


   浅田彰 『構造と力』 勁草書房 

 浅田彰は、浪人時代すでに柄谷行人にその才能を見いだされている。京大に進学し、現在は助教授とアカデミックなコースを順調にすすむ。24才で「現代思想」に論文を書き始め、26才で本書(1983)を、次の年には「逃走論」を出す。本書は出版と同時に浅田彰現象なるブームを引き起こしベストセラーになった。難解な現代思想の本にしては脅威的な売れ行きを示したのである。構造主義や文化人類学などの西欧の現代思想をまとめあげたポストモダン解説書といったものだが、浅田は、全共闘世代の後の世代として、秩序をイデオロギーで解体するような先世代の思想を否定し、あくまでも秩序の中でその秩序を「脱構築」し続ける姿勢を一貫してとる。それは「シラケつつノリ、ノリつつシラケること」だと言う。この姿勢が当時のイデオロギーなき時代の若者の生き方にぴったりとあったのである。しかし、本書がチャート式思想入門書と揶揄されたように、結局は、西欧思想を浅田流にマニュアル化するその手つきの鮮やかさだけが印象に残る本であった。浅田の姿勢は秩序(中心)からの逃走であるが、逃走に見合うほどの秩序など価値なき混乱の時代である現代にはない。著名な評論家になった浅田が、今真面目に知識人の社会に対する責任を問う論評を書いているのは皮肉である。彼の言う「脱構築」や「逃走」とは時代にうまく適応することなのかもしれない。


   中沢新一 『チベットのモーツアルト』  せりか書房

 著者は1950年生まれ。宗教学を専攻する著者の最初の本(1983年刊)である。1978年から著者はインド・ネパールのラマ僧の元で密教の修行を受ける。そのときの神秘体験を、クリステヴァなどの現代思想とクロスさせ、近代の知の体系を乗り越える思想としてまとめたのが本書である。著者のこだわりは、意味という秩序が形成されるその寸前の、混沌とも覚醒とも言える瞬間を、身体的な内観によって把握しようとすることと言って差し支えない。その瞬間とは、意味的な世界でもあり意味的な世界でもないという自在な「間(あわい)」であり、そこにとどまる能力こそが、西欧的知が目指しながら到達できなかった「自由」を実現していると著者は考える。この本の面白さは、そういう哲学的探求を、著者自らが体験した密教の宗教的体験の問題として解き明かすところにある。身体的な内観を極めることによるイメージの世界が西欧的な知の体系を超えうることを、西欧的な知の言説を駆使して語る本書は、まさに、日本のポストモダンの輝ける一冊である。ところで、宗教の神秘体験が現代の行き詰まりを超える一つの思想であることを説く著者が、オウム真理教の教祖に利用されたことはまだ記憶に新しい。著者に責任はないとしても、現実の人間の切実さやしたたかさに根ざす宗教体験を、知の愉しみとして取り扱う甘さがなかったとは言えない。


   俵万智 『サラダ記念日』 河出書房新社 

 歌集『サラダ記念日』は1987年の大ベストセラーである。河出文庫の解説で川村二郎は、1989年8月の時点で元版は369刷であると書いている。その売れ行きのすごさが分かろうというものだ。俵万智はまさに沈滞した歌壇の救世主になった。俵万智以降、俵万智風の短歌が世にあふれ出す。短歌の歴史にとっても俵万智の登場は一つの事件である。与謝野晶子と並び称されるのもあながちおおげさではない。俵万智の短歌がこれだけ受けた理由は、そのわかりやすさと共感のしやすさにあると言っていい。俵万智の歌のスタイルは、当時歌壇で流行っていた口語短歌であり、重々しい内面の吐露を避けたライトヴァース調である。そのスタイル自体、時代の表層の気分をすくい取ろうとするものだったが、俵万智は、どの歌人よりも確かな手応えで、時代の微妙な感性をわかりやすくすくい取ったのである。適度な孤独と、適度な幸福、そして適度な恋愛、という80年代の消費社会を生きる若い女性の感性を、これほど鮮やかに切り取った表現は他になかった。その意味で俵万智は、当時の若い女性の感性を代弁する巫女的な存在だった。が、バブル崩壊後の90年代後半、すでに俵万智に巫女的な力はない。『チョコレート革命』(1997)は不倫をテーマに自己主張を試みた歌集だが、俵万智も俵万智という神話から抜けだそうともがいているのである。


   上野千鶴子 『セクシイギャルの大研究』 光文社 

 著者はフェミニズムの代表的理論家。その処女作(本人は処女喪失作と言っているが)が本著である。当時、文化人類学や動物行動学などを通して、人間の行動原理や社会の仕組みを説明する試みが流行っていた。例えば本著の前年にベストセラーになった栗本慎一郎の「パンツをはいたサル」(光文社)もそうだ。人間を一度動物的な次元まで戻してみることで、われわれ人間が、人為的に作り上げた恣意的な文化にいかにしがみついているかを暴露するという試みである。著者は、本書において、その暴露を、男女という性差を生み出す文化に向けた。この本を読むと、女の行動を支配する様々な仕草が、ほとんど、男に従順であるべきとする女の文化に規定されたものであることを知らされる。こんなにまでも女は女であることを強制されているのか、とこの本を読む男は女性に同情し、女性は自己嫌悪に陥るように書かれている。たぶん、この本は、世の女性が自らの存在の呪縛を知るのに役立ったはすだ。その意味で、フェミニズムにとっても記念碑的な本である。最近、国が専業主婦の家事労働を賃金に換算して話題を呼んだが、実は、これは、家父長制が専業主婦をただ働きさせることで日本の資本主義を支えた、だから家事労働に賃金を払うべきだという著者たちの運動の一つの成果である。著者の影響力はかくまで大きくなってきている。

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