倉庫の中の時評4   
                       
                       


どうなることやら 05.7.28
 この時評の最初がだんだんと私の最近の体調や健康の話から入るようになつたのは、やはり年齢と関係するだろう。私の世代が集まって話をすると必ずお互いにどういう持病をもってどんな薬を飲んでいるかの話になる。情けないがそんなものだ。前回の時評は、通風だが、今度は、腹痛。

 私は冷え性で、寒いときとか夏冷房に当たりすぎると、おなかが痛くなると言う持病がある。年に一度か二度ひどい痛みに襲われてかなり苦しむ。でも、数時間で長いときでも半日で治るので、また来たかという感じでとにかく我慢する。先日の地震の日、「あずさ」で茅野に行こうと、新宿のホームに居た。突然揺れだして、JRがみんな止まってしまった。結局「あずさ」は二時間遅れで出発、到着まで都合4時間近くすごく冷えた「あずさ」にのっていた、よくないことに冷えたビールと駅弁を食べた。来るなと思ったが、やはり来た、おなかが痛くなった。

 腸がどうやら動かなくなって中にガスがたまり腸管を圧迫するらしい。茅野の山小屋に着いて、そのうち痛みが治まるだろうと我慢していたが、真夜中になってもおさまらない。どうしようかと考えたが、やや不安になって奥さんを起こして病院に行くことにした。ここいら辺では、あの「がんばらない」で有名な諏訪中央病院の夜間診療が開いている。電話して車で駆けつけた。

 とりあえず、腸のレントゲンと血液の検査。直腸の触診。そして点滴。ベッドに横になってうなっていたら、医者が来てレントゲンに便が結構溜まっているのが映っている。浣腸しましょうという。看護婦が来てベッドに寝ているままにズボンを脱がされ浣腸された。ええっここでと叫んだが、10分我慢してください。というそんな事出来るわけないだろうと、点滴の状態のままでトイレに駆け込んだ。不思議なことに、だいぶ楽になった。不思議でも何でもないが。

 つまり、便秘も原因の一つだと云うことだ。点滴の終わる一時間ほど寝ていてほとんど痛みがなくなった。なんだよ結局浣腸されに来ただけじゃねえか、情けねえ、と思いながら朝方四時に病院を出たのだった。実は、冷え性を治そうと、毎日漢方薬を煎じて飲んでいるのだが、どうもまだ効いてはいないらしい。今となっては笑い話だが、痛いときにはほんとにどうなることやらと思う。

 最近「チャングムの誓い」の総集編にはまってしまった。ああいうのにははまらないタイプなのだが、ふと見たのがいけなかった。韓国宮廷の珍しい衣装や食もみものだが、韓国版「おしん」と呼ばれるそのはらはらするストーリーについはまってしまったのだ。だが、途中でさすがにみるのが辛くなって見るのを辞めてしまった。要するにこれでもかこれでもかと続く悪党一味の悪巧みにさすがについていけなくなった。チャングムはいつも切りぬけるがその周囲では誰かがひどい目に遭い死んだりする。チャングムが主人公でなければ、この話は悪党のやりたい放題を描いているドラマである。そのうちさすがに私もうんざりしてきたのだ。いい加減に天罰が下れ!いくら何でも悪党をのさばらせすぎだ、この脚本家は好きではない。ということで、あらすじをインターネットで全部読んでもう見ないことにした。

 今四十何話で総集編で見たときから何年も経っている話だが、まだあの悪党達は頑張っていてチャングムをいじめている。チャングムは切りぬけるが、周囲のものたちがひどい目に遭っていく。ちっともかわっていない。

 今回は時評とまではいかない文章になってしまったが、今はこんなものだ。これから夏休みだが、私に夏休みはない。ため息がでるほどいろんなことをしなきゃいけない。授業から解放されるだけ気が楽だが。8月14日からからまた雲南省に調査に行く。心配なのは、小泉首相の靖国参拝。こっちは中国にいる。どうなることやら。

現代は古代にもある。  05.7.7
 7月というのは、何となく前期の終わりが近づいてきて、少しは気が楽になる月だ。6月は長かった。以前「目覚めれば六月 起きあがれば六月 息をしても空を見ても六月」という歌を作ったことがある。六月は、うっとおしいのだ。でも過ぎてしまう。過ぎてしまうのも、もったいない。時間というものへの思いは人をわがままにする。

 忙しさは相変わらずだ。先日、健康診断の日、軽い通風で足が少し腫れた。それで健康診断を断念。健康診断の当日水を飲んではいけないと言われていたが、痛風の場合、とにかく水をたくさん飲めと医者から言われている。当然、水を飲む方を優先した。幸い、痛風のほうはたいしたことはなかったのだが、危ない、危ない。ここんところ、毎日のように、外食や飲み会が続き、運動不足で、ほとんど家で夕食を食べない。これじゃ絶対におかしくなるなと思ってたら、やっぱり出た。体は正直だ。

 今、万葉集講義のテキストを作ろうと思って準備している。A5版小冊子のテキストで、120頁、四百字原稿用紙200枚程度のものを今年の暮れあたりには完成させたい。授業でしゃべっていることを文章化していくだけだが、とりあえず、前期でしゃっべったことについては文章化できた。だいたい80枚ほどの分量になった。このホームページにも載せてある。学生にはプリントして配った。

 私の場合、歌の発生から万葉集までの、歌の流れを、ことばの力の展開として述べている。細かな歌の解釈はしていない。どちらかというと、総論的になってしまうのだが、人はなぜ歌を必要とするのか、あるいは、歌を歌うのか、ということを外さないように論じているつもりである。実は、歌垣についてもかなり時間を割いているのだが、それについては、まだ文章化していない。夏休みにでもやらなくては。

 万葉集の講義はほんとに難しい。今日の朝日の夕刊に、上野誠が現代風の超訳でとにかく学生をひきつけないとだめだと書いていた。その通りだと思う。超訳は参考にしよう。でも、私の方法は、万葉の表現がどれだけ現代につながるのか、それを試したいとも思っている。例えば、今日は、今橋愛歌集の『O脚の膝』を読ませた。この引きこもり系の不思議な短歌を、実は、これは和歌の定型という器に、心の断片を放り込んでいるだけなんだ、この放り込み方は、万葉集の時代とそんなにかわらないと説明した。

 こういう説明がどれだけ伝わるかは、わからないにしても、少なくても、定型というものの力がこういう短歌に働いていることが理解できればいい。万葉集の表現が、現代の短歌の表現と違うのは当たり前である。だが、共通するところもある。当然同じ所だってある。ところが、最近、同じところがある、という言い方が許されない雰囲気になってきている。

 この業界の今の趨勢として、古代からの伝統といったものは近代によって作られたもの、というものの見方がイデオロギーのように圧倒していて、古代とそんなに変わらないなんて事をいったら、総攻撃される雰囲気なのだ。かつて、私も、無前提に万葉の歌と近代の歌を同じ次元で感動する評論に、おなじわけがねえだろうといちゃもんをつけていた。だが、みんな、古代は近代によって作られたなんていい始めると、天の邪鬼の私としては、そんならおなじだと言いたくなるのだ。

 だから、今、私の興味は、万葉集と現代の歌とはいかに同じなのか、つまり、万葉の歌にあった何かは、現代にあってもわれわれに働いているのだ、ということを論じることにある。確かに近代によって、古典は発見される。そんなことはわかっている。だが、それを言い過ぎると、結局、われわれの世界は、古典から現代までを、われわれの意識が必要に応じて作り出した、そういう均質なつまらない世界なんだ、といっているようなものになる。

 古典は見えないし分からないが、それでも見える部分はあるし分かる部分もある。わかる分からないの基準は、こちら側にしかないし、時々その基準は曖昧になるが、しかし、その基準は信用できないと排除する思考は排したい。シャーマンは今の世にもいる。占いだってある。恋愛だってある。親族が死ねば悲嘆にくれる身体的反応も健在だ。少年がむやみに人を刺す現代は、確かに古代とは違うかも知れないが、それだってわかったもんじゃない。古代だってあったかも知れない。追いつめられれば人は異常と思われる行動を起こす。この反応は古代も今もそれほど違っていないだろう。動物だって同じ反応をする。ただ、追い込まれる状況が違うというだけだ。

 むろん、違うということもわかっている。だが、普遍性というこを信じるなら、万葉集の表現は、どこかわれわれと同じなのだ。問題は、それを、無防備に伝統的価値の賛美につなげるような言説から距離をとってどう論じるかだろう。例えば、その一つの試みとして、中国少数民族の歌垣があると言っていい。あれは現代だが、同時に古代でもある。現代でもあり、同時に古代でもあるという例など、文化人類学者の報告に山ほどある。

 そう考えた方がいいのではないか。歴史の進歩など絶対的なものではない。近代の産業革命は確かに歴史を変えたが、それを決定的な変化とまで言い切るのは、一つのイデオロギーである。ほんとはわかりゃしない。資本主義になつて人間は変わったというけれど、その変わった人間の姿は、ひょつとすると古代の世界にあるのかも知れない。そんな風に考える方が面白いではないか。私はいつも面白い方になびく。この感覚はいままで的を外したことはない。

靖国問題について考えた  05.6.25
 18日、19日は、研究会で仙台・山形へ行く。久しぶりに三浦さんに会った。最近は、娘さんのしおんさんがよくテレビにでるが、三浦さんと会う機会がない。千葉大での仕事が楽になったらしく、自由な時間が少しは増えたということだ。仙台では、仙台市博物館で、アルタイ文化展ほ見る。シャーマンの服装や、紀元前のミイラの展示がすごかった。あまりきれいなので、本物か?という声もあったが。庭に、魯迅の碑と、江沢民夫妻が植樹した紅梅という説明版があった。が、紅梅は無かった。現在養生中と書かれていたが、確か、中国の反日デモの時に江沢民が植樹した紅梅が誰かに切れられたとの報道があったが、これらしい。

 魯迅は、魯迅の出身地である中国の紹興で魯迅記念館を見てきたばかりなので、因縁を感じた。中国で、魯迅を読まなきゃと思ったが、未だに読んでいない。仙台はいつも通過するばかりで、じっくりと歩ったことはない。今回は博物館から市の中心まで、途中、土井晩翠記念館などを見ながら、歩いた。中心の若者が集まる通りは、東京と変わりはない。さすがに、周囲は緑が多かった。新幹線で大宮から70分。川越からだと、1時間40分ということになる。川越から、東京の中心に行くのとそんなに変わらない。仙台は近いと改めて感じた。

 次の日バスで山形に行く。路線バスだが、一時間もかからない。これも速い。山形芸術工科大学で会議。科件の研究計画の会議である。山形芸工大は二度目だが、建物はなかなかいい。いかにも金がかかっているだろうなと思わせる。台湾の先住民族の研究者山田さんから台湾の焼き畑や供儀にかかわるような祭祀や神話についての発表がある。台湾に調査に行ければいいが、忙しくて無理そうだ。

 私は、雲南省弥勒県のイ族が行っている「火祭」の紹介をした。来年行くつもりであると話をした。来年の2月の下旬で、これも仕事との兼ね合いだ。勤めがあると、夏休みのような時期以外の調査は本当に難しい。インドネシア、スラウェシ島の市場のビデオが紹介された。そこでは食用として市で犬を売っている。犬を殺して肉にする様子が映し出されていた。辛い光景だった。ある地域では日常の光景とはいえ、昨年内の犬に死なれて涙に暮れたばかりだ。犬も生まれたところが違えばこんなに運命に差が出る。人間もそうだが、生き物とは、何と不条理を生きているのだろうと考えてしまった。でも、少数民族文化を研究していると、こういう光景は普通だし、研究対象なのだ。

 帰り、山形駅でみんなで夕食。中村生雄や赤坂憲雄、三浦佑之等と、いろいろ話が弾んだ。靖国問題も話題になり、もっと民俗学者が頑張らなきゃという話になった。赤坂憲雄は、今福島県立博物館の館長をしているが、その立場から、戊辰戦争の会津側の死者が祀られていない問題を言い、会津の人たちは靖国をどう考えているか調べる必要があると語った。

 これは「魂の行方」という問題で、柳田国男は、敗戦の年に「先祖の話」を書き、戦場で死んだ若者の魂は、家の近くの山に帰って、先祖になるのだと論じた。つまり、靖国には帰らないということだ。

 靖国に帰るというのは、実は、近代以降の発想である。靖国は近代に出来た神社であるからだ。その意味では、柳田の発想は、近代以前の村の共同体における魂の行方を近代にあてはめようとした。そこに柳田の思想があったと考えればよい。だが、近代は、村の共同体ではすくいきれない多くの人間を生み出した社会である。共同体から外れた人間の魂はどこへ行くのか。伝統的先祖信仰と結びついた仏教も、土着のアニミズム宗教も、これに対応できないうちに、戦争が始まり、日本という共同体の外で、多くの戦死者を出してしまったのだ。

 靖国神社が意味を持ったとすればそこにある。国家が作った神社であるが、国家という大きな共同体の神社であるために、とりあえずは、地域共同体から外れた人々の魂の帰る場所として意味を持ち得たのだ。まずそのことを考えておく必要があるだろう。言い換えれば、先祖という観念を持ち得ない者が多いからこそ、こういう祭祀の場所が必要になる。そう考えれば、靖国神社に祭祀を独占させる理由はないし、もっと多くの神社があるいは、神道ではない別の宗教の施設が、もっと戦死者の魂の問題を語り祀ればいい。戦後の多くの宗教は、あまりに戦死者の魂の問題を語らなすぎた。その祭祀を靖国神社だけに任せてきた。その代償が今いろんな形であらわれているのだと思う。

 こういう問題は、個人の世の中だから、個人の心に任せればいいというわけに行かないからやっかいだ。個人の問題なら、こんなに世の中に宗教施設がたくさんあるわけがない。死や死後の問題は、個人というレベルでの精神では処理しきれないから、宗教施設が必要になる。ただ、こういう問題と、首相の靖国参拝問題は別である。これは政治や外交の問題であって、分ける必要がある。今、中国が望んでいることは、小泉首相に靖国参拝をしてもらうことだろう。小泉首相が参拝すれば、当然、アジアでの日本批判は高まり、アジアでのリーダーシップを中国がとることになる。外交で優位に立つことで、尖閣諸島の問題や、ガス田開発で妥協する必要がなくなる。戦争責任を取らない国というレッテルを日本に貼り、国際政治の中でも日本に対して常に優位に立つことになるわけだ。

 つまり、中国にとって、小泉首相の靖国参拝は実に歓迎すべきことなのである。むしろ、参拝を中止し、明確な戦争責任を語られることの方が困るのだ。だから、中国は小泉首相に参拝させるようにうまくし向けているのだと私などは思っている。するなと言えば意地でもするから、その性格を逆手に取っているというのが私の見解である。政治や外交とはそういう世界だ。

 戦後の日本人は、戦死者の魂の行方をあまりに等閑視しすぎた。そのことを靖国に任せすぎてきた。魂の行方が、近代以前の宗教観の上に考えなければならないとすれば、近代のさまよえる個人の魂の問題を深く取り込んだ上での、伝統的な「祀る」場所が多く作られるべきである。それは、宗派を問わない新しい祭祀の施設であってもいい。そうすれば、靖国にこだわらなくても、戦死者の魂を祀ることは出来る。一方小泉首相の靖国参拝は中国が秘かにそうし向けた戦略である、と言うのが私の考えだ。

気分が落ち込んだら病気? 05.6.10
 この時評もだんだんと日記風になってきて、いっそのことブログにしようかなどと思うこともあるが、そんなに書いている暇もない。6月というのは、連休もないし、気候も不順で、体調維持の大変な月だ。どうも血圧が下がらず、体調もあまりいいとは言えない。かといって休むほども悪くはない。すっきりしない日々が続く。

 中高年の自殺者の増加が社会問題になっていて、落ち込んだら自分が鬱病だと認識して医者に行けと政府は公報している。何か変な話だ。近代になって、精神医学という領域が生まれたことによって、精神病患者が急増したという考え方がある。どうも、精神医の仕事を増やすためのキャンペーンかなとも勘ぐりたくなるが、それほど深刻であるということだろう。

以前、小論の問題に使ったなだいなだの文章にこういうのがあった。精神科医のもとに一人の老人が訪れ、夜眠れないので困っている。薬をくれと相談に来る。話を聞くと、その老人の家は、道路際にあって、これまで7回も車が家に飛び込んできたらしい。それで毎日不安で眠れない。自分は病気だから薬をくれというのである。医者は、あんたは病気ではない、眠れないのは当たり前であんたは正常だと説得するという話である。

 この話のポイントは、老人が正常だとすると、夜眠れないという問題が解決しないということだ。家を引っ越すか、車が飛び込まないようにするにはお金と手間がかかる。それよりは、自分が病気だと判断した方が、経済的に解決できるというわけだ。中高年の鬱病の話もこれと同じである。根本の解決は、手間がかかる。とりあえずは、自分を病気と判断して、まずは、経済的に問題を一時的に解決してしまう。

 精神病というカテゴリーが、人間というものの精神を、健康か病気か、という二者択一に分けるように促す側面が無いわけではない。そこには、人間の心も物理的な現象の一部であるから、風邪を治すように、治せばいいのだという発想があるだろう。病気なら治せばいいのだ。気分が落ち込んでいたら、それは普通の人間が誰でも抱える心の一つの面ではなくて、ただの病気なのだ。心を奮い起こして、やる気を出して治すのではなく、鬱病の薬を使えばいいということにもなる。

 何となく、味気ない話だが、気分が落ち込んで、自分の力で立ち直れず、自殺してしまう奴が多いので、それなら、病気にして治療して治す方がいいということなのだ。人間がいろんな意味で弱くなったということだろうか。というより、もともと一人の力で、自分の心の問題を治せる奴など昔からいたわけではない。家族や友人やあるいは周囲の関係の中で、そういう落ち込みをやわらげ、あるいは自殺にいたらない工夫が隅々に知恵として用意されていたはずだ。そういうものが消えてしまったのだ。社会が弱くなったということだ。

 時々落ち込み、鬱病傾向にある私としては、この社会の弱さというものがよくわかる。みんな自分をささえるのに精一杯だし、自分より落ち込んでいる奴を見て何となく安心するような社会に生きているのだ。嫌な社会だが、かといって楽しいこともないわけではない。いまのところ、この楽しさのところでかろうじて自分を支えているというところだ。

 昨日のテレビで、笑うと血糖値が下がるという実験をやっていた。冗談じゃねえ、簡単に笑えるほど単純じゃねえ、と言いたいところだが、まあその効果は認めよう。笑うことも治療の一つになってきたということだ。認めたくはないが、私にも治療は必要なのかも知れない。確かに、病気だと思った方が気は楽だ。だが、私の病気を治す薬など絶対にあるものか、とも思う。それがせめてもの自分のプライドだ。

場違いなところで生きている気がする  05.5.26
 ここのところ、懇親会やら出版記念会やらと飲み会が続いている。おかげで、外食ばかり。なるべく酒は飲まないようにしているが、疲れと仕事のしすぎで、血圧は下がらない。今、漢方薬を毎日煎じて飲んでいる。北里研究所の東洋医学研究所でもらっている漢方薬だ。研究所で動脈硬化の度合いを測ってもらったところ、一つの測定器は年齢相応、もう一つの測定器は60代後半と出た。さすがに驚いたが、医者は、心配はないという。機械は時に間違うからという。

 それでも、間違うなら、30代後半と間違って欲しかった。機械が間違うなら医者だって間違う。いずれにしろ、動脈硬化は要注意だ。働き過ぎは特に好くない。いつ倒れるか分からない。といいつつも、これがまた働くのだ。アリとキリギリスで言えば、私の前世は確実にアリだろう。日本版のアリは、キリギリスを暖かく迎え入れるが、たぶん私もそうだ。西洋版のアリはキリギリスに死ぬまで踊っていたらと冷たく言い放つ。このように言えたら、どんなに私の人生は変わることか。

 今日は夜9時に学校を出て、一時間ちょっと電車に乗る。家へ着いたのは10時半だ。一時間座れなかった。立ちっぱなしである。さすがに疲れる。だが、私の降りる川越駅でもまだ電車は混んでいる。この先ずっと立ちっぱなしで帰る人がこんなにもたくさんいる。今日はなんかそのことに妙に感動してしまった。私などは不規則な通勤であるから、いつも立ちっぱなしというわけではない。でも、毎日このように一時間以上も立ちっぱなしで通勤している人がいることに、何故か、なんでこんなにまでしてはたらかなきゃいかんのか、考えることもあるが、それでも、こうやってみんな働いていることに時々感動してしまう。みんな不機嫌そうなのに、働くことを辞めない。とてもまねはできないなあ、と時々思う。

 しかし、その不機嫌さは、発展途上国の人たちの必死に生きるために働く、そのような大変さとは明らかに違う。肉体の疲れと言うよりは、精神の問題であるような感じもする。電車の中では誰も一人だが、その独りでいる時の顔というものに表情が欠けているのは、今ここにいることの意味を一切考えないようにしているからだ。できれば通勤時間などというものは、存在しなかったことにしたい時間だろう。私などはその時間にほぼ毎日三時間使っている。

 われわれが過ごす一日には、存在しなかったことにしたい時間が多すぎる。その感覚は確実に、自分という一部を、存在しなかったことにしたいと思うことに結びつくだろう。そういう日常のニヒリズムに陥らないためにはどうするか。体力と好奇心それだけだ。体力をつけて、いろいろなことに興味を持つしかない。実に簡単な答えだが、実はいちばん難しい答えだ。

 この間の日曜、山小屋の近くの知りあいが田を借りて田植えをするというので、手伝った。僅かな面積の僅かな田植えだったが、楽しかった。生活がかかっていないと農業は本当に楽しい。農家の皆さんすいません。火曜は歌人松岡達宜の歌集の出版記念パーティがあった。実に大勢の歌人やら評論家やら詩人が集まった。その場にいながら私はどうしても居心地の悪さを拭えなかった。一応書評をしているので、壇上で挨拶だけはして早々に逃げ帰った。どうもパーティとやらは苦手だ。それから、詩人とか歌人とか評論家というのも苦手だ。私は評論家と呼ばれてはいるが。

 こういった違和感はなんだろう。結局、みんな生きることの意味を強く求めていて、その意味を語ることの上手い奴がたくさん集まるときの、その独特の雰囲気という奴だ。私も上手い方だが、だからよけいにその雰囲気になじめない。自分になじめないからだ。挨拶の指名を受けた歌人や評論家は、壇上で、自分の名前を高からに叫び、感動したと自信たっぷりにスピーチする。私は、自分の名前を言うのを忘れ、挨拶の言葉も面倒なので、私が書いた書評の一節を読み上げて早々に退散した。

 どうも場違いな生き方をしている感じがいつもついて回る。しかし嫌いな生き方をしているわけではない。こういう感覚は、たぶん、現代を生きているものにはついてまわるのだろうと、思うのだ。

「こころみ学園」に感動する  05.5.16
 連休も終わり、授業も四週目を迎え、やっと教員らしい生活形態になった。同時に、またまた忙しくなった。先週は、月曜から日曜まで、とにかく毎日何かやっていた。会議が毎日のようにあり、そしてアジア民族文化学会の大会が土曜日にあった。この準備も大変だった。日曜日には、学生を連れて歴史民俗博物館に行った。家で夕飯を食べるなんて事はまずない。これでいいのだろうか。今週もまず同じようなものだろう。土曜日までスケジュールは埋まっている。

 いつもの愚痴はこのぐらいにして、連休はほとんど山小屋で過ごした。ここ数年では、久しぶりの休暇という感じだったように思う。岡谷の遠藤君に案内してもらって塩尻峠の山の中で山菜採りをしたのが楽しかった。一冊の本も読めなかったのが心残りだが、でもいつもそうだ。何冊か本を持って行くが読んだためしはない。

 BS(確かBSフジ)で「こころみ学園」のドキュメンタリーをやっていて、この番組に思わず見入ってしまい、いろいろと考えてしまった。「こころみ学園」は栃木県足利市の郊外にある、知的障害者の厚生施設だが、ここでワイナリーを経営していて、そこで作るワインはけっこう有名である。わたしたちも、二度ほど訪れたことがある。

 訪れるたびに、学園のことは気になっていた。何故、知的障害者の施設が葡萄畑を作り、ワイナリーを持っているのか不思議だった。しかも、一流のワインを作る。ここで作ったワインは、沖縄で開かれたサミットのときに、各国の首脳に出されたワインの一つに選ばれたそうである。その疑問がこの番組で氷解した。

 この学園は、園長の川田氏が仲間とともに独力で作り上げた施設である。椎茸作りや葡萄畑作りなどの農作業を通して、知的障害者の教育や厚生に当たっている。番組ではその様子がとても丁寧に映し出されていた。

 見ていて感動してしまったのだが、それは、職員の人たちの努力にたいしてでもあったが、なんて言うのか、障害者の人たちの生きている姿にといっていいのだろう。感動させるのがドキュメンタリーの一つの手法であることは分かっているが、それは本を読むことと同じで、とりあえず、私は、一冊の感動的な本を読んだことになるわけだ。

 何故、感動したのかよくはわからない。ただ、言えるのは、彼等は、生きるということの意味を彼等なりに理解し、その生きるという労働においてその意味を絶えず確認し続けているということ、そのことのすごさといったものを受け取った、ということだ。

 障害の軽い人は重い人を助ける。着替えの出来ないものの着替えを手伝うことを十年以上も続けている障害者がいる。彼は、大変だけれども自分がいなければだめなんだと語る。ほとんどの人たちは、ここで生涯を送る。この小さな空間で役割という生きる意味を見いだし、そのことを疑いもせずに過ごす。

 ある意味では、こういう施設でどこでも行われてる光景なのだろうが、思わず見入ってしまったのは、その生き方があまりにもシンプルで揺るぎがないと感じたからだ。むろん、彼等がその障害を克服していくこととは、そのシンプルな生き方を捨てて、より複雑な生き方を指向していくことである。そんなことはわかっている。この施設も、ほんの少しでもいいから、彼等が、言葉をより多く理解し、体が動き、自我を持ち、欲望を持つことが出来るように教育している。

 しかしだ。みんなそのことがわかっているのに、一方では、シンプルに生きることの価値を大事にしているような雰囲気をこの学園は持っている。そこがこの学園のとても優れた所なのだと思う。農業を基本に据えたのは、そこに意図があるようにも思える。障害を負った人が、その障害を克服していくプロセスを与えるのがここでの教育だが、そのプロセスにとても豊かな時間がある。その時間にたぶん私は見入ったのだ。

 豊かな時間とは後戻りも出来る時間だ。障害者だってわたしたちと同じように進歩しなくてはならない。だが、なかなか前へ進めない、という時間のあせりを、うまくやわらげる雰囲気がこの学園全体にある。ワイナリーを作り優れたワインの生産は、生産性を絶えず上げようとする社会への参画である。一方で、その生産の基盤にある自然を、前へ進まない人間という存在の受け皿としてうまく利用している。

そうか、自然とはこのように用いるものなのだと、納得してしまった。農業の良さがそこにあろう。山小屋のある別荘地の知りあいが、突然仕事を辞めて農業をやると宣言した。彼は、優秀な国家公務員で死ぬほど働いていたらしい。ほんとに死ぬかも知れないと思ったとき、農業をやろうと思ったということだ。

 今、よい農地を求めて日本中を回っている。よい農地が見つかるといいが。私はそこまで思い切るほど仕事に殺されるとは思っていないが、「こころみ学園」の番組に感動するくらいには、自然を理解する力はある。どの程度の力かは分からないが、結局は、今の仕事に疲れていることは確かであるようだ。

中国の若者に明るい未来はあるのか 05.4.22
 ようやく新学期が始まった。ガイダンスやら、最初の授業やら、ばたばたと時間が過ぎていく。今年は、少し余裕がある気がする。たぶん、締め切りの原稿が今ないせいだ。そのうち出てくるが。今年になって書いた原稿。

 書評 神津陽著『新撰組 多摩党の虚実』(彩流社) 雑誌「情況」に掲載
    成瀬有歌集『遊べ 櫻の園へ』(角川書店)  掲載予定先は確か短歌新聞社だった気がするが
    大谷和子歌集『笑ふ人』(砂小屋書房) 歌誌『白鳥』掲載 
    松岡達宜歌集『青空』(洋々社) 『図書新聞』掲載
 論文 「戦争と和歌 防人歌の成立」(40枚) シリーズ短歌と日本人 岩波書店 掲載予定  

 3ヶ月間でこれだけ書けばまあ仕事はしたというほうではないか。この間に、特色GPの書類を書き、学会の機関誌の編集・校正、学内の小冊子の編集・校正とこなしてきた。願わくば、今年はもうこれで原稿書きは打ち止めにしたい。というわけにもいかないか。

 中国が心配だ。反日デモが起きると、中国で日本語を学ぶ学生ががたっと減る。今学んでいる学生も肩身の狭い思いをしているだろう。私が講演した寧波大学の日本語学科の学生のことが思いやられる。私は、国家のメンツを最優先する発想にはまったく関心がないし、そういうところからは何も生まれないと思っている。

 愛国教育が原因だというように、原因を中国側に何とか見付けようとする意見が日本側にあるが、それが間違っていないにしろ、そういう意見は何となく自分の側の後ろめたさを回避したい動機が見えてしまって、あまり言いたくはない。仮に中国側にこの原因を探るなら、中国の国内の経済格差を利用して、安い人件費で商品を作って儲けている、資本主義への苛立ちが、その象徴としての日本に向かっているくらいの解釈をするべきだ。

 日本製品を買うなといいながら日本製品に取り囲まれている彼等の矛盾は、実は、彼等自身の経済格差が生み出した矛盾だ。中国農民の貧しい生活を背景とした安い労働力のおかげで、中国都市部の豊かさと、日本の経済が支えられている。上海のデモで暴力的にはねた若者の大半は、おそらく、その豊かさの手前にいながら、その豊かさを生み出している背景に気づいてしまっていて、しかもそれを見ないようにしている層だと思う。戦後日本の若者だって、かつて反米愛国を叫びながら、アメリカの消費文化に憧れたのだ。みんな中流だと思えるようになったとき、誰も愛国など言わなくなった。たぶん中国も同じだ。

 だから、中国の若者の苛立ちがよく分かる気がする。たぶん、自分も自分の住んでいる国もその行き先が見えないのだ。日本の若者は行き先が見えなくても自分の中に閉じこもる術を獲得して、自閉的に生き始めた。だから世の中がおかしくてもデモなどする元気は最初からない。共産党一党独裁の下で、しかも資本主義の矛盾を背負うことの息苦しさは、たぶん、戦後日本の若者の息苦しさなどとは比べようもないくらいすごいものだろう。

 寧波大学での私の講演は、「長江文明と少数民族文化」という題で、生意気にも、中国人に向けて、中国の文化、特に、長江文化と少数民族文化の大切をさを語った。中国の歴史と近代化は黄河文明が作り上げたものだ。長江文明は、むしろ自然に依存する野蛮なものとみなされてきた。文字は黄河文明で発達し、長江文明は文字を生み出さなかった。少数民族文化は、その長江文明を受け継ぐ文化である。

 黄河文明は畑作と遊牧を基盤として交易で栄えた文明である。だから、自然(神)との関係よりも人と人との関係に意識を向ける。儒教はそういう必要性から生まれた思想だ。その意味では合理性を重視する文化で、神話を語らず法や歴史を語る文化である。紀元前2・3世紀の頃、気候変動によって黄河文明が南下し長江文明を衰退させ飲み込んでいった。長江流域にいた百越と呼ばれた民族は、日本に渡ったり、さらに南下し少数民族となった。長江流域の文明は、豊かな森と豊富な水に恵まれ、稲作を中心とした農耕狩猟を生業とし、自然に依拠する文明だった。だから、神との関係を重視する文化を育んだ。

 今、中国は黄河文明の思想で加速しようとしている。だが、長江の大洪水で悟ったように、自然(神)の関係を切ってしまえば結局ひどい目に遭うのだ。今、中国に必要なのは、長江文明や少数民族文化を見直すことだ。例えば、あなたがたはこれから都会に出って行って働くがきっと孤独になるだろう。森を失った大地と同じように、精神が孤立し乾いてしまう。それに耐えられなければ生きていけないのが現代の都市社会だ。どうしたらいいのか、例えば、少数民族が生活の中でよく歌っているように歌えばいいのではないか。歌は人を孤立させない。つまり、そういうところにこれからの時代を生きるヒントがあるのだ、というようなことを話した。たぶん、黄河文明の側で生きようとしている学生には、一体何をいってんだろうこのおっさんは、というような感じで聞いていたろう。

  今中国は、農村文化を、遅れた貧しい文化として全国規模で否定しようとしている。かつての「大躍進」で数千万が飢え死にしたという経験がどうも生かされていない。中国では、大躍進の悲劇は教科書には出ていないということだ。日本と同じで、自分たちの嫌な過去に向き合わないとあとでつけがまわってくる。たぶんデモの若者は、消費欲望をある程度満足させるくらいに経済的に豊かになれば、行き先の見えなさや、今の矛盾を見ないふりで通せるだろう。そうなれば、デモをする元気もなくなり、自閉的な奴がたくさん出てくる。ひょっとするとその動きは日本の比じゃないかも知れない。何千万という若者が、ほんとに閉じこもって、中には突然きれまくって人を襲ったりする奴が続出するそういう社会がそのうち来るだろう。
 
  そういった事態を回避するためにも、少数民族文化にもっと学んだ方がいい、と話したが、たぶん、理解されなかった。この若者達が将来どうなっていくのか、何となく心配になった。
 

 ナショナリズムをどうやって超えたらいいのか 005.4.11
 中国の反日デモは悲しいニュースだ。わたしたちの中国旅行の時におこらなくてよかった、というのが正直な感想。日本側では、中国の政府への不満が日本叩きという形で噴出したのだという解釈。問題の教科書を出している側の系列のテレビ局では、問題の原因に教科書問題があることを触れようともしない。保守派の論客も、韓国や中国の悪口を言うばかりで、日本のことは問題にしない。

 確かに、中国・韓国で、ナショナリズムの噴出という形で対日抗議行動が起こるのは、中韓による政治リードの面がなくもないにしても、それを言えば、日本側も、それなりにナショナリズムを刺激して政治リードはしている。そういうのはお互い様だ。

 問題は、やはり戦後処理を相変わらず引きずっている点だろう、少なくとも、一方的に喧嘩を売って殴った側が、この間はお互い不幸だったとか、謝るとか言っておいて、本当は俺たちはそんなに悪くなかったなんて身内に語っているのが、被害者に聞こえてしまったら、そりゃ怒るだろう。そういう怒りを理解できない無神経さがナショナリズムの感性にはあり、こういうナショナリズムから距離をとるのは、少なくとも、殴った側(日本)にあることは、きわめて当然のことだ。

 殴られた側がナショナリズムに依拠するのは、ベトナム戦争の時、民族解放闘争というナショナリズムを全面に立てるように、ある意味で仕方のない面がある。日本だって、侵略されてひどい目にあっていたらナショナリズムを全面に出していたろうし、そのことを偏狭と批判はできないだろう。むしろ、問題なのは、相手への理解を拒む過剰なナショナリズムを、それほど出す理由もないのに、あえて表出するというところにある。

 その意味では、日本も、中国も、韓国も、これだけ経済発展し、交流し、お互い依存し合わなくては経済も生活も成り立たない現状では、ナショナリズムの過剰な噴出は抑えるべきだ。仮に抑えずにそれを利用している面があるとしたら、それは、ナショナリズムの政治的な意図もしくは戦略的利用であり、きわめて危険だ。そこは、中国政府も韓国政府も反省すべきだろう。

 自然発生的なナショナリズムは止められない。しかし、それを政治的にもしくは国家の戦略に利用するときどうなるかは、20世紀の戦争の歴史を見ればわかる。戦争と虐殺の歴史しかないのだ。が、かといって、自然発生的なナショナリズムは抑えつけることはできない。それはそれで根拠があるからだ。その意味では、中国や韓国のデモに自然発生的ナショナリズムがないわけではない。それはそれで認めるべきだし、その理由を把握し、どう対処するか理性的に対応するしかない。

 日本の最近のナショナリズムは自然発生的なものではなく、むしろ、高度資本主義とグローバリズムの中で、自信を喪失した保守層の反撃である。守るべき価値が、旧来の近代国家という枠組みとその枠組みのもとに作られた伝統的価値というものしか思いつかないもの達の、はかない抵抗である。ただ、自信喪失は、みな一緒だから、多くの人々は、あえて彼等に反対しないだけで、勝手にやっていたら、というのが本音だろう。保守層は、ナショナリズムのために君が代を強制するが、多くのものは、サッカーの前にやる儀式みたいなものという感覚でただ歌うだけだ。

 そのギャップの方が実は大事なのだ。そのギャップが、日本が中国や韓国より、よりグローバリズム化していることを表している。それは、そんなに悪いことではないと思う。ただ、中国や、韓国の自然発生的なナショナリズムは、それなりの理由があり、それを解決するのは、彼等を過去においてひどい目に遭わせた日本の側にあることは当然だろう。その意味で、日本は、相手の自然発生的なナショナリズムが起こらなくなるまで、きちんとした謝罪をするしかない。いくら謝罪しても政治的に利用されるだけだ、という偏狭な理由で、謝りたくない口実を探すべきではないだろう。謝罪の相手は、国家ではなく、個々の人々なのであり、国家間のレベルで解決しかしてこなかったから、こういう問題がいつまで尾を引く、ということを認識すべきなのだ。

 今は、韓国も、中国も、国家ではなく個人が主体の国になってきている。すでに国家相手に謝っておいたから、もう謝らないというのは、そのことがわかっていないことだ。これはわれわれにも言えることだ。国家が謝ったから、関係ないではすまないだろう。教科書問題の根本は、それぞれの国に住む個人のナショナリズムが試されているという点にある。原則的に言えば、侵略戦争を謝らない教科書があるにしても、国家はそれを検閲すべきではない。表現の自由は守られるべきだ。問題は、その教科書を手に取る日本人という個人の、問題にすでになっている、ということだ。

 その個人のレベルで、その教科書を信じるかどうか判断すればよい。そういう個人の姿勢が(むろん、相手を思いやる姿勢が)、相手に伝われば、たとえ時間がかかるとしても今度の反日ナショナリズムはおさまるだろうし、個人というレベルで、国家や民族の対立を超える理解が得られるはずだ。むろん、靖国に参拝するとか、そういうあまり意味のない政治的パフォーマンスはやるべきではないが、ほんとうの問題はそんなところにないと言うことは認識しておくことではないか。

鹿児島・寧波・上海  05.4.2
 この間、旅行に出ていた。22日から25日まで、中村生雄氏らとともに鹿児島に調査旅行。いつも元気な博物館員のKさんの案内で、薩摩半島の知覧を訪れ、江戸から明治にかけて作られた骨粉製造の水車址を見学。それから、付録として、特攻隊の資料を集めた平和記念館(何で戦争資料を集めた建物は必ず平和記念館と言うのか。戦争した記念館と正直に言え)を見学。鑑真が漂着した坊津を訪れ、それから、Kさんの知りあいの竹細工の職人と会う。25日には、上野原遺跡を訪れる。約9500年前の縄文早期の村の址を見る。9000年前の土器にはショックを受けた。ここには縄文という概念は適応できない。

 26日は、最後の入試の仕事。28日に中国へ出発。成田を出て、杭州に着く。寧波大学の張先生の学生が迎えに来る。杭州からバスで寧波へ向かう。約3時間ほどかかる。寧波に着き、張先生と再会。その夜寧波のレストランで食事。寧波は、遣唐使の着いた港町。大きな都市だ。29日、午前中、河姆渡遺跡を見学。市内からタクシーで約一時間。今回の旅行はこの河姆渡遺跡を見ることが目的。

 この遺跡も古い、今から約8000年前の遺跡だが、栽培された稲が出てきた。当時の高床式住居が再現されているが、その規模といい、生活の道具といい、現在の稲作農家と基本的にはかわらない。つまり、8000年、稲作農家には時間の変化があまりないということ。歴史がないと言ってもいい。結構山がせまっていて、当時付近は森であったことがわかる。長江の河口で、海に面して、森の動物や魚を獲っていた。豊かな資源に恵まれていたことがわかる。日本の縄文時代の条件がここには揃っている。そのことを知った事は大きい。

 午後は、寧波大学で、日本語学科の学生を前に講演。題は「長江文明と少数民族文化」日本の事を知りたい中国人に、あえて、中国の文化について講演した。何故、今長江文明が注目されているのか、何故、少数民族文化を研究しているのか。それは、現代の文明や人間が行き詰まっているからだ、というのが趣旨だが、やや難しかったか、何で日本人から自分たちの文化について聞かなきゃならんのか、というとまどいからか、全体的にしーんとしていた。でも、講演の後の質問はなかなか鋭かった。彼等が私の話を理解していたことがよくわかった。

 終わってから、張先生や、日本語学科の先生方と懇親会。みんな優秀でいい人たちだ。それにしても、講演を聴きに来た日本語学科の学生は2年生と3年生で、彼等は、通訳なしに私の日本語を聞き取った。日本の大学の外国語学部で、外国語による講演を日本の学生が通訳なしに聴き取れるだろうか。それを考えると、中国の大学のレベルはそうとう高い。

 30日は紹興と杭州を訪れる。紹興は紹興酒で有名。周恩来や魯迅の生家がある。魯迅の生家を見学。昔読んだが、また魯迅が読みたくなった。杭州では西湖を見学。漢詩で有名な湖だ。移動はバスだつたが、けっこう時間がかかり、杭州を出たのが5時で、上海に向かった。夜8時半上海着。この中国旅行は奥さんとの二人旅である。ターミナルでタクシーの客引きに会い、荷物を無理矢理載せられ、ホテルまで百元だと言う。とんでもないと断って、別のタクシーをひろう。16元でホテルに着く。

 ホテルは、南京路近くの、王宝和大酒店。外灘にも近く、中心街にあり観光に便利なところだ。31日は一日上海観光。ホテルを出たところで、いきなりだまされる。日本語の達者な中国人が親しげに寄ってきて、私は美術家の教授で、今度日本に行くがと話しかける。これが私の作品だと言って、名刺と安っぽい切り絵をいきなり渡される。そこで、日本に行きたいが金がない、少し援助してくれないかと切り出す。

 おかしいとは思いつつも、私は、面倒な事になった、金を払ってこの場を切りぬけようとそのまま百元を渡した。後で後悔。奥さんには何で払ったのだと責められた。自分も何で払ってしまったのか、いまだによく分からない。向こうのペースにまんまとのってしまったようだ。私は、詐欺に遭いやすいタイプだということがよくわかった。心しなくては。タクシーには引っかからなかったが、こっちにはひっかかった。いやはや、上海は生き馬の目を抜く所だ。さすがに中国一の大都会だ。

 上海博物館を見学。黄河文明の青銅器に感心する。講演で黄河文明と長江文明の比較をしたが、その違いが青銅器によくあらわれている。青銅器の緻密で抽象性の高い模様を見ると、黄河文明が文字を作り出したのがよくわかる。それから、骨董街を歩く。昔のきれいな弁当箱と小さな茶碗と、チベットの仮面(鬼面)を買う。しめて550元だ。安いのか高いのかよくわからない。むろん、かなりねぎったが。

 それから外灘の旧租界に行く。そこから見る川岸の光景はすこ゜い。川の向こう岸に、上海を代表するタワーや高層ビルが乱立している。高層ビルの一つ一つが個性的な形でみな違う。それが面白い。とにかく全体に一切統一感がない。今の中国を象徴していると言ってもいいだろう。夜の南京路の夜景もすごい。中国人はライトアップが好きなのだ。

 とにかく派手だ。何でも派手である。笑っちゃうくらいに派手で、愉快になってくる。7階建ての本屋に行った。どういうわけか夢枕莫の「陰陽師」が平積みになっていた。むろん、翻訳本だが。中国でもブームらしい。

 夕食は、近くの食堂で。二人で50元くらい。それでけっこう満腹になる。ビールつきだ。むろん、高いところで食べれば、一品50元だ。中国では安く上げようとすれば安く上げられる。

 4月1日帰国。2時間半で成田に着いた。とても早い。日本には6000年前に稲を作ったことがわかっている。どうやら、河姆渡遺跡あたりから来たらしいと言われている。長江河口から、東シナ海に出て対馬海流に流されると数日で九州に漂着するらしい。今は、2時間だが、6000年前の数日はもっと早く感じたかも知れない。

 次の日(今日)早速勤め先から用事があるから来いと電話。特色GPの書類が出来たから見てくれという。仕方なく大学に行く。そして、古代文学会の例会に出る。飲み会にまで参加。相変わらず忙しい。忙しさでは中国人に勝っているようだ。

すさまじい孤独   05.3.21
 振り込め詐欺その後。ついに被害者が出た。聞くところによると、私の家にかかってきたのと同じ手口の詐欺にひっかかった人がいるらしい。その奥さんはほんとに信じたそうで、言われるままに百万振り込んだそうだ。夫が家に帰って来たときに「あなた私にに隠していることがあるでしょう」といったそうだ。

 この話が本当なら、夫にすぐに連絡をとらなかったということになる。そんなこともあるのだ。携帯を持っていなかったのかもしれない。夫婦仲がどうなってしまうのかそんな心配もさせられる。それにしても、嫌な世の中になったものだ。この詐欺は、暴力団の資金稼ぎらしい。フリーターの若者をアルバイトで雇い、ゲーム感覚で仕事をさせているらしい。ぼんやりしているとひどい目にあう世の中になってきたということだ。

 約束の本の感想。ミシェル・ウエルベックの『素粒子』は、久しぶりに、いろいろと、この世を生きる意味について考えさせられた本だ。面白かった。二人の異父兄弟の話なのだが、一人は遺伝子研究の著名な分子生物学者、一人は人格破壊気味の国語教師。ストーリーは面倒だから省く。

 要するにこれは、20世紀から21世紀にかけての「地下生活者の手記」である。ただし、現代の地下生活者は、地下にあって世界にうまく適応できない自分を告白したりはしない。現代に地下などないのだ。地下ではなく、表層があるだけだ。そう考えれば、これは孤独な表層生活者の手記とも言える。

 成熟した資本主義は、自我を解放した。革新的な思想を用意した。ヒッピーが生まれ、反体制的思想が生まれ、快楽的生活が追求された。そして、それらはあるものにとっては強迫となり、あるものにとっては、人間への懐疑となってあらわれ、あるものにとっては、すさまじい孤独となってせまってきた。

 人格破壊気味のブリュノの人生は涙無くしては読めない。この男は、徹底して、人との関係に意味を見いだせなくなっている。革新的な思想を一通り理解しながら、その思想をひとかけらも信じてはいない。信じているとすれば、そういった思想を語る女と寝ることが出来るかどうかということだけである。関心は常にそこに向かう。これほど疎外されてしまった人間の物語を読むのは久しぶりだ。

 ブリュノは徹底して誰をも理解できず誰からも理解されない。晩年に理解し合う女性が現れるが、その女性は、結局自分と同じ種類の徹底して孤独な人間であった。ただただ性的な快楽のみが彼等のすさまじい疎外感に対抗する唯一の方法であった。むろん、それが長続きするわけではない。

 この本でのブリュノの語り口は、たぶんとても古典的なテーマだ。要するに、時代に適応できなかった人間の物語である。もう一人の分子生物学者ミシェルの物語は、ブリュノと逆で、むしろ、時代そのものが一人の人間の妄想とも言える科学に翻弄される物語である。孤独な天才ミシェルが作り上げた理論によって、人類は、新種の人間の創造を可能にする。神に代わって人間が新種の人間を作る2200年までの物語が語られてこの小説は終わる。科学そのものが悪意によって皮肉られているのだと言ってよい。

 ブリュノの物語は、時代に呪われた人間の物語である。その呪いに例えば近代思想が一役買う。そこで、近代思想を象徴するフランスの現代思想は、結局、ブリュノのすさまじい孤独には何の役にもたたないことが証明される。いやむしろ、それを助長するだけだということも。結局、資本主義の快楽と上手く共生しながら、近代思想はかっこよく、反体制とか、自由とかを標榜するだけなのだ。

 その意味でこの小説は徹底して皮肉で悪意に満ちた物語である。かっこよく快楽や思想を語るわれわれの時代に、必ず、そのかっこよさから疎外された人間がいる。かっこよく思想を語る者は弱者やマイノリティの立場に立つと標榜するものの、実は、自分の最低限の快楽や不器用な人間への思いやりを抑制する。そうしないとかっこよく生きられないからだ。だが、そのようには上手く生きられない人間は、時代の呪いを一身に引き受け、すさまじい孤独を生きざるを得ない。下手に思想など知っているから、よけいに始末が悪い。それこそ表層という地下から、かっこよく生きる者の欺瞞を見つめ、自分の生きる意味を、せめて性的な快楽といったつかの間の充足に求めざるを得ない。でも、人との関係が出来ない以上、その快楽は自慰でしかない。

 ブリュノは、現代を生きるわれわれのある意味での自画像である。悪意を持って描いた自画像だと言ってもいい。

 このブリュノとよく似た悪意に満ちた自画像を描いたのが、笙野頼子の『金比羅』である。

この小説もまた「地下生活者の手記」だ。主人公は、小説家だが、実は、自分は金比羅神だと告白することから始まる。外来の神であり、得たいの知れない外道のような神である自分の由来の物語がえんえんと繰り返される小説である。

 この神の起源神話のような物語から聞こえて来るのは、それこそ、徹底して疎外されてしまった人間の、居直りに似た自己主張の物語である。疎外とはやや古い言葉だが、こういう小説を読むと、疎外という言葉がまだ死んでいないことがわかる。

 スタイルは、ある意味で荒唐無稽であり、シャーマニズムの乗りで書いてきた作者の、集大成とも言える小説だ。シャーマンが、自分が神である由来をえんえんと語り始めた、という体裁である。面白いのは、作者の成長と住む土地土地に応じて、自在に関連する神が語られ起源神話が語られることだ。しかも、枝葉末節にかなりこだわる。新興宗教の教祖が語る由来譚のようによくできている。

 しかし、この小説が傑作なのは、その由来譚から、語り手のすさまじい孤独が立ち現れてくるところである。その語り方は、ある意味で、徹底して自閉的な場所から語り出された、この世をぬくぬくと生きているものらへの悪意でさえある。だからこの小説はたんなる妄想小説なのではない。新しいスタイルの「地下生活者の手記」なのだ。

 笙野頼子の小説があるおかげで、私はまだ自分を甘いと思う事が出来る。ここまでは、すさまじく孤独ではないと思うことができる。いつもながらすごい作家だと思う。それから、神と言葉を交わしてしまったシャーマンの孤独というものも実はこんなものだろうかと考えさせられた。笙野頼子とシャーマニズムについては、『シャーマニズムの文化学』(2001年・森話社刊 共著)で触れている。参照してほしい。

「振り込め詐欺」とホリエモン  05.3.13
 ついに我が家にも「振り込め詐欺」から電話がかかってきた。3月10日、私が横浜の大桟橋ホールに「特色GP」の説明会(要するに文科省の特色ある大学教育支援プロジェクトの事で、グッドプロジェクトの頭文字をとってGPと言う)に行っていた頃、昼頃だが、我が家に共立の事務となのる男から電話がかかってきた。電話に出た奥さんに、実は、午前中の授業で、先生(私のこと)が学生に手をあげて怪我をさせた。倒れて頭から血を出している。それで両親が大変怒って今学校に来ている。と言う。奥さんはどういうわけかその話をほとんど信じたそうだ。

 何故信じたのかというと、本当に夫が手をあけだのかと聞いたところ、よく分からないだが学生が怪我をして、先生に責任があるというのは確かだ、というような答え方をしたので、実際に暴力を振るったわけでなくても、責任をとらされる立場にあることはあり得ると思ったらしい。しかしだ、今は大学では授業なんかやっていない。何故、気づかなかったのか、と後で聞いたのだが、だってあなたは毎日大学に出かけているのでこれはてっきり授業でもやっているんじゃないかと思ったということだ。

 今日、横浜に行くと言っただろう、と言ったが、時間を聞いてないから、授業の後に行くとも考えられる、と答えた。いつものコミュニケーション不足がこういうときにあらわれる。奥さんは、これで夫は本当に職を失うかも知れないと思ったそうである。月末に予定していた中国行きもだめになると残念がったそうだ。おいおい。

 ところが、その事務となのる男が、学校の弁護士と替わるといって、弁護士が出てきて、これは刑法130条にひっかかるとか、示談にしたほうがいいとか言い出したので、あっこれは例の詐欺だなとすぐにわかったそうである。それで半分笑いをかみ殺しながら、おもしろ半分にいろいろと聞いたそうである。夫は今何しているとか、助手さんは知っているか、とか、なんて言う学生だとか、そしたら突然電話を切られてしまったということだ。

 すぐに私の携帯にに奥さんからメールが入ったが、その後、大学の助手さんからもメールが入った。今。学校の関係者宅に「振り込め詐欺」の電話がかかっているらしいので注意して下さい、とのことだ。どうも、学校関係者に「振り込め詐欺」の連中が的を絞ったようだ。名簿などいまどき簡単に手に入るだろうから。話を聞くと、私の所属する科のもう一人の先生にも同じ電話がかかってきたらしい。

 それ以外の多くの先生は私のケースにはなっていない。どうも、こういうことらしい。ほとんどの先生はこの時期、仕事がない限り自宅にいる。つまり、電話がかかつてくると本人が出るか本人が家に居るケースが多い(振り込め詐欺も調査不足だ)。だから、確か変な電話がかかってきたぐらいですんだらしい。ところが、もう一人の先生と私の場合、ほとんど雑務で毎日のように学校へ出かけているので、うまくかかってしまったというわけだ。これも忙しさの弊害だ。

 今なら笑い話だが、しかし、敵もよくもいろんな物語を作るものだと感心をした。ただ、やっぱり金を振り込めというように持って行くのはこれは大変だなあ、と思った。だから引っかかるのは、向こうの演技力がよほどの場合か、こっちがパニックになってしまって冷静さを失う場合だろう。私のケースでも、今両親に金を払って事件がなかったことにすれば職を失わないですみますよ、などと言われたら、中には払うケースも出てくるだろう。奥さんは本人をだせと言ったそうだが、私は両親と話をしているので出られないと答えたそうだ。マニュアルはちゃんとあるのだ。

 それにしても、ぼんやりしていられない世の中になったものだと思う。フジテレビだってそう思ったことだろう。ホリエモンは詐欺とは違うが、フジテレビは同じと思ったようだ。

 ライブドアとフジテレビのニッポン放送株の買収合戦は、とても面白かった。とりあえず、新株発行の予約券は差し止めになったが、どうなることやら。心情的にはライブドアをみんなが応援している。それはよくわかる。私もそうだ。あの後先考えない行動は、確かにシンパシーを掻きたてる。ホリエモンが最初から発言に気をつけて、買収に有利なように慎重に行動したりしていたらあそこまで支持を得られなかったろう。そこがよくわかるのである。日枝会長にいちいちそれはおかしいんじゃないかとたてつくところが、そのことが結局自分の首を絞めると分かっていてもしゃべっちゃうところがいいところだ。さすがに、最近は慎重にはなってきているが。

 この結末は非情な市場原理が最終的に決着をつける。それでいいのではないか。一時的にはどっちへ転ぶかわからないにしても、経済合理性に逆らう結果にはならないというのが、われわれの社会の堅固さであろう。組合を起こして独裁体制に反抗した日枝会長だって、この堅固な経済合理性に従っている。ただ、さすがに10年後が見えない時代に生きている、ということが、ホリエモンに活躍の余地を与えている。経済合理性も10年後は判断できないのだ。

 ITの10年後の発達は予測がつかない。10年前に携帯が今のようになるとは誰も予測できなかったようにだ。言えることは、メディアは今とは違ったものになっているということだけだ。その不安にホリエモンは、オレならどういうように変化してもそれを乗り切るアイデアと自信あると言って、膨大な資金を調達したのだ。これが、只の買い占めだけだったら、リーマンプラザーズだって貸さなかったろう。

 ホリエモンを批判する人たちは、アイデアが見えないと言うが、10年後にどうなるかわからないのに、今明確で具体的なアイデアを持っていること自体がおかしい。もしそんなアイデアを出したら、すぐに古びるか、誰かにまねされるか、あるいははったりみたいなものに決まっている。変化している時には、その場になってみないと事業のアイデアなんて出てこない。そういうものだろう。

 要するに、ホリエモンは、オレには変化に対応できる自信があると言っているだけで、その自信だけで、実は、800億の金が動かせる、そういう時代なのだ今は。ひよっとするとはったりかも知れないが、そのはったりにとにかく800億の金を貸してみようという時代だと言うことでもある。その意味で、ぼんやりしていては、金も集まらないし、動かすことも出来ない。

 私はそういう時代に生きていることを、必ずしも悪いとは思っていない。変化は楽しいからだ。が、実は、生活では誰もがぼんやりと生きたいのだ。あるいは、仕事だってそう思っている迷惑な奴が居る。仕事と生活を分けることが可能なら、仕事はぼんやりとはせずに、生活はぼんやりとが理想だ。ただ、仕事だって、ぼんやりが適した場合もあろう。仕事にもいろいろある。

 問題は、いろろいな生き方や仕事があって、その生き方や仕事に勝ち負けを簡単につけてしまわないことだろう。勝ち負けのない競争原理というのは矛盾かも知れないが、その矛盾を抱え込むしか、他に方法はないというのが現状ではないか。

 前回の時評で約束した、本の感想はまた次回。この間、笙野頼子の「金比羅」を読んだ。これも傑作。「素粒子」と似た本だ。いずれ感想を書きたい。
 
快適な生き方を求めて  05.2.23
 この時評もついに一ヶ月経ってしまった。書こうとは思っていたんだが、なんて言うか、書く余裕がないというか、いつもながら忙しかっただけだが。成績を何とかつけて、歌集の時評を一本書いて、それから、雑務がたくさんあって。参ったのは、学会誌の編集校正と、私がかかわって中心になってやっている大学の仕事で小冊子を作ることになり、その二冊の編集と校正を同時にひとりでやるとこになってと、それから、3月締め切りの岩波から出る短歌についての論集の原稿書きと、とにかく、毎日、活字と付き合っている。

 3月には、また歌集書評が一本ある。いや、もつとすごいのがあって、実は、私の発案で私が中心となってやってきた短大での「文章力向上プロジェクト」の成果を、特色ある大学教育支援プログラムに応募することになって、その書類作りを私一人がやるということになって、と、何でいつも私一人でやらなきゃいけないんだと、時々愚痴るのだが、奥さんは一言「好きだからじゃない」。

 まあ嫌いじゃないけど、つまり、私のだめなところは、人との付き合いがあまりうまくないので、人に仕事を頼むことが不得手で、そういう苦労をするくらいなら、自分で全部やってしまおうという、そういう発想にすぐなってしまうことだ。こういう人間は仕事は出来るが、人を育てることは出来ない。確かに、私は人を育てたことはないし、仕事でも上司の立場に立つようなことは一度もなかった。いつも人のために働いて来た気がする。友人が生きていること自体がもうボランティアだから、世間のボランティアは大嫌いだと言っていたが、その気持ちよくわかる。

 結局、何のために生きているのだと聞かれても答えをもたない私としては(誰ももっていないとは思うが)、余生を快適に生きるためには、自分とは何かなどといったややこしいことはなるべく考えないで、普通に生活していてそのことが人のために役に立つならばそれでよいというくらいで、その辺がいちばん快適な生き方ではないかと、そう思っている。そういうスタンスだと、例えば責任ある地位に立ったり、小さな権力を握って世の中を変えたいなんていう欲望はとてもじゃないが敬遠したい。

 今の悩みは、これだけ働いてしまうと、いつのまにか責任ある立場になりそうになつてきて、どうやって、そういう立場を避けようかと思っているのだが、なかなか名案がないことだ。若いときは、仕事を辞めて、次を見付けりゃいいやと思って、結構好き勝手やってきたけどこの年になるとそれも出来ない。首にならない程度に、周囲や上の人に憎まれることをするのがいちばんなのだが、私はもともと過激な人間だから(周囲はそう思っていないらしいが)、そういうことをやりだすと止まらなくなって、ほんとに首になったりしかねない。世の中難しいものだ。

 ただ、忙しい理由は、性格の問題と言うよりは、現代の問題だと言うべきだろう。団塊世代の特徴として、時代に遅れることを拒否する感覚がどういようもなく染みついている。これが消えない。つまり、快適な生き方の選択の中に、どうしてもいつも新しいことをしていたいという欲望がある。これがやっかいなのだ。これは、まさに、近代のそして高度資本主義下における典型的な人間そのものだからだ。近代に批判的な私が、実はとても近代的だというのは面白くないが、まあそういうものだ。それを免れている奴なんて誰もいない。

 安部公房の「砂の女」で、砂に閉じ込められた男が、水を作る装置を作ることによって閉じられている世界で光明を見いだす場面がある。つまり、何かを作ったり、新しいことを考えることは、閉じられていること自体を忘れさせてしまう。別な言い方をすれば、それは閉じられていることを実は改善しない。でも、それを忘れさせる。高度資本主義が仕掛けた人間への罠である。

 小説を二冊読んだ。これだけ忙しいのに何故読んだのか自分でも分からない。たぶんまだ余裕はあるぞと抵抗したのかも知れない。ミシェル・ウエルベックの「素粒子」と矢作俊彦の「ラララ科学の子」両方とも面白かった。いろんな意味で身につまされる小説だった。その感想は次回の時評で書こうと思う。

ゆがみはよくない   05.1.23 
 新年になってからなかなか時評を書く暇がない。今年も相変わらず忙しそうだ。とりあえず近況からだが、ようやく16年度の授業が終わり、試験も終えてあとは成績をつけるだけになった。いつもこの時期は、成績で悩む。

 最近の大学は、授業の進め方、成績の付け方について何かと厳格さを要求するようになってきている。昔のようないいかげんさはとても許されない。私の学生時代は、出席すれば優とかそういう教師がいたが、今はとんでもないだろう。説明責任という言葉がけっこう飛び交って、何でも説明責任になってるから、成績だって、説明責任が要求される時代なのだ。

 世の中相変わらずいろいろな事があった。朝日とNHKの争いも面白い。こういうのは、それぞれの主張の反対側が正しいのだと思って見るとだいたい間違わない。保守的NHKでは考えられないような反戦番組を制作したプロデューサー、それを事前に知りNHKの幹部を呼びつけ露骨に政治介入した政治家、番組の実体を知り政治家に文句を言われ番組改変を指示した幹部。そのことが裁判沙汰になり、その問題をしつこく追求し、政治圧力があったのではと迫った朝日新聞の記者。それを認めた幹部。たぶんそこいら辺が本当のところで、今当事者は、みんなそれぞれのやったことと反対の主張をしているというわけだ。

 何故それぞれが反対の主張をしているかというと、その反対の主張が報道の客観性や報道の自由といった民主主義の建前に沿っているからだ。逆に言えば、実際の現場では、誰もが、客観性や自由などという建前とは離れて行動していたと言うことだ。現実とはそんなものなのだ。ただ、今これだけ問題になっているということは、一応この国では建前が社会を支える基準として機能していたということだ。それは、悪いことではないと思う。建前でもないよりあったほうがいい。

 むしろ、問題なのは、戦争責任といったテーマをおおっぴらに語る機会が、いわゆる左翼的な人たちの独占となり、国家や社会の公的なテーマとして排除されたことだろう。その問題を引きずっているから、日本の国家は、他のアジア諸国に、戦争責任に関して堂々と発言できず、謝りすぎるのは自虐的だなどと、自分たちのプライドの問題に引っ張られて、逆に中国などに見透かされ、政治的に利用されて外交上の失点を重ねているのだ。

 本来なら、戦争責任問題は国家自体が公的(建前的に)に決着をつけ、その言説からタブーを取り払わなくてはならないものだ。だが、現状では、いわゆる左翼と言われている側(別に左翼でも何でもないんだけど)によって公的(建前的)に天皇を含めた戦争責任論が唱えられ、国家の方が、それに対してぶつぶつと文句を言うという構図になっている。つまり、国家の側が戦争責任問題について、戦争責任があるともないとも明確に出来ないでいるのだ。だから語らないで曖昧にして、公的な言説から戦争責任論を遠ざけ、一方、国家に批判的な勢力がそれを公的な言説にする。その両者の言説の位置が本来とは反対なのだ。

 何故、そうなってしまったのか。要するに国家、というより、保守的な勢力に自信がないからだ(別に自信を持てとエールを送っているわけではない)。天皇制にしても、伝統的な日本文化論にしても、それこそ靖国神社は伝統だという主張にしても、アメリカの大統領が聖書に誓いを立てるように、権力の依って立つイデオロギーにし得るかというと、誰もそこまでは信じていない。それじゃ何故こだわるのかというと、保守的な政治家たちや、地域の政治家をとりあえず納得させるイデオロギーはそれしかないからだ。

 アメリカのように、自由と民主主義を守ためにはイラクを攻めろ、というような単純なイデオロギーよりはましだが、問題なのは、日本の場合そういう価値観はとりあえず保守的政治集団内における政治的な支配被支配関係を築くためのイデオロギーであるという側面が強く、その政治家がそのイデオロギーにそって自分の生き方を必ずしも律していないということだ。そこが、ブッシュと小泉の違いである。

 内向きの政治集団では日本は神の国だとか言いたいことを言えるが、中国や欧米の政治家の前では自信がないからとたんに口を噤んでしまう。そういうおかしな状態を破綻せずに維持するためには、内向きにおいて、そういう議論はすでに決着済みだとして公的には避ける雰囲気を作ることだ。一方で、公的な政治の場所から離れてしまった石原都知事とか中曽根とか責任のない連中が、私的な場で威勢のいいことを主張することになるというわけだ。

 そのことは左翼勢力にも言える。護憲政党で自衛隊は違憲だと唱えていた社民党だって、かつて政権を担ったとき何をしたかを考えれば彼等だってそのイデオロギーに自らの生き方を律していたわけではないことはすぐわかる。政権から離れて弱小政党になったらとたんに護憲をいいはじめた。イデオロギーに自信が持てないのは、近代日本の知識人の宿命みたいなものだが、むろん、イデオロギーに自信を持てなどと言いたいわけではない。自信を持てないそのことによって救われている場合もある。

 ただ、戦争責任といった大きな問題は、内向きの政治集団内部で通用するイデオロギーでは解決できない。それこそ、他者である他国を説得するのは無理だ。ドイツが収容所も一つの伝統だと言い張るような理屈になってしまう。その意味では、天皇制や、戦争責任問題について、いっさいのタブーを無くして、公的にそれこそ他者(他国)と同じ舞台で論じあう自信を持つべきだろう。

 自信のなさが言説を抑圧する構造になっているそのゆがみは無くすべきだ。それは左翼的な人たちにも言えることだ。戦争責任論を頑なにイデオロギー的な言説に仕立て上げるのはそれも自信のなさだ。公的に議論することによって、言説がもまれて、多少不満があっても言説はある共通の了解領域を形成する。そのことが大事だろう。

 とにかく今われわれが抱え込んでいる、言説のゆがみの原因はが明らにすべきだ。ただ、現代は、一つのものの考え方だけで整理できる時代でないことは確かだ。言説だってゆがむのが当然な時代だ。

 例えば、小泉や石原慎太郎を見ていると、彼等は、旧い官僚主義を打破して競争原理に見合うシステムを構築しようとしているが、その強い姿勢を保証する立場を、きわめて保守的な国家主義や伝統主義に置こうとしている。それは、中国が、共産党という一党独裁の専制支配のもとで、共産党的な非効率的官僚主義を批判し徹底した資本主義の競争原理を社会に浸透させているのと同じ事であろう。保守的な権力イデオロギーに頼らなければ資本主義という非保守的な時代をリードできない矛盾、左翼勢力の方が実は官僚的であり、保守勢力の方が改革的だという光景。よくわかんない時代だ。

 「ゴーマニズム宣言」を本屋で立ち読みしたら、イラク戦争への徹底批判、自衛隊の派遣反対が声高に主張されていた。いつから左翼になったかと思ったくらいだが、どうやら保守派にもこういう主張があるということはわかった。つまり、その思想や主張だけでは、今、保守とか左翼とか分けること自体が無効になってしまったということだろう。

 そのことは悪いことではないと思うが、ただ、戦争責任論のような言説が公的な言説から排除されているゆがみ方はよくない。それが公的な言説としてあり、誰もがいろいろと意見をいうことに違和感を持たない、という普通のあり方を日本の戦後は作ってこなかった。そのことが、こんどの朝日とNHKの対立から浮かび上がったということではないか。

妄想の私と微生物の私  04.12.28 
 今年ももうあと僅かである。前回の時評は10日だが、その時引いた風邪がまだ治らない。やはり歳なのだと思う。同じ歳の友人が軽い脳梗塞で入院した。一過性の脳梗塞で、検査で徴候がなくてもこの年になると誰にでも起こるという。むろん、私にも起こり得る。風邪の方は、咳風邪で、とにかく咳がとまらない。身体は動くので、授業は明治の二部の一コマだけを休講にして後は休まなかった。だから、治らないのだと思うが、咳ぐらいで休むわけにも行かないので、仕方がない。結局、今年は、休講は、明治の二部を除いて無しである。

 今年もよく働いた。原稿もよく書いた。仕事の面ではそれなりに充実した一年だったのではないかと思う。充実の基準というのはどういうものかよく分からないが、引き受けた仕事はこなしたし、そんなにひどい仕事はしなかったという意味で、まあ充実したと言っていいのではないか。

 私ごとでは、ナナが死んで寂しくなったことが大きい。商売柄、生あるものは死ぬという言説を嫌でも読まされるし、語ることもある。が、身近に起きるとやはり考えてしまうものだ。インド洋の大津波で、道路に並べられた死体を見ていると、死ぬことと生きていることとの境目についてふと考えてしまう。

 最近、NHKで「地球大進化」という番組をやっているが、これを見ると、地球は、全球蒸発とか、全球凍結とか、生物を全滅させるほどの環境変化を何度も経験し、その都度生物は生き延びて現在に到っているということらしい。隕石が衝突して地球上の水が無くなっても、地中深く潜り込んだ微生物が生き延びて、やがて海の復活とともに生物は繁殖していく。

 この全球蒸発とか、全球凍結という環境変化を考えると、今年起こっているような災害など、実にささいなものに過ぎない気になる。仮に、今地表の生物が全滅しても、どこかで生物は生き延び、また進化の過程を繰り返す。同じようにホモサピエンスとしての人間が誕生するかどうかは分からないにしても、意識という高度な思考装置を抱えこんだ生物はまた生まれるのだろう。

 これは何億年、何千万年という単位の時間がからむ話だが、この単位の時間までわれわれの生の時間を拡大してしまえば、現在のわれわれの生の物語など、実に、顕微鏡で覗いてやっと見えるようなものか、それこそ、化石の中でかろうじて推測される物語でしかない。

 ただ、問題なのは、その化石を調べ顕微鏡を覗くのもわれわれであるということだ。われわれの意識はやっかいだ。何億年単位の時間のうえで、微生物の一個に過ぎないような自分の生を覗く想像力を持つ。微生物の一個に過ぎない生が、何億年単位を生き延びる生物という観念そのものになり得る。たぶんそれは紙一重で妄想なのだが、この紙一重の妄想のおかげで、あの津波による大勢の犠牲に耐えられる、とも言えるのだ。身近な死者を嘆きながら、何億年単位の時間の中で、その死を微生物の一つの動きそのものとして了解する力があるのだ。

 環境の絶えざる変化があるから、生物はその変化に適応し、現在の生物の存在があるという。つまり、変化という前提から生物は逃れることはできないということだ。人間の意識とは、この変化の産物である。そう言えるであろう。人間が意識というものによって自分や世界をとらえ始めたのは、この変化へ適応するための一つの進化だった、ということだ。が、同時に、意識は環境に作用し、変化をより促しもする。いわば意識自身が、変化そのものでもあるということだ。意識というレベルは、地球の何億年単位の変化を想像力によって超えてしまう。それが意識というものの力だが、それは、自らが変化そのものになることによって、環境の変化そのものから超越しようとしている、と言ってもいい。

 人間の意識そのものが地球という大きな単位から見ればあくまで微生物の一つにすぎないものなのか、それとも、環境破壊が示すように、地球の何億年単位の時間の変化を一挙に実現してしまうような、変化の力をすでに所有している存在なのか、よく分からない。どちらでもある、ということではないか。津波の前でひとたまりもない人間の無惨な姿を見ると、われわれは微生物の一つだが、その光景を地球的な規模で観察し、その対策を練るわれわれは、津波の自然的パワーを手に入れているとも言える。

 アメリカのブッシュを裏で動かしているのは、南部の保守的なキリスト教勢力で、彼等は、ハルマゲドンを信じており、最後の審判に生き残るために、ブッシュを大統領にしたと言われている。地球を滅ぼす核を所有するアメリカと、ハルマゲドンを信じる宗教の一致、という現実を見ると、地球の何億年単位の変化を超越してしまうわれわれの意識というものは、希望に満ちた普遍性というよりは、妄想と紙一重の危うい希望という気もするが、それなしには、生きられないことも確かなのだ。

 「地球大進化」という番組を見ながら、そして合間に繰り返される大津波の悲惨な映像を見ながら、様々なことを考えたが、結論として言えることは、私がどんなに妄想を抱こうと、私は小さな微生物の一つに過ぎないと言うことだ。今年は災害の多い年だったが、私は災害に会わなかった。ただし、それは実に些細な偶然にすぎない。災害にあったとしたら、私の個体の意識は消滅するが、微生物となってどこかで生き延びるという可能性はあるのではないか。そう考えると、少しは元気がでそうな気がする。
  
授業評価と文学過程説 04.12.10
 ナナの骨を山荘へ持って行き、道路から玄関までのアプローチの途中に埋めた。斜面になっているところで、なるべく平らな所を選んで埋めた。石で囲っておいたが、今度行ったら、「ナナの墓」という標を立てようと思う。近くに桜の苗木があるのだが、それが大きくなったら花咲じいさんの話のようになるかも知れない。桜が大きくなる頃には頃私もかなりのじいさんになるだろうから、楽しみだ。

 「古代文学」の原稿が完成。忙しかったが、何とか書き終えてほっとしている。これで今年の原稿は終わった。といっても、来年一月末締め切りの原稿に向けて準備しなきゃいけないのだが。古代文学の原稿は、日本霊異記における経済生活がテーマ。とにかく、霊異記には銭や、貸し借りの話が多い。それだけ経済活動が活発でそれに振り回される人達が多かったということだ。面白いのは、仏教が、そういう経済活動そのものを否定しないこと。ただ行きすぎを悪因悪果として説くだけだ。言い換えれば、適度な貸し借りは認めることになる。むろん、その背景には、僧侶だって、寺院だって、経済活動は必要で、金貸しを行っていたのだから、当然と言えば当然なのだが。

 学校の雑務は超多忙である。よく体が持つと感心していたが、やはり風邪を引いた。今年は風邪は引かないと妙な自信があったのだが、自信だけじゃだめだ。授業も後僅かだが、今はアンケートのシーズンである。共立でもこれからやるし、明治でも行った。

 私は、予備校でさんざんアンケートで評価されてきたので抵抗感はないが、ただ、あまり気にしないようにはしている。自分の授業の欠点はよく分かっているつもりだ。むろん、直そうと思えば直せるのだが、アンケートでそれを指摘されその結果給料減らすぞ、と脅されるまでは直すつもりはない。というのも現状でも、まあまあの評価だと思っているから、それ以上に評価ポイントをあげようと思わないのだ。

 むろん、それなりの工夫はしている。最大のストレスは、授業がうまくいかなかったときだ。だから、授業はいつも神経を使う。そうでないと、日々暗くなってしまうから。だからといって、全員に満足のいく授業なんてめざさないし、エンターテインメントに徹しようなどとも思わない。教員の中でトップを目指そうとも思わない。私なりに伝えたいことが伝わって、それで満足が与えられればいいわけで、とても満足とまあまあ満足のパーセントがあわせて60を下回らなければいい、というくらいが基準だ(これはほぼ全体の平均値である)。

 明治の授業では、万葉集を教えているのだが、時々授業で半分くらい使って、哲学っぽい講義をする。世界の認識の仕方や、言語論の抱えた問題や、私の体験に基づいた人間の生き方の問題とか、まあ、時々愚痴のような授業になるのだが、私はこれを時枝誠記の「言語過程説」ならぬ「文学過程説」と称している。

 時枝の理論は、客観的な意味の体系があって、言語が伝わるのではなく、主体の経験等や発話のプロセスの過程が相手に伝わるから、伝わるのだという。それを応用すれば、授業で、文学研究が学生に伝わるとすれば、文学の客観的な体系があってそれを教えるから伝わるのではなく(そんな体系あるわけがない)、何故私は文学を研究するのか、何故、文学に惹かれるのか、何故文学を教えようとするのか、という自分の中の過程を教えることで、それぞれの学生が自分の文学過程に共振するところがあればそれを理解する、ということだ。

 これはある意味で主観的な授業であるだろう。が、その主観性を教えることを耐えうるものにするためには、その過程を徹底的に公開しなければならない。それが大事なのだ。それが出来なければ、文学を自分とは直接関わらない一つの現象として扱い、文学の構造的分析や、その歴史的なあり方だけに限定して教えるしかない。そんなもの、つまらない授業に決まっている。文学部に来る学生は、まず、文学と自分との関係の解き明かしが知りたいのだ。その解き明かしがあって、社会における自分や文学の位置が問題になる。

 その解き明かしをする前に、いきなり、文学は国家の言説を含む物で、文学者は無意識に戦争に荷担しているなどと教わったら、学生は文学部に来なきゃよかったと思うに決まっている。だいたいそういう授業をする教師は、自分のことを棚に上げる。そんな授業、学生に見透かされるに決まっている。一部の、理論おたくを除いて飽きられていくのは間違いない。むろん、たまにはそういう授業も必要なのだが、そういう時は自分を棚に上げないこと、つまり、文学過程説を実践することだ。

 ただ、文学過程説を実践すると、客観性に依拠した授業じゃないから、みんなにわかるというわけにはいかなくなる。だから評価は高くならない。でも、評価ポイントは低くても、何かが伝わるポイントは低くくはないと思っている。それでいいと思っている。そのうち大学も予備校並みになって、そういう授業じゃだめだというような具合になったら、別の職業を探そうと思っている。でもこの歳じゃ大変だから、隠居ということになろうか。まあそうならないことを願うしかないが。

言葉の世界を耕して「笑み」を  04.11.22
 フロイトの論文に「メランコリーと悲哀の仕事」というのと、小此木敬吾の「対象喪失」(中公新書)はよく引用するのだが、要するに、何かを失ったときに、最初は、それを否認し、次に絶望が襲い、次にそこから立ち直るという心理のプロセスのことで、その段階を踏まないと、人間はメランコリーの状態に陥るという理屈だ。

 ナナを失った私の場合、どうも現実の否認っていうのもあまり無かったし、だからひどく悲しむという段階も経ていない。だからか立ち直るというのもない。寂しく沈んだ気分ではあるが、これは生来のもので、ナナがいたときからそうだつた。ただ、ナナがそれを解消してくれたのたが、その役割がなくなってしまったものだから、どうも鬱々とした気分が晴れないということだ。

 生きることの意味を時々考えるが、私の場合、この鬱々とした気分の中で考えるとだいたい生きることの意味を見いだせないという結論になる。だいたい意味なんて考えること自体が、すでに意味を見いだせないということの準備みたいなものなのだ。

 最近、中沢新一の「カイエ・ソバージュ」シリーズの本を何冊か読んでいるが、本当にうまいなあと感心する。このシリーズは、中央大学の講義録だが、同じ教員の身として、こんな講義がしてみたいと本当に思う。まあ、短大生相手には難しいが。しかし、よく学生は寝ないでこの講義を聞いているなあ、たいしたもんだ。

 人間というものが抱え込んだ「未知なる部分」要するに神だとか、神秘だとか、意味づけられないもの、つまり不条理等が、われわれの生そのものを成り立たせている仕組みに由来し、その仕組みは、社会の仕組み、宗教の仕組み、言語の仕組み、経済の仕組み、全てに共通しているものだと解き明かす壮大な論理である。

 中沢新一が言いたいことは、要するに、向こう側の世界との対称性こそが、われわれの生の仕組みそのものなのであり、今、われわれはその対称性を失いつつあり、そこにわれわれの不幸がある、ということだろう。この対称性を、人間と神、人間と自然、生徒と死、というように言い換えてもいい。

 生きることの喜びは、この対称性の仕組みの中でもたらされる。それを純粋贈与だと言う。つまり、見返りのない利益のことだ。例えばそれは愛である、とも言う。愛と言ってしまうとなにやら気恥ずかしいが、純粋贈与というと信じたい気になる。そうか、私の今の鬱々とした気分が晴れないのは、純粋贈与がないせいなのだ。

 ナナは私に純粋贈与をくれた。それは、無から生まれた利益みたいなものだ。神から与えられたマナである。なにやら宗教めいてきたが、例えばこういう純粋贈与を、人と人との関係の中に置き換えれば「愛」ということになろうか。つまりその「愛」が欠けているということになる。私には。

 しかし「愛」というのはやはりつかみにくい。むしろ、「笑み」くらいに言い換えればわかりやすいか。笑いというよりは「笑み」である。笑いはエネルギーの発散が伴うが、「笑み」は、他者との穏やかな交流を前提にするから、エネルギーを消耗させずに、快適さを手に入れることができる。つまり、無防備に一挙に開かれるのではなく、穏やかに相手を受け入れ、こちらを相手にゆっくりとゆだねるという感覚だ。しかしこういう感覚をつかむのは今の時代なかなか難しい。

 中沢新一の論理をまねれば、農業は「笑み」だが、工業生産や商業活動は「笑い」ということになろうか。第一次産業は、自然の穏やかな利用があるが、第二次産業は、激しい利用であり、その負荷を吹き払うのは、「笑い」というエネルギーが必要だ。商業も、「笑い」というエネルギーの消費によって動いていくという面がある。

 農業が「笑う」のは「神祭り」の時だ。この時はもエネルギーの発散こそが、自然への接し方になるからだ。さてさて、今の私は、どうも「笑い」も「笑み」もない。が、「笑み」はかろうじて残っている気がする。私の仕事は、第一次産業ではないが、大地を耕すようなところがないではない。人の心を生み出す言葉の世界を大地に見立てられなくもないのだ。願わくば、大地を耕して落ち着いた気分で生きられるように、言葉の世界を耕したい、それが私の願いである。
 
ナナのお葬式がすんで 04.11.14 
 11月1日の未明にナナが死んだ。それから、二週間立つ。やはり、生活の中で何となく足りないものがあるという感じは拭えない。死んだ日の朝、ペット霊園に連絡したところ、いくつかコースがあって、いちばん高いのは、4万五千円で、火葬に家族が立ち会い、その場でお骨を陶製の骨壺と袋に入れて持ち帰るというものだ。安いのは、向こうで後日火葬し骨を届けてくれるというもの。当然、高いのを選び、ナナを車で霊園まで運んだ。

 霊園は毛呂山にあり、武蔵野林の面影が残る場所だった。まず祭壇の部屋に連れて行かれ、そこでナナを安置し、焼香する。ほとんど人間の葬式と同じだ。その祭壇のある部屋には、壁一面に棚があって、その棚には、ペットの遺品のようなものがぎっしりと並べられている。ちょっと不気味だった。よく水子の霊園に子供のおもちゃが並んでいるが、あれと似ていた。

 火葬の建物にナナを運び炉の中にナナを入れた。骨になるまで40分はかかるというので、待合室で待っていた。その間、受付の女性のもとに電話がひきりなしにかかってくる。繁盛しているみたいだ。待っている間、五人の家族が猫を段ボールに入れて連れてきた。みんな喪服を着ていた。負けた。そうか喪服か。ここまでやるか。私なぞ午後に仕事にいくので背広着ていたし、時間がないので早くお願いします、と言っていたくらいで、やっぱり喪服ぐらい着ないと、これは葬式なんだとあらためて感じた次第だ。

 霊園の敷地にはペットの墓が並んでいる。みんな小さい墓だが、墓石にはペットの名前がいくつも刻んであるのが多い。昔は、犬猫は死んだらそのまま庭に埋めたものだが、今はそうもいかないのだ。こんな墓石までつくってもらって、たいしたものだ。ナナの骨は、長野の山小屋の敷地に埋めようと思っている。霊園の人が、焼き上がったと言ってきた。その時、大きい骨壺と小さい骨壺があって、大きいのにすると後五千円高くなると言う。大きいと骨を砕かなくてすむという。そう言われたら大きいのにするしかないだろう。商売がうまい。

 人間と同じように、ナナの骨を拾い、骨壺に入れた。霊園の人は初七日とか四十九日とかの供養があると案内の紙を渡した。そこまでするつもりはないので、返事をしないで骨壺を抱いて帰ってきた。私はそのまま大学に出かけた。

 家へ帰ると、ナナは居間の机の上に置いてあった。とにかく、ガンだと分かってから10ヶ月だったし、ナナの最後の看病が大変だったので、ナナが死んだときは「終わった」という感じだけで、悲しいという感じはあまりない。とにかく、犬としてはまあまあ長生きだったし、かわいがっていたので、自然にその死が受け止められた。だから、いわゆるペットロス症候群というのにはかかっていないと思うが、それでも、今まで一緒にいた家族同然の命がなくなったのだから、それなりの淋しさはある。

 本当は、悲しんでいる暇もないほどいろいろと忙しい。今日も、日曜だというのに、「特色ある教育支援プログラム」のシンポジウムを聞きに、お台場にある国際交流センターに行ってきた。昨日は、公募推薦入試。ここしばらく休みがない。ナナのお墓をつくってやりに行く暇もない。それにしても、たくさんの人からナナのお悔やみをいただいた。幸せな犬だった。まあ、大半のお悔やみは私への元気付けだったように思うのだが。
 
ここしばらく厳粛です 04.10.30
 ナナは後数日の命だろう。ここ一週間何も食べてない。昨日あたりから水も飲まなくなった。ほとんど寝たきり状態である。胃液のようなものを時々口から少量出すときに苦しそうにうめく。立ち上がろうとするが足が立たない。そういう姿を見ると、いたたまれない。愛犬を失った飼い主が二度と犬は飼いたくないとよく言うのを耳にするがその気持ちはよくわかる。

 それにしても、ナナはしぶとく生きているのだと思う。時々生の本能のような仕草で声を出したり立ち上がろうとするが、「生きている」ということ自体は、生きることを簡単にはあきらめないのだ、ということがよくわかる。電池切れの機械が止まるのとはわけが違うのだ。こういう姿を見ると、ひょっとすると、明日になったら立ち上がって、もりもり食べ始めるのではないかなどと思ったりする。そんなわけはないが、時々そう思ってしまう。

 今、夫婦交代でつきっきりで見守っている。われわれに出来るのは頭を撫でてやることだけだ。とにかく、側にいるぞとサインを送ることしか出来ない。それをどううけとめているかは分からないが、犬なりに、悪くはない人生(犬生か)だと思って貰えば本望である。あの時拾っていなければどうなっていたかわからない命だ。まだ死んだわけじゃないけど、ひよっとすると奇跡が起きるかもと思ったり死のことを考えたり、生きている側は勝手なもんだ。

 ただ、仕事にならなくて困っている。今年中に二本は原稿書かなきゃならないというのに。夜まともに寝られないので、どうも本が読めない。が、そんなことも言ってられない。たまたま慈しむことになってしまったさささやかな命が消えるかどうかという瀬戸際なのだ。12年情をかけて一緒に暮らすとさすがに家族のようになる。人間とは不思議なものだ。こうやって何かを慈しむことで自分を支えることがある。犬、猫、あるいは人形だっていいのだから。

 この時評もしばらくはナナのことしか書けない。いろいろ周りから心配いただいているが、私は仕事に出てしまえばナナのことは忘れる。体はきついがまあなんて事はない。が、一日中つきっきりでいる奥さんの方が大変だ。とにかく、たかが犬の命かも知れないが、やはりそれが亡くなるかどうかという時は、人を厳粛にさせる。ここしばらくその厳粛さを引き受けなくてはならないのは確かだ。
 
声とネットの幸不幸 04.10.19
 ナナの近況。だいぶ弱ってきた。だんだんと食事をとらくなってきた。少しは食べるが量は元気な時の3分の1に減った。調子が悪いとほとんんど食べない。一時下痢が続き、そのせいか、歩くのもだんだんとふらつくようになってきた。私達が寝ている上の階の部屋にいつも来て寝るのだが、今では、その元気がない。何かあると心配なので、ナナの寝る居間のソファーで私が寝ている。疲れるのだが、仕方がない。

 いよいよ、谷口ジローの漫画「犬を飼う」と同じ状態になってきた。あの漫画では最後に点滴を犬にさせながら夫婦が最後を看取るが、さすが点滴まではいかない。だいたいもう血管が細くなっていて、点滴の針を刺すことさえできないと医者が言う。

 あと何週間、というところだろう。首のリンパ線の腫瘍も大きくなってきているし、首の他の部分にも腫瘍がある。見ていると痛々しいが、病気とはこういうものだ。今、出来ることは、できるだけ側にいてやることだけだ。といっても、こっちも仕事があるから、やはり奥さんがつきっきりになってしまう。ナナも不安なせいか、一人でいることを嫌がる。

 中国では食料として食べられているというのに、こっちでは、人間並みにその命を慈しんでいる。これも人間というものの両面なのだろう。人間はモノを神とみなしてその存在に畏怖する。考えてみればこっちの方がすごい。だってただのモノだ。まして、命ある犬を慈しむ事なんか、たいしたことではない。人間として普通のことだ。たとえそれを食べることがあったとしてもだ。

 人間界の方ではネット自殺が増えているけれども、あれは、一人で死ねないあげくの集団自殺みたいなもので、死ぬ動機が孤独にあるとすれば、今の人間は自死する時も孤独じゃ嫌だ、ということらしい。なんて言うか、ここまで人間は弱くなった、というより何かに甘えているのだ、という気がする。

 ネットというのはその意味で絶妙な関係を生み出す機械みたいなもので、他者が相手の内面に踏み込まず、死に同伴できるほどの関係を作れるのだから、すごいといえばすごい。考えてみると、文字を介する関係だからこそなのかも知れない。例えば、この関係が声でやり取りする関係だったら、もっと違ったものになったろう。声だと、人間の身体やその生そのものが伝わることがある。文字だけだと、観念や、それぞれの自分に向き合う孤独のような内面だけが一人歩きして過剰に伝わってしまう気がする。なんか、危険な気がする。

 歌垣の調査をやっていると、いつも思うのだが、やはり声というのはすごい。声のやりとりは、それぞれを内面に閉じてしまう余裕を作らない。だからこそ、そのやりとりは共有する文化の下地がなければならない。最近、プレゼンテーションとかいう授業が流行っているが、別にああいうのではなく、子供時代に、声でやりとりできる文化技術を身につける機会がもってあっていいのかなとさえ思う。

 授業でいつも冗談に、渋谷で若者がナンパするときに、歌を歌うということが習慣してあるなら、日本の文化はとても豊かだろうにとしゃべるのだが、歌わなくても、声の文化は、確かにもっとあっていいと思う。そういう文化に一番疎い私だからこそ、その必要性を身にしみて感じるのだ。

 関係というものの作り方が結局変化したのだ。声という媒体は、ネットなどの不特定多数の大勢の関係に不適切である。せいぜい同一の目的を共有するテレクラ程度以上には広がらない。声の文化というのは、身近な関係の広がりに適応している。逆に、声を介せば、不特定多数の関係も身近な関係に作り変えられるということだ。

 身近な関係を作れない人間が結局、ネットを使ってより広範な関係を作っている光景がある。そこには、関係への強迫観念がほのみえ、閉じこもりがちな自分を慈しんでくれるような声の届かない世界が広がるだけだ。自殺を思うものは、同時にそれを押しとどめる生の機会を切実に探している。声はその機会を提供するが、ネットは提供しない。そこがネットの不幸さなのだ


幸不幸の基準で比較することとは  04.10.9
 近況。アジア民族文化学会の秋季大会案内の事務作業が終える。今回も、A3のカラーポスター200枚を我が家のインクジェットプリンターで印刷。いやあ時間がかかるかかる。エプソンの2200Cだが、これが遅い。とにかく、数日かかってやっと印刷を修了。インクも何本取り替えたことか。でも、印刷屋に頼むよりは安い。

 今回は、10月23日、大阪大学中之島センターでシンポジウムを行う。テーマは、「アジアの少数民族と日本の古代―“国家”の問題を視野に入れて―」である。雲南少数民族の国家に詳しい名古屋大学の林謙一郎氏と白族の研究者横山廣子さん、それから工藤隆氏がパネラー。国家というけっこう微妙な問題を扱うだけに、議論は白熱しそうだ。楽しみである。

 現代女性作家事典の原稿を執筆。テーマは多和田葉子の「犬婿入り」についてだ。どういうわけか、今年、多和田葉子の「犬婿入り」についての依頼原稿が二本も来た。どうやら、今、多和田葉子「犬婿入り」の評論家として私は第一人者らしい(冗談)。授業で扱ったり、あちこちにちょっとずつ書いてきたので、それが知られるようになってきたのだろうか。

 まあ、これも本業としておこう。副業も本業も区別のないのが、現代の仕事みたいなものだ。授業では、雲南の少数民族文化を紹介する、「地域文化論」、万葉集から現代短歌まで視野に入れた日本文学講義、多和田葉子、川上弘美、吉本ばなな、笙野頼子を扱う、近現代文学講義、はては、日本のシャーマニズムを扱う「民俗学」、それから「古事記」や「遠野物語」と、これだけ幅広く教えている教師はそうはいないだろう。言っておくが、だから私は今疲れているのだ。

 自慢じゃないが、月曜から金曜日まで毎日学校に行っている。むろん授業は周3日にまとめているが、明治の講義や、委員会の会合、組合、授業の準備、とにかくいろんな雑務があって、出て行かざるを得ない。でも、一番疲れるのがやはり授業だ。

 授業では必ず最後に感想を書かせ、疑問や不満には答えるようにしているが、なかなかこれが大変だ。例えば、地域文化論で、リス族のある家族の貧しいが精神的にはとても豊かであるような、そういうビデオをみせ、あなた方に比べて彼等は幸福だと思うか不幸だと思うかと問いかけた。すると、そういう比較はおかしいという反論が帰ってきた。なかなか鋭い。こういうのを期待しているのだが、説明は大変だ。素直に、文明化された自分たちが、過酷な自然環境の中に生きている人々と比べて必ずしも幸福ではない、という答えを期待して、豊かさとは何か、文化とは何かという問題を引き出す予定なのだが、頭のいい子は、その問の前提から疑ってくる。

 こういう予定外の反応に対して、答えていかなければならない。幸、不幸は主観的だから、そういう比較は無効である、という理屈も当然なりたつ。あるいは、貧しい彼等を幸不幸というまなざしでみることもいいとは言えない。が、他者を知る事って実はそういうことなんだ。つまり、比較してしまうことだ。比較とは、どっちが幸不幸か比べるところまでいきつく。だから他者つまり異世界を「知る」ことはやっかいなのだ。

 でも、この比較があるから、われわれはものを考える。発展途上国の貧しい子供を見て胸が痛むのは、彼等と自分とを幸不幸という基準で比較したからだ。そこから、何が問題でどうしたらいいか考え始める。あるいは、もっと豊かな人々を見れば自分の不幸さに気づき、どうすればいいのか、あるいは本当に不幸なのか、と問いかけるだろう。つまり、幸不幸の基準とは、ただそれだけで世界を判断する基準なら問題だが、そこから、われわれが、他者と出会いその他者とどう付き合っていくのか、それを考えるきっかけなのだと考えれば、とても大事な問いかけなのだ。

 ただ、こういう話をまじめにしていくと半分以上の学生は寝てしまう。いやはや授業は大変だ。

不合理な人間のあり方について考える 04.9.25
 辰巳正明氏の「詩霊論」(笠間書院)の書評を書き終えた。難しい書評だった。特に、知り合いの書評は大変だ。辰巳さんとは以前中国雲南の旅でずっと同室だったし、いろいろとお世話になっている人だし、そういう人の本をあれこれ書評するのは疲れる。でも、実祭書き始めると、遠慮がなくなるのが私の長所であり欠点だ。だから、あれこれ書いてしまった。でも、けっこう面白い本だし、なんていうか、著者が憑かれているように書いている本だ。今、こんな風に本や論を書いている人はそうはいない。それだけですごいと思ってしまう。

  今日、共立で公開講座があり、シンポジウムがあった。テーマは「家族」。生と死をめぐる関係の行方、というものだ。私が司会であり、このシンポジウムのコーディネーターである。三年前に、総合文化研究所で「家族」というテーマで研究プロジェクトを募集し、私がまとめ役を引き受け、その成果をシンポジウムで発表しようと計画を練った。それが今日、やっと実現し、終わった。また一つ肩の荷が下りた。

 このシンポジウムに向けていろいろと家族の勉強をした。四人の発表があり、とても面白かった。一人は、最上川流域の村で、アジアの女性を嫁として迎えた伝統的家族が、今介護という問題に直面しているという報告。二人目は、生殖医療が抱える問題点の報告。去年の出生数は112万人だが、実は、人工中絶は公的な数字として36万人あり、実態はその1.5倍であるということ。これも驚いた。この数が生まれていれば少子化問題は解決したのだ。しかも、その4割が30代、40代の中絶だというのにも驚いた。つまり、家族数の調整として中絶が広がっている、ということだ。

 一方で、生殖技術の発達により、人工授精や体外受精による出産の増加。一方で中絶し、一方で人為的に子供を作る。この何というアンバランス。どっかおかしいと言うべきか。発表者は、生殖医療を支えるのは血縁という絆を求める人の増加だという。つまり、養子でもいいという発想があればこれほど自分の遺伝子や血を受けた子供にこだわらないだろうという。

 3人目は、女子学生に自分の名前の由来を親に聞いてくる、という宿題を与え、その反応を調査した報告。これは案外に面白かった。つまり、名前の由来を聞くというのは、アイデンティティの問題であり、同時に家族という関係と真正面に向き合う行為だ。しかも、とても明るく向き合える。誰も自分の名前を選べない。その選べないことを納得する作業でもある。4人目は、法制度と家族の問題。現在の家族をめぐる法制度は機能していないという。その原因は、政府が、家族の理想モデルを、夫と専業主婦に子供二人、という家族像を想定し、しかも、主婦は将来親を介護する含み資産とみなす、としたことに原因があるという。

 ところが、実態として、夫婦に子供二人という家族モデルは10年前にすでに20%程度しか存在しないという。つまり、実態を反映していないモデルだったということだ。これじゃ、少子化に歯止めがかかるわけがない。先進国で、出生率が増えている国と減っている国があって、勝ち組、負け組というらしいが、勝ち組は、スウエーデン、イギリス、フランス、負け組は、ドイツ、イタリア、日本だそうである。これは私が雑誌で得た知識だが、つまり、かつて戦争で負けた三国同盟がまた負けたのだ。理由は、この三国とも、伝統的家族への執着が強く、それが出生率を減らしていて、むしろ、個人主義の強い国の方が、時代の変化に適応できて、出生率の増加につながっているということらしい。

 なんだよ、また個人主義に負けるのか、というところだが、結局そういうことだ。ただ、家族とは不合理そのものであり、その不合理を、合理的に説明しないで共有することに家族というもののあり方があるのではないか、というのが私の意見だった。例えば、死や病気という人間にとって一番不合理な事態を、無条件に共有してくれるのが家族だ。それが、今では、税金払っているから国は何とかしろ、と言わねばならなくなってしまった。それは良い悪いの問題ではないが、たとえ一人で生きていても、どこかで不合理を共有する関係が、それこそ不合理に存在しなければ、われわれの社会は、辛い社会であろう。

 税金を払ってるから、助けるという合理性で解決されたら、税金払っていない奴は人間扱いされなくなる。誰でも困っている人は助けるというヒューマニズムの問題でなく、身近に死にかかっている奴がいたら助ける、というのは人間の不合理なあり方の問題なのだ、と考えた方がいい。その象徴が家族もしくは疑似家族なのだ。今、こういう不合理そのものの関係が消えつつある。

 例えば、子供の虐待は、このような不合理の負の面だが、それはそれで親を罰しなくてはいけないとしても、だからといって、親子の関係を理想的に説明づけるようなモデルを作って押しつければいいというものではない。

 家族についていろいろ考えさせられたシンポジウムだった。

神懸かるタイプとそうでないタイプ 04.9.13
 ナナの近況。だいぶ体力が弱ってきた。抗ガン剤は毎日飲んでいる。血液のガンなので、腫瘍のようなガンよりは薬は効いているみたいだ。一月の時点で、平均余命10ヶ月ということだつたから、とりあえずは8ヶ月はもった。ただ、かなり貧血気味で、散歩して走ったり坂を駆け上ったりすると、突然倒れたりする。どうもめまいがするのではないかと思う。医者は、赤血球がかなり減ってきている、という。

 つきっきりで毎日面倒を見ている奥さんはやはりナナの元気がないとおなじように元気がなくなる。ほとんど家族同然だから仕方がない。子供がガンにかかっているみたいなものだ。でも、今のところ、前よりは元気がないというだけで、時々呼吸が荒くなって苦しそうにすることはあるが、おおむね普通に生きている。もう13歳だ。犬としては高齢である。生あるものは死ぬ。そういうどうしようもない論理をナナもわたしたちも今受け入れようとしているのだ。

 9月に入って、短歌評論を二本書いた。一つは今橋愛の「O脚の膝」。去年かなり話題になった歌集である。もう一冊は、乙犬拓夫歌集「心願の國」。こちらは、何というか、今橋愛とは対極にある歌集である。神の國日本を賛美する歌がある。むろん、そればかりではないが、そういう歌があってもおかしくない歌集である。本人は自分の歌集を反時代的とあとがきで書いているが、でも、今の時代、こういう歌集も解る気はする。
 今橋愛の歌集は、独り言でおまじないを言っているみたいな歌集だ。例えばこんな歌がある。

わかるとこに
  かぎおいといて
ゆめですか

わたしはわたし
あなたのものだ


本当に歌なのかどうかよくわからないくらい変な歌だ。それでも、すごくつらそうなんだなあという心情だけは伝わってくる不思議な歌だ。こういうのもある。

胃からりんご。
りんごの形のままでそう。
肩はずれそう
この目。とれそう

手や足はしばられていない
今ここにいる。のにここに

どこにもいない

 こういう歌についていけますか。こういう歌を見ると、もうほとんど詩としての言葉の調べとか美なんてどうでもよくて、呪文のように言葉を扱っている。ほとんど詩が切実なおまじないの言葉になっている。評論家としては、こういうのはとても面白い。乙犬氏の歌は次のようなものだ

 身はひくくさあれ心のうつぼつと春楡の幹に耳ふれて立つ
 山法師の花たをやかに咲き満ちてひとはしづかに語りあふぐも 


抒情的でとてもいい歌だ。ただこういう歌もある。

「生命」より「平和」よりなほ貴きもの知らず溶けゆくか國のゆくすゑ

 今橋愛はほとんど呪術みたいな歌だ。乙犬氏は、それこそ抒情的に歌おうとしている。これを万葉集の問題として引き寄せると、今橋愛の歌は、記紀歌謡かそれ以前。乙犬氏の歌は、律令国家成立以降の万葉もしくは古今ということになるか。抒情という感性だけではなく、国家や民族というものも背負おうとしている。乙犬氏は、実は宗教家である。その点に実はとても興味が引かれた。

 宗教家には二つのタイプがある。一つは、神懸かりするタイプ。もう一つは、神懸かりはせず、経典を読み儀式を冷静に取り仕切るタイプ。前者は沖縄ではユタにあたり、後者はノロにあたると言えばよいか。前者は秩序から逸脱するが、後者は、秩序を重んじる。むろん、両方を兼ねる宗教者もいるが、だいたいは二つのタイプに別れる。前者は、社会に有用とされるが、尊敬はされない。後者は、知識人、文化人として社会における一定の地位を得る場合がある。

 こんな風に分けると、だいたいその違いはわかってくると思うが。今橋愛は前者、乙犬氏は後者である。両極端だが、実は二人とも無意識というものに深くかかわっているか、もしくはかかわろうとしている。その意味で、どちらとも、ある意味で、反時代的でありながらとても時代的だ。ただ、言えることは、両者とも今の時代を生きるのに不器用だと言うことだ。

 前者は、引きこもり系だが、後者は、意志的に不器用であろうとしているところがある。むしろ、そこに宗教家としての矜持のようなものがあるのだろう。神という無意識の向こう側にある世界をこの世に顕現させようとするのが宗教家だが、そういう場合、神懸かってしまうと、逆に、神はこの世の側にうまく下りられない。そこに、後者の宗教家の役割がある。この世の普遍的な論理を駆使して、その役割を果たす。前者は、神懸かるという呪術的な行為を通して、無意識の世界に共振するものたちだけに神をあらわす。むろん、これは宗教ということにかぎらず、文学としての問題でも言えることである。

 どちらが好みかというと、前者になってしまうのは、私は後者タイプだろうし(宗教者じゃないが)、神懸かれないから、前者に憧れるということがある。と同時に、前者の、神懸かるようなところへ追い込まれる、つらさのようなものはわかる気がする。どつちが優れている、ということではない。ただ、前者には、文学という枠ではくくりきれない、言葉の原初的な様相が張り付いている。その意味では、解き明かしたい欲求にかられる対象なのである。

中国から無事帰国
  04.9.6
 27日に無事中国から帰国。いやはや疲れた。二週間バスに乗りっぱなしという印象の強い旅だったが、それもこれも怒江に行ったからだ。バスで往復1800キロ走った。怒江の風景も二度目だがやはりすごかった。怒江の町は7年前とそんなに変わっていない。多少近代的なホテルが建ち、観光化がすすんでいて、この辺境の貧しさをなんとかしようという必死さは伝わってきた。

 中日民俗文化学術シンポジウム、という日本と中国のいわゆる国際学会で、それを怒江という奥地でやるもんだから、現地の政府関係者はそれはそれは大変な歓迎ぶりで、われわれのバスをパトカーで先導し、それこそVIP待遇であった。といっても、ホテルの風呂やトイレは新しい割には必ずどこか壊れていて、メンテナンスの無い国なんだなあといつもながら感心したが。

 中国は去年SARS騒ぎで行けなかったので二年ぶりになるが、都市の発展はやはり凄い。雲南の昆明に新しい空港が出来るということで、着実に地方の都市も大きくなっている。ただ、面食らったのは、昆明から楚雄までの高速道路(200キロ)が工事中で通れなかったことだ。何でも車線を広げる工事だそうで、舗装を引っぱがして全面的に作り替えている。来年末まで通れないということだ。

 だから旧道を通らざるを得なかったが、これがひどいでこぼこ道でまつたく大変だった。日本だったら、まず片側車線を工事して、次に片側というように、道路の不通による経済的な損失を最小限に抑えるように工事をすると思うが、道路事情を、経済発展以前の状態に一挙に戻してしまう。何を考えているんだか、よくわからん。

 参ったのは、夜の歌舞団接待攻勢だった民族文化に興味があるから、民族舞踊をみせようというのはよくわかる。とにかく、怒江にいったら、大きな町から村にいたるまで、毎夕食後、歌舞団が出てきて、歌と民族舞踊を見せてくれる。むろん、それなりに、伝統的なものならいいのだが、どれもこれも、きわめてモダンにアレンジしたもので、そのアレンジの仕方が、都市に行けば行くほど洗練されていたのはなるほどと思ったが、要するに、観光客向けのショーといったものなのだ。さすがにこれにはまいった。なにしろ、接待だから断れないのだ。だから買い物に行く時間もない。

 政府の役人の願いは、自分たちの住む地域が外国人にアピールするにはこういう歌舞団の踊りしかない、だからこれをみんなに宣伝して欲しい、ということにあることはよくわかった。もし、ほんとうに外国人に文化財産として見せたいなら、衣装も、踊りも、歌も、よく調査して昔通りのままのものを残し、それを保存する努力のなかで、伝統文化というものを作っていかないと、何が伝統文化何だか、結局は誰もわからなくなって、全体が観光ショーになって結局飽きられるのがおちなのだ。

 それにしても、中国の少数民族居住地域に行くと、歌舞団というものが必ずある。歌舞団が一つの文化的運動として、それなりに社会的な形になっていることがよくわかる。別な見方をすれば、歌舞こそが、少数民族文化というものの、中国社会における浸透力を形成している重要な一つであるということだ。中国は、歌舞団が好きな国なのだ。

 新建村というリス族の村に訪問したとき、村の歌舞団が歌や踊りを披露してくれた。ある意味でこれが一番よかった。民族衣装を着た村の老人達の歌はほんとうに素朴だったし、村の人気者であろう、若者が、日本のジャニーズ系のような格好ででてきて、ポップスを歌ったりしたのもよかったし、村の聖歌隊が出てきて賛美歌をうたったのもよかった。ちなみにリス族はほとんどがキリスト教である。

 今回は文化調査というよりは、社会の生態調査だった。地方の役人の様子も、村人の歌舞団もとても面白かった。まあ、向こうの役人に仕切られた豪華な接待旅行(接待といっても費用はわれわれが払っているんだが)だったので、調査などということはできなかったが、これはこれでもともと学会のシンポジウムに付随した旅行だから仕方がないだろう。

 でも、私は、リス族や怒族、チベット族の民族衣装を買い込んできた。今回の旅行はこれが収穫だった。六庫の町の民族衣装を作って売っている店で、リス族の民族衣装を買ったのだが、見本の服を、ミシンをかけていた娘が着てくれた。その姿を見て、私と同行したKさんは、その美しさに思わず息をのんだ。舞台で民族衣装を着たきれいな女性がいくら出てきても驚かないが、目の前でミシンをかけていた普通の娘が、突然民族衣装を着て美しく変身したので驚いたのだ。やはり民族衣装とはハレの衣装だと感じた。その娘の姿に見惚れ、私とKさんは二人とも向こうの言い値で衣装を買ってしまった。

 昆明に帰って、25日に最後の晩餐会という接待を受けた。何でも、江沢民も来たとかいうレストランで、豪華なディナーショウが売り物である。そのショーとはやはり歌舞団による少数民族の創作舞踊である。とにかく、その豪華絢爛な派手さには驚いた。大都市になると、歌舞団はここまで派手にきらびやかになる、その見本であった。面白かったので、歌舞団のVCDというものを買ってきた(ちなみにパソコンでソフトをダウンロードすると見られます)。

 とにかく、いろろいあって、何とか帰国。昆明の飛行場で、学会に参加した日本の学者が、昆明で買った金属製で漢字の彫ってある小物入れが、中国の係官にとがめられ、没収されそうになった。中国は骨董品の持ち出しを禁じているので、骨董品と見られたらしい。その人は、係官とのやり取りの中でだんだんと興奮してきて、仕舞いに、その小物入れを足で踏んづけて潰してしまった。それを見ていて、みんなはらはら心配した。あの人、一緒に帰れないんじゃないか、と思ったのだが、どうやらぎりぎりで飛行機に乗ってきたので、安心した。

 帰国した次の日に仕事。オープンキャンパスで模擬授業。「千と千尋の神隠し論」をやった。むろん、好評。こういうのには自信がある。だてに予備校で稼いでいたのではない。29日から原稿を書き始め、「多和田葉子論」を一本(30枚)何とか月末までに仕上げた。それから、歌誌月光の「短歌時評」を(14枚)5日に書き終えた。むろん、準備は中国に行く前にしておいたとはいえ、ハードな作業であった。

 10枚前後の短い原稿だが、実は、9月中にあと三本書かなきゃいけない。まあ、なんとかなるだろう。
 
問題はサッカーを見に行けない中国の若者の側にある  04.8.12
 明日から中国へ行くというのに、風邪を引いてしまった。たいした風邪じゃないが、真夏日の風邪はけっこう不思議な感覚だ。空気が暑いのか自分の身体が熱いのかよくわらなくなる。周囲が暑いので、身体のだるさも、こういうものなのだと思える。風邪を引くなら真夏日に限る。身体を温める必要はないし、けっこうハイになれるよ。

 原因はよく分からないのだが、運動のしすぎかも知れない。何しろ、血圧が高いので、運動しようと、休みに入って、スポーツクラブに通ったり、毎日腕立て伏せをしていたのだが、どうも無理をしすぎた、というところか。こういうことは急にやってはいけないし、ほどほどがいいのだが、それが出来ない。

 中国へ二週間も行くのだが、今度は、シンポジウムがあって発表しなくてはいけないので、あんまり楽しいという気はしない。それにしても、中国は、まだまだ遠い国だな、という気がする。

 アジアカップでの、中国の若者の騒ぎぶりは困ったものだが、かつて、日本で一部の左翼が唱えた「反米愛国」を思い出した。「愛と憎しみのアメリカ」という言い方もあった。政治的な意識や、ナショナリズムだけで物事を捉えると、ほんとうのところは見えない。中国の若者があれだけ日本を憎んでいたとしても、日本文化は、かつてのアメリカ文化が日本の若者を捉えたように中国の若者を捉えているのは事実である。むろん、日本文化がいいから捉えたのではなく、日本文化は資本主義的な消費文化において、中国より先んじているからである。

 反日教育がどうのこうのと云われているが、日本が戦争に負けたとき、徹底して反米教育を受けた日本人がアメリカをあれほど好きになったのを見ればわかるように、イデオロギー教育の効果というのは、その時の権力の支配力の強さに比例するのであって、権力が弱まれば、人々は自分の受けた教育などすぐに忘れるのである。それは、中国の若者だって同じなのだ。

 中国の若者がサッカーでストレスを発散させついでに反日スローガンを叫ぶのは、政治的な行動より世俗的な快楽を優先させているだけなのだ。反日を根深い歴史の問題と論じるのもおかしい。それなら、もっと上の世代が同じ行動を起こさなくてはいけない。むしろ、小泉や石原のような反中国政治家や、日本の保守に対する、中国の現在の日本への政治的なストレスを一つの口実に若者は騒いでいるに過ぎないだろう。

 むしろ、あの騒ぎは、中国人が欧米化したあらわれなのであって、たまたま日本がその不満のはけ口にされたのだ、というくらいの受け止め方でいいのではないか。むろん、その原因を作ったのは、中国の苛立ちを承知で靖国参拝を繰り返す小泉にもあるのだ。

 国歌を歌う時中国の若者がブーイングをするのはけしからんと、多くの日本人は言うが、一方で、日本の学校での君が代強制にあれほど反対しているではないか。あのブーイングは正しいという奴がいるかと思ったらこういう時は誰も言わない。結局、中国が相手になると、みんな愛国主義になるのか。

 あのくらい、ゆるしてやりゃあいいじゃないか。それが大人ってもんだろう。中国の奥地に行ってみりゃいい。ほんとに貧しい人々がけなげに一生懸命に生きている。そういう膨大な人々を背景にあの若者たちの苛立ちはあるのだ。その貧しさを生み出した歴史的な原因にわれわれも一枚かんでいるのだ。サッカーの試合でブーイングされたぐらいであんまり目くじらを立てるべきではないと思うが。

 別に中国の肩をもつわけじゃないが、国家という単位でものを見ると、大事なことが見えなくなる。中国には、何億という日本の人口のより遙かに多い人達が、まだまだ貧困にある。アジアとはそういう地域である。中国でサッカー見に行く若者はだいたい裕福な連中だ。そうでない若者の方が圧倒的に多い。そっちを見なきゃいけない。

 サッカーで不満をぶつける連中は、ナショナリズムのような生活とは結びつかないアイデンティティによって満足してしまうところがある。日本が彼等のナショナリズムを持ち上げれば簡単に解決してしまう問題なのだ。が、貧しい人々は違う。彼等をどう救うかは、すでにグローバリズムの問題になっている。こちらには解決がない。彼等にどうやつてサッカーを楽しんでもらうのか。日本は、そういう助言を中国政府にすべきであって、つまり、日本は、サッカーを見に来ていない貧しい人々に関心があることを積極的に言うべきだろう。中国政府は大きなお世話というだろうが、国と国との関係とは、現在そこまで深く入り込まざるを得なくなっている、ということを、中国は理解するべきだし、日本もそう主張すべきなのだ。それが、グローバリズムにおける国と国との関係なのだ。

 国のメンツとか、ナショナリズムなどにあまりこだわるべきではない。

中国とプロ野球問題 04.7.25
 ようやく前期の授業も終わり、夏休みというところだが、そうは簡単には休めない。この時期、実はとても忙しい。雑務はたくさんある。むろん、原稿書きもある。来月の13日から雲南省へ行く準備でまた忙しい。考えてみればオリンピックの期間中中国に行っていることになる。ということは、オリンピックは中国のテレビで見ることになる。ということは、中国の選手のことは解っても日本の選手の活躍は解らないということだ。でも、別にどうでもいいや。日本が金メダル何個とろうとあんまり興味はない。

 マラソンは高橋尚子が出られなくなったからあんまり興味がわかないし、野球だって、オリンピックに行ってる場合か、て言いたくなるし。サッカーも今日の試合見てると情けないし。結局、柔道とかレスリングという、華のない格闘技しか話題はないんだよな、今度のオリンピックは。

 それよりスポーツは、プロ野球がどうなるんだろうとかいう話の方が面白い。1リーグ制とか2リーグ制という話でもめているけど、解決策を思案。要するに、元凶は巨人なんだから、この際、巨人を除いた全球団が巨人抜きで新しいリーグを作りゃいいのだ。こういう発想はたぶん誰もしていないだろう。

 要するに貧しい球団が結束してブルジョア巨人を打倒するわけだが、みんなで仲間はずれにすりゃあ話は簡単だ。巨人1球団残ったって潰れるしかないから。そこで、巨人の財産である選手をみんなで山分けにして、戦力を均衡させて、新しいリーグを作ればいい。むろん、2リーグでもいい。問題は、巨人におんぶにだっこの体質を変えることにあるとすればそれしかない。最初は、巨人がないと人気は落ちるが、やがて復活すると思う。

 それから企業名もそろそろ球団名から無くすべきだろう。そういう点は、アメリカのメジャーリーグを学ぶべきだ。高度成長期に発展していったプロ野球は、高度成長を担った企業に支えられた。が、それは、日本の企業が国際的な競争をしなくてもよかった時代の話だ。つまり、日本の共同体は、終身雇用の企業の共同体でもあつた。その共同体内部での内向きのリーグ戦みたいな競争をしていればよかった。だから、企業名のついた球団を違和感なく日本人は応援していた。

 が、今は違う。競争は外との競争であり、企業は、リーグ戦みたいな競争をやっていては生き残れなくなる。企業は、終身雇用を保てなくなり、企業に属することが日本共同体に属すという幻想が崩れた。こうなれば、企業名を冠した球団を誰が応援するだろうか。それは企業にも言え、赤字までだして球団を支える理由がなくなってきている。

 要するに、戦後日本を支えた、企業による共同体意識が今崩壊しているのであり、その共同体意識によって支えられてきたプロ野球もまた崩壊しつつある、ということなのだ。従って、この崩壊を免れるためには、その共同体の象徴そのものである巨人を、内部から解体しないといけない。それでないと改革は無理だろう。が、ナベツネに引導を渡せる奴はいないだろうな。だからこの案も無理は無理だ。

 構造改革というのは結局皆同じ事だ。プロ野球だけじゃなくて、日本だって同じだ。構造そのものが現実と合わなくなってきたとき、旧い構造の象徴をいかに内部から解体するかが、改革というもので、それは日本人にとって一番苦手なことなのだ。小泉の構造改革だってうまくいいっているわけじゃない。うちの大学も今改革をやろうとしているが、やっぱり、そんなにうまくいっている訳じゃない。

 結局、もういよいよ終わりだ、というような危機的状況に追い込まれるか、黒船のような強力な外部の力に頼るしかなかなか改革は出来ないと言うことだ。日本はアメリカの後を追ってきた、ということからすれば、プロ野球の解決策は、メジャーリーグのまねをするしかない。それが妥当なところだろう。

 企業名をはずし、フランチャイズを徹底し、戦力の均衡や、資金の分配等、競争と互助とのバランスをうまくとるしかない。みんなが巨人と試合をしてその分け前で維持するリーグなんて崩壊するのは目に見えている。

 それでだめなら、中国しかない。中国に野球を根付かせ、中国人の有名な野球選手を育て、さらには中国の球団も作りながら、中国の放映権料や、中国マネーをあてにするしかないだろう。今日、中国のリサイクル産業が、日本のゴミ問題を解決している、という特番をNHKでやっていた。日本人は、すでに埋め立てたゴミまで掘り起こして中国に売ろうとしている。中国によって日本のゴミ問題が解決出来るのなら、プロ野球問題だって解決出来るだろう。もう中国なしでは生きていけそうにもない気がする、日本は。

機会の均等と品性の問題  04.7.2
 「銀河鉄道の夜」論脱稿。しかしよく書けたなあ、中身はともかくなのだが、自分で感心する。洋々社で出しているシリーズの雑誌「宮沢賢治」に掲載予定。今年に入ってから、4本書いた。正月に「首の贈与論」というワ族の首狩り儀礼に関する論文。それから、1月は「アジア遊学」へ「白族の歌垣論」、五月は、「本多秋五とマルクス主義」これが一番きつかった。何しろ、本多秋五をまともに読んだことがないのだから。それでも、3ヶ月で論を書くのは、たいしたものだ(ほめてどうする)。そして、「銀河鉄道の夜」論だ。

 実は、この後、多和田葉子と川上弘美の論を書かなきゃいけない。8月末締め切りだが、8月は中国へ行っているので、もう書き出さないと遅い。9月ににも確か2本ほど、短い原稿だが書かなきゃいけない。むろん、短歌時評も二本書いたし、また書かなきゃ行けない。年末に「古代文学」の原稿が一本あるから、今年は何本書くのだろう。こういうのってなんかおかしい気がする。私は物書きでもないし(そう評する人もいるが)、一応、古代文学の研究者なんだけど、誰もそう思っていないのだなあ。思ってないから、本多秋五の原稿依頼なんかが来るのだ。

 8月に中国の雲南大学で、中日民俗文化シンポジウムが開かれ、学会の事務局として、今そのとりまとめをやっているのだが、結構忙しい。だが、忙しいことは、年中書いているので、狼少年と同じでもう誰も信用してくれない。この間なんか、学内の重要な会議をすっぽかした。あんまり忙しいので、たぶん、無意識にその会議の予定をメモするのを怠ったのだろう。顰蹙をかったが、まあいいや。だいたい会議の出過ぎなんだ私は。

 しかし、最近の中国はすごい。これは中国ではなく、台湾の話だったが、今日、観光に来ていた台湾の女子大生が日本の無職の若者によって殺されたというニュースがあった。なんか逆だよなあ、と思ったのは私だけではないだろう。いつのまにアジアの女子大生を、日本の若者が狙うようになったのか。昔は、日本からアジアに出かける無防備な日本の女子大生を貧しいアジアの若者が狙ったのではなかったか。この逆転の意味するところは何だろう。

 中国の話に戻るが、数年前、日本の保守の論客は、資本主義によって統制のきかなくなる中国は五つくらいに分裂するなどと書いていた。かつての軍閥支配の歴史をあてはめたのだろうが、どこが分裂だ。それは嘘だったようだ。今、中国はいけいけ路線で、分裂の気配なんかちっともない。むしろ、中国特需のおかげで、日本は経済的に潤っていて、中国さまさまじゃないか。

 むろん、中国の貧富の差は半端じゃない。貧しい少数民族の調査をしている私はその現状を目の当たりにしている。が、だから中国は今元気なのだ。アメリカもそうだが、アメリカも貧富の差は激しい。実は、そのことがアメリカを支えている。つまり、中国もアメリカも、貧富の差を抱え込むことで、膨大な上昇へのエネルギーを引き出している国なのだ。私は、アメリカを史上最強の発展途上国と呼んでいるのだが、中国もそうである。

 アメリカは世界からあるいは地続きの中南米から大量の移民が流入し、耐えず貧富の差を生み出す構造にある。中国は、アメリカの何倍もの人口を抱え込んで、農村部から絶えず都市に移民が押し寄せ、これも、絶えず貧富の差を生み出す。そして、重要なのは、どちらも成功幻想が充満している国だということだ。

 一攫千金の幻想は、今アジアでは中国人が一番多く持っている。それだけ、才覚があれば、一夜で金持ちになれる国なのだ。それはアメリカも同じである。何故同じなのか不思議なのだが、中国は、共産革命で、いったん、伝統的財閥を根絶やしにして、13億の国民を金儲け競争の同じスタートラインに立たせたのだ。まさに、共産主義は、機会の均等という資本主義の理想をかなえさせた。皮肉な話である。資本主義を成功させるには、いったん共産革命にして、みんなを同じスタートラインに立たせて、一声に競争させればいいわけだ。実は、移民の国アメリカも全員が移民であることでスタートラインは最初から平等だった。黒人を除いては。

 つまり、機会の均等と貧富の差が、すさまじい上昇志向のエネルギーを生んでいるのだ。それに比べて、日本は、強い上昇志向を失ってしまった。ある意味でいいことだが、経済効果という点においてそれは衰退の原因だ。今、日本では機会の均等さえも失われつつあると言われている。日本近代の官僚システムにいいところがあれとすれば、それは機会の均等を与えたということだった。貧しい少年が、苦学して成功する話がかつての日本にはあった。そういう美談を支えたのは、試験で評価するのに、身分や貧富の基準をいれなかった官僚システムだったろう。

 現代日本の美談はヤンキーだった少年が改心して一念発起し、教師とか弁護士とかになって、人のために尽くすというものだ。これは、むしろ、官僚システムが日本人の重荷になって、そのシステムから外れた者が、努力して成功する物語だ。機会均等のシステムからはじき出されたものたちの成功譚と言っていい。でも彼等は結局官僚システムに戻ってくるのだから、陰謀めいた美談という気がしないではない。ベンチャー企業家だって、ほとんどは高学歴のビジネススクール出身者だ。日本では、一攫千金幻想はもう消えてしまったといってよい。

 従来の機会の均等が崩れつつあるのは、例えば試験などでもそうだ。今の試験はだんだん人を見るようになってきて、貧しくて育ちが悪い奴はそれだけで試験を受けられないようになってきている。一種の階級社会化現象なのだろうが、親が努力して得た心地よさはその子供も享受されるべき、という発想が案外にはびこっている。要するに、日本人の誰もが、新しく何かを始めて利益を生もうとするよりも、高度成長時代に獲得した既得権益を守ろうと必死なのだ。だから、貧しい奴と豊かな自分の子供が平等なスタートラインに立つのを拒否するのだ。

 別に競争による活力なんかいらないけれども、品性の貧しくなるのはこまったものだ。今日本人が中国人に誇れるのは、金儲け主義に走らないでも競争社会の中で豊かに生活を楽しめる品性の良さである。これがなくなったら、日本人に誇れるものはないだろう。でも、最近無くなってきている気がする。

宮沢賢治と幼児の自己嫌悪  04.6.8
 今のところ、何とか風邪を引かないですんでいる。3月にスポーツクラブに通って体力を付けた成果もしれない。月一万払っているのだが、五月は一度もいけなかった。たまの休みは疲れ果て運動どころじゃないのだ。実は、今行っているスポーツクラブに入るのは3回目で、いつも、忙しくて行けなくなり結果的に辞めている。入るきっかけは、いつも同じで医者からコレステロールが高い運動しろ、と言われるのが理由。仕事を辞めろ、と言わないのは、当然だが、それが実は一番の解決策。暇になって毎日散歩してそして貧乏になれば、コレステロールは絶対に高くならない。

 今、宮沢賢治を読んでいる。今月末までに20枚書かなきゃいけない。それにしても、「よだかの星」も「ひかりの素足」も「銀河鉄道の夜」もなんて悲しい話なんだろう。最近ちょっと疲れて鬱気味の時に読むととてもこたえる。主人公はなんでいつもあの世に行くのか。この世とあの世との往復運動みたいな物語ばっかりなのが宮沢賢治の童話だが、読んで疲れるのは、この世に存在することのつらさのようなものが、これでもかといわんばかりに語られるところだ。

 仏教の説教なら聞き流せるが、「よだかの星」のように語られると身につまされる。なんて言うのか、まだ社会で様々な体験もしていない幼児が、生きていることが余分なことで辛い以外なにものでもないと絶望する気分のようだ。つまりだ、自分が醜いからといって、いじめられたからといって、たいていはやりなおせる、あるいは、それを何とか克服して生きているものだ。が、そこで、そういう状況を絶対的なものにみなして、あの世に行って星になってしまうのは、やるせない。

 宮沢賢治の物語は悲しく美しいが、その裏側には何かに対するものすごい嫌悪がある。その何かというのが、生であることは間違いない。その生とは、ただ生きる、生活する生のことだ。宮沢賢治の激しい宗教的な感性は、その生への嫌悪とたぶん見合っていよう。他の存在より、過剰な生きる力を生来もってしまった「よだか」は、結局自分を激しく嫌悪し、死んで星になるしかなかった。宮沢賢治の主人公が美しいのは、死ぬときにどうせ死ぬのだから誰かを巻き添えにしてやろうなどと決して思わないところだ。むしろ、カンパネルラのように自己犠牲の死ですらある。

 同級生の女の子を殺した長崎の小六の女の子は、宮沢賢治の描く主人公の対極にあるが、実は、よく似ている。まだ生活というものを知らない、つまり、いくらでもやり直しのきくいい加減な世界を知らない。その幼児的なレベルで、自分(もしくは他者、が結局は自分)という存在を嫌悪してしまったのだ。幼児がが自分を嫌悪したらどうなるのか。

 たぶん、とても宗教的な世界、宮沢賢治のような、あるいは、とても残虐な世界(これも宗教的か)、例えばバトルロワイヤルのような、そういう死と直結した世界しか無いような気がする。つまり、人間の無意識が抱え込んできた生の対極にあるあの世のイメージに、絡め取られるしか、自分を嫌悪した幼児はもう生きようがない。たぶん、小六の女の子は、宮沢賢治でなく、バトルロワイヤルを選んだ。そこは、死が満ちている世界だったからだ。

 青年期の自己嫌悪はまだ救いがある。が、幼児の自己嫌悪は、これは、やっかいだと思う。ある意味で病のようなものだ。普通、自己嫌悪は社会性を身につけ始めたときに訪れる。幼児の自己嫌悪はそういうレベルを越えている。それこそ、世界そのものの自己嫌悪に直結する。

 この事件については、人間の時間のバランスが決定的に崩れている、という印象しかいまのところない。幼児が自己を嫌悪するようになった時代をわれわれは今生きているのだ。が、宮沢賢治もまた、自分の言語表現において、幼児の自己嫌悪を描いたのだと思う。幼児だからこそ、星になれる。そこには奇跡が起こる。宗教的な感性とは、世俗にまみれて生きている人間の自己嫌悪を幼児の自己嫌悪までもっていくことだ、と言えるかも知れない。しかし、実際に幼児が自己嫌悪するということは、凄惨なものなのだ。

 
新しいプロレタリア文学と抑制の美学  04.5.31
 ほとんど休みの無かった五月もようやく終わろうとしている。6月になると、もっときつい。6月は休日がほとんどないし、暑いしで、だいたいばてる。過去の時評を見ると、6月に恒例のように風邪を引いている。ほとんど同じ時期に、しかも冷房が原因とある。たぶん今年も引くだろう。

 暑くなって身体が疲れると、湿疹が出来る。これには今苦しんでいる。これ以上働くなというサインなのだろうが、そう簡単に言うことを聞くわけにはいかない。これはサガなのだ。これ以上生きるな、というサインが出る前には、仕事を辞めようと思ってはいるが。考えて見ると、わわれわれの職業は、定年になって、そこでおしまいというようにはいかないようである。それがおかしい。つまり、死ぬまで研究しないといけないらしい。定年になったら、田舎にでも移り住んで、静かに暮らすなどというようにはいかないらしいのだ。もっとも、今のところ、定年は70(そのうち65になるが)だから、定年まで生きられるかこころもとないのだが(こうやって愚痴を言って長生きする手もある)。

 そう言えば、島田雅彦が、朝日新聞の文芸時評で、新しい「プロレタリア文学」があらわれたと書いていた。つまり、最近の戦争や政治が話題になる季節では、文学もそういう事を積極的に扱わないといけないという考えが島田雅彦は持っているらしく、それで、そういう話題を扱う作品をそう形容した、ということだ。

 島田雅彦は嫌いじゃないが、こういう政治がらみのことは鈍感だと思う。「プロレタリア文学」などというものはない。ただの「文学作品」があっただけであり、あったとすれば「プロレタリア文学運動」という運動」があっただけだというのが、プロレタリア文学運動に対するだいたいの評価である。文学作品が、政治や戦争の事を積極的に扱うのはそこに切実さがある限り当然のことだ。が、そういう作品を「何々文学」としてひとくくりにすることは何も生まない。そういうことに鈍感であるということである。

 還暦ジャーナリストの橋田さんとその甥のジャーナリストがイラクで殺された。見事な自己責任の取り方だった。特に、橋田さんはテレビによく出ていた人だから、自分が死んだら、本望だと言ってくれと家族には伝えてある、と言っていた人だから、さすがの日本人も、満足したのではないか。満足というのは変だが、なんか、日本人の美学みたいなものを見せられた気がして、かっこいいのだけれど、かっこよすぎると言う気はしないではない。

 橋田さんの奥さんは、時折笑みを浮かべながら夫の覚悟を語っていた。この毅然とした姿に感動した人も多かったろう。確か、植田直巳が遭難したときも、奥さんが笑みを浮かべながら記者会見していて、みんな感動した。こういう悲しみをこらえた笑みをテレビで見るのは二度目である。

 だが、天の邪鬼な見方をすれば、こういう笑みは、日本人の「情」への複雑な態度が生み出したものなのだ。家族が情をあからさまにすれば、われわれはその情に揺さぶられる。一方で、揺さぶられた分だけの代償をどこかにもとめなければならない。イラク人質事件の時は、それが家族へのバッシングに変わった。今度の北朝鮮の問題も同じだ。最悪の北朝鮮訪問である、と言って小泉首相を攻撃した被害者家族は、世間から攻撃された。世間は彼等に同情したのだから、彼等は可哀想なままにいなくてはならない。人を批判してはいけないのだ。これが日本の世間というものなのだ。

 日本人の情にとって、一番理想なのは、同情される立場にありながら、同情されるような隙を見せないことだ。今度の橋田さんの奥さんがそういう態度をとった。こういう態度は、日本人の情に対する期待が生み出したものなのだ。情を持ち出さなければ、持ち出した分の代償を要求する必要もない。悲しいはずなのにその悲しさを人に見せなければ、こちらは情を発動できない。そういう時は、相手を立派だと思うしかない。いつのまにか日本人はそれを美学として鍛えた。

 こういうのを抑制の美学というのだろうか。個人的には悪くはないと思うが、それは、私も、情をあからさまにしたときの後の対応の面倒さに嫌気がさすからだ。だが、本当は、悲しいときは、大声で泣くことの方がいいのではないだろうか。泣けるのは、その感情を受け止める確かな関係(ある意味では共同体)があるからである。そういう関係がないから、人前で感情をあからさまにすると、後に何を要求されるかわからないから、今、人はあからさまに泣けないのではないか。

 韓国の人達を見ていると、家族が死ぬと、みんなあからさまに号泣する。それは、号泣する人達を支える関係(社会)がしっかりしているからだ。その点がうらやましいと思う。いや、日本以外ではみんなそうなのではないか。

 家族が死んだとき、号泣し、何故死ななきゃならなかったのか、と罵倒の言葉を叫ぶことがあってもいいのではないか。それを受け止める懐の深さが何故われわれの社会にはないのだろう。われわれは、じっと耐える美学を要求し、泣き叫ぶなら、誰も恨まず、自己責任だと自分で納得することを要求する。これは、やはり人間しいうものに対して、辛くあたる社会であると言える。いい社会とは言えないのではないか。

漁師がおまえの魚の取り方は国家に批判的でないからだめだと言う時代に  04.5.19
 14日〜16日は上代文学会の大会で奈良へ行った。久しぶりの奈良で息抜きと考えたが、三輪山へ行っただけで、ほとんどホテルで原稿書いていた。わざわざ持って行ったノートパソコンが重かった。上代の大会は盛況だった。世の中にこんなたくさんの研究者がいるのだといつもながら驚かされる。日曜に大雨の中慌ただしく帰ってきたが、印象は、天理を通ったとき、電車から「メゾンレイ」と書かれたアパートが見えた。あの「レイ」は「霊」なのだろうか。それだけが気になった。

 おかげで奈良で、本多秋五のプロレタリア文学運動当時のことを題材にした論文を書き終えた。いい出来ではなかったが、何とか本多秋五の本質のようなものは書けたのではないか。この論の最初に、何故この論文を引き受けたのか、いろいろと理屈を書いた。それは、今「政治の優位」の時代になってきていることに危惧を抱いていて、もう一度「政治の優位」の時代を振り返るのも悪くはないな、と思ったからだということである。

 湾岸戦争の時でもそうだし、今度のイラク戦争でもそうだが、文学者が積極的に政治的な発言をするようになってきた。それ自体悪いことではない。歓迎すべき事であるが、問題は、個人としての発言ではなく「文学」というある種の特権性を利用している(政治的振る舞い)ということなのだ。

 例えば、最近、日本という国民国家形成に無自覚な文学者への批判が盛んであるが、そういう批判的言説を学会や書評で研究者への攻撃として投げかけるのをよく見かける。批判自体は大いにやるべきだが、ただこういう批判はどこかうさんくさいところがある。というのは、それは、時に政治ではないかと思うからだ。

 最近多い批判は、言説が国民国家に無自覚であるとか、無批判であるとかいうものだ。つまり、体制に取り込まれたり国家の侵略に一役買っている自分の言説を自覚せい、というものだ。要するに啓蒙主義なのだと思う。何故啓蒙するかというと、ある立場へと導きたいからだ。それは、個人として、自由で、国家の権威に批判的で、どんな差別も許さない、かっこのいい生き方である。

 むろん、そういう啓蒙主義があったってかまわない。ただ、私の近くでやられたくはないと思う。迷惑だ。おそらく私だって無自覚だろう。そのうち私も批判されるのだろうが、おいおいわかった、俺は自由なんかいらないからほっといてくれと言うしかない。

 文学研究者なんて批判したところで何にもなりゃしないというのが文学研究者のまねごとをしている私の結論である。というより、そんな連中を相手にしている革命?理論なんて、信用できはしない。昭和初期のプロレタリア文学運動だって同じなのだ。革命やるなら一人の個人として、文学をたまたま職業として選んでいる一人の個人としてやりゃよかったのだ。何で「文学運動」なんてするのか。そこには文学を特権化したい政治的思考がある。

 農民が前衛的な野菜を作ったって、大工が前衛的な建物を建てたって、革命には結びつかないだろうが、文学者が前衛的な作品を書けば革命に近づくと本気に思っていたのだ。笑ってはいけない。今でもそんなにかわりはしないのだ。

 文学作品や文学研究の言説に国民国家的に無自覚な言説を見いだし、それは問題あると攻撃するのは、野菜を作っている人におまえの野菜はうまいと評判だが、国民国家に無自覚な作り方をしているからだめなんだと非難するようなものではないか。つまり、そういう作り方をすれば世の中はよくなると考える。国民国家に批判的な言説であれば世の中はよくなる、という単純な思考がまかり通って、様々な批判の言説が飛び交う。党のための文学を書かない奴は芸術家として失格だ、と本気で言っていた時代とそんな変わりはしないではないか。

 つまりそう批判すれば、野菜作りは特権化される。そうやって「文学」というものをどこかで特権化しているのだ。むろん、野菜作りと文学は違う、というのは当然だ。言語表現を生業とするのは、自らに注意深くあるべきで、ここで言語表現を使ってあれこれ悪口言うのも、野菜作りと違うと思っているからだ。だが、人を批判しながら自らを巧みに特権的なものにしていく、というのはやはりおかしいと思うし、それはおかしいと言うべきだと思うのだ。

 本気で文学研究という内部で革命を信じている奴がまだいるのかもしれない。革命とはいわないまでも、文学研究という内部で世の中をよくしたいという幻想を持っている奴が居るかもしれない。悪いことはいわない。文学研究など止めた方がいい。まじめに働いてあるいはまじめに生活して、自分の働いているあるいは生活しているその現場で、理不尽なことに怒りそれを解決した方がよっぽど社会をよくすることにつながる。

 もっと政治的な立場で社会をよくしたいのなら、市民運動でも、何でもやればいい。ただ、それは一人の市民として生活者として、声を出していくということだ。その場合、政治的ではない他人、もしくは、反対の政治的な立場の人間に対して、権力的に対峙しないというのが、一番重要なことだ。権力的に対峙するということは、相手を自分の信じるある立場から一方的に断罪することである。つまり、自分の側こそが絶対的な位置にいることを相手に突きつけ、そのことで自分を優位に立たせる手法だ。

 こういう権力的な手法では何も生まないし、逆に人間を荒廃させたという痛手から、どうもわれわれはまだ立ち直っていない。だから、同じような事を繰り返す連中がいると、私などはつい過敏になって悪口を言いたくなる。文学研究というのは、どうしても権威もしくはある真理的立場というヒエラルキーで成り立つ世界だ。その権威が権力になる。その権力を利用して他人の言説の無自覚さを攻撃している連中はみんな出世して、それなりに権威になっている。権威を批判する奴が今一番権威になるというこの矛盾に鈍感である、ということに私などが彼等をうさんくさいと思う理由がある。まあ、これは権威などとほど遠い私のやっかみも入っているが。私の批判などどんな権威も依拠してないからいつも愚痴みたいなものだ。

 大工でもサラリーマンでも漁師でも職業に関係なくいろいろと言いたいことが言える社会がくるといいのだが。文学研究とか、知的な職業の連中は、自分の職業の習熟に対して、革命的だとか、国家に批判的でないとか、そういう判断をし、それがまかり通る。漁師がおまえの魚の取り方は、国家に批判的でないからだめだ、というのがおかしいようにそれはおかしいと、まっとうに言える時代が早くこないものか。

情の国日本の行く末 04.5.1
いよいよ連休だ。といっても、私に連休はない。1日は、古代文学会の例会。5日はNHK出演。教育テレビでの福島泰樹の短歌コーナーにゲスト出演。初めてのテレビ出演である。確か、5月22日の朝7時半から放映予定。早起きの人は見てください。2、3、4日は原稿書き。一本書く予定。

 世間ではまだ「自己責任」で騒いでいる。この問題は本当はそんなところにはないのに。かつて浅間山荘に連合赤軍が立てこもったとき、管理人夫婦が人質になり、助け出そうとした警官が死亡した。日本のテレビは全部それを中継していた。ようやく助け出された管理人の奥さんの第一声が、確か何かを食べたいという言葉だった。それを聞いた国民は、警官が死んでいるのになんてことをいうんだ、まず助けようと努力した人達に感謝とねぎらいの言葉を言うべきだと、その奥さんを攻撃した。しばらくその管理人は人前に出られなかった。そう記憶している(この記憶は定かではないのだが、私の身近に管理人に憤慨していたおばさんがいたのは確かだ)。

 人質にされて、死ぬ思いをしてやっと助け出されて、正直にその時の思いを口にしたらみんなからバッシングを受ける。つらい世の中である。日本という国は、どんな時でも、世間への気遣いを怠ると報いを受ける国なのだ。

 ヴェネディクトの「菊と刀」という日本人論があるが、そこで描かれているのは、日本人の情とか義理というのは、一種の互酬制度だということである。つまり、情を受けたらそれを返さなくてはいけない、そうしないと、義理を欠いたことになり、復讐される。恥もそうだ。いわば貨幣のように情とか義理というのが、やりとりされ、そのことで社会のバランスがとれている。「菊と刀」は実はそういうことをあきらかにしている点でとても面白い本である。

 今度のこともある意味でそうだ。人質になった人達や家族に、人々は心配した。情という貨幣を支払った。当然、その対価を受け取らなければおさまらない。その対価とは、人質が情を支払った国や世間にごめんなさいと謝ることである。対価を支払って貰わないと、バランスを欠く。ところが、人質も、家族も、心から謝るそぶりがない。自分たちはいいことをしているなどと思っている。これでは、高ぶらせた情緒のおさめどころがない。バランスを取り戻すためには、義理を欠いたあの連中をいじめなくてはならない。「自己責任」という言葉の内容はよく分からないが、とにかくいじめるのには良さそうな言葉だ。だから、「自己責任」でいじめよう。これでバランスがとれる。

 とまあ、このように政府も国民も反応した。「菊と刀」で指摘された日本の伝統は守られたのだ。こう言ってしまうと、日本はなんてひどい国だろうと思うだろう。確かに、いいとは言えない。人質や家族の心を思いやるという「気遣い」の日本的伝統はここではあまり発揮されなかったからだ。日本はいまだ情の国であることがわかる。ただし、私は必ずしも全部悪いといってしまうことはできないとも思っている。

 実は、私個人はボランティアは好きではない。やっている人を偉いとは思うが、自分では出来ない。家族や犬や、教え子や、友人や、とにかく身の回りの人達へのボランティア(失礼)でとてもじゃないが手一杯だからだ。それに、私は、ボランティア精神のあの理想主義の行き着く先には、世界の困っている人達を、自分の国のようにすることで救おうという、アメリカ的な啓蒙主義に行き着きかねないところがあると思っている。ネオコンの、悪い奴は戦争してでもやっつけるという理想主義だって、たちの悪いボランティア精神みたいなものだ。パウエルは人質の行為にアメリカ的理想主義の精神とおなじものを感じたから、彼等を誉めたのだ。確かに、悪くない誉め言葉だったが、とりようによっては、軍隊だってボランティアなんだと言うことである。

 ボランティアが悪いというわけではない。ボランティアの人達を尊敬するところもある。だが、それと同等に自分の生活の中で手一杯で生きている人だって尊敬する。ボランティアには理屈が必要な場合がある。その理屈が時には、お節介の場合がある。人のために尽くすというのはなかなかやっかいなものなのだ。そういう、やっかいさをクリアしてボランティアをするほどの元気は今のところ私にはないということだ。

 情によるバランスを重視するとは、閉じられ気味の共同体的反応である。ということは、今のところ、日本は内向きで、積極的に外国に出て行って理想を実現しようなどとは思っていないということだ。つまりボランティア精神とは対極ある。自衛隊派遣でも、アメリカのご機嫌を損ねるとまずいのでだしているというのが本音だろう。だから、だめなのだ、積極的に国際貢献しろ、という自民党のネオコンや民主党の若手の意見は、実は、武力を伴った理想主義の押しつけに傾く危険がある。冷静に見るなら、今一番平和主義的なのは、内に閉じこもりがちな、自民党の抵抗派と言われる保守層であり、積極的な国際貢献を唱える、民主党や自民の若手の方が、戦争に近いのである。

 確かに情でしか反応できないわれわれは情けないが、その内向きさが、逆に、戦争を遠ざけているという面がある。その意味では、情を全面的に否定しない私は保守的であるのかもしれない。むろん、個人として、あるいは、国家に頼らずふるまう人達は立派であり、こういう人達がたくさん出てくれば日本も変わるだろうと思う。ただ、私はもうそういう年齢でもない。とりあえず私は、「情」の行く末を見届けたいと思っている。今回は、あまり質のよくない悪い情が跋扈してしまった。それはとても残念なことであった。

情緒的なときは判断を誤る 04.4.19
 新学期の授業が始まった。今回は、立正大学の授業が加わり、去年より少し忙しくなった。忙しいのに何で仕事を増やすのかというと、要するに断れないのだ。われわれの業界は、人と人との繋がりで成り立っているところがあり、頼まれたら嫌だと言えない人がいる。まあ、どこの業界でも同じ事だが。

 私の課題は、授業の講義録をどう充実させるかで、今回の試みは、非常勤の方の授業(万葉講義)を、ほとんど文章化してしまおうというものだ。どこまで出来るかわからないが、こうやって公に書いてしまうのも、後戻りできないようにするためだが、たぶん、途中で中断するのは目に見えている。がやるところまでやろう。

 短歌評論集『聞き耳をたてて読む』(洋々社)がようやく刊行された。去年の後半からずっと準備していたものだが、何とか出版にこぎつけた。ほとんどが歌集の評論なので興味のない人には退屈な本だろう。10年ほど福島泰樹のところで短歌時評を続けてきたが、おかげで、二冊の評論集をだすことができた。忙しくても続けていると、成果が形になって残る。でも、もういいや。

 イラクで人質の三人が日本に戻ってくる。日本では、「自己責任」とやらが声高に叫ばれ、返ってきたらこの三人は袋だたきにあいそうだ。まったく日本という国は情けない国である。

 いったい「自己責任」って何なんだろう。要するに、危険なところに行くんだったら、助けを求めるな、ということだろう。だったら助けなければいいじゃないか。そういう話ではないか。少なくともあの三人は国家に対して助けてくれとメッセージを出していた訳じゃない。家族が助けてくれというのはこれは仕方がない。が、国家は、これは「自己責任」の問題で、彼らは覚悟していったのだから何も出来ない、と言えばよかったのだ。

 それなのに助ける努力をしておいて、今更「自己責任」だとか、費用を返せというのは潔くないだろう。なら最初から助けるな、ということになる。助けざるをえなかったのは、自衛隊を撤退させろという要求が絡んでいたのと、人質が殺されたら小泉の政治的立場が危うくなるという、きわめて政治的・政策的な判断があったからなのだ。だから、国家は腹立たしいのだ。自衛隊派遣を反対している連中を助けなきゃいけないことは本当はしたくなかつた。でも政治的にしなきゃいけなかった。その腹いせに「自己責任」とか言って、今三人をいじめようとしている、そんなとこじゃないのか。

 危険を顧みずに人助けに行った三人を日本人は誇りに思うべきとコメントしたパウエルの方が偉いと思う。パウエルはだからアメリカの兵隊も偉いのだと言いたかったのだが、偉いかどうかはともかく、アメリカの兵隊もたまんないよな、という気はする。

 今度のことで明らかになったことは、国家はどこまで国民を保護しうるのかということだ。冬山遭難の例でたとえていたものもいた。が、やっぱり、ジャーナリストやNGOを冬山と一緒にしちゃまずいだろう。とにかく、現代は、国家の意思で動くのではなく個人の自由意思で行動し、その行動は国境や国家間の政治的な対立を超えてしまう時代なのだ。そういう個人が危険な目にあつたとき、国家はどうするのか、という問題だ。個人の側で考えれば、それは個人で自力で解決する問題となる。

 が、国家の側から見た場合はどうか。「自己責任」でいったのだから、国家は関与しないというのか。あるいは、あいつは国家の言うことを聞かない奴だから保護しないということがあってもいいのか。実は、民主主義を標榜する近代国家というのは、個人の自由を保障することで国家としての存在意義を保っている。つまり、反国家的振る舞いや思想を持っていても、そういう個人の自由を保障するものとして国家の存在意義がある。だから、欧米の国家は、戦争地域に勝手に入り込むジャーナリストやNGOの救出に全力を挙げる。つまり、国家というのは、その目的が普遍的であれば、その個人が国家と距離を置く人物であろうと保護しなければならない、ということだ。それが国家というものなのだ。

 が、日本では、そうはいかないようだ。欧米的国家観の歴史が浅いということもある。筑紫哲也は日本の国家は「お上」意識が強い語っていたが、そういう面もあろう。お上に従えという意識が強く、国家に従わない奴を何で助けなきゃならんのか、という意識が強い。少なくとも、この面では、日本はだめだなあ、と思う。

 今度のことで見えた来たのは、日本の政治的判断というのはとても情緒的な要素に支配されやすいということだ。今度の事件で、小泉も情緒を抑えなかった。マスコミも、家族もみんな情緒的だった。人質が解放されたとたん、政府は「自己責任」とこれも情緒的に語る。これはどういうことだろう。たぶん、日本では、人を動かす力というのは、理性的な抑制のきいた発言ではだめで、怒りや悲しみなどのような情緒性が背後に張り付いていなくてはだめだ、ということだ。

 今度は、ほとんど情緒と情緒のぶつかり合いだった。家族もヒステリックだったが、国家の側もヒステリックだったし、家族を誹謗中傷する国民もマスコミも情緒的だった。救いは、一つの方向に情緒が流されなかったことで、そこは評価できる。が、歴史の教訓として、情緒的なときは、判断を誤る。なんか少し暗くなった気分である。

「悩ましい」でなく「悩む」問題  04.4.11  
 いよいよ新学期が始まる。今ガイダンスの最中だ。アジア民族文化学会の春の大会が5月8日に行われる。その準備や案内の発送、ポスターの制作と発送ととにかく忙しかった。なにせ、自分たちで作った学会だから、事務仕事はほとんど自分たちでやる。私は事務局代表だから、私が仕事をほとんどやる。こういう事務仕事にかけては自分でいうのもなんだが私は優秀である。

 ポスターもインクジェットのプリンターを使って自分で二百枚制作し、全国の大学や大学院に送る。実は、封筒の学会名や、別納郵便のマークさえ、パソコンで作って自分で印刷する。そうしないと事務経費が節約出来ないのだ。大会用のベニヤの看板も自分で作った。ホームセンターでベニヤと垂木を買ってきて作り、その上に一太郎の垂れ幕印刷というやつで印刷すると、看板が出来る。

 何でも自分でやるのが私のモツトーで、例えば、教室にプロジェクターの設備がなければ、自分で調達する。ノートパソコンに小さいプロジェクターを自前で買い、ホームセンターで裏が白地のビニールシートを買って、手製のスクリーンを作る。スクリーン立ては、これもホームセンターでポール式の簡単な組み立て式の洋服掛けを使う。四、五千円でスクリーンができる。

 どうも研究よりもこういう作業の方が私は好きみたいだ。授業をするにしても、授業をするより、どうくふうしたら面白く出来るか、それを考えている方が好きである。父親は職人だった(養父方だが)が、どうやらその血を受け継いでいるらしい(実の父は賭け事で身を持ち崩したらしく、そっちの血も受け継いでいる)。

 職業の選択をどこかで間違えたのじゃないかといつも思っている。最近、コレステロールが高く、血圧も高い。酒もあまり飲まず、脂っこいものは嫌いで食事に気を付けていても、下がらない。ようするに体質なのだが、私の血筋は肉体労働者の血筋で、肉体労働を普段にしていないと、たちまち、生活習慣病になってしまうのだ。つまり、精神労働に向いていない身体なのだ。

 教師をするならせめて体育の教師をすれはよかったのだが、それほど運動神経がいいわけでもないし、とにかく、どうやって運動をするか、今必死に考えている。忙しい身としては、運動をするということは大変なことなのだ。犬の散歩程度では、焼け石に水なのである。

 話が愚痴っぽくなってきたので、まじめな話題に移る。今日、イラクで人質にされた三人が解放されるというニュースが飛び込んできたが、まだ解放されていない。それにしても、これは悩ましい問題だ。ところで、今度の人質問題で、自衛隊の撤退は無理だし人質は助けなきゃいけないしどうしていいかわからない「悩ましい」とテレビでコメンテーターがあちこちで使っていたが、「悩ましい」は間違い。それじゃなまめかしいと同じ意味になる。

 これは悩ましいじゃなくて悩む問題だ。要するに最初から自衛隊が行かなきゃこういうことにはならなかつたというのが筋道なのだから、国家がこの問題には責任を持つべきであるが、ことはそう簡単ではない。

 国家という規範から外れて自由な個人の意思で行動するのが、グローバリズムの世界での行動規範であり、その意味では、国家が危ないから行くなと言っても、それとはかかわりなく個人の意思で人はどこへでも出かけてしまう。それが現代の世界なのである。だから、こういう民間人をつかまえて国家を脅すという事態はすでに前から起こっているし、これからも起こりえる。要するに、これは防ぎようがないのだ。

 問題は、自由な個人の意思で動いたその個人が危険な目にあったとき、自分で責任を負うべきなのか、つまりあくまで自力で解決すべきなのか、それとも自分が属している国家に助けを求めるべきなのか、ということだ。たぶん、今度の事件で そのことが一番「悩む」ところだったと思う。

 結論から言えば個人が自力で解決すべきである。まずそれが基本だ。ただし、今度の問題は、民間だけで復興支援をすれば、危険であったとしても、こんな目にあわずにすんだはずだし、国家がイラクに行けばイラクにすでに入っている民間人に危険が及ぶことは事前に理解できたはずなのだから、それでもあえて国家が出て行ったということに、国家は責任を持つべきで、その責任の取り方として、当然撤退するべきなのである。

 ただ、おそらく、人質にされた三人は、これは俺たちの問題だ、ほっといてくれと思っているだろう。仮に自衛隊が撤退したとしたら、この三人は国家によって救われたことにもなる。国家はそういう解釈をする。とすれば、彼らは、その自由意思を国家に譲り渡したことになり、解放されて帰ってきたら、国家に迷惑をかけたわがままな国民として非難されるだろう。家族にしたら、命を失われるよりいいと思うが、果たして本人達はどうか。これも「悩む」問題である。

 戦争という極限の状態の中では、人の行動基準は、戦争下にはないわれわれと同じではない。私がイラク人だったら、卑怯と言われようと人質をとって相手の殺戮を止めさせようとするだろう。むろん、人質を殺すかどうかはその時になってみないと分からないが、この状況から、殺すのが目的ではなく、交渉が目的なのはわかるから、ここは交渉するというのも一つの方法である。

 戦争下にいないわれわれには確かに命は地球より重い。が、戦争下にあるイラクでは、時に命は箸より軽く扱われる。あるいは、命などいつでも捨てることができるとみな思う。戦場に入った者はわれわれが考えるより死を恐れていない。このことは、人質になった三人についても言えるはずだ。

 確かに命は地球より重い。しかし、それをほんとに言うのなら、アメリカの攻撃を止めさせる努力がないければ説得力はない。ただ、日本人である家族や同胞の死がつらいという次元だけの話になってしまう。命が地球より重いのなら、無惨に死んでいくイラクの人々のつらさを救うべきであろう。

 命は地球より重いという美しい言葉が、三人の自由な個人の意思とかかわりなく、戦争下にいないわれわれのつらさ(情)を軽減する言葉として一人歩きしないことを祈るばかりだ。

プロレタリア文学とパレスチナ 04.3.30
 いよいよ4月である。新年度が始まる。われわれの新年が始まるといったところだ。近況報告。ナナは元気である。毎日抗ガン剤の薬を飲ませているが、食欲も旺盛で、しばらくはこの調子で生きそうである。仕事は相変わらず忙しい。どういうわけか、本多秋五とマルクス主義という論を書いてくれと頼まれ、断れずに引き受け、その締め切りがあと一ヶ月後だ。仕方なく、今プロレタリア文学史を勉強している。

 1932年頃の雑誌を、国会図書館に行ってコピーしようとしたら、コピー禁止になっていた。泣く泣く要点を書き写したりと、コピーのありがたさを今更ながら感じたりしたりと結構いろいろある。何でこんな仕事を引き受けたのかというと、断れなかったというのが本当のところだが、ただ、仕事は何でもこなそうという気が一方ではある。書こうと思えば何でも書けるのだ、というのが、たぶん私の才能だと思っているからだ。最近私は評論家と呼ばれていて、評論家は仕事のえり好みをしてはいけない。これは吉本隆明が書いていたこと。

 そのせいか、今年の私のテーマはすごい。1月に、イ族の松明祭の報告、2月に、白族の歌垣の論(これは、「アジア遊学」に出ます)、それと本多秋五とマルクス主義、6月には、宮沢賢治、8月には、川上弘美の文体論、それから11月には、「日本霊異記」で書く。そして合間に、短歌評論を書く。これだけ並べると、これだけのいろんなテーマを一年で書ける奴は、そうはいないだろう。むろん、まだ書いていないので、ほんとに書けるのか不安だが、いつもそれなりに書いてしまう。それにしてもわれながらあきれる次第だ。結局、あいつは、専門なんてないからちょうど書き手がいないのであいつに頼めばなんか書いてくれるだろう、などと便利に思われているのは確かだ。

 プロレタリア文学史を読み返したら結構面白い。おもしろがらないとこういう仕事はやってられないのだ。改めて思ったことは、20世紀というのは政治優位の時代だったということだ。プロレタリア文学の始まりは、その政治優位の表象が芸術との対立という形であらわれた最初の出来事だろう。みんな、政治優位を疑わないのだが、どこかで、芸術はそれでも独立性があり、そり自体価値をもつものだと思って、何とか政治の優位に折り合いを付けようといろんな理屈を考える。それがプロレタリア文学の殆どの理論の共通した内容である。

 昭和初期は、実は、文学者はほとんどプロレタリア文学を信じた。川端康成も、横光利一も、実は共産党にカンパしていたのだ。はじめはそうだった。プロレタリア文学は新しい時代の新しい文学であり、その意味で、共産党に多くの知識人は夢を抱いた。だが、その夢はすぐ色あせていく。弾圧が厳しくなると、党のために文学は存在するなどという理屈が現れ始め、みんな悩みはじめ、プロレタリア文学は衰退していく。が、政治優位の思想が消えた訳ではない。

 政治とはイデオロギーの現実への具体化である。当然それは、イデオロギーによる社会支配の実現であるから、支配したい社会がイデオロギーの到達点よりはるかに低い場合、その政治は権力的もしくは暴力的になる。それが極端に出る場合、ファシズムになり、一方ではテロリズムになると考えればいいだろう。

 民主主義といういイデオロギーの優れたところは、社会自体の市民社会的な成熟の上に出てくるイデオロギーであったからで、その意味では、イデオロギーの実現の方法において、権力もしくは暴力をそれほど必要としないということだ(というよりそれを抑制する機能なのでもある)。が、これを発展途上国やイラクでやろうとなると、当然、その実現の方法は権力的になる。アメリカのネオコンは、民主主義をまさに権力の暴力的な行使としてイデオロギー化した。民主主義も実は暴力を孕んだイデオロギーになることをアメリカは示したのだ。

 テロリズムも結局は、社会の成熟を待てない過激派が、政治の絶対的な優位の理念のもとで、その政治を暴力的に実現しようとすることだ。そこには、政治が支配しようとするその社会が、遅れている、という苛立ちがある。しかし、本当は、その政治優位思想そのものが、そういった社会の分裂、つまり、政治の側に立つインテリ達と彼らが属す社会との落差そのものによって生み出されているのだ。

 だが、21世紀になって見えてきたことは、結局、政治ではなく社会優位でしか、社会は変わらないということだったのではないか。共産主義に対する資本主義の勝利は、政治の勝利ではなく、経済の勝利であると言うことはよく言われることだ。つまり、社会が政治より優位になるという現象が、起きたのだ。政治優位発想では、それは政治主導でなければ起きないはずだ。つまり革命なくしてはだ。

 今世界を席巻するテロリズムは、政治優位のたぶん最後の発露だろう。歴史の流れから言えば、政治優位では社会は変わらない。が、あまりにもひどい社会格差が存在する以上、テロリズムという政治優位の表現は意味を持ち続ける。パレスチナの自爆テロが終わるのは、パレスチナ人の社会がイスラエルの社会と同じように経済的に豊かになったときだ。そのことがわからないイスラエルは、やはり政治優位でしか対処できない。た゜から、問題は解決しない。

 政治優位でなく社会優位の思想でしか、問題が解決しないことはすでに見えてきているが、政治優位の様々なシステムを強固に作り上げた世界は、その呪縛に苦しんでいる。例えば近代国家も党も政治優位が生み出した呪縛のシステムである。パレスチナ人がイスラエルの国家主義に対して、同じ国家主義で対抗するなら、その戦いは終わらない。本当に勝つためには、政治より社会優位の路線に変えて、政治優位の呪縛を越えるしかない。が、それは難しい。われわれは、われわれの社会の苦痛を、民族の苦痛国家の苦痛として翻訳し、その民族や国家という政治優位の側で解決するしかないシステムにしばられてしまっているからだ。

 プロレタリア文学史を読みながら、政治優位の現れはこんなところから始まっているのだなどと妙に感心してしまった。その現れはいまだにわれわれを縛っている。

 実は、私は、柳田国男が好きなのだが、柳田国男は同じ昭和初期、政治優位より社会優位を語っていた非常に希な知識人なのである。だから柳田は評価されるべきなのだ。それも強調しておきたいことだ。

短大復活か? 04.3.14
 ようやく入試も一段落した。私の勤める短大一部の入試も終わった。結果は、去年より志願者が増え、定員を上回る数を確保できる見通しが立った。A・B日程、センター試験と受験の機会を増やし、そのいずれでも倍率が確保できた(つまり不合格者を一定程度出せたということ)。短大の特に日本文学系は凋落傾向にあると言われて久しいが、われわれのところは今のところ、歯止めがかかったというとこだ。

 カリキュラムを改正したということもあるし、看護学科を新設しそちらの応募が多かったので、こちらにも少し流れたということもあるだろう。が、どうやら短大全体として、志願者の減少はおさまりつつある。これは、短大がだいぶ消えてしまって、つまりそれなりに淘汰されて強い短大が残ったということがある。それから、なんといってもこの不景気が続く現状では、四大に子女を行かせられない人達が増えてきたということだろう。

 景気回復しているといっても、今の時代の景気回復とは雇用のない景気回復で、中流層のほとんどは、低賃金の雇用を受け入れざるをえなくなっている。つまり、一部の富裕層と、低年収のかなりの中流層と、一部の職のない貧困層にこれからは別れて行くだろう。低年収でも、インフラがそこそこ整備され、社会福祉が充実していればそれほどの問題はない。従って、日本の問題は、いかに、所得の低くなった多くの中流層の不安をやわらげる、年金等の生活のインフラ整備を充実させるかにあり、それがこれからの課題にならざるを得ない。

 ところが、教育に関しては、このインフラ整備は進んでいない。というのは、日本では、義務教育はかなりのインフラが進んでいるが、高等教育は、実情は民間(私学)にまかせいていて、インフラは遅れているからだ。欧米の先進国は、今、大学の授業料を学生側に以下に負担させるかで頭を悩ましている。つまり、そこには大学の授業料は基本的に国家が受け持つという考えがあり、さすがに、今その理念を支えきれなくなって、学生に授業料を払わせようとしているのだ。ところが、日本は、すでに高等教育において国民はばか高い授業料や教育費を払っている。

 ある意味では、それだけ日本の高等教育が大衆化したということであり、国の予算でまかなえるレベルを越えてしまったということであるが、かといって、これだけ年収の低くなる時代になると、教育費に金をかけられる家庭は減ってくる。国も金を出せない、とすると、われわれ大学に勤めているものにとって、これは大変な事態である。いや、その大変な事態はすでに現実化してきて、文科省は、すでに競争に敗れただめな大学は潰れてもかまわないという方針をだしてきて、すでにいくつかの大学は潰れ始めているのだ。つまり、教育費を払う側がそのコスト意識に敏感になれば、当然その費用対効果を考え、だめな大学にはいかないようになる。

 短大の志願者が減っていないのは、結局、四大に行ってもそれほど高等教育を受けるほどの効果はないのではと思う人達が増えてきた事による。経済的に大変な人達が増えて、費用対効果を考え始めたとき、実は四大よりは短大の方が効果は大きいと思ったのだ。これは短大で面接をしてかなり増えてきた志願者の声だが、四年だらだらと過ごすのはもったいないから短大を選択した、というのだ。以前にはこういう声は考えられなかった。実は、就職もそんなに悪くはないのである。総合職といった高望みをしなければ女子短大の就職先は意外にあるのだ。

 学問とは無用の学だ、無用だからこそよいのだ、という事を今でも得意げに語る教員がいる。それはそれでまっとうな意見とは思うが、だいたいは、周りから無用視されている教員が自己弁護で言っている。本当に、無用であることの価値を理解している教員は、何とか、その無用の教養を学生に伝えようと必死に努力しているのだ。世の中とはいつもそうなのだが、努力していない奴が実に普遍的な事を得意げに語る。残念だがこういう教員は四大に多い。短大でそんなこといってたら、とてもじゃないが授業が成り立たないから誰も言わない。

 ということで、おそらく短大はこれからも存在意義を失わないと思う。私は短大に勤めていることはそれなりに心地よく思っている。教員として、確かに、もっとレベルの高い大学(四大)で教えたいと思うこともある。が、人の話をまともにきかない短大生と接していると、こっちの方が、本当は東大生よりも無用の学問の価値を知っているのじゃないかと思うことはある。なぜなら東大生は、無用の教養を身につけることは、全て自分の価値になって将来に結びつくと思っているからだ。世間は東大生なら遊んでいても教養があるとみなして評価する。ところが、短大生は、どんなに身につけても自分の人生にそれほどプラスにならないことを承知している。短大生という肩書きに、社会は教養を期待していないからだ。それを知っていて、お喋りをしながらも時には真剣に教員の無用の教養の講義をただおもしろいからという態度で聞く(楽しくなければ聞かない)。そういうところで教えた方が、本当は教える価値はあるのじゃないか、という気もするのだ。

 むろん、短大にも矛盾はあるし、2年間で卒業させてしまうにはおしい学生もたくさんいる。もっと教えたいと思う時は、短大は物足りないと思う。が、それほど就職口があるわけじゃないので、当分短大で教えていくしかない。が、それはそれで楽しいとは思う。以前、予備校で教えていたときも大変だったが楽しかった。どんなところでも楽しく仕事をするのが私のモツトーだ。それから、一つの職場に五年以上いないというのもモットーだったが(というよりいろいろ事情があって五年以上続かなかったというのが本当だが)、いまのところはもう倍も勤めている。私にとっては未知の体験で、ちょっと心配だ。もっとも、年齢と体力を考えれば、変化を求める人生もそろそろ終わりにしないといけないかも知れない。

ノスタルジーの向こう側 04.2.25
 近況報告。ナナのことでみなさんにご心配をかけている。報告すると、やはり血液のガンだった。犬のガンの80パーセントは血液のガンらしい。だが、この種のガンは抗ガン剤がよく効くので、今ナナは抗ガン剤の治療を受けている。点滴と飲み薬で、最初副作用の心配をしたが、ほとんど副作用はない。むしろ、飲み薬は食欲を増進させるらしく、やたらに餌を要求し、太り始めた。このままだとガンで死ぬ前に糖尿病で死ぬのではないかと心配だ。

 最初抗ガン剤の治療をするかどうか悩んだが、こういうときはインターネットが便利で、いろいろと検索すると、いろんな情報が拾え、副作用がないこと、一年は生きられること、犬の一年は人間の五年に相当するからかなりの延命効果があるということ、これは医者に直接聞いたが、中には三年生きている犬もいるらしい。治療しなければ6週間しかもたないこと等、分かったので迷わず治療を受けることにした。とにかく今は治療のかいあってとても元気でいるのでみなさん安心してください。

 犬と言っても家族同然だから病気になると人間がまいってしまう。私の方は相変わらず忙しくて、年が明けてから、中国少数民族文化の論文を三本、評論を一本書いた。その間、風邪を二度引いたが気力ですぐなおした。ということで、この時評を書く余裕はとてもじゃないがなかった。

 2月14日に、供犠論研究会の人達と、名古屋の中部大学で開かれた「鷹狩りの文明史」というシンポジウムに参加し、次の日、鷹匠の人達の実際の鷹狩りの実演を見学した。一方は飼い犬の病気に胸を痛めつつ、一方では動物の猟の文化を見学するというこの人間の身勝手さ。結局、供犠論とは、人間のこの身勝手な文化を研究するということだ。

 鷹狩りは王の遊びとも言える猟である。つまり歴史的には特権的な猟であった。確かに、その猟のやり方を見ていると、鷹を飼育し、鷹に鳥(鴨や雉)や陸の小動物を捕まえさせて、それを人間が横取りするというものである。鵜飼いと似ているが、何より、鷹という鳥が象徴的な意味合いを持つ。動物の中でもプラスのイメージがある。猟としては、かなり非効率的である。鷹はかなりの確率で獲物を捕まえるが、鷹を飼育し訓練する手間を考えると、罠や弓矢で猟をする方が効率的だろう。その意味では、むしろ、この猟は、生計のためというより、文化的な意味合いを強く自覚した猟である。だから、特権層における猟として継承されてきた。以前には宮内庁に専属の鷹匠がいたのである。現在外国ではスポーツとして鷹狩りが盛んであるらしい。

 私はどちらかというと、稲作農耕民族の出自であると思っているので、こういう動物を殺したりする文化というのは得意ではない。が、中国の少数民族文化を調査すれば、そんなことは言っていられなくなる。彼らの稲作文化だって、動物を飼育し殺して食べる。鳥越憲三郎は人間の首狩りを稲作文化の儀礼だとさえ言っている。動物を飼育して食べない日本の稲作文化の方が異例なのである。

 中国の動物を殺す儀礼をビデオにとって日本の学生に見せると、だいたい気分が悪くなるという。動物といったって鶏を殺すくらいなのだが、それでもだめだという。そんなこといったつて、鶏丼も牛丼もあんなに食べているじゃないかというが、まあ、誰だって肉は食べるが肉の生産されるところは見たくはないのだ。それもまた一つの文化なのだ。

 六車由実の本「神、人を食う」がサントリー学芸賞をもらったが、この本は、そういうわれわれの動物を殺すことを見ないですむ文化に対して異を唱えたものだ。もうちょっと自分たちに内在する暴力性を直視しろ、というための本だといってもいい。そういう暴力性を、実は、われわれはけっこういろんな儀礼や伝承で形にしている。そういうある意味では記号化された暴力性を掘り起こし、暴力性を見ないようにしているわれわれに警鐘を与えたという本だ。

 去年の暮れ、この本の書評を20枚書いた。書き終わった後にサントリー学芸賞を貰ったことを知った。それを最初に知っていればもっと誉めとくんだったと悔やんだが、まあ仕方がない。確かに、われわれは内在する暴力性を見ないようにしている。それはわれわれを脆くするという意味でこの本が批判したように批判されるべき事だ。が、文化というのは多様である。暴力を見たくないのも文化なのだ。

 中国の少数民族だって、生活が都市化され、スーパーで豚や鳥の肉を買うようになれば、自分で動物を殺すことはしなくなる。そういう生活はやがて動物を殺すというわれわれの内なる暴力性を見ないようにする文化を生むだろう。それはある意味でわれわれを弱くするが、別な見方をすれば、そうしなければ、近代の大量生産の時代を生き抜くことが出来ないのである。いいかえれば、殺すという暴力性を個人の生活から排除しなければ、この消費社会を強く生きられないということである。こういう社会では、直接殺すことにこだわるのはノスタルジーでしかなくなる。

 その意味で、六車由実の本は、ノスタルジーという影を帯びることを免れないであろう。この本の良さはそういうノスタルジーを感じさせないように書かれていることだが、が、ないわけではない。言い換えれば、われわれが人間性を回復しようとするとき、だいたいは失った自然性(ここでは暴力性)をどう取り戻すか、というようにしか想像できないのだ。むしろ、問題はこういうわれわれの自然性回復の想像力の貧しさなのである。

 私の研究テーマだってある意味では強いノスタルジーの影を帯びる。が、それもまた引き受けなければいけないことだ。ただノスタルジーのように見えても、徹底して、近代には失われた古代の世界、あるいは、辺境の文化を極めれば、ノスタルジーを突き抜けて新しい何かが見えてくるに違いない。そう思うしかない。

ナナの病  04.1.27
 うちの愛犬ナナが今大変なのだ。首のリンパ腺のところが腫れ、医者にいったところ、炎症を起こしているか、腫瘍のどちらかだと言われ、とりあえず炎症を抑える抗生物質をもらってきた。それを飲ませたところ、その夜、ナナは立てなくなってしまった。息も荒い。奥さんが一晩つきっきりで看病。ナナは苦しんでいて、ほとんど眠れなかったそうだ。翌日医者に行ったら即入院。薬が合わなかったということらしいが、原因はわからない。一晩入院させ次の日は何とか回復していたので退院。が、多少足を引きずっていて元気はない。

 医者の話だと、白血病じゃないかという。リンパ線の腫れは腫瘍のようだ。レントゲンをとったら胸のあたりにも影があるという。抗ガン剤で治療するか、飲み薬か、治療をしないか、いくつかの選択肢があると説明された。いずれにしても、そうは長くは生きられないという(誤診である可能性もあるが、いずれにしろ、組織の検査をしているのでそのうちはっきりする)。ナナは推定年齢13歳。拾ったときから12年経っている。一歳で拾ったとすれば13歳。あるいはもっと年をとっている可能性はある。人間で言えば、70歳を越える高齢犬だ。

 まあ、十分生きたのだから仕方ないな、という気はするが、やはりショックは隠せない。今までもナナ中心の生活だったが、これからはもっとそうなるだろう。救いは、本人にガン告知をしないですむことだ。言っても分からないだろうが。今は、元気はないが、普通にしている。それだけでもこっちは元気が出る。

 谷口ジローの漫画に「犬を飼う」という作品がある。中年の夫婦が飼い犬の最後を看取るという内容だ。もう老犬で寝たきりになっている。最後は自宅で点滴までして犬の看病をしている。かなり前だが、このシーンを読んで、いくらなんでもここまでやるか!と思ったものだが、いやあ、そこまでやるな。同じ立場になってみるとよく分かる。

 この漫画はジーンと来るいい作品だ。犬を飼うことで癒される子どものいない夫婦の日々の生活の風景がよく出ていて、うちもこんなんなんだろうと思ったものだが、実際そうだった。

 犬によって癒されるのは、ペットとしての犬が弱者だからだ、というのは、授業で学生達にしゃべったこと。子どもの眼や、犬の眼が何故澄んで見えるのか、という質問の答えだ。一人では生きられない、というその存在のあり方を何の疑問もなく受け入れている存在を、われわれは純粋な存在と呼ぶかどうかは知らないが、少なくとも不純な存在ではないと理解する。だから眼が澄んで見えるというわけだ。

 私のように不純な存在になってしまった人間ほど、そういう純粋な存在が身近に必要なのだと思う。本来は子どもがそういう役割を果たすのだが、子どもがいなければ、犬でもそういう役割は果たせるのだ。そういう事がよくわかった。今、ナナは完璧にそういう純粋な存在になっている。今ナナがどんなわがままを言っても私も奥さんも何でも言うことを聞くだろう。ナナが人間だって同じ事だ。純粋になってしまった存在には誰もかなわないのだ。

 ナナは自分の病気のことを知らない。いや、知っているとしても、何ヶ月後の自分を考えることはないのだから、知らないのと同じことだ。犬は自分の未来を気に病む病から解放されている。それが弱者である犬に与えられた恩恵である。人間は他人の病を目の当たりにして自分だったらどうしようと考える。何ヶ月後の自分を気に病む。それが純粋でない人間に与えられた罰である。

 いずれにしろ、これからのナナとの生活はかなり濃いものになることは間違いないようだ。

曙とホームレス 04.1.13
 あけましておめでとうございます。本年もよろしく。
 今年の正月は実に穏やかだった。例年正月は風邪を引いてしまうのだが、暮れに引いたせいか正月は割合元気で、おかげで、ワ族の首狩り儀礼に関する論文が一本書けた。それに、今度出す短歌の評論集の校正もはかどった。人間やはり元気でないといけない。

 実は、二月までに後二本論文を書かなきゃいけない。といっても、すでに頭の中には原稿はだいたいできあがっているので、そんなにあせってはいない。ただ、こういう時が一番危ないのだ。いざ書き出してみると、うまくいかない、ということが多い。やっぱり書いてみないと分からない。その点、時評は楽だ。何にも考えないで書き出す。書いている内に次第に考えがまとまっていく。ただ、今回は何にも浮かんでこない。

 そういえば、大晦日の曙は哀れだった。前のめりに突っ伏したあのぶよぶよの肉体は、実に哀れに見えた。ボブサップの筋肉質の鍛え上げられた肉体と、無理矢理太らした相撲の肉体とを比べて、どっちが強いかはすぐわかるだろう。むしろ、大勢の日本人は、曙が相撲協会に縁を切ってK-1の世界に飛び込まざるを得なかった物語の結末を見たかったのだ。負けるのは分かっていた。むしろ負けることを確認したかったのだと思う。確かに曙のKOされた肉体は様々な事を語っていた。

 曙がKOされたとき紅白の視聴率を越えたらしい。曙の滑稽とも哀れとも言える物語を作り上げたメディアの戦略は成功したということだろう。それにしても、曙がK−1参戦を宣言してから二ヶ月、膨大な宣伝費を使って盛り上げ、当日は、豪華な舞台を作って、始まってみると、たった二分であっけなく終わってしまった。結局、勝負などどうでもよかったのだ。横綱曙の無謀とも言えるその生き様を、後戻りの出来ない物語として仕立て上げたとき、もう演出は終わっていたのだ。あとは、ゴングがなっていきなりKOされなければいいだけだったのだ。二分もったのは演出者としては上出来だったのではないか。

 私は、友人の家族とみんなで紅白を見ていたが、さすがに、曙の試合が始まるとチャンネルを回した。みんなそうだったのではないか。負けた後、曙は負けて良かった、負けた悔しさをバネにこれから自分を鍛えることができるというようなことをいっていたらしい。曙はまだやる気らしい。しかし、もう物語はない。これからは本当に強くならないとK−1の世界では生き残れないだろう。しかし、ほんとうに生き残れるかどうか。

 小錦が横綱になれなくて曙が横綱になれたのは、曙が小錦より人格的に日本人的だったからだと言われている。つまり、あまり自分を主張せず周囲に気を遣うタイプだということだ。そういう性格は相撲には向いていたと言うことだろうが、格闘家には向いていないのではないか。それは顔を見ればわかる。何となく気の弱そうな顔をしている。せっかく違う世界に入ったのだから、頑張って欲しいとは思うが、使い捨てにされないことを祈るばかりだ。

 今日、テレビのニュースで、旭川のホームレスの特集をやっていた。零下十度以下にもなる極寒の地でのホームレスはきつい。あったかいところへ行けよ、と言いたくなる。ホテルの玄関前の片隅でうずくまるホームレスをホテルの従業員が何とか追い出そうとする。ホームレスは動こうとしない。動いて他の場所に行ったら死ぬかも知れないからだ。

 この光景を見ていて悲しくなってきた。国のメンツでかなりの税金を使って、しかも、困っているイラクの人々を助けるのが目的だなんてかっこいいことを言ってイラクに自衛隊を派遣するなら、寒さで死にかかっている日本の路上生活者を自衛隊は助けるべきだろう。それが順序というものではないか。彼らだって、仕事のあるときは働いて税金を納め、自衛隊を維持していたのではないか。

 なんかこの国は間違っている気がしてならない。イラクに行くななんて政治的な主張をするつもりはないが、少なくとも、そんな金があるんだったら、この不景気で死にそうになっている日本人に金を回せ、というのは、とても妥当な主張だとは思う。

 最近、テレビを見ていると悲しくなることばかりだ。そういうことにあまり関心を持たないように、穏やかに生きることを目指してはいるのだが、そうはなかなか行かないのは、私も人並みだと言うことか。こんな時評書いているうちは、穏やかにはなれないな、とは確かに思うが。
   
今年最後の時評 03.12.17
 またこの時評は一ヶ月がたってしまった。こんな調子だからアクセス数もどんどん減っていくんだ(減ってもかまわないけど。当初のようにあまり気にならなくなったのは何故だろう)。どうせ理由は忙しいということだろうと思われるているでしょうが、やはりそんなところです。というより、忙しさをかいくぐって、時評を書く気力が少し衰えてきた。これはやばい兆候かも知れない。

 恒例の風邪も引いたし、原稿も書いたし(書いてない原稿もあるので関係者の方誤解しないでください)、勤め先の引っ越しもした。そうそう今度の研究室の眺めはやはりいいものです。共立講堂の隣の15階の校舎のその15階にある。目の前が学術情報センタービルがあって視界が妨げられているのだけど、テラスから身を乗り出せば(飛び降りたくなる衝動を抑えて)、皇居も見えるし、いろんな 風景が見える。今のところ、物珍しさもあって、楽しんでいる。

 引っ越しのさなかに風邪を引いてしまって、今年こそ風邪無しで冬を乗り切ろう意気込んでいたのに、だめだった。まったく困ったもんだ。おかげで、明治の授業をやすんでしまった。今日行ったら、先週は教室で待っていたのにこなかった、困ります、と聴講生の年配の人に叱られた。ちゃんと連絡したんだけどなあ。掲示を忘れたらしい。明治の授業は、万葉集をやっているせいか、年配の聴講生が何人かいて、休むと叱られるのである。今日も先生風邪を引かないでくださいと言われた。そんなこと言われても。いやはや、休講にすると喜ばれた昔のようにはいかなくなってきた。

 フセインが麻原のように穴蔵からお金を抱え込んで捕まった。権力者って独りの時はこんなもんだと思う。自衛隊はイラクに行く。命をかけてなんか誰も行きたくないと自衛隊員が言っていると、朝日新聞は書く。ほんとかなあ。この日本には、無駄なことに命をかけて無駄死にしている馬鹿な奴がほんとに多いのに、人道目的という大義があるのに、危険だから行きたくないなんてそんな奴がそんなにたくさん本当にいるだろうか。そりゃ中にはいるだろうけど、それじゃ何か、日本のために戦争するなら命かけられるってのか。なんかそれも嘘っぽい。

 まあ大義があるから命をかけたくないというのならすごくよくわかる。まっとうでない奴は、無駄なことに命をかけた方がかっこいいからだ。でも、今度のイラクのことは、みんな無駄だって言ってるのだから、大義なんてあとからとってつけたようなもんだろう。だったら、命かけてもいいじゃん、と思わないこともない。私が自衛隊やっていたら喜んで行くな。そういうとき行きたくないならたぶん最初から自衛隊に入っていなかったろう。

 私は全共闘やっていたとき、だいたい突撃隊みたいなことやってたから(ほんとは怖くてしかたがなかったけど)、行くか行かないかと問われたら行くと答えるタイプだ。若いときに、戦争中だったらたぶん特攻隊に行ってたろうし、パレスチナに生まれたら自爆テロやってただろうと思う。むろん、今の様な自分がそこにいたら絶対それはない。あくまでも若いときだったらという仮定だ。

 私が自衛隊がイラクに行くことに乗り気でないのは、私の若いときのような奴がたくさんいて、本当に死んでしまう可能性があるからで、むろん、死ぬのは別に覚悟しているのだからかまわないのだが、問題は死に方がかっこ悪いだろうと思うからだ。別に、NGOで勝手に出かけて行って、死ぬのはそれはそれでかっこいいのだけれど、自衛隊員として死ぬと、国家とか民族とかつまらないものを背負って死ぬから、そうなると始末に負えなくなると思うのだ。葬儀には、きっと総理大臣が来て、テレビで全国中継されて、親族はみんなを感動させる殊勝なことを言わなきゃいけない。どうもそういうことを考えると、それは、今の時代の個人のかっこいい死に方ではないなと思うのだ。

 どうせ死ぬならイラクの困っている人達に感謝され彼らとほんとに分かり合えるような確信の中で死にたいじゃないか。そうは思わないか自衛隊員の諸君。でも今はそういう態勢ではまず死ねないね。それこそ国家の尊い犠牲という意味づけを与えられて、自分の死の意味が奪われてしまう。だから、行かない方がいいかもしれない。

 確かに、自衛隊くらいの組織が行かないと、向こうのインフラ整備は何も出来ないだろう。民間の人間に行けというのは無理がある。憲法に触れるとか、戦争に行くのか、とか平和を守れという理念は、私がもう明日どう生きるか分からないイラク人だったら、ごちゃごちゃ言ってないで、何でもいいから助けてくれ、と叫ぶだろう。冷静に、自衛隊が行かなくてももっと確実にイラク復興を助ける方策を提示しながら理念を唱えないとこういうのは説得力を持たない。

 だったら、自衛隊を出す費用でもって、イラク復興会社でも作って、イラク人の仕事の無い民衆をみんなを社員にして給料を払って働いてもらう、そういうことでもやればいいんじゃないか。自衛隊員の命を代償に復興事業したって、実は効果の程はたいしたことはない。資金は自衛隊の装備の方にほとんどがまわってしまうからだ。それよりは、それに相当する金をイラク人に払って生活を助けて復興させた方が効果的だと、というのは誰にだってわかるだろう。そういう知恵がどうもないというより、やはり、どっかで国家優先になっているんだと思う。

 今年も来年も世の中あんまりいい年とは思えないようです。というより、ほんとはいいことだってたくさんあるのに、それをめいっぱい受け取る感性を最近鈍くしているのかも知れません。私もみなさんも(私だけだったりして)。ということで、この時評、たぶん今年の最後になりそうですので、みなさん良いお年を。
 
人を扶養するってどんな気分?  03.11.14
 私は54歳になって初めて扶養家族というものを持つことになった。実は、うちの奥さんが30年勤めていた会社を辞めて専業主婦というものになったのだ。うちには子どもがいないから、いままではダブルインカムでやってきたが(といっても昔私が収入がなくて主夫をやっていたことがあったけれど)、ついに、自分の稼ぎで我が家を支えなくてはならなくなった。自慢じゃないが、これは初めての経験だ。
 
 そういえば人を養ったことなど私にはないのだ。まあ、うちの奥さんを養うなんてのはおこがましいが、要するに、これからは生活費をきちんと渡さにゃいかんということだ。こういう立場になってみると、子どもを抱えてローンや教育費やと背負いながら働いているお父さん達の苦労がよく分かる。電車の中で同年代の疲れ切った中年達を見ると、自分なんぞ恵まれていると思う。

 奥さんが会社を辞めて今家にいるのだけど、実感がほとんどない。考えてみれば、帰りが遅くて、私が家にいる時間があまりないのだ。前よりはちょっとは顔を合わせるようになっただけで、まあ、以前とあまり変わりはない。が、こういう境遇になってみて、今まで自分はけっこう気楽に生きてきたんだなあということが実感される。私は、自分を男らしいとか男の立場などというように形容したこともないし、そう言うのも嫌いだったが、ある意味では、そういう気楽な立場だからそういう言い方と無縁でいられたのかも知れない。

 誰かを扶養しなきゃならないとき、きっと男としてなんていいわけが必要なんだろうなあと、思う。父としてとか、家長としてとか、そういうフェミニズムから攻撃される形容にすがるしかないのではないか。独りの自由な個人として、私は奥さんを扶養するとか、子どもを養うとか、親の面倒を見るとか、そういう言い方はどうもしっくりとこない。人の面倒を見るのには、やっぱりある役割めいた名称で自分を呼ぶしかないようだ。

 私は幸せにも、今のところ親の面倒を見ずにすんでいるし、寂しいが子どもはいないし、私を扶養していた奥さんがたまたま立場が逆転したくらいで、その意味で自由な個人でいられた。だからフェミニズムの主張も違和感がないし、男であろうと女であろうとそんなことどうでもいいじゃん、とか思ってきた。でも、ひょっとして、子どもが三人もいて、奥さんはパートで働いて、ローンも抱えて、私などはよれよれになって毎日サラリーマンやっていたりなどしたら、考え方もだいぶ変わるだろうな、と今回感じた。

 私がこういう文章を書くようなことをしている一つの理由として、生活者という立場から人はどのように思想というものを構築できるのか、それを考えたいということがある。最初から自由な個人として、気楽な立場にいて、今頃、男の責任なんていって家族を守るなんてのは恥ずかしいんだよ、なんて言ってられるのは、実は、生活者の立場には立っていないということだ。生活者の立場というのは、人を扶養したり、誰かに責任を持つという生き方を疑わないという立場なのだ。それは旧い価値観であろうと、権力にすり寄ることであろうと、生きることはそういうことだと必死になってしまう立場のことだ。

 マルクス主義は、そういう立場に人々を追い込まない平等な社会を理念的に考えたが、マルクス主義者は生活者じゃなかったもんだから、本当の生活者を虫けらのごとく扱い、理念を語る人達の特権を守った。資本主義の社会でも、民主主義が浸透し、世の中豊かになり、みんな市民としての自覚を持つ社会になれば、生活者という立場も消えるかなと思ったが、とんでもなかった。今のところ、資本主義の未来は、理念より生きることに必死な生活者を大量に生み続けるのは確かなようだ。

 やっぱり生活者の立場からの思想は必要なんだ、そう思う。今度の選挙でも、自民党が負けないのも、公明党が強いのも、草の根のところで生活者の不安をつかんでいるからだ。民主党が結局政権を取れないのも、社民党が解体したのも、改革や護憲を叫ぶその思想に生活者のにおいがないからだ。生活者のにおいがあれば、その思想は苦渋に満ちたものになり、もっときめこまかく、不格好なものになるはずだ。民主党のマニフェストは気楽な立場からのマニフェストだと人々は見抜いたのだ。

 さて、私は、そろそろ歳もとってきたし、体力もないし、奥さんも養わなけりゃいけないし(それと犬も)、給料だっていいわけじゃないし、生活者の立場にたってものを考えられそうになってきたのかもしれない。そう考えると、奥さんが仕事を辞めたことは、いいことなのかも知れない。

日本最後のトキは何を夢見て激突死したのか   03.10.27
 近況報告。10月17日は誕生日で54歳になった。誕生日だというのを実は忘れていた。次の18日が奥さんの誕生日で、奥さんは一つ上なのだが(誰もそう思わない)、あなた昨日誕生日じゃないと言われ
気がついた。いつもそうだ。誕生日なんてもの生まれてこの方祝ったことがいない。最近は、これからの人生余生だと思っているので、また余生が減るなあとしか思わない。まあ、時鳥うれしくもなく時過ぎにけり(ちなみに「時過ぎにけり」はホトトギスの聞きなしです。万葉集にでてきます)、といったところか。

 今年は新校舎への引っ越しがあるのでいろいろ忙しい。12月には、一橋講堂の隣に出来た新校舎に引っ越しが始まる。引っ越し自体は業者がやるが、研究室のものを全部運ぶのだから、簡単ではない。その準備(荷造り)はすべてこちらがやることになつている。といっても、授業期間中は出来ないが、それでも暇をみては少しずつ余分な書類とか、いろいろ整理はしている。短大の場合、今度は個室の研究室になる。15階で見晴らしも悪くはない(といっても私の研究室の前は学術情報センタービルが遮っているけど)。窓の外にはバルコニーがあって、窓から外に出られる。来年からはあまり仕事が忙しくてもうどうでもよくなってあのバルコニーから飛び降りたくなる衝動を抑えなきゃいけなくなりそうだ。

 9月からすでに二本の論文を書いた。あんまりたいした論じゃないけど、それでも何とか書いてしまった。後一本をほんとは今月いっぱいに書かなきゃいけないのだけど、もう今月も終わりだなあ、どうしようか。20枚もの書評を来月末までに書くのと、それから、それが終わったら「アジア民族文化研究」に今年発表した松明祭の報告を書いて、それから来年の一月「アジア遊学」に歌垣の原稿を一本と、とりあえず、休む暇はない。

 今年は授業が多くて、9コマやっている。明治大学で3コマも教えているのがけっこう響いている。2コマは二部の授業で、明治の二部は夜の10時までやつているから、まあ、昔自分が明治の二部の学生だったころは、元気があって何とも思わなかったが、さすがにこの年になるときつい。私はどの授業でも必ず最後に感想を書かせている。その感想で、あまりよくわからなかったなどと書かれると、ほんとに疲れる。結局最大のストレスは、授業がうまくいくかいかなかったときなのだ。授業がうまくいけば疲れは出ない。が、準備不足だったり、うまく乗れなかったりすると、ほんとに落ち込む。

 日本の最後のトキが10月10日に死んだ。名前はキンという。30歳を越えていて、人間の年齢にすれば百歳を越えている。死因は老衰ではなく自殺らしい(たぶん)。直接の死因は頭部挫傷。キンは2.7メートル飛びアルミの扉に激突してそのまま死んだらしいのだ。実は、もうキンには飛ぶ力は残っていなかった。ここ数年キンは飛ばなかった。それが突然飛翔したのだ。その3メートル近くの飛翔の僅かな時間にキンは何を夢見たのか。キンの死は、日本産のトキという種の最後の死だ。キンは繁殖のために捕獲され檻に入れられ、ほとんど一生を過ごしたのだ。最後に、トキとしての誇りを賭けて、檻の外に向けて飛び立ち、扉に激突した。壮烈な最期と言うべきか。でも死ぬことで檻の外へと飛びたった、と考えれば、ちょっと出来すぎの感もするが美しい死ではないか。合掌。

 以上が、最近感動した話。キンの死はアエラに載っていた。こういう記事を読むと、身につまされる。日本産の最後のトキはたぶん生きているだけで意味があった。いや正確には意味を与えられていた。数え切れない生物の種を滅ぼしてきた人間の贖罪のために、その生に過剰な意味が与えられていた。最後の飛翔はその人間による勝手な意味づけへの精一杯の抵抗だったのではないか。その意味では一種の自殺ではなかったか。

 しかし、考えてみれば、人間は自分に同じように過剰な意味づけを与えている存在だ。トキの死が最後のトキの死であるように、われわれは自分たちの死をかけがえのない何かの最後の死とみなす。その意味づけの過剰さに結局は、疲れ果て、最後に飛ぶ力も残さずに、死んでいくということなのではないか。よく考えれば、その意味づけを大事にするために、自分たちを檻に入れて保護していると言うわけだ。むろん、檻の外の生き方なんてできるわけがない。ひょっとするとそれはもう人間ではないのかも知れない。が、そうとばかりも言い切れない。ここが難しいところだ。

 われわれにとって檻の外とは何だろう。神の世界なのか。ただの自然なのか。死の世界なのか。いずれにしろ、トキと違うのは、トキは自分の中で、ここの世界が本来自分のあり得るべき世界ではないことを、経験としてもしくは記憶として知っているということだ。人間にはその経験や記憶がない。あるように思ってもそれは自分の想像の世界あるいは妄想ではないか、と誰もが思う。

 が、トキのキンだって最後に妄想を見たとも言える。つまり最後のもう終わりだというときに。そう考えればわたしたちはいつも最後を生きている。とすると、最後じゃないもう少し前の生き方には、トキのように、檻の外の記憶が記憶として残されていたのかも知れない。そういう記憶は案外見いだせるのかも知れない。そう考えると、われわれだってすこしは希望が見いだせるように思う。

誰かが誰かにあなたは要らないという時代に  03.10.9
 近況報告。相変わらずです。11月8日にアジア民族文化学会の大会が京都キャンパスプラザで開かれる。そのポスター作り、案内、の印刷と発送を全部自分でやっている。封筒の別納郵便のマークまでパソコンで作って印刷している。これじゃ印刷屋は潰れるな、と思いながら(以前頼んでいた印刷屋は店をたたむそうだ)、俺は何でこういうことに一生懸命になるのか、とあきれながら仕事をしている。

 この努力をもっと研究に費やせば、それこそ、立派な研究者になれるのに、何故か、研究には力が入らないんだよなあ。考えてみれば、普遍的な何かを追求することに寝食を忘れるタイプではないことは確かで、そういうことを考えるのは好きだが、どこかでブレーキを掛けている。一方で、誰かに頼まれたり、自分が必要とされたりすると、仕事を引き受け、忙しくなる。こちらはブレーキがかからない。

 仕方ないから、研究も仕事もということになって人の倍働けばいいんだ、とまあ自分を駆り立てているというわけだ。ということで、忙しい。

 最近、都知事のことがいろいろと話題になっている。朝日新聞で、吉田司が、石原慎太郎について書いていて、テロ容認の発言について、日本人は歴史的にどどっどーと一斉に動く体質があるから、不安だと書いていた。また、都立大の友人が、石原慎太郎の強引な方針によって、非民主的なめちゃくちゃなやり方で、大学改革がすすめられていると言ってきた。とにかく、あちこちで、都知事のことが聞こえてくる。

 冷静に見ると、都知事の強引なやり方で、溜飲を下げているものとひどいめにあっているものと二分されるようだ。ナショナリズムをめぐる発言についても、不安を感じるものと、よく言ったというものと二分されるのだろう。よく考えれば、石原慎太郎の発言で、不安を感じたり、ひどいと感じているものは、実は、今の時代の中ではメジャーな人達だ。逆に、溜飲を下げているものたちは、けっこう不満を抱えているが、発言権をあまり持たない連中だ。それだけでもその発言の戦略性というものが見えてくる。

 石原は、既得権益に固執する硬直した官僚システムの破壊者という立場を取っている。その意味では、田中知事と立場は同じだし、改革の基準に競争原理を持ち出すところは、資本主義的な競争原理の肯定者である。田中的リベラリズムとナショナルな石原と同じ事をやっている、というのも、今の時代の特徴だろう。ナショナリスティックな言説は、一見右翼的に見えさせるが、アメリカのネオコンから比べれば、日本以外の国を自分の普遍的な理念で変えてやるなどと言っているわけではないし、要するに、日本人の鬱屈した被害者意識に言葉を与えてやるだけの、パフォーマンスの言説に過ぎない。むしろ、問題は、その程度の言説に、不安を抱くものの見方ではないか。

 日本人がどどっどーと動くというなら、アフガンやイラク戦争するたびに世論が大きく動くアメリカの方がどどっどーと動くといえるだろう。日本の民衆がどどっどーと動いたのは、近代の戦争の時だけだ。そしてそれは世界中がそうだった。どどっどーと動くのは、国民国家の形成とかかわるが、それは国民の資質と言うより、世論を政治の基準にしていかざるを得ない近代国家のシステムの問題だろう。権力による専制政治の脅威を言うなら、部族共同体連合のイラクだって専制政治を生み出したのだ。日本人の国民性を、国民国家の誕生等と並べて語る論調は、ほとんどファシズムを生み出しかねないイメージになる。日本人は感情的だからとか情緒的だから危険だと言うような理論はもううんざりだ。そうなら、今のアメリカは日本より情緒的だし、イスラエルもかつてのイラクもみんな情緒的だ。

 冷静に見るなら、今の日本人ほどどどっどーと動かない国民は世界にそういない。だから、みんな苛立っているのだ。これだけいろんな意味で危機なのに、いろんな奴が改革だと言って煽動しようと叫んでいるのに、国民は動かないのだ。リストラされても、将来の年金がなくなりそうになっても、動かない。憲法改正だってそう簡単には動かないだろう。その意味では国民が最大の構造改革の抵抗派なのだ。

 日本人は、情緒的だとか、非論理的だとか、ファシズムを生み出しやすいというのは、ほとんど左翼の願望に近い幻想だろう。石原都知事への過剰反応はたぶんこういう幻想が妄想でないことを確認する目的がある。石原が支持されるのは、国民もまた自分の動かしがたさに苛立っているからだ。抵抗勢力の象徴である官僚システムにたてつくものはある程度ヒーロー視される。その範囲内で石原都知事は人気があるだけだ。彼の右翼的言動などたいしたことはないと誰もが知っている。中央の政治から外れているから過激に言うので、中央の政治家になれば、普通の人になるくらいわかっている。彼は思想家ではなくただの政治家なのだから。

 ただ、むしろ深刻なのは、今あちこちの構造改革があちこちで人を傷つけているということだ。都立大では、教員に改革賛成か反対かの踏み絵を踏ませ、それを口外するな、と役人は言っているそうだ。ふざけた話である。

 競争原理も避け得ないし、構造改革も必要だろう。少なくとも、今の日本には既得権益に守られてほんとにのうのうとしている奴が多すぎる。こういう連中をそのままにしておくほどの余裕はない。ソ連だって、共産党の幹部が既得権益を守りだしてから崩壊が始まったのだ。

 ただ、問題はその改革の進め方だ。官僚システムを破壊する改革で犠牲になるのは官僚ではない。多くはそのシステムによってかろうじて生活を成り立たしていた弱者なのだ。そういう弱者へのまなざしを訴えた亀井静香は、たとえそれがパフォーマンスだとしても悪くは無かった。

 今の改革とは、結局、誰かが誰かをリストラしたり、誰かが誰かに敗北を宣告するような、厳しい人と人との緊張の上に成り立っている。こういう時一番問われるのは、その敗北の側の誰かをどれだけ傷つけずに説得するかだ。実は、こういうとき、つまり、人を傷つける時人は冷たく事務的になる。優しい感情を持ったら出来ないからだ。しかし、今問われている本質的な思想とは、こういうときに人はどう振る舞えるか、なのだ。

 改革を叫んだりその計画を立てるのはたいした思想ではない。われわれは近代以降思想というものの生態を知った。それは、思想というものは、人を殺したり傷つけずには実現し得ないものだ、ということだ。残念ながら、いまだにその法則は生きていて、改革の実現のために、人が人を平気で傷つけていくような、荒廃した風景がまかり通っている。

 人を傷つけていく事に鈍感であるとき、そいつはどんなに立派な改革を叫んでも、だめな奴である。何か一番本質的なことが欠落している。その意味で石原慎太郎もだめなのだ。私の職場だって小さな改革があるし、誰かが誰かにあなたは競争原理のこの社会では要らないと宣告している。つまり、傷つける行為はそれなりにある。その意味で、誰もが、そういうときにどう振る舞うのか、悩んでいるのだ。

 敗北してしまえばいいというのも一つの選択である。が、それは安易であるとすれば、われわれは、人を傷つけかね無いときの振る舞い方を、本質に届く哲学として考える必要があるのだ。そういう哲学がないからこそ、今、あちこちで、不満や悲鳴が、あるいは、高慢さや無神経さが、日常的な人間の光景として見えているのだ。情けない話である。

何故自分をかっこよく語らないのか 03.9.21
 9月も半ばを過ぎた。すでに授業も始まり、相変わらずの忙しい日々が続いている。いつも時評で忙しい忙しいとかくものだから、私の忙しさは有名なのだが、しかし、実を言うと、何が忙しいのかよくわからない。確かに、やらなければならない仕事はたくさん抱えているのだけれど、毎日、それを必死にこなしているわけでもない。パソコンに向かって原稿書くぞと、向かうのは向かうが、ちょっとゲームやってからと、ゲームを始めたりして、それで疲れた今日は止めた、なんてのが結構ある。

 だいたい家に帰ってくると疲れているから本も読めない。いや家で本を読んだ記憶があんまりない。それでもけっこう読んだりしているのだが、いったいどこで読んでいるのだろう。たぶん、トイレか電車の中だ。いつも思うのだが、私は勉強が嫌いなのだ。身体を動かすのが好きで、時々職業の選択を間違ったのではないかと思うことがある。

 でも、たぶん、こういう職業について、何とか今までやつてこられたのだから天職なんだろう。別に嫌いなことをやっているわけでもないし、リストラにあっている同世代の連中と比べれば幸せな方だ。今年の春出した著書「古代文学の表象と論理」の後書きに、自分はたいした研究者ではないと書いたら、けっこう反響があった。そういう自虐的なコトを後書きに書いた本は始めて読んだというのもあった。

 が、正直に書いただけであって、もし、初めて書いたことなら他の研究者が自分に都合の悪いことは書かないか、あるいは正直でないかだけの話だ。私は、人生の前半は他人に知られては都合の悪いことばかりやってきて、それを語らない生き方をしてきてあまり快適に生きてこなかった気がするので、後半くらいは、都合の悪いことも(限度はあるが)どうせこんなもんだと、あけすけになるべく語ろうとしているので、どうしても、人には韜晦的な語り口に見えてしまうようだ。

 十年ほど前に最初に出した「北村透谷の回復」の本の著者紹介の欄の職業に、最初に「予備校講師」と書き、次に大学の非常勤講師と書いた。主たる収入は、予備校講師だから、最初に書いたのだが、普通は、大学の講師を肩書きとして最初に書くらしく、そういう書き方をしたのはあまり見たことがないとある人に言われた。そうか、世間は、そんなところに細かい神経を払っているのだ、とその時思ったものだ。でも、そういう神経の使い方は、そのうちよくわかってきたが。

 自分は研究者としてたたいしたことはないと書いたからといって、自分はだめな人間だと言っているわけではない。私は一方ですごく傲慢な人間で、どうせ他の研究者らしい研究者の仕事なんて、面白くもないしたいしたことはないと実は思っているところがあるのだ。(そういう傲慢な私はあまり品がいいとも思えないが)

 たぶん、私と、他の研究者と呼ばれる人とは、知に対する関わり方が違うようだ。私は、どうしても、説明付け得ない世界にすぐ関心が向いてしまい、本能的にそういう対象について実証的な手つきで解き明かす研究の手法に拒否反応を起こすところがある。私の感性はあまりに文学的すぎるのだと思う。というより、実証的な手法にどこか不審がある、ということらしい。

 むろん、私だって、ロジックを使って説明付け得ない世界を何とか語ろうとしている。が、そのロジックを全面的に信用しているわけではない。が、ロジックで語っていけば何かしらの憑依はあるもので、自ずとその憑依が語ってしまう、向こう側の世界が時にはある。そういう語り方がどれだけ出来るか、それが楽しみで、研究らしきことをしているようなものだ。

 実証的社会科学の権化だった共産主義が色あせたのは、社会自体が、神秘や楽しさや、あるいは、論理の届かない向こう側を抱えている、ということに無頓着だつたからだ。それを無視して社会を分析し、変革しようとしても失敗するに決まっている。私に言わせれば、今の多くの研究者は、まだこの向こう側に無頓着なままの実証的科学主義を引きずっている。そういう研究がたいしたことはないというのは、実は、すでに歴史が証明してしまっていることだ。私は、ロジックの使い方は下手だが、面白いことをやつているかどうかのカンは実によくはたらくのだ。

 実は、こういう考え方は、生活の場所に還元してしまう発想なのだ。生活という場所では、人は、世界をどう変えるかということより、生活のリアルな現実の中に見える、快楽や、神秘さや、あるいは、全てが運不運に還元される神頼み的な世界が優先する。人がどんなに知的に成熟したとしても、結局、そういう生活へ還元されることから逃れ得ない。実は、それは、知の担い手が、自分という生活の当事者から逃れ得ないということだ。こういうあまりにも当たり前のことをが、実は、巧みに排除されて、思想とか研究とかいうものが成立し続けている、ということを、私は、今更ながら実感する。

 私の関心は、生活へ還元されたときの私が、どうやつて、生活の中でリアリティを持つ、神秘さや、おもしろさや、神頼みの切実さを排除しないで、知を生きられるか、ということだ。そのためにやってはいけないことは、生活者としてのかっこよくない自分を、自分の知の語りの中から排除してしまう、ということだ。それをふせぐために、どうも、自分を必要以上にたいしたことがないように語る時がある。それは本当の時もあるがそうでも無いときもある。だから、みなさん、ご安心を、というより、だまされないで。

明るい革命家なんているのか  03.9.5
 いやあ、9月に入ってから暑い。こういうのを残暑と普通は言うのだが、今年は夏がほとんどなかったので、何暑と言えばいいのか。遅れてきた夏なのか。

 メジャーでは松井とイチローが不振だ。この二人何となく気になる。中南米系のメジャーの選手と比べると、すごく型にこだわっている。こういうのを日本の文化というのだろうか。みてくれを気にせずにがむしゃらに打とうとしない。確かに型を崩さなければそれなりの良い成績は残せるのだろうが、一度型が崩れると、スランプが長い。機械の故障のような感じがする。彼らのスランプは故障箇所がわからなくて修理できない機械のような状態ということだ。

 それに比べると、新庄は型を持っていない分、良い成績は残せないが、印象は強い。私などは、型を持たない研究者なので、どちらかというと新庄タイプだ。よい成績は残せないが、まあ、誰かの記憶に残ればいいという感じでやっている。が、その新庄もさすがにメジャーに残れないということらしい。寂しいがめげていないところがさすがだ。私などは最初からメジャーじゃないので、落ちる心配はないが、しかし、その割には、いろいろと原稿を抱えている。結局、ライフワークのような仕事に絞って、それ以外の仕事は断るくらいの決意(頑固さ)が必要なのだが、それがない。

 この無節操さがよくないのだが、でも、それなりにたのしいからこういう仕事をやっているので、それ以上の高尚な目的のために励む、という生き方には、どうもなじめないところがある。これは、たぶんに、全共闘世代のトラウマで、高尚な目的のために自分を犠牲にするような生き方は20代の頃に使い果たした思いがあって、もう好きに生きていいだろうという気分にどうしてもなってしまう。が、その好きに生きるというのはどういう生き方かと問われると、答えられないというのがこの世代のジレンマだ。

 かといって自分のために生きるなんて相当のエゴイストでないとできるものではない。せめて、ただ快適に生きられればいいのだと思うしかないのだが、その快適さという基準の曖昧なのがまた問題になる。こういう風に基準のあるわけではない快適さや好きな生き方などと言い始めると、結局は、人との関係をただうまくやつていこうというような気遣いだらけの生活になってストレスがたまるということになる。

 時々、ボランティアをやっている人や、自分の研究目的が明確で夢中になって仕事をしている人が羨ましくなるが、高尚な目的のために突き進めば、他人との関係など気にせずにすむし、むしろ、周囲が気遣って応援さえしてくれるだろう。でも、そういう側に無意識に属さない生き方を選んでしまつた、というよりそういう才能が無いという方が正しいが、最近、何故、そういう生き方を選ばなかったのか考えることがある。

 才能の問題を無視して語れば、そういう生き方には、ある種のパターン的なイメージがあって、どうもそういうイメージが好きでないということがわかってきた。それは、知のヒエラルキーに従って上に行けばいくほど人との関係が貧しくなる、というイメージだ。つまり、知的に偉い人は、精神的に孤独であり、だから、周囲がその人に気遣う。太宰治は「斜陽」の中で、ヒロインに革命って世の中を明るくすることなのに、どうして革命家ってみんな暗いの、と語らせている。考えてみれば明るい革命家なんて一人もいなかった。

 だんだんと孤独になったり暗くなったりする生き方って、結局だめなんじゃないか、と20代の時に思ったが、それは今でも変わらない。ニーチェに惹かれたのはそのせいだが、でも、ニーチェも悲惨なほど暗かった。暗くなる原因は、関係を失っていくからだ。

 関係の豊かさは時に保守的になるから、革命家は関係を嫌う。が、もうそういう単純な反応はだめなのではないか。そう思うから、保守的になろうと何であろうと関係は切らない、というのが私の立場だ。
だから、嫌な奴であろうと、なるべく付き合う(距離は置くが)。かつて、予備校の生徒達に、私は関係を大事にする。こちらから君たちとの腐れ縁を切ったりはしない。だから、いつでも話をしたいときには来てくれ、とかっこいいことを言っていた。来てくれた生徒はあまりいなかったけど。

 明るく生きるには、関係をこちらから切らず、多少のストレスに耐えてでも、みんなとわいわいやるような関係を作っていくということしかないようだ。そういう関係が成立しないところで、高尚な革命思想など成立しないというのが、それなりに悟ったことだ。

 だから、私はあまり酒は飲めないが飲み会にはよく付き合う。ただ、最近、通風とコレステロールが高いのと、忙しいのとで、飲み会に行くのも命がけになってきている(大げさですが)。それで、あんまり付き合えなくなりました。時々断ることが多くなってきたのが残念である。

残暑お見舞い申し上げます 03.8.22
 この時評も夏休みに入って、一ヶ月が経った。再開というわけではないが近況報告がてら、とりあえず書いておきます。

 七月は最後まで忙しかった。成績をつけることや学校の雑務で休んでいるヒマなどない。8月2日はオープンキャンパスで「千と千尋」の映画についての模擬授業。こういう話は得意で、評判は悪くは無かった。何故あの映画で神々達は風呂に入りに来るのか。みなさん考えたことがありますか。花祭りや霜月祭りの「湯立神楽」によってその理由は解くことができる。千尋が異界から帰ると、もとの千尋に戻る。千尋の異界での体験の意味とはなんだったのだろう。考えてみると、いろんな謎の残る映画だが、解き明かせば、それなりに納得は出来る。授業のしがいのある映画なのです。

 さてこれから、本格的に夏休みか、というとそういうわけにはいかない。本来なら、今年の夏は、中国に調査に行く予定だったが中止。のんびりできるかと思ったが、古代文学会のセミナー委員からセミナーでの発表を頼まれ、断れずに引き受けた。何事にも断るのは苦手な私。これで夏の前半はのんびり出来なくなった。

 古事記序文や古事記の表記について最近西条勉の「古事記の文字法」という大著が出て、それから、呉哲男や丸山隆司等もいろんな議論をしている。そういう議論を整理して問題点を探り、自分の考えと方向性を出そうという、人の本や論文を使っただけの手抜きの発表だが、とりあえずまじめにいろんな本を読まなくてはいけなかったので、それなりに時間はかかる。しかも、その考えを、論文一本分の分量の文章にしてレジュメを作ったので、前半は、山荘にこもりひたすらワープロを打っていた。おかげて、19日から21日までのセミナーでは、何とか恥をかかないくらいの発表は出来た(と思う)。

 他人の古事記の表記をめぐる論を読んで気になったのは、どんどん太安万侶の影が薄くなっていくこと。最近の論の方向は、太安万侶は古事記を書き下ろさなかった、という結論に進んでいるので、太安万侶の位置がだんだん消えかかっている。三浦さんなんかは「古事記講義」で、序文なんて9世紀に後から作られたと言っているのだから、太安万侶はついに消去されてしまった。仮に、そういう論を肯定するとして、でも太安万侶なる存在はいたしいなければ古事記は成立しなかったのではないか。その太安万侶と古事記のあの奇っ怪と言われる表記との関係をどのように見るのか、というのが私の論の趣旨。

 16日にアジア民族文化学会の有志と一緒に茅野駅で落ち合い、井戸尻考古館に行った。レンタカーを借り総勢9名ほどで、井戸尻考古館の展示やその土器について学芸委員の小林さんの説明を聞き、井戸尻を拠点に活動している人達といろいろ議論した。

 とにかく、ここの縄文土器(ここの人達は縄文時代とは言わず新石器時代と呼んでいる)はすごい。人間の顔、カエル、蛇といった造形、分娩する女神の絵、月の満ち欠け、死と再生を暗示する様々なデフォルメ。この考古館のグループは、それらの造形に神話を読み取る。その神話を、世界の様々な神話や、特に日本の古事記神話を一つの題材にして、神話を再現しようとしている。とにかく、それらの土器の造形を見ていると、こちらも創造力を刺激されて、落ち着かなくなる。それくらい見応えがある。

 工藤さんが、古事記神話のような神話の残骸と比較するより、現に、生活の道具に神話をデフォルメしてそれを使っている、世界の各地域の民族の事例を紹介して、それらとの比較をしたほうが説得力がでるのではないかと、意見をいい、いや、古事記のほうがいいという考古館の人とひとしきり論争になったが、いろいろと刺激を受け、勉強になった。井戸尻考古館に是非一度行かれることを薦めます。中央線、小淵沢駅からタクシーか、信濃境駅から徒歩。この地域の縄文時代の人々の創造力の豊かさに圧倒されます。

 その後、七名で新野の盆踊りを見に、新野に向かった。16日夜から17日の朝にかけて、三日続いた盆踊りの最終日で、それを見に行こうというもの。宿が取れなかったので、隣の売木村の民宿をとった。夜八時について、10時頃新野に行った。ここの盆踊りは、鳴り物がない。歌だけで踊る。道路の櫓を中心に人々が細長い輪を作り、歌を歌いながら踊る。曲調は御詠歌を思わせるゆつたりとしたものだから、ほんとに祖先を迎えるようなしっとりとした味わいがある。折口信夫がこの盆踊りに感動したというのもわかる気がする。

 あいにくのしとしと雨だったが、踊りの輪はとぎれることはなかった。われわれ12時頃に引き上げ、明け方の5時半にまた戻ったが、踊りと歌は続いていた。6時になると、櫓に掛けてあったたくさんの灯籠を子ども達がそれぞれ持ち、行列を作って、町の隅にある「「お太子様」に向かいそこで和讃を唱えたあと、今度は、神送りに瑞光院というお寺の入り口の広場に向かう。この時の行列が踊り神送りというもので、行列の先に若者を中心とした踊りの輪が自然にでき、やや激しい踊りが踊られ、最後はその輪が押しくらまんじゅうのように縮まって、そして散る。それが何回も繰り返される。それまで抑えていた感情が解き放たれ、また帰っていく死者を引き留めようとする、そういう意志があるごとくである。

 本格的なざあざあぶりの雨の中、広場に着くと、灯籠を広場に積み上げる。修験者の装いの神職が、その灯籠を刀で切る所作をし、印を結んで、祓いの儀礼を行う。それから火をつける。これが実は神送りの儀礼である。祖先である死者を送るのと、残れば禍となる神々を送る祭りの儀礼、あるいは、汚れを祓う儀礼が幾重にも重なった、厚みを感じさせる儀礼である。この日は雨で、火はつかなかった。火は後日つけるので、みなさんはけっしてこの灯籠をふりかえらないで帰ってほしいと終わりの挨拶があり、みんなは本当に後を振り返らずにその場を後にした。

 新野は雪祭りで有名だが、こういう最後の場面は雪祭りの神送りを彷彿とさせる。みんなびしょぬれになりながら、満足して帰途についた。帰り、中村生雄さんを飯田線の駅で降ろし、われわれは、霜月祭りの会場である上村の八幡神社に寄り、霜月祭りの竈や民俗資料展示館を見学。そして茅野に戻った。

一八日に川越に戻り、19日はセミナーのため箱根へ、21日に帰ってきて、今日この時評を書いているわけだ。本当は今日、遠野に行く予定だった。三浦さんはセミナーパネリストとして参加し、今日遠野に行っているはずだ。遠野で「遠野ゼミナール」があり、参加する学生が何人かいれば一緒に行く予定だったが、誰もいないので行かないことになった。おかげで少し休めるというわけだ。

 といっても、9月末までに論文を二本、今年の末までにさらに二本の論文を書かなきゃいけない。どう考えても無理だ、と思うがいつもなんとかなってしまうのが不思議(ただ今年はわかりません)。それでいつも忙しいのです。それに今年は、共立は、9月の始めに授業開始という変則的な学歴なので、授業の準備もある。今日久しぶりに暑い夏になったが、みなさんから届いた暑中見舞いや残暑見舞いに返事も書けず(といってもいつも書かないのですが)、いただいたみなさんここでお礼をいいます。ありがとう。残暑お見舞い申し上げます。

12歳の少年と「海辺のカフカ」  03.7.17
 この時評もだいぶあいてしまった。こんなにあいたのも久しぶりだ。もう時評は終わりかと思った人もいるのかも知れない。正直、そろそろ終わりにしたいとは思っているのだが、何事にも惰性で生きている私としては、終わりを決意するのも面倒なので、このまま自然死状態で終わるようにと、思いながら、また惰性で続けていくというわけです。

 この時評の休みの間、三浦佑之さんから「古事記講義」が送られてきた。授業に使いたい本だったので助かった。三浦さんありがとうございます(だんだん時評が私信になってきた)。

 この時評の休みの間、いろいろ事件が起こった。12才の少年が幼児をいたずらしあげくにビルから突き落とした。まったくやりきれない事件だ。12才の少年は明らかに病を背負っている。小6の女の子4人が28の男のマンションに監禁され、男は自殺。4人は保護された。男は、デートクラブのチラシを作っていた。この男もたぶん病を背負って生きていたに違いない。自殺の動機はわからないにしろ、そろそろ決着だと思ったのかも知れない。

 この時評の休みの間、村上春樹の「海辺のカフカ」を読んだ。12才の少年が逮捕されたとき、私は、何だほとんどこの「海辺のカフカ」の世界ではないかと思った。カフカ少年は、15才だが、内側に深刻な闇を抱えて生きている。少年にしては、意志的に生きている。普段は物静かで、時々切れることがある。読書好きで学校の成績もよい。身体が大きく高校生に見られる。実は、この特徴は、あの12才の少年とほとんど同じなのである。

 12才の少年の身長が164pあって、高校生並みだ。読書好きで、成績も良く、時々切れる。心に深刻な闇を抱えていたことは、やったことを見ればわかる。

 村上春樹は、今までは、心の闇を抱えた人間を描くときはもっと大人を描いた。少なくとも、大学生くらいから描いた。それは、闇を抱えた根拠というものが、誰にも一度は訪れるような、青春時代の激しい葛藤の一つの帰結、もしくは、絶望に至る前に絶望のなんたるかを理解してしまった、一人の孤独な心にあるとしたからだ。つまり、そういう孤独さは、中学生や小学生では持ち得ない、という人間観がそこにはあった。

が、「海辺のカフカ」では違ってしまった。中学生に、心の闇を負わせた。そうなると、その闇との少年のつきあい方は、今までとは違うものになるはずだ。寂しい声で「やれやれ」といいながらビールを飲むわけにはいかないからだ。この小説は、少年の成長物語のように読まれているが、とんでもない。なぜなら、このカフカが抱えこんだ闇は、通過儀礼によって克服すべき対象ではなく、それは明らかに深刻な病であって、とすれば、それは治療すべきものなのだ。

 しかし、決定的な治療は異界に行くことでしかない。つまり、そこから帰らないことだ。「千と千尋の神隠し」のように、異界から少女ががんばって戻ってきても、この世に出たらそこに成長はない。解決はすべて異界の側に握られている。ナカタさんはそのことを象徴している。異界の力を手に入れたナカタさんは、異界に連れ戻す者は連れ戻し(例えば佐伯さん)、この世の悪とは異界の力で戦う。解決はすべて異界の側にゆだねられている。だから、ナカタさんの物語はほとんど寓意の物語になる。

 カフカは千尋のようにこの世に戻るが、闇を克服したのではなく、闇とのつきあい方を覚えたに過ぎない。たぶん、酒が飲める年齢になったら、この少年は、「やれやれ」と言ってビールを飲むようになる。

 問題は、何故村上春樹が少年の心の闇を描き始めたのかということだ。それは、もう今の時代は少年の心の世界から、この世界のある意味での崩壊が、兆しのように始まっているということを、感じている、ということであるだろう。小学生の首を切り取った神戸のあの14才の少年は、心の闇が表にかなり出ていた。この14才は社会に対して挑発的的だった。その意味で彼は、そんなに壊れてはいない。社会が壊れている、ということを彼の精神と肉体が過剰に先取りしただけだ。つまり、壊れた社会を自分の生の快楽に転換する抽象性があった。その抽象性の分、彼は、大人だった。

だが、今度の12才は違う。どうも、自分や社会が壊れているという自覚が欠けている。つまり、抽象性がない。だからこそ、本当に病んでいる。

 カフカ少年は、あの14才とこの12才の中間的な位置に居る気がする。カフカ少年は自分の闇に自覚がある。が、それをジョニーウオーカー(父)のように悪意として外に表現出来ない。カフカ少年はどうしていいかわからない。母親と寝るという予言の実行についても、母親は、子どもと寝たわけではなく、死んでしまった昔の恋人と寝たに過ぎない。少年はその恋人になり代わっただけだ。自分がそこにはいないのだ。結局、カフカ少年の努力らしい努力は、異界訪問くらいだ。

 村上春樹の出来ることは、それはわれわれができることでもあるが、壊れてしまった心を抱えたら、12才の幼児殺しの少年のように無自覚ではなく、しかし14歳の少年のように、悪意をもってその闇を表出するのではなく、それこそ風の音を聞くように闇と付き合っていく、というところに着地していくしかない、ということだ。それを15歳のカフカ少年だけではなく、12歳の少年の年齢までやらなくてはならない、ということろまでわれわれの社会は病んでいるということだ。

楽しんでいることを教えられるか 03.6.23
 ようやく体調も戻った。が、相変わらず忙しい。今日の朝日の一面に、定員割れの大学・短大は三年で補助金打ち切りとでかでかと出ている。おいおい大丈夫か、うちの大学は。定員割れといっても半分に満たないということらしいのでまあ大丈夫とは思うが。でも油断したら危ない。短大の方は、来年看護学科が出来るし、新校舎にも移れるし、何とか最後の短大もしくは日本最強の短大としてがんばれそうだ。

 私のいる短大日本語・日本文学科は来年新カリキュラムに変える。L&Cカリキュラムといって、リテラシー、リテラチャー、クリエイト、カルチャーの四本柱の枠を作った。リテラシーはことばの技術やプレゼンテーション、リテラチャーは文学、クリエイトは詩・短歌・小説の創作、カルチャーは文化論というもので、堅苦しくなく、楽しく文章を書き、創作し、そして教養を身につけるというものだ。共通科目に、情報処理や資格サポートの科目、例えば観光英語資格や秘書実務資格などの科目群も作った。

 このカリキュラム改革は私がこの短大へ入って以来の大改革である。言い換えれば、いままで何にも出来なかったし、してこなかった。実は遅いくらいなのだ。このカリキュラム案の骨子は私が作ったが、これが実現するまでは実に大変だった。どこでも旧いものを新しく変えるのは大変だ。私などはほとんどあきらめていた。が、通ってしまった。よく通ったものだ。それだけみんな危機感が強かったということだ。

 が、これからが大変だ。器は作ったが、今度は中身を入れて行かなければならない。誰がどの授業を受け持つか、新しい講座はどういう講師に頼むのか、問題山積である。この改革のポイントは、旧来の文学部的なカリキュラムを優先させなかったことである。どこの大学・短大でもやられていることだ。目新しくはないが、要するに、需要を優先すればこういう改革になる。

 学生のほとんどが本を読まないで大学短大へ入ってくる。こういう時代である。むろん、社会を生きていくに必要な知識技術は、本というものを読まなくても身につけることができる。多様なメディアがあり、つまり、本なんぞ読まなくてもむそこそこの必要な教養は身に付く時代だ。むろん、考える力が身に付かないと誰もがいう。その通りかも知れないが、本を読まないと考える力が身に付かないというのもおかしな話だ。

 こういう時代に教えるということはどういうことか。教養というものが、実は、生きる知恵であることをきちんと伝えることではないかと思う。むろん、その知恵としてのあり方は様々だ。直接役立つものもあれ
ばそうでないものもある。だが、重要なことは、いろんなことを知ることは、今を楽しくするということだ。楽しくなるだけで、生きることに影響を与える。とすれば、そうなる方向に教えていくことだろう。

 どんな難しい哲学だろうと、専門的な知識や技術であろうと、それを知ることがどうして楽しいのか、それを説明する責任、また教える側が楽しんでいることを伝える責任がある。これが教える側に今問われていることだ。つまり、そういう方向でカリキュラムも変えて行かざるを得ない。とくに短大のような、自分の将来に明確な目的を持っているわけではないものたちが入ってくるところでは、なおさらそうなのだ。楽しむ(おもしろがる)ということは、現代社会を生きるための最大の知恵である。

 楽しむ(おもしろがる)ということは対象から距離を取ることだ。距離がとれるということは、実は案外に大変なことなのだ。本をたくさん読んでも距離をとれない奴はいくらでもいる。本なんか読んでなくても、距離がとれて人生を楽しんでいる人もたくさんいる。でも、教養はあった方が距離が取れる。教養とは、自分や他者を抽象化し、距離を作る作業だからだ。

 今度のカリキュラムはそういう距離が取れるような教養が学べるようにはしたつもりだ。先週の金曜日に、卒業生達との飲み会があった。彼女達は会社の同僚に、短大で、異界のことや神懸かりのことや妖怪の事などばかり学んでいたと言ったらみんなうらやましそうだった、と言っていた(断っておくがわが短大はそういう事ばかりを教えている訳ではない。ただそういうことを教える教員がいて、私とか、津田博幸とか近代では一柳さんとか、彼女たちはそういう授業だけが記憶に残っているということだ)。それでいいのだと思う。彼女たちは十分に楽しんだのだ。


風邪を引いた日本  03.6.11
 また風邪を引いた。医者に行ったら医者に今年はさんざんだね、と言われた。どうも、7・8日と岩手の遠野で学会があり、やや薄着をしていたせいらしい。会場も新幹線も冷房が強くて、それにやられた。司会を任されて自由に場所をうごけなかったのもよくなかった。

 去年の授業の記録を見ていたら、6月4日に風邪で休講とある。冷房にやられたと書いてある。なんだ去年も同じ時期に同じ理由で風邪をひいている。進歩がない奴だ。ただ、今年は連休後にも一度声のでなくなる風邪を引いているので多いかなという感じはする。奥さんに風邪を引いたと言ったら、自己管理が出来ていないと一言。返す言葉がない。その通り。たぶんどこかで風邪を引きたがっているのではないか、とも思う。それが自己管理の甘さになっているのだろう。

 私の身体が仕事を拒否している、ということだ。とにかく、今の時期休めない。だから身体は休みたくなる。どうも私は風邪を引くことでバランスを保っているらしい。風邪を引かないでいると、突然死するのじゃないかとも思う。そう考えると、風邪も悪くはない。風邪とともに生きる、だ。

 人は病になると社会のことなどどうでもよくなる。入院している患者に見舞いに行って、最近の政治をどう思うなどとだれも聞かないのと同じだ。病になると人は自閉的になる。自閉的にならないと病は治せないということでもある。この理屈を今の日本の社会に当てはめれば、今の日本の社会は病である、ということになる。どうもあまいろんなことに関心を向けているようにも思えないからだ。そのことを非難するまえに、病と考えた方がいい。

 私と同じだとすれば、病になることでバランスを保っているということかも知れない。近代日本は少し忙しすぎだのだ。アジアの中で先頭を切って走りすぎ、みんなに迷惑をかけて、その結果精神的にゆがみが生じ、身体にガタが来始めたのだ。たぶん今深刻な風邪を引いているのだ。そういう時は、無理に世界に貢献しなきゃなどと思わない方がいい。しばらく入院してた方がいい。世界への貢献は、元気な人がやるからいいのだ。

 最近日本でもネオコンが増えてきているらしい。何でも、若手の官僚の半数は日本も核を持つべきだという考えをもつているらしい。つまり、日本が病などと思っていないのだ。健康だから、世界の一線で働かなきゃ行けない、それには、武装だって必要だという論理らしい。こういう連中は、もう少し、日本の近代の歩みを反省した方がいい。

 日本の病の要因の一つはアジアからの孤立にある。北朝鮮への過剰な反応も、アジアから冷たい目を向けられていることの裏返しでもある。戦後処理が出来ていない日本はアジアに対し精神的な負い目がある。それをアジアは知っている。その負い目ゆえに、無防備になり、無防備への反動として、過剰に防備に走る。どうもそれを繰り返している。反応が情緒的なのだ。

 日本の近代は、アジアとの精神的な距離を隔てる歴史だった。ある意味でそれは当然だつた。アジア的な段階を否定しなければ西欧的な近代は引き寄せられなかったからだ。が、内なるアジアを否定したまではいいのだ。それは内なる病に過ぎないから、直せないこともない。が、外なるアジアを否定したということは、実は、かなり深刻な問題なのだ。日本はまだその深刻さに気づいていない。

 日本がアジアではないと思っていられた体力のある時代は、外なるアジアの否定はさしたる問題ではなかった。が、今は違う。外なるアジアとの関係そのものが、日本の病の原因となったり、あるいは、致命傷になったりする。日本はアジアに対して、俺はもう疲れた、そんなに速く走れない、と宣言すべきなのだ。北朝鮮に対しても、アジアの問題として解決を図る努力をしないと、結局は、解決できない気がする。この問題の背後には、日本のアジアへの侵略という歴史の事実が重くのしかかっているからだ。

 日本のネオコンに共通するのは、アジアという関係の中で存在することの重さへの認識がないことだ。でなければ、核武装に賛成するなどという考えが出るはずがない。日本が核を持てば日本はアジアの中で孤立する。アジアで孤立すれば、世界で孤立するだろう。アメリカのように強力な経済力があれば別だが、今の日本に孤立に耐えるだけの体力はない。

 病でいいではないか。実際病んでいるのだから。この病を治すには、近代日本の抱え込んだ病巣を取り除いて行かなきゃならない。官僚国家のシステムもそうだが、アジアとの関係もそうだ。こういうときは、世界の一員として元気に振る舞う必要はない。国民に病巣から目を背けさせるために、外側に注意を向けさせるのは、よくある為政者のペテンである。そのことをよく知るべきだ。

温泉で考えた  03.5.31
 忙しくなると、この時評の間隔もあいてくる。書く時間がないというより、何にも考えが浮かばない。ルーチンワークをこなすだけで余分なことを考える余裕がない。こういう商売は、実は、いつも余分な事を考えていないとだめなのだが、現実は皮肉なもので、授業の準備、学校の雑務、組合の仕事、学会のこと、研究会等への準備と、実は、忙しさの大半は余分なことそのもので、余分なことそのものがルーチンワークになっているのだ。これはいけない、仕事を減らさなくては、と思うのだが、出来ない。どなたか秘訣があったら教えてほしい。

スローワークとかスローフードとかスローライフとか何でもスロー流行りだが、死ぬほど働いているやつが居るから誰かがスローなどとほざいていられるのだ。それが世の中というものだ。出来るなら死ぬほど働く方ではなく、のんきにスローがいいと言っている側に回りたかったのだが、どこで間違ったのか、死ぬほど働く側になってしまった。きっと前世の行いがよくないのに違いない。

 このところ、学会の大会を口実にあっちこっち出張している。夏の中国行きがだめになったので、大会出張で研究旅費を使っている。先週は北大で上代文学会の大会があったので、札幌に行った。帰り、東北で地震があった頃だが、千歳空港から車で一時間ほどのところにある支笏湖湖畔の温泉に寄って、湖を眺めながら露天風呂に入って、その夜遅く東京に帰ってきた。これはなかなかよかった。支笏湖の丸駒温泉というところへ行ったのだが、ここはおすすめです。露天風呂と自然以外何もない温泉宿だが、それがいい。こういうのをスローな宿というのだろうか。私たちは半日日帰りの客でスローというわけにはいかなかったが。

 露天風呂から支笏湖を眺めながら考えた。何で俺はこんなに忙しく生きなきゃならんのか。漱石の「草枕」みたいだ。露天風呂で哲学的な事を考えるのは、深刻にならなくていい。のぼせているから考えが深まらない。そこがいい。

 別に答えがでるわけでもないが、要するに意志が弱いだけだ。生き方のスピードは、その人の関係の作り方によって決まってくる面がある。奥さんとの関係、友人との関係、職場との関係、その関係の構成の仕方に、たぶんに忙しく生きなきゃならないようなケチな要素(というより社会的な要素だが、それに従順であるからよくない)が働いた。そして、わかっていてもそれが取り除けないのだ。それは、関係の構成のしかたそのものの作り替えだからだ。自分がスピードを緩めても止まれない、集団で疾走しているゲームみたいなものだからだ。

 こういうしがらみを切るのに、出家のような発想になるのは、まじめなタイプだ。私はまじめではないから、むしろ、いっそのことこれを楽しんじゃおうというタイプだ。今、人より忙しくして何とかやっていけているのはどこかでそれを楽しんでいるからだ。世の中なるようにしかならない。私がどんなにがんばったって、勤め先は沈みっぱなしだろうし、給料だって上がらないだろうし、研究だってそんなにすごい成果があるというものでもないだろう。でも、だからといって、それがどうした、そんなことを基準にして日々生きているわけでもない。

 札幌の街はそれにしても閑散としていた。建物が大きいせいなのかもしれない。夜、駅周辺の道路を歩いていても、ほとんど人が通らない。不況の代名詞のような地域になってしまったが、それでも、最近建った駅ビルの食堂街は若者で混雑しているし、すすきのには酔っぱらいはいるし、日常とは景気がよかろうと不景気だろうと変わんないものなのだと思う。リストラにあってもたくさんの人が職がなくても、けっこう楽しくやっているものなのではないか。そうなったとき私が楽しくやれるか心許ないが、何とか楽しくやれそうな気はする。

 ただ時々身体の物理的限界というものがあって、風邪を引いたり体調を崩したりする。悪いことに、体調を崩すぎりぎりの身体感覚に慣れてしまって、そういう感覚でない逆に不安になってしまう。こういうのをワーカホリックと言うらしいが、つまり中毒になっている。楽しむのはいいが中毒を楽しんではいけない。こういうところに意志の問題がからんでくる。意志が弱いのは、何事にもよくない。 

 来週は、遠野で口承文藝学会の大会がある。私はまだ役員だから行って手伝わなくてはいけない。今回は日程に余裕がないので、温泉は無理だろうなあ。

移動するリスク  03.5.12
 この時評もだいぶ間があいた。実は、いつもそうなのだが、忙しかった。この間二度風邪を引いた。一度目は声がまったく出なくなった。土佐に行って少し寒いなあと思ったのが原因の一つで、それから、暑かったり、寒かったりで結局体調がおかしくなってしまった。考えて見れば、去年の連休も風邪で前後に休講している。まったく毎年同じことを繰り返している。

 アジア民族文化学会の春の大会が10日に行われ、何とか無事にやりおおせた。一番忙しかったのは、この大会の準備があったからだ。私は事務局代表で、会場校でもあり、しかも今回は発表者だ。とにかく、自分でなんでもやるのが性分なので、この学会の大会の準備はだいたい自分でやる。今回はポスターまで自分で作った。今まで外注していたが、自分のパソコンとA3まで印刷できるプリンターが有れば出来るだろうと二百枚ものポスターを印刷し、各方面に配った。ちなみに、封筒に印刷されている、学会の住所もパソコンとプリンターで印刷したものである。今、やろうと思えば自分で何でも出来る。印刷屋が潰れるのは無理ない。彼らには申し訳ないが、経費節約を考えると自分でやるしかないのだ。

 アジア民族文化学会がこの夏に企画していた、雲南大学との中日民俗文化学術シンポジウムが正式に来年に延期になった。SARSのためである。雲南省はまだ公式には感染者は出ていない。が、本当のところはわからない。出ていないとしても、今の中国の状況から見ると夏の開催は無理だろう。だいたい、内陸部の奥の村がわれわれを入れるはずがない。今、内陸部はウイルスを持ち込ませないようにかなりナーバスになっている。外国人のわれわれが行ったら絶対に拒絶される。つまり、延期の理由は、雲南省の奥地で開催されるがために、その地域では、中国全土や外国から来る研究者を受け入れないだろう。中国が危ないのではなく、われわれの方が危ないということだ。

 実は、今度のウイルスは動物を媒介にしている、という説がある。コロナウイルスの変異体でインフルエンザのウイルスの一種であるらしいが、渡り鳥が運んできてウイルスが雲南あたりの家畜に感染し、突然変異で人間に感染するように変化して、香港あたりの人間に広がっていく。ということらしい。つまり、自然界のグローバリゼーションがウイルスの次元ではすでに成立しているのだ。移動するということは、変化していくということである。その変化に対応するまでの障害を伴うプロセスが病気ということになる。

 とすれば、移動を原因とする病気を防ぐのは移動をもしくは変化を拒絶すればいいわけである。この病気の感染者は、香港、広州、北京、など移動する人々の都市に集中している。まさに、自然界の移動と人間の移動がシンクロしているというわけだ。だから、この病気の予防は徹底して移動の拒否である。今。中国では、北京にいた人間は地方の村には入れない。移動が拒否されている。北京でも、感染者は隔離され移動を拒否される。ウイルスは自力では移動できない。媒体となる人間を移動させなければ、ウイルスは広まらないのだ。

 中世ヨーロッパのペストの流行も、モンゴル帝国のグローバリズムと関係していると言われている。性病の流行もそうだ。アメリカ大陸の発見とともにもたらされた性病はあっというまに、世界中に広がったが、それが植民地主義のグローバリズムと重なるのである。エイズもそういつた面がある。移動は快楽と危険を伴う。その原理は生物界においても同じなのだ。しかし、免疫力というのも、移動するという原理が生み出した一つの摂理のようなものだ。移動を想定していなければ、つまり純粋に培養されている世界では免疫力は必要ではない。そう考えると、中国はきっと来年は相当の免疫力をつけているだろうなあと思う。

 日本でまだ感染者が公式に出ていないのは、その理由がよくわからない。幸運なのか。けっこう移動していて免疫力がついたのか、いやそんなことはないだろう。むしろ、大陸ほど人との接触が少ないからだと言うべきだろう。つまりまだグローバリズム化していないからだ、ということだ。だから免疫力もない。だから、不安な面もある。いずれにしろ、今度の中国でのシンポジウムが延期になったことで、移動する時代がどんなリスクを抱えているのかを身近な問題として知らされた。ほっとしたところもあったが。

戦争は文化なのか 03.4.21
 昨日、おととい(20・21日)と高知に行っていた。土佐市で供犠論研究会があり、縄文晩期の居徳遺跡(土佐市)のシンポジウムが土佐市であるのでそれに参加しようということになったのだ。高知にいったことのない私は、まず高知にいきたいがために参加した。

 シンポジウムは日本ナイル・エチオピア学会主催(こういう学会があるんだ)の「狩猟と戦争の起源を考える」というシンポジウムで、著名な考古学者が集まった充実したものだった。居徳遺跡から発見された人骨に、最初に殺傷痕を見つけ、人間の残虐な面を縄文晩期にもあることを指摘した松井章氏の研究から居徳遺跡は話題になった。つまり、戦争の起源は稲作の始まる弥生時代からで、狩猟中心の縄文は戦争はなかったとする佐原真の説の修正をはかったものだから脚光を浴びたというわけだ。

 特に、イラク戦争のことなどもあり、戦争の起源の話となるシンポジウムだった。このシンポジウムを聞きながら考えたのは、戦争は文化なんだろうかということだ。一方で首狩りのことを考えていたから、こういうことを考えたのだ。インターネットの何かの掲示板で、捕鯨も文化なのだから、それを反対するのはおかしいという意見に対し、それなら首狩りも文化なのか、首狩りも文化ならおぞましい首狩りも反対できない。だから、鯨を獲ることが文化だというのは間違いだ、という意見が反論としてあった。

 間違いなく、捕鯨も文化だし、首狩りも文化だ。それなら、首狩りも捕鯨も反対出来ないのか。むろん、それは違う。文化だから反対できないという論理の建て方自体が間違っている。文明という言い方をすると、そこには進歩の概念が入る。が、文化は人間の精神の事象を含み込んでいて幅が広い。進歩という概念と無関係である場合だってある。そう考えれば、ある場合には、人の肉を食うような文化もあるのだ。

 その意味で言えば、殺傷痕のある人骨の発見は、たんなる殺人の痕跡なのではなく、あるいは、骨を貫通させるような文明の利器の痕跡の発見なのではなく、人間を殺すというわれわれの文化の発見なのでもある。その殺傷痕が尋常なものでないとすれば、殺すことへのある過剰な精神の発露があり、そこに、人間の内面が実は見えているのだ。つまり、殺人という形式を通してしか実現しえない精神のある隘路がその殺傷痕にはある。そして、感じることは、その隘路は現代のわれわれにも受け継がれているということだ。文化とは、精神という事象の普遍的な形の問題だとすれば、殺人も戦争も立派な文化である。

 むろん、縄文の戦争と弥生の戦争は違ったはずだ。唯物論的には生産の形式や富の蓄積が違うから、そこに発露された人間の精神の過剰さが違う。暗さが違う。暗さとは、社会が複雑になるにつれ割り切れない負の部分が蓄積されるその蓄積のことだ。

 富が蓄積されれば、富を持つものと持たないもの、持っているときと持っていないときとの落差が生まれ、その落差に耐えられないときに、人間の精神はおそらく負の感情を蓄積させる。戦争は、そういつた蓄積された感情の、暴発であったり、あるいは解決であったりするだろう。縄文時代にそういう負の感情が蓄積されていなかつたとは思わないが、たぶん、その負の感情は、自然対人間という対立としてしか創造し得なかった面を持つ。その意味では、戦争の相手が違っていた、と言えるかも知れない。

 弥生の戦争は、国家的な権力に近いものを人間が神に代わって持ったことによって、戦争の対立構造つまり敵がはっきりしてきた、ということではないか。共同体もしくは国家というものがある時とないときの落差、それが眼に見えるようになったとき、その落差の不条理(自分という存在が、共同体や国家によって決まってしまうのだ)に人々は負の感情を蓄積し始める。戦争は、だから、共同体や国家同士の戦いになる。自らが属する共同体の消滅の不安に耐えられず他の共同体を消滅しようとする。それが戦争というものだ。

 われわれは今、ある国家が消滅した様を目撃している。イラクはまさに、国家の消滅におびえ戦争を続けそして消えた。アメリカもまた国家の消滅におびえ戦争を続ける。しかし、この戦争もまた理不尽な戦争だった。

 映画「ブラックホークタウン」はある意味ですごい映画だった。ソマリアでアメリカ軍は多大な犠牲を払う。あの映画を見た者はアメリカ人が何百人も死んだのではないかと思う。やたらにアメリカ兵が撃たれるシーンがでてくるからだ。ところが、映画の最後のテロップでアメリカ兵の死者は18名、ソマリア人は1000名と出る。その数の不公平さに、思わずいったいこの映画は何なんだ、とつい叫んでしまう。そういう映画なのだ。1000名の死にではなく18名の死に感情移入して描く戦争映画。つまり、今度の戦争もまたそれと同じ物語が繰り返された。

 この死者の数のあまりもの不公平さ。これはいったい何なのだ。簡単に言えば、金持ちと貧乏人の不公平さであり、教育を受けたものと受けない者の不公平さであり、人種と人種の不公平さであり、生まれた国による不公平さである。例えば、米英軍の死者のほとんどは、前線の兵隊であって、特にアメリカ人の前線の兵隊のほとんどは黒人かヒスパニック系だ。死ぬときは彼らが死ぬ。

 アメリカの将校は100%大学出だが、下士官以下の兵隊は大学出は10%しかいない、ということだ。今度の戦争は大学でのテクノクラートの将校がノートパソコンで戦術を立て、大学をでていないマイノリティの兵隊がその指示で戦い、時には味方の誤爆を受けて死んだりする。つまり大学出は死なない戦争なのだ。イラクは一部の金持ちは本当に金持ちだが、後はほとんど貧しい。金持ちは国外に逃げ、貧しい者たちがアメリカ軍に戦いを仕掛けたり、爆撃で死んだりしている。

 圧倒的に豊かなアメリカの兵隊は死なず、貧しいアラブの国の兵隊はたくさん死ぬ。この不条理に耐える方法は、自分を越えた国家なるものに属ししてしまうことだ。が、今度は、この国家なるものの消滅の不安におびえる。二重三重に負の感情を蓄積させ、戦争へのエネルギーを蓄える。これを防ぐ手だては、国家や共同体の価値を個の存在に比して低くすること、のうちにしかない。国家や共同体の消滅に耐えられる個の生活を作り上げるしかない。むろん、それがどういう生活なのかは答えられない。

アメリカはトロッキストになった  03.4.7
 ようやく、新学期を迎え、忙しくなってきた。これから睡眠時間は確実に平均2時間は減るだろう。みんなから楽な職業と言われることもあるが、実際楽なのかどうかよくわからない。とにかく、仕事の時間と仕事以外の時間の区別のつかないことが、われわれの職業の特徴だ。といっても、中には区別している人もいるだろうが、教育と研究をまじめにやれば絶対にきつい職業である。ただ、まじめにやらなくても、給料も減らされず、リストラにもあわない、という構造改革対象業種なので、楽にしようと思えば楽である。が、最近かなり厳しくなってきた。大学の教員を目指している人がいたら、言っておきますが、これからはそんなに楽じゃありませんよ。リストラだってありますよ。平成19年度までに私立大学の300は潰れるという試算もある。

 この時評も短い期間の更新は今の時期だけだ。とくに今イラク戦争の最中なので書くことはたくさんある。

 前々回の時評で、アメリカネオコンは過激派と書いたが、実は、これは本当である。ネオコンの若きリーダーにウイリアム・クリストルという人物がいるが、この父親のアービング・クリストルが実はネオコンの総帥である。このアービング・クリストルは元トロッキストである。

 ちなみにインターネットで引いた京都新聞(03.3.21)の記事の一部を紹介しておく

 彼らが「新」を付けて呼ばれるのは、実は元トロツキストや民主党の革新派から保守派への「転向組」だからだ。 1970年代に左派の行き過ぎに嫌気が差して右に方向転換した。クリストル氏の父親で元トロツキスト、「ネオコンの始祖」とされる評論家アービング・クリストル氏は「現実に襲い掛かられた革新派」と自分たちを定義する。「現実を見て甘い社会主義革命の理想など捨てた」という意味だ。 「世界に米国の価値観を」という主張を見るとトロツキスト的な「世界革命」の夢を捨てていないようだ。 ネオコン・グループにはニューヨーク出身のユダヤ系知識人が多い。

 何のことはないわれわれ全共闘世代と同じなのだ彼らは(アービング自身は古い世代のトロッキストであるが)。われわれと同じく70年代に革命の夢の甘さに気づき、革命への幻想をアメリカの帝国主義の力に託したのだ。つまり、共産主義世界革命というトロッキーの夢を民主主義世界革命への夢に変えたのである。イラク戦争はその夢の実現の一歩なのである。

 この戦争には、われわれ全共闘世代の夢が託されている、などと考えると複雑な思いにとらわれる。が、同じ全共闘世代としてこの路線は間違いであることを言っておかなくてはならない。

 われわれかつて政治革命でなく社会革命でないともう世界は変わらないということを主張していた。というのは、これからの時代は、国家という概念そのものの変容を迫られるからだ。政治革命は国家権力をとれば革命が成功するという発想であり、その発想は、世界の構造は国家対国家によって成り立つという19世紀的世界観に裏付けられている。

 が、21世紀は、国家対国家という世界観は確実に変化する。世界の資本主義化、あるいはグローバル化によって、生活世界や市民社会が世界の構造の中に確実に形を持ち始める。つまり、それらの相対的な自立によって、国家の相対的な価値が弱まる。とすれば、革命の対象は必然的に生活世界や市民社会そのものに向かわざるを得ない。言い換えれば、国家権力を奪取したところで、革命は成功しないのだ。われわれの生活のあり方、それは人と人との関係や文化といったものを含めて、どう変えるのか、という課題をすでに革命は含まざるを得ないのである。

 とすれば、その革命は時間がかかる。20世紀がわれわれに見せつけたのは、まず国家を支配し、上からの意識改革で人々の生活や文化を啓蒙的に変えていくと言う時間のかからない手法は無惨な結果に終わる、ということだった。それは民主主義でも同じことだ。発展途上国で、西欧の民主主義を取り入れ、それがうまく機能している国家はほとんどない。うまくいっている日本ですら、政党の政権交代はほとんど機能していないのである。

 日本の民主主義がアメリカによっておしつけられたものではあるにしても、実は、明治以来の自由民権運動や形式的にであれ民主的議会政治を自力でつくりあげた実績があったからうまく機能したのである。たぶん、イラクで同じことをやろうとしても無理である。

 イラクはファシズム国家だった。ファシズム打倒はトロッキストの夢である。だから、今回の戦争はある意味で古い革命戦争の要素があった。が、もし革命を言うなら、それはイラクの人々自身が、彼らの宗教性の追求と自由への願望と生活の豊かさといったそれぞれの矛盾した要素を、どういう仕組みにおいて実現するのか、ということへの試行錯誤の試みの中にしかないはずだ。社会革命というのは、そういう当事者の革命にどう参加するかという問題なのである。

 21世紀のグローバル化社会はそういった参加をしやすくしたと私などは思う。ところがアメリカのネオコンは、政治革命をやろうとした。国家を奪取して、上から民主主義をみんなに与えようという発想である。その不毛さはすでに20世紀の共産主義革命の輸出という世界革命路線の破綻によって明らかなのであるが、彼らはアメリカ帝国という力によって可能になると信じたのだ。イラクのファシズムは打倒できても、民衆を変えることはできない。もし変わるとしたら、アメリカの力によって変わったのではなく、彼ら自身が世界とつながることで、変化への意志を持ったからである。むろん、戦争がそういう世界へとつながるきっかけを作ったことは否定しない。が、そういうきっかけは戦争を経なくてもいずれはやってくるのである。

 ファシズムでさえ、戦争という手段を用いなくても、フセインが病気かなんかでそのうち死ねば解決がついたろう。北朝鮮以外、ファシストが死んだらだいたい独裁政権は終焉している。それを待ってもよかったのである。ただ、それを待てないのが過激派なのだ。そのために大勢の命が失われた。
 
戦争と市民 03.3.31
 戦争は、世界観や将来への論理を単純化する。だから、こういう時は、優れた論理は生まれにくい。いいわけではないが、だからこの時評もやりづらい。戦争批判は誰もがやっているから、同じことを繰り返すのもいやだ。だからこの戦争で気づいたことを書く。

 前回、ブッシュを過激派にたとえたが、別にブッシュを援護した訳ではない。ただ、過激派というのは、常に少数派であったのに、今の時代、マジョリティになりつつあるのが怖い。ブッシュやネオコンもアルカイダもある意味では多数派だ。これは、国家対国家という旧来の枠組みでの戦争が成立しなくなったということのあらわれでもあるだろう。言い換えれば、国家対国家という利害の対立では説明仕切れない戦争要因を世界は抱え込んだ、ということである。

 アルカイダのテロの論理も、世界を善と悪で分けるブッシュの論理も、国家という枠組みを超えるものである。今度の戦争もアメリカは戦争の相手を国家とは言っていない。国民を解放する戦争と主張しているのは、敵は、独裁者という体制であるということであって、アメリカは、その独裁者に抑圧されている国民の代わりに戦うということである。むろん、理屈はどうにでもたつとしても、そういう言い方をしている戦争だということがここでは重要だ。言い換えれば、かつて、ドイツや日本の独裁者と戦うとき、その国民と独裁者を戦争の対象者として切り離さなかった論理がすでに成り立たなくなってきている、ことを意味するからだ。

 これには二つのl理由が考えられる。一つは、国家に対して独立に存在する市民という存在が世界大に広がっている、という期待が、欧米諸国にはあるということである。つまり、民主主義の基礎である、自立した市民層が存在する限り、国家への攻撃と市民層への攻撃は区別されなくてはならない。なぜなら、独裁者に支配された国家が倒れた後、民主国家を作るのは市民層だからである。独裁者を市民層が作ったということは実は、市民という理念からはあり得ない。そう考えるところに欧米のジレンマがある。つまり、世界は、欧米の国家と同じような構造にすでにあるという期待があり、市民を攻撃しないのは、その信頼の故である。

 が、現実は、そうではない。中流層が存在する一部のアラブの国には市民は存在するが、多くの貧しいアラブ社会では、欧米が期待する市民層は存在しない。そういう国では、王族や独裁者であっても、民衆は生活レベルで安定しさえすれば支配層を支えるという構造になる。そこにアメリカの抱えたジレンマがあるのだ。独裁者をやっつけるために来たのだから、どこかで市民に歓迎されるだろうと思ったら、イラク国民に、フセイン万歳と叫びながら救援物資だけ持って行かれるということになる。

 もう一つは情報と経済のグローバル化である。こういう時代には、戦争それ自体が、メディアによって世界の人々に疑似体験される。とすると、その被害への痛みは、世界の人々の良心を深く傷つけるものになる。ああいうわけのわからない国に住んでいるから戦争で死んでも仕方がないんだ、などとは誰も思わない時代にわれわれは生きているのである。特に、戦争による被害報道がある一定のレベルを越えると、それに対して沈黙することは自分の良心を傷つけることになると感じさせることになり、反戦運動が起こるということになる。

 爆撃で人が死ぬ映像は、異文化や国境の障害を簡単に乗り越える。悲惨な人間の情報は生々しく、それを放っておくことは、戦争をしていないこちら側の世界を傷つけることになる。国家という障壁をあまり感じない時代だからこそ、戦争の当事者とそうでないものとの距離感が近くなり、個々の市民レベルでの戦争への介入が容易になる。当然、戦争の当事者である国家は、この流れを無視できない。フセインは自分の延命のためにこの流れを利用しているが、アメリカは逆に足かせになっている。

 政治、経済、情報のグローバリズム化の中で、すでに、先進国は国家対国家という戦争のレベルを越えてしまった。国家対国家の戦争とは遅れた戦争なのである。イラクはまだこの遅れた戦争をしている。だから、国民の犠牲をいとわない。国が滅びるのだから国民が滅びることもしかたがないと考える。そこには国家と市民を切り離す思想はない。だからクェート侵攻のように単純な利害観で戦争ができる。だが、新しい戦争を始めるアメリカはそうはいかない。たとえ利害が計算されていようと、国家という枠組みを超えた新しい戦争には新しい理屈が必要となる。

 現在のグローバル化した市民レベルでの反戦運動の盛り上がりは、国家の垣根を越える情報ツールの発達によって、確実に戦争に介入し得る。その意味で、アジア・アフリカの一部を除けば隠れた戦争はできないということになる。だからこそ、戦争には、市民という普遍性を信じる層に訴える理屈が必要になる。あのフセインすら、自分のことを棚に上げて、国連の決議を守らず、市民を犠牲にするブッシュを人道的に悪としてメディアを通して市民に訴えるのである。ここには、現在の戦争がいかに市民レベルに向けた理屈を必要としているかが読み取れるだろう。

 ある意味で、こういう理屈は、戦争の残虐さへの歯止めになる。そういう意味では悪いことではないが、ただし、その時の市民というのは案外にいい加減であることも知っておいたほうがいい。市民を犠牲にする戦争に反対するなら、なぜイスラエルのパレスチナ侵攻に世界の市民はこれほどの盛り上がりで批判しないのか。いや、世界には、もっと、理不尽に国家や独裁者の力に抑圧されている民族や人々がけっこういる。なぜ、そういう人達に市民は反応しないのか。

 答えは簡単で、その抑圧や被害の程度が、市民の良心を傷つける一定の限度を越えないからである。別の言い方をすればメディアがそこまで取り上げないからである。一定の限度を越えなければ、それはよその国の可哀想で理不尽な世界のありふれた光景にすぎない。が、一定の限度を越えたとき、その問題は、自分たちの問題になる。が、一定のレベルを越えなければそれは自分たちの問題ではない。言い換えれば無関心と関心とはある意味で気まぐれのようなものでそれほど差はない、ということだ。

 結局何が言いたいかというと、どうやら、これからの戦争はグローバル化したこのいい加減な市民を抜きには語れなくなってきた、ということらしいのだ。そのことをこのイラク戦争は証明していると思われる。市民の無関心に対してテロリズムが起こり、関心に対しては、戦争に理屈が必要とされる。逆に言えば市民に受け入れられる理屈があれば、戦争は起こし得る、ということでもある。市民を説得しないと戦争ができないというのは、あのブレアの熱弁がそのことをよく語っていた。ただし、これは先進国の話である。イラクでも北朝鮮でも国民を説得しないと戦争ができないなんてことはないだろう。そう考えれば、戦争する前に市民を説得しなければならない国は良い方なのである。むろん、戦争をしなければもっといいのだが。

過激派ブッシュ  03.3.25
 ついにアメリカはイラクに攻めこんじまった。もう止まんないだろうなあ。ブッシュがアメリカの大統領にインチキでなつたのが不幸の始まりだった。アカデミー授賞式でのマイケル・ムーアのブッシュ批判はさすがだ。日本の授賞式であんなスピーチしたら、次の日から右翼の街宣車はくるわ、マスコミには敬遠されるわで大変だろう。彼に賞をやったのもえらいが、あいうスピーチを許す雰囲気を持っているアメリカはえらい。なんでほめなきゃいけないのかよくわかんないのだが、その偉さがブッシュを大統領にしたわけだから、世の中なかなかうまくいかない。

 もう戦争が始まったんだから、できるだけ戦死者が少ないうちにやめるしかないだろう。でも、人間てのは実はどっかで戦争をお祭りみたいに思っているから、ここは異人であるフセインが追われるまで納得しないだろう。もうやっちまったんだから、せめてフセインぐらいは退場してもらって戦争を終わりにしないと何となく世界は納得しない気がする。後は、ブッシュが選挙で負ければ、世の中元におさまるというものだ。それを願うしかない。

 今、世間はブッシュ批判一色で、反戦ムードで盛り上がっている。天の邪鬼の私としては、ついこういう盛り上がりに水をさしたくなる。実を言うと、私は反戦というのがあまり好きではないのだ。元過激派の私は昔べ平連が嫌いだった。何となく、あの反戦の歯の浮くような雰囲気が嫌いだった。圧倒的な権力には暴力でたちむかうことも当然と思っていた頃の話だ。個人的には暴力は嫌いだが、時代はひ弱で優しい人間(僕のこと)を暴力主義者にしてしまうのだ。むろん、私は暴力主義者と言っても、赤軍のように暴力そのものを革命の手段にして世の中が何とかなると思うほどの楽観主義者じゃなかった。だから、彼らとは一線を画していた。ただ、心情的には赤軍の気持ちはよくわかった。

 20世紀は過激派の世紀だったと私は思っている。過激派とは、自分の理想(理念)に現実が追いつかないことに苛立ち、その理念を実現する気の遠いプロセスにこそその理念の命があることへの理解を断念したものたちのことだ。断念の代わりに手に入れたものは暴力である。戦争と言い換えてもいいい。あるいはテロでもいい。過激派に共通するのは、自分の抱いた理念への過剰な程の信頼(狂信もしくは使命感)と、それが実現しないことへの過剰な苛立ちである。正義を声高に言うものが危ないのは、彼がこういう過激派になるおそれがあるからである。

 が、考えようによっては、過激派とは純粋で理想主義的な人達のことである。その純粋さゆえに純粋でない多くのものに苛立つもののことだ。

 さて、今度の戦争で思うのは、ブッシュやブッシュを背後で支えるネオコンは過激派であるということだ。むろん、彼らが純粋であるなどと言うつもりはないが、彼らの思考や行動パターンは過激派の特徴をほとんど満たしている。とにかく、悪をやっつけなくてはらない、その後のことなどどうでもいい、とフセイン打倒後のことなど考えていないのも過激派と同じ行動パターンである。彼ら個人には石油の利権がかかわっているとしても、その行動パターンにはある種の純粋さがある。だから、彼らは受け入れられている。

 過激派は自分で自分を、暴力以外に選択肢がないように追いつめていく。その追いつめ方は自閉的だが、一方でとても純粋なものだ。というのも、その純粋さの根拠になっているのは、現実の世界には、暴力を選択するしか生きるすべを失った人達が大勢いるからである。過激派は常に彼らの代わりであろうとする。今度の戦争もその点は同じである。

 イラクで今一番悲惨なのは、フセインの化学兵器で虐殺され、民族の自立を奪われ、差別されてきたクルド人だろう。一番悲惨な彼らはフセイン打倒しか実は選択肢がないほど追いつめられている。ブッシュは彼らの追いつめられたあげくの選択肢のなさを、自分の正義の実現のための選択肢のなさと同一視する。これが過激派の方法なのである。つまり、ブッシュは一番悲惨なものの側に立っている。むろん、そう思わないものもいるが、クルド人はそれを肯定しているし、そう思っているものが多いから、国連を無視しても戦争が行えるのだ。今度の国連が無力だったのは、反戦という曖昧な理念の側にたって、一番ひどい目に会っているものの側に立たなかったからである。

 もし、私が北朝鮮の人間だったら、もう飢え死にするくらいなら、早くアメリカに戦争してもらってうちの国の指導者を殺してくれと切実に願うだろう。追いつめられた人間は絶対に反戦主義者にはならない。反戦というのがだめなのは、こういう追いつめられたものたちの存在について無視することである。反戦は、戦争による悲惨さは、今追いつめられている悲惨なものたちの悲惨さよりも上回るから、戦争をしてはいけないという論理である。確かにそれはそうだろうが、今死にかかっている北朝鮮の民衆に、その考え方はあまりにむごくないか。

 私は今過激派ではないが、その根っこのようなものはまだ持っている。だから、どうしても自分を、一番悲惨なものの側に立たせてしまう。イラク国民も悲惨だが、彼らは、フセインを支え、クルド人を疎外してきた人々である。かつて日本人は、中国人や朝鮮人を侵略し差別した。それは、一般の日本人とは無関係だなどという言い方はできないだろう。そう考えると、やはり、イラク人よりクルド人の側に立つ。あるいは、アメリカでも誰でもいいから切実にフセインを殺してくれと願う抑圧されたイラク人の側に立つ。

 だから、この戦争を肯定するということではない。ただ、今盛り上がっている反戦ムードは、こういう一番追いつめられている人の側に本当に立っているのか、ということを言いたいだけなのだ。むろん、私の思想的立場としては、過激派的方法によらないで、悲惨な人達の側 に立って問題の解決を図る、ということの模索にある。が、これは難しい。戦争という解決よりは確実に時間がかかるからだ。

 過激派は、世間からはいい迷惑である。今過激派でないからそういうことが言える。が、元過激派として、過激派の思考というのは、そんなに甘く見てはいけないとも言える。過激派はとりあえず一番悲惨なものの側に立つからだ。イスラム原理主義のテロリストもみんな過激派である。彼らはほとんど欧米で理想主義を学んだものたちだ。つまり過激派的思考を学んだ。彼らは、イスラムの悲惨な現実と理想のギャップに過剰に反応した。その落差を暴力で埋めようとした。その意味で、ブッシュもオサマビンラディンも同じである。どっちもだめだと簡単にかたづけてはいけない。過激派を馬鹿にできるほどわれわれはまだ成熟していないのだ。

面従腹背について考える  03.3.13
 コレステロールを下げようとかなり運動をしたのだが、ちよっと無理をしたせいか、風邪を引いた。直接の原因は、朝の犬の散歩を普段よりハードにおこなったのだが、そこで汗をかいて、そのままにしていたら、午後からぞくぞくときて、次の日から風邪気味になった。そして、一週間、運動どころではなくなった。おかげでまたコレステロールは高くなってしまった。まったく、どうなってんだ。

 何とか、風邪も治り気味で、少し身体も動かせるようになった。そろそろ仕事を始めなければならない。短歌の時評も書かなきゃいけないし、新年度の授業の準備もある。去年調査に行った高峰郷のたいまつ祭りの調査記録のまとめもしなきゃいけない、とやることは山積している。

 武蔵野書院から私の著書『古代文学の表象と論理』がようやく刊行された。念願の箱入り本で、値段は¥8571。370頁。今まで書きためた論文を集めたものだ。誰も買わないだろうという本だ。まあ、研究者の業績作りみたいな本だが、研究者失格だと思っている私などは、一度こういう本を出してみたかった。単著では、五冊目の本だが、私の論を読みたいと思っている奇特な人にはお勧めの本である。もし、そういう人がいたら、メールでご連絡を。かなり安くしてお譲りします。
身体がだるかったので家でテレビを見たり、ビデオの映画をたくさん見た。テレビでは、ほとんどイラク問題と北朝鮮ののぞき番組ばかり。おもしろいのだが、どのテレビ局も何でみんな同じやつが出てきて同じ映像資料ばかり流すのだ。日本のマスコミというのは独創性に欠けている、ということがよくわかる。

 特に、元外交官とか、国連関係の仕事をしていたとか、今はどこかの大学教授になっている評論家が、朝昼晩、一日三回も四回も各テレビ局を駆け回って出演し、同じことを、微妙にニュアンスを違えてしゃべっている。いいかげんにしろ、こうやってみんな見ているやつがいるのだぞ。

 言っていることは、だいたいみんな同じで、客観的な言い方をしているが、結局、アメリカの戦争を肯定するということだ。ただ、世論に気兼ねしてアメリカもよくないとか矛盾をはらむとか言うが、結局は、イラクは信用できない、もう我慢の限界だ、というアメリカの主張を最後には繰り返す。日本テレビの午後のワイドショーの司会である、草野進までが、山崎正和の論文を引用して、イラクが査察に協力しないことに根本の原因があるのだからと、戦争反対派に真っ向から反論していた。司会がそこまで言うか、と思ったが、そういえばこの人、天皇を祝賀する催しで司会をしていたことを思い出した。

 ブッシュが実にいい加減で、危険であることは、マイケルムーアの『アホでマヌケなアメリカ白人』を読めばわかる。この本は馬鹿にできない。アメリカ中西部のキリスト教原理主義運動は、白い覆面で黒人を殺していたKKKの流れにあるものだ。今、彼らは、中絶反対を掲げ、胎児の中絶をする医師を殺しまくっている。その原理主義の信者がブッシュなのだ。それに、自らの経済的な利益を追求する新保守派の政治的な野望と利害が一致し、彼らは、大統領選をほとんどインチキなやり方で勝ち取り、大統領を乗っ取った。

 アメリカの現在の好戦論は、このようなアメリカの特殊な状況下での言説であることを注意する必要がある。つまり、ブッシュが選挙で敗れれば、現在の方針はかなりの確率で方向転換されるだろう。そうやつてアメリカは常に軌道修正を行ってきた。だからこそ、今のアメリカに追随するのは危険である。シラクもたぶんその程度のことはわかっている。だから、拒否権を行使するとまで言い切った。ブッシュでなかったら、たぶん言わなかったろう。ブッシュがアメリカの全体の流れを代表していないと読んでいるのだ。

 小泉がアメリカに追随するのは仕方がないとしよう。理念で動けるほど今の日本は世界に信用されていないし、そういうように自らの歴史を歩んでこなかったのだから、今更、首相が世界平和のために独立の道を歩むといったところで、それなら、武装しなきゃいけないとか、北朝鮮の驚異に対抗するために核を持つべきだとする意見に押し流される危険がある。アメリカにたてついている、フランス、ロシア、中国が、みんな核を持っている国であることを留意するべきだ。反戦という立場は現実に無責任であるから、その立場を政治家が安易にとれば、かえって、自らの理念の達成のために暴力的になる。そういう歴史を、われわれは左翼運動の中でいやというほど体験してきた。とりあえず政治家はアメリカに面従腹背でいくしかないだろう。

 が、評論家は別だ。ブッシュの言っていることをその通りだなんて結論づける評論家はみんなおかしい。それは政治家が現実的な選択肢の限られている中で判断することとは違う。彼らはそれなりの理念があるはずなのだから、現実はこう選択せざるを得ないが、実はこうあるべきだ、ということをきちんと言えばいいのだ。ところが、現実は、アメリカの言うことに従わざるを得ないから、従うための理由付けを、普遍的な考えであるかのようにもつともらしく語る。それがだめだと言っているのだ。

 仮に、戦争が正しいというのなら、ブッシュが失脚して大統領が替わり、戦争をやめたとき、あくまでも戦争をやるべきだと主張できるのか。たぶん、その時は、その時の状況に応じて戦争はよくないと言い張るに決まっているのだ。つまり、現状を受け入れるという判断があり、それを受け入れる理屈をあたかも普遍的で理性的な判断のように説明する役割が、元外交官とかの大学教授のやっていることなのである。これをデマゴギーという。そうやって、悩んでいる人を誘導する。政治家よりたちが悪い。保守系の評論家で理念から戦争を反対していたのは確か岡本行夫一人であった。この人は見直した。

 むろん、戦争は避けるべきである。日本のとるべき態度は、小泉がフセインと会って、アメリカが戦争を断念せざるを得ない武装解除の方法を示唆することである。例えば、日本の自衛隊の駐留を認めさせて、あるいは、国連軍でもいいが、バグダッドに国連軍を駐留させ、他国の軍隊の指揮下において武器の破壊を進めていけば、イラクの戦争能力は確実に衰退し、戦争の口実はなくなるだろう。確かに、フセインは独裁者だし、こういう独裁者は許せないとしても、武力で排除する程の理由(例えば大量虐殺など)がない限り、他国が干渉するべきではない。

 それができないのなら、日本は何もしないほうがいい。ブッシュに恨まれても、ブッシュはどうせ特殊な大統領なんだから、気にすることはない。変な人とはあまり関わらない方が身のためだ。金を出せと言うなら、ねぎってねぎって最低の金を出せばいい。気に入られようとがんばらないことだ。面従腹背とはそういうことである。
 
すぐに謝るか謝らないか
  03.2.28
 この時期はわれわれにとってプロ野球のキャンプ期間みたいなもので、どうも、頭を働かせることがおっくうになる。だから、どうしても、文章を書く気になれず、この時評の更新も遅れている。最近、血液検査をしたら、かなりコレステロール値が高くなっていた。医者に注意された。体重も増えた。運動不足が原因だ。

 授業もせず、学校にもあまり行かなくても、書斎の整理や雑務などで忙しいことは忙しいのだが、体を動かさない日々が続く。さらにインフルエンザにかかるとまずいと体力をつけるためにたくさん食べ、さらには、いろいろと飲み会も重なり、体重が増えた。

 そんなに酒を飲むわけでもないし、肉類が好きな訳でもない。でも、ちょっとでも体を動かさないでいると、すぐにコレステロールや中性脂肪が高くなる。かといって、毎日ジョギングするなんてとてもできやしない。まったく、いやな身体だと自己嫌悪に陥る時がある。

 結局、私の身体は精神労働には向いていないのだ。遺伝子は、農民か職人の遺伝子であって、だから、身体を常に動かすように、つまり、栄養がすぐに燃焼されるようになっていて、燃焼されないとコレステロールがたまってしまうようにできているらしい。要するに、頭脳労働には向いていない身体であって、病気にならないためには、絶えず身体を動かしていなければならないのだ。

 そのせいか、授業が始まると実によく働く。つまり身体を動かす。だから、いつも疲れたとか過労死するとかわめいている。ほんとに忙しいのじゃなくて、忙しくしていないと身が持たないのだ。ただ、これは、遺伝子だけの問題じゃなくて、今の時代を生き抜いていくために動いているということでもあるが。

 でも、自分は自分の遺伝子にあった職業を選んでいないということはよくわかる。むろん、今の職業は嫌いではないし、それなりにやりがいはあると思っているが、でも、本当はこういう生き方を私の遺伝子(神みたいなもの)はのぞんでいなかったのだろう。それはそれでざまあみろだ。決められた生き方を裏切るところに人生の楽しさはある。

 ただ、代償は大きいのだろうなあ、とは思っている。そろそろその代償が身体にあらわれ始めているのかも知れない。まあ、それはそれで仕方がない。なるようになれだ。ただ、そういう予測にそのまま従うのもしゃくにさわるので、少しは運動して抵抗しなきゃとは思う。犬の散歩の時間を長くするとか、体操をするとかささやかな試みはしている。効果は疑問だがやらないよりはましだろう。

 私個人のことではなくても、最近の日本人の生き方を見ていると、どうも日本人の従来の遺伝子にあった生き方をみなしていないのじゃないかと思う。というより、遺伝子が対応しきれないほど変化のはげしい時代に投げ出されて、いろんな意味で病にかかっているのではないかと思うのだ。私のは、そのほんのささやかな一例なのだろう。

 それは悪いことだと言うつもりはないが、ただ、われわれの病の原因がそういうところにあることは知っておいた方がいいかも知れない。産業革命以降、いろんな病気が新しく現れ始めたことはすでによく言われていることだ。この二・三〇年の変化は農業を主とした時代の何百年の変化に匹敵する。環境の変化に人間の遺伝子が適応できるはずがない。だから、病が起こっても不思議じゃないのだ。

 特に思うのは関係の変化だ。とりあえず、私が属している職場の関係をモデルに言えば、実に、関係に不器用な人たちが多いことに気づく。むろん、私だって不器用だ。人見知りはするし、初対面でうまくはなせない。でも、それなりに関係を作ることは人並みにできる。それは、人と付き合うことが好きだからだ。社交的ということではなくて、生活するということはそういうことだからで、それをつらいと思うようには育てられなかったからだ。たぶん、それがふつうなのだろうと思う。

 が、私の職場は必ずしもそうではない。大学というやや普通でない人が多い職場ということもあるが、世間的に見て、人とうまくつきあえずに、必要以上に傷つけたり傷ついたりする人が増えているのは確かだ。まして、ネゴシエーションの時代だとかいって、交渉によって自分を優位に持って行くことが進められたりする風潮があって、ますます人間関係が、マニュアル的になり、無意識でかかわるということがなくなってくる。

 関係そのものが意識的であればあるほど、自信がなくなれば関係を怖がるのは当然だ。過剰に意識的であれば攻撃的になる。実は、こういう関係の病が蔓延しているところでは、民主主義は成立しない。理性的なレベルで議論が成立しないのだ。そこで根回しが起こるのだが、かつての日本的な根回しと違って、表面的には民主主義を装うから始末が悪い。

 日本的根回しは必ず長老のような存在がいて、どこかでうまく意見が集約されるようになっているが、最近の病を起因とする根回しは、悪口か傷つきたくないという理由が優先されるだけのものだから、何も決まらない。

 アメリカでは交通事故の時にまず絶対に謝らない、なんて言われているが、実は、とりあえず最初に謝った方がネゴシエーション自体はうまくいく場合が多いといういう調査があることはいつかアエラが伝えていた。問題は人間関係の円滑さであって、それがこじれると最初から合理的な判断ができない。しかし、とりあえず謝るような処し方は、人間関係をなごませ、複雑な事態の処理には結果的に有効であるという。

 私もすぐに謝る方だが、それを、不利だとして避けるのが今の人間関係の意識的な振る舞い方だ。その結果、みんな攻撃的か引きこもりか、というような極端な関係の病に陥りつつある。職場での人たちを冷静に見ていると、自分の利害を攻撃的なほど追求する人たちの享受する利益は、無意識にとりあえず謝るような人たちの享受する利益よりはるかに少ない。それは、職場が保守的ということではなくて、利益を得る機会を自ら逸しているにすぎない。別の言い方をすれば合理的に振る舞っているようで、少しも合理的でないのだ。

 なぜなら、病とは、自分のことだけで手一杯の状態だからで、他人のことを気遣う余裕がないからだ。だから、理性的でも合理的でもないのである。たぶん、それが今の大多数の日本人の状態なのではないかと思う。
      
象を選ぶかネズミを選ぶか 03.2.9
 昨日、研究室で本の整理をしていて、段ボール箱にぎっしり入れた本を運んだら、どうも腰の具合がおかしい。帰り、電車の座席から立とうとしたら腰に痛みが走り、立ち上がれなくなった。まずい、ぎっくりごしだ。どうも、無理な姿勢で重いものを運んだせいらしい。

 ただ、脊椎がずれているというほどのものではなく、腰の筋を伸ばしただけらしい。重傷のぎっくり腰ならほとんど起きあがれない。が、しゃがんだり立ち上がるときに痛みが走って思うように体を曲げられないだけで、それ以外は体は動くので、仕事は何とかできる。それにしてもだいぶからだにガタがきていることがわかる。

 掲示板で酒井さんと長生きの話をしているが、人はなぜ長生きをしたがるのか、少し考えた。「象の時間ネズミの時間」(中公新書)によると、ほ乳類が一生の間に打つ心臓の鼓動の回数にそれほどの差はないという。つまり、ネズミも象も寿命は違っても、一生の心臓の鼓動の回数はそれほど違いはないということだ。ということは、短命のネズミは、長命の象の数十倍も早い鼓動であって、それだけ忙しく生きているというわけだ。

忙しくというよりは、それぞれの個体を流れる時間が最初から違うのだと言うべきだろう。だから、象がいいかネズミがいいかという問題ではない。主観的には、象もネズミも同種の間での時間の比較をするわけだから、ネズミは象と自分を比べて自分はなんて寿命は短いのだろうとは思わない。最初から比較が成立しないからだ。

 この問題は、実は、人間と人間の間でも成立するのではないか。人間の場合、それぞれの個体の条件の違いは、実は、ネズミと象の間くらいの違いがあると考えられないか。東京でせわしなく生きている人と、奄美大島でゆったりとした時間の中で自然とともに生きている人とは、その個体を取り巻く時間が最初から違う。だから、比較が本当は無理なのだ。たぶん、心臓の鼓動の数は同じかも知れない。でも、東京の場合は早くなるから同じ数でも短命になる。そういうことだろう。

 だから、東京に住む人間が奄美大島で生きている人より寿命が短いとは一概には言えないのだ。ただ、人間と象やネズミとの違いは、われわれは、東京に住むか奄美大島に住むかを選択できるということだ。つまり、ネズミを選ぶか象を選ぶかを選択できるということだ。ただ、人間わがままだから東京に住みながら奄美大島に住む人たちと同じように長生きしたいと考える。だから、健康に気を遣い、栄養剤をかかさず飲む。私もそうだ。

 しかしよく考えると、長生きかどうかの比較は、同じ東京に住む人同士での比較の問題のはずだ。みんなが長生きすれば、自分は長生きだと思えなくなるし、みんなが短命なら、事故に遭って途中で死なない限りは短命でも長生きだと思う。それなのに、何で長寿を望むのかというと、やはり、人間だけが、超越的であろうとしている、ということではないかと思う。つまり、どこかで、種の生物的限界を超えて超越的に生きたいという願望を持っている、ということだ。

 別のいいかたで言えば死を克服したいということだろう。象の時間とネズミの時間を選択できるなら、人間か神かも選択できると考えるのが人間なのだ。だが、死を克服するというのは、死という事実を拒否することではなく、死の向こう側にも生きる時間があることを強く思うことだろう。とすれば、長生きしたいという願望よりは早く死にたいという願望の方が強くななる、という気もする。

 確かにそうだ。そうすすめる宗教もあるし、時にわれわれはそういう思いに切実にとらわれる。とすると長生き願望というのは、もっと複雑な要素が絡んでいるようだ。かつてはたぶん長生きは神に近づくことだった。今はそうではなく、生産力の持続というただそのためにあるという気がする。どういうことかと言えば、われわれが現在という時間を価値と考えるのは、そこに生産力そのものの活動を認めるからだ。そこから延長される未来は、この生産性の保証をする未来でしかない。

 かつて生産は神が保証するのだったから、長生きは神に近づくことでよかったのだ。今は、むしろ、現在の充実こそが生産力を保証する。とすると、生産力のみなぎる年代(若い年代)をできるだけ先延ばしさせることがわれわれの願望になる。つまり、それが東京の生き方であり、奄美大島は神に近づく生きた方だと言っていい。
 
 長生き願望を唯物論的に解釈するとこう言えるだろうか。たぶん、これからは、生産力という社会を支える力そのものを、科学や若さといったものから、神と言わなくても、人間の知恵や自然や人と人とのつながりのようなものへどうシフトするかが問われている。それがうまくシフトできれば、東京で生きていても、奄美大島で生きていてもそう変わらない、ということが言えるようになるのではないか。心臓の鼓動の数もそれほどの差はなくなる、ということだ。象とネズミとの差は、人間社会では時に貧富の差になる。金の力にまかせて、ネズミのくせに象のように長生きするやつも出てくる。

 むろん、個体差はあってもいいし、寿命の差があってもいい。が、金の力で、あるいは、生まれた条件で、寿命に極端な差があるのはさけるべきだ。テロの背景だって、そういう差がもたらしているのだからだ。

パソコンの故障とクローン人間  03.1.27
 パソコンが直ってきた。最近のメーカーは実にアフターサービスが充実していて、電話して故障だと分かると、専門の宅配業者が家にやってくる。しかも、専用の箱を持ってきて、パソコン本体をその場で梱包して持っていく。10日間ほどで、戻ってきた。故障は、フロッピーディスが使えなくなってしまったこと。今のパソコンはほとんどフロッピーディスクドライブは内蔵されていない。インターネットやメールを使ってデータのやりとりをするからだが、われわれのように原稿をフロッピーで出版社に渡す習慣がある業界では、まだまだフロッピーの受容はある。だからフロッピー内蔵の機種を買ったのだが、それが壊れてしまった。とにかく使えないととても不便なのだ。

 故障の原因はよくわからない。ただ、どうも大量のデータを入れようとしたらその後認識しなくなった。直ってきてから、先日、デジタルカメラの写真のデータをCDに入れてあったので、それをハードディスクにコピーしようとした。最初はCDドライブが回転してデータを読みとってコピーしていたのだが、そのうち突然ものすごいうなり声を出して、ドライブが異常なほど高速に回転し始めた。突然暴走し始めたのだ。いったいなにごとだ。おいお前も壊れちまったのか、と言いながらとにかく電源を切った。幸いパソコン本体は無事だったが、どうもCDの情報が大量すぎて、ディスクの臨界点を越えてしまつたようだ。むろん、何処かに欠陥があるに違いはないが、普通に使えば使えるので今のところほうってある。

 こういうのを機械の感情というのだろうか。異常な回転音は機械の悲鳴のような気がした。あるいは、気が狂う寸前の叫び声のようでもあった。考えてみれば、人間と同じことだ。機械にもデリケートな機械や壊れやすい機械があって、ある臨界点を越えるとおかしくなる。ほとんどどの機械も同じように作られているのに、ある機械はこんな風にすぐ臨界点に達する。一方でけっこうタフな機械もある。人間だって同じ仕様で作られているはずなのに、出来不出来がある。すぐに臨界点に達して逆上したりおかしくなる奴がいる。この私もどちらかと言えば不出来の方なのだろう。ただ、臨界点に達したということは今のところ余りないが。

 機械と人間の違いは、機械は取り替えがきくことだ。どうも今使っているパソコンに信頼が置けなくなったので、取り替えることにした。17インチのモニターもかなりの場所を占領しているし、どうせなら、DVD-RW仕様を買って、今手持ちの民族調査のビデオ記録をDVDに保存しようと思い、液晶モニターのそれも本体一体型で、テレビ録画も出来るという奴を買うことにした。いくらと思いますか。それが、二十万前後で買える。むろん安い買い物ではないが、昔から較べたら本当に安い。<BR>

 機械と人間の違いは機械は取り換えがきくが、人間はそうはいかないということだ。うちの奥さんだってそうだし、あるいはうちのおくさんにとって私もそうかんたんには換えられない(おたがいさまだ)。職場の同僚もそうだし、職場の同僚にとって私もそうだ(どんなに嫌われても簡単には辞めないぞ)。取り替えがきかないから、人間の感情には重みがある。そういうことではないか。家畜は食べられるとき悲鳴を上げるが、その感情をわれわれはすぐに忘れる。しかし、人間のは忘れない。何故か。取り替えがきかないからだ。

 この取り替えのきかなさの典型が家族だろう。今、大学の総合文化研究所で「家族」のテーマで研究プロジェクトを募集し、そのコーディネーターを私がやっている。いくつかのプロジェクトが今動いていて、来年にはシンポジウムをしようと企画しているのだが、どのプロジェクトも、家族の現在における変容を問題にしている。たとえばあるテーマは、家族の財産をどう分配するか、その法的な制度の問題を扱う。これはけっこう面白い問題で、財産の次世代の継承こそが家族の秩序を保つという考え方がある。が、今の日本はどうも継承の思考と、継承そのものを認めない思考とが混在していて、家族のあり方がそこで揺らいでいるという。

 つまり、財産の継承に重い相続税をかけたり、あるいはそれをゆるめたりする。そこには、家族の財産とは誰のものかという根本的な問いに社会自体が答えられないでいる様がうかがえる。家族の財産というのはいったい誰のものなのか。稼いだ人のものか、それとも家族という単位が継承すべきものなのか。現状では、みんな家族という関係に縛られたくないと言う生き方をし始めている一方で、パラサイト系の、家族の財産で喰っている大人が多い。子供に財産を残さないで自分の老後のためだけに使う親も増えている。いや、そもそも子供を産まないという選択をする夫婦も多い。もう一つのテーマは子供を生むか生まないかについての若い女性への調査だ。

 たぶん、子供を産むことを自分という個人の意志の問題として普通に問われ始めたのは、人類史にとつて初めてのことだ。だから、われわれには経験がないから、その初めての事態にどう対処していいかわからない。むろん、家族という保守的な価値観に反発して子供を産む生まないか意志的に選択した女性はかつていた。が、現代は、別に家族という制度に反発するというある理念が介在しているわけではない。ほとんど無意識の選択としてそういう問い方をする。だから初めての事態なのだ。

 財産は誰のモノか、という問いも、子供を産む産まないの自由意志による選択も、結局、家族の取り替えのきかなさへの違和感から出発している。この問題のやっかいさは、この答えが、取り替えがきくべきだというようには簡単に導き出せないことだ。取り替えがきくべきだという考えの延長にクローン人間がある。クローン人間の問題は、子育てに失敗したとき、こんなはずではなかった、これは科学の失敗だとみなされ、取り替えようとする思考が働くことだ。故障がちなパソコンを取り替えるように。

 今家族は揺らいでいるが、私は、この揺らぎは、何でも取り替えればいいという社会の心理的圧力に対して、家族的心性の側の最後の抵抗だと思っている。子供を産む産まないにしても、悩むということは、そこに躊躇があるということだ。財産に悩むのも、家族のものではないかという心理があるということだ。われわれは取り替えがきくような側で生きることはできない。が、いままでのような家族観ではかなり息苦しい。ならどうあればいいのか、そこの答えをだそうと苦しんでいる。言えることは、クローン人間のような発想は、答えではないと言うことだろう。

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