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天正10年(1582年)6月1日夜、2万の軍勢を引き連れた明智光秀は老の山峠に佇む。 |
えー、なんだか講談みたいになってしまいましたが。 |
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![]() 縮尺が適当ですみません。(^^ゞ |
一目瞭然、上里町は2つの勢力のぶつかりあう最前線に位置しているのです。(今はの〜んびりとしていますが、当時の領民たちの精神的不安はたまったものではなかったでしょう) 『神流川の合戦』はこの二つの勢力がぶつかりあった合戦でした。 上里町は後北条氏の支配下にありました。 なぜこの二つがぶつかることになったのか、それぞれの勢力の将についてちょっと説明しておきましょう。ご存知の方はすっとばしてください。 |
●上州勢:滝川一益(厩橋城主・織田信長家臣)
3月中旬 … 武田勝頼、自害。武田氏滅亡 3月下旬 … 滝川一益、武田氏を滅ぼした際の功績を評価され、信長より、馬脇差しをたまわり、 上州、信濃への赴任を命ぜられる。一益58歳。 5月上旬 … 一益、厩橋城(現前橋市)に入城。 6月上旬 … 信長の訃報を聞く。 なんてめまぐるしい、、、。 もっとも、一益はこの上州赴任をあまりよろこんでいなかったようで(そりゃそうだろう。) | ||
●小田原勢:北条氏邦(鉢形城城主)氏直(北条氏5代目) 織田信長と同盟を結ぶ関係ではあったが、関東の覇権をにぎろうという政治的画策を絶えずしていた。(従って形の上では滝川一益とは味方どうしではあった。が、滝川一益(織田方)にとって北条は油断のならない相手であったろう) ![]()
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さああて、この二つの勢力がお互い様子をうかがっている時に『本能寺の変』は起こったのである。今、絶対のカリスマがいなくなった!!! |