ひとりごと2000

2000年9月15日 金曜日

香港から一気にシルクロード沿いの甘粛省蘭州へ移動しました。 西域への旅の始まりです。
I moved from Hong Kong to inland Ganshu Province Lanzhou. It's mean start Silk Road.

 香港から広州に出て、鉄道で2泊3日かけて西安のさらに西にある甘粛省蘭州に着きました。

 中国入りして4ヶ月が過ぎました。 真夏の広東から秋の蘭州と急に季節が変わったので少し疲れました。 あと、ここは乾燥しているので日当りのいい所で洗濯物を干すとすぐに乾きます。 蘭州ではこれからの旅に備えて買い物をしてからさらに西へ向かいます。

旅行の予定

 蘭州から中国領内のシルクロード、河西回廊を通って新疆ウイグル自治区をさらに西へ。 10月後半にカラコルム・ハイウェイを通ってパキスタン入りします。 パキスタン、インドを通って12月ごろにネパールに着いてヒマラヤの山々を眺めながらのんびりしてます。(ただしあくまでも予定(^_^;))

お手紙は以下の所へお願いします。m(_ _)m

10月まで
To:Sadaharu Hasegawa
Kashi Sima Hotel
Sima Rd170、Kashi、Xinjiang Uygur Zizhiqu
China

12月まで
To:Sadaharu Hasegawa
Post Restante、
G.P.O Kathmandu、
Nepal


2000年08月01日 火曜日

中国大陸の沿岸部から内陸の雲南省に入りました。 標高2,000mの大理で避暑してます。
I moved from continental coastside to inland Yunnan Province. Now I'm passing summer in Dali,Yunnan.

 肺炎の治療を受けても胸の調子が悪いので6月末に上海で診察を受けました。 特に問題は無かったのですが、肺の機能が回復するまであと2ヶ月くらいかかるとのこと。 当然、標高の高い所へはさらに調子が悪くなるのでチベット行きは諦めました。 肺炎は大気汚染が激しい北京で引いた風邪がもとでしょう。 空気が汚い所では風邪をひいても気を付けた方がいいでしょう。

 中国入りして約3ヶ月、今日から8月です。 大陸の沿岸部や内陸の標高の低い所では35〜40℃まで気温が上がっていて旅行には辛いです。 肺の静養と避暑のために標高の高い雲南省に来ました。 当地は意外と雨が降らずに天気のいい日が続いてます。 それでも気温は30℃少しまでしか上がらないし湿度も低いので非常に過ごしやすいです。

旅行の予定

 8月は雲南省の大理、麗江で避暑。 8月末ごろに四川省成都に行って本場麻婆豆腐を食べて、重慶から船で長江三峡を下り、長江中流の武漢まで。 武漢からは広州まで鉄道で移動して再び香港へ。 香港でパキスタン・ビザを取ってから広州経由で甘粛省蘭州へ。 蘭州から中国領内のシルクロードを通って新疆ウイグル自治区を西へ。 10月後半にカラコルム・ハイウェイを通ってパキスタン入りします。(ただしあくまでも予定(^_^;))


2000年06月24日 土曜日

中国大陸を徘徊し、現在浙江省紹興です!

 香港で6ヶ月ビザを取って、広東省、福建省と東海岸を北上しました。 大陸東海岸は日本同様、雨の日が多くて洗濯物がなかなか乾きません。 でも、北京の汚い空気で悪くした肺とのどは涼しく湿度があるので良くなりました。
 夏ばて気味だったので体調は良好です。

ここ、紹興は紹興酒と作家魯迅の故郷で有名な町です。 2,500年前には越の都だった所で中国のあちこちにある古都の一つです。 低地なので運河が縦横に走っていて、水のきれいな所では洗濯や食器を洗っている女性の姿を見ます。 両替もできる程々の地方都市で程々空気がきれいで静かなので日曜までのんびりする予定です。

旅行の予定

 浙江省の中心、杭州と上海を訪れ、ふたたび広州に戻ってから客家の里、広東省梅州を訪れてから香港で手紙を受け取る予定です。 それから長江中流の武漢まで行って船で長江三峡を溯り、四川省。 さらにチベットに行こうかと考えてます。(ただしあくまでも予定(^_^;))


2000年04月20日 木曜日

今日、出発します!

 3月末に歯の治療、予防接種全て完了したのにだらけてました。(^_^;) 先日、鍵が掛けられる新しいザックを購入しました。 パッキングしてみたのですが、きっちり詰まってしまい重いです。 前回の経験が生かされてないみたいです。(やれやれ)


 今回は1年以上になるので保険は一応18ヶ月契約にしました。 「組み合わせフリープラン」という保険額をユーザー側で自由に組み合わせるもので、「傷害・死亡2,000万、傷害・治療費用200万・・・」と言う感じですかね。 パンフレットには12ヶ月までですが、保険会社(JI傷害火災)に問い合わせるとマニュアルのような分厚い料金表が用意されているみたいです。 セットプランより安く上げられるのですが、

傷害・死亡・後遺障害3,000万・・・\17,190
傷害・治療費用500万・・・・・・・・・\11,970
疾病・治療費用500万・・・・・・・・・\59,060
疾病・死亡3,000万・・・・・・・・・・・\23,430
賠償責任5,000万・・・・・・・・・・・・\590
救援者費用200万・・・・・・・・・・・・\1,880
携行品20万・・・・・・・・・・・・・・・・・\8,640
                  計\122,760
という額になりました。

東京海上火災に問い合わせたら傷害・疾病共に治療費用は1ヶ月以上では800万以上の契約になるとのことで、これだけで10万円以上になってしまいました。 似たようなプランだと18万くらいするみたいです。

 なぜ、治療費用が高いかというと一番利用されるし契約期間が長いほどけが、病気になりやすくなる上に治療設備が整ってない田舎では担架のようなものに乗せたまま飛行機で設備が整っている都会まで緊急移送するはめになる。 外務省のHPに保険を掛けてなかった、低い保険金額だったために支払でもめた事が多いみたいです。 そんなわけで前回300万だった治療費用の保険金額を500万にアップしました。
 前回は合計で\77,000でしたが、何回か診察してトントンだったのではと思います。

でも、大抵の人は携行品、救援者費用を掛けずにそれぞれの最低でかけているのでJIでも1年で\23,000くらいにしているみたいです。 でも万が一の事を考えて家族や他人の迷惑になるよりもこれくらい掛けた方がいいかなと思って高い保険料を払いました。

登山靴は使いそうな所はチベットとネパールだけになりそうなのでチベットに入ってからラサあたりで探そうかなと思ってます。 まあ、日用品は現地調達できるのが前回でわかったので標高の高い所ならなんとかなるでしょう(^_^)(甘かったりして)

旅行の予定

新潟→高速バス→上越市直江津→フェリー→福岡→フェリー→韓国

→中国(10月まで各地を転々としている)→ネパール→インド(3月まで各地を転々とする)

→パキスタン→イラン→トルコ、シリア、ヨルダンなど中近東→ヨーロッパ

→ロシア(シベリア鉄道でウラジオストックへ、できればサハリンまで)→フェリー→北海道・稚内(7月くらい)

できればというところですね。 時間と予算の関係でヨーロッパはあやしいです。 ロシアへの通過点くらいでしょう。
 ロシアは事前に計画を立てて某国営旅行代理店に宿、交通機関の予約をしないとビザが下りないみたいなのでへたすると日本の国内旅行よりもお金がかかるらしいです。 稚内で入国して花咲き乱れる礼文島に寄ってから旅を終わらせたかったのですが、ウラジオストックから船で新潟で入国になるかトルコ・イスタンブールから空路で成田までいったりするかも・・・。

新しいmailアドレス

 前回は持参PCを簡単に回線につなげられなかったので今回は最初っからインターネットカフェ利用を考慮して下のmailのリンク先をフリーメイルにしました。 海外のインターネットカフェでは日本語の環境が期待できないのでお手数ですがローマ字のみのmailを送ってください。 こちらから送信する分にはできるだけ日本語で送ります。


2000年3月26日 日曜日

タイトルを変えてしまいました

 前のタイトルはネタが思い付かないで適当に作ったのでつまらないものでした。 今回もあまり頭をひねったわけではありませんが、まだマシかと思います。

 従来から掲示板などでハンドルネーム「笹団子」を使っていたのと、旅行に関するコンテンツが多いので
「股旅」+「笹団子」=「股旅ダンゴ」
となりました。(でもバカバカしいですね(^_^;))

 他に「アジアを行く」が恐らく見にくかっただろうと思い「旅行」と「国別」でリスト化しました。 いかがでしょうか? 前の方がましだという方はmailしてください。

 機種依存文字を使っていたのでMacユーザーの皆さんにはご迷惑をかけてましたが、今回全ての機種依存文字を削除しました。 Macユーザーの方でまだ文字化けがあったと言う方、連絡願います。m(_ _)m

 大幅に変更して少しは色気のあるページにするつもりだったのですが、デザインは難しいですね? 以前、ある個人のホーム・ページの感想を求められた時に「もっとカラフルにしたら。」と偉そうなことを言ったのですがいざ自分がやってみるとセンスの無さを実感してます。(-_-;)
 3年以上前からホーム・ページ作りをしている人に壁紙無しか空色を使っている人が多いですが、見やすいですね。 地味ですが、しばらく今使っている壁紙のままにすることにしました。

次の旅に備えて

 歯の治療、予防接種全て完了しました。 あとは新しいザック(鍵が掛けられる)、登山靴など旅行用品や保険などの手配です。 多分4月中頃出発になりそうです。(だらけてます・・・(^_^;))

もうすぐ4月

 今日は雪が降って寒いですが、恐らく今シーズン最後の降雪でしょう。 最近はさすがに暖かく、過ごしやすいです。


2000年03月01日水曜日

アジア映画を3本観ました!

 この手の映画は東京にでも行かないと観れなかったのですが、これも時代の流れなのでしょうか?
また、2/19〜27に「にいがた国際映画祭」がありました。 

シュリ(’99、韓国)

 韓国ではタイタニックを上回る興行成績だったとか。 アクション+恋愛物なのでカップルでも観れる。 韓国の諜報機関、国家情報院(かつての安企部、国家安全企画部。映画上ではOPとなっていたが。)対北朝鮮特殊部隊の抗争が描かれている。 だが、国家情報院が服装や建物の内装がちょっとハデだったり(実際は日本の警察と同じなのでは?)話の中で重要な秘密兵器が映画とはいえ現実性に欠けていたりとアラを探せばきりがないのだがまずまずの出来だった。 前宣伝が良かったのか?平日の昼間に観に行っても結構席が埋まっていた。

 この映画は「にいがた国際映画祭」とは関係ない。 おそらく、近々(いつになるかは不明)韓国側で日本の映画、TV番組、音楽が解禁になるので相互に受け入れようということで日本側で興行したのでは?と思うが・・・。

アルナーチャラム(’97、インド)

 一昨年話題になった「ムトゥ・踊るマハラジャ」で主演したラジニ・カーント主演の映画。 話はほとんど「ムトゥ〜」と一緒。 出演していた役者さんも「ムトゥ〜」と同じ顔ぶれが似たような役を演じていた。 こういうワンパターンがインドでは好まれるのだろうか?
 はっきり言ってカッコ悪い、観ていてこっちが恥ずかしくなるほど話の展開がしょうもない。 でも平然と話が進んでしまう。 こんなところがかえって新鮮なのだろうか?

 アクション・シーンが「ムトゥ〜」より地味(でもムチャクチャ)で道徳的な所が映画祭に出品されたのだろうか? 普通、映画祭に出品されるインド映画はこの手の商業映画よりも芸術映画なのだが・・・。 この映画だけでなく、インド商業映画はアクション、恋愛、お笑い、歌、踊りと盛りだくさんだ。 そこで上映時間が3時間くらいになってしまう。 インドでは途中で休憩をいれるらしいが、日本では休みなしで最後まで上映される。 インド同様、途中で休憩を入れた方がいいのでは?

 この映画はインド南部、タミル・ナドゥ州で作られた物で言語はタミル語。 タミル人はマレーシア、シンガポールにたくさんいる。 マレーシア・ペナンのインド街でラジニ・カーントのポスターを見たので「SUPER STAR」というのは本当らしい。

 インド映画のマーケットはインド本国だけでなく、インド人が多い旧英国植民地ミャンマー、マレーシア、シンガポールだけでなくインドネシア(旧オランダ植民地)でもポピュラーだった。 TVで結構ながれていたり、インドネシアのミュージシャンがインド映画の音楽をカバーしたりしている。 知り合いのインドネシア人になぜかと聞いたら「インド映画は安いから」だそうだ。
 恐らく、インド人が多いアフリカのケニアと南アフリカ、南太平洋のフィジーあたりでも流行っていそうだ。 少なく見積もっても15億人の一大マーケットだ。

良心に問え(’88、北朝鮮)

 北朝鮮映画とは珍しい! この国は諸般の事情でなかなか情報が入ってこない。
 以前、NHKで日本人が悪役になっている映画の紹介をした番組があって、その時に流れた北朝鮮の安 重根(アン・ジュングン、伊藤博文に凶弾を放った人物。 日本ではテロリスト、韓国/北朝鮮では英雄。)の伝記の映画の数シーンが初めて観た北朝鮮映画だった。(全部上映しなかった)
 大体、想像がつくと思うがこの映画は日本が悪役の勧善懲悪物で、最後のシーンで凶弾に倒れた伊藤博文が日本語で「・・・やられた・・・」と言い、アンは「朝鮮万歳!」と叫んで取り押さえられた。

 話はそれてしまったが予想通り、この映画も展開が日本の戦後のスポーツ根性物に似ていた。 恐らくこの映画を観る人はいないと思うので最後まで話をバラしてしまうが・・・

 北朝鮮のとある山間部にある牧場。 自分から志願して都会(首都ピョンヤンだろう)からやってきた真面目で根性のある有能な女性隊員が辞めて都会に帰ると言い出した。 彼女の上司が留まる様説得したが、「都会にいる3人の娘のうち、一人を連れてきたら残る。」と言われて上司は都会へ行った。
 上司は長女に断られ、入れ違いで外出していた次女に伝言を残して牧場に戻るが例の女性隊員に「牛糞人生はまっぴらだ! 父を刺激するな!」と抗議の手紙を出す始末。 がっかりした上司は幹部に相談し、「大変な時代になった。」と同情される。
 女性隊員は友人に「何のためにこんなところで働いているの?」とバカにされ、やる気を無くしていたのだが仲間に説得され、上司の誠意ある態度で留まることにする。
 最後に3女が高校を卒業して学校の制服のまま牧場に入隊を志願してきた。 今時の若者の中にも立派なのがいる。 我が共和国の未来は明るい、というわけでめでたしめでたし。

 どうも、労働党幹部の子弟だけでなく若者に3K仕事を嫌う風潮があるらしい。 都会で楽しく生活したいということだろう。 映画のなかで、地方の工事現場に向かう若者達が出征する兵士みたいに英雄扱いされていたシーン、父親の申し出を断った上司の長女、次女が後で後ろめたく感じて父親に何かプレゼントしようと相談して3女にイヤミを言われるシーンから「若者はどんどん僻地で働け!」という主張が感じられる。
 また、10年以上前の作品とは言え牧場で薪を使って炊事するシーンでは田舎暮らしの貧しさ、厳しさがわかる。 恐らく中流家庭であろう上司の家の雰囲気が昭和20〜30年代の日本の中流家庭に似ていたところからこの国の生活水準がうかがえる。

次の旅に備えて

 歯の治療はあと2個所となりました。 古くなって合わなくなった被せものを変えるのでもう少し時間がかかるみたいです。
 
一応狂犬病の予防接種をしました。 しかし、噛まれたら接種をするしないに係わらず病院に行かなければならないそうです。 何のための予防接種か?

3月なのに・・・

 先週になってから急に雪が降るようになりました。 妙高高原に近い燕、ARAIスキー場では5m近い積雪だそうです。 一番少ない長岡市営でも90cmとまずまずみたいです。(でも私はスキーをしないので関係ない) 新潟市内ではとりあえず更地が真っ白になった程度です。


2000年02月15日火曜日

1月17日以来久々の更新です。

 このページはホームページビルダーで作成してます。 ホームページビルダーのアップデートをして、地味なこのページを少しはカラフルにしようかなと考え、さらにブラウザをIEからNetscapeに変えるなどPC改造計画を企んでます。
 その後にこのページを更新しようかと考えてましたが、あっという間に1ヶ月が経ってしまいました。(ほとんど言い訳)

次の旅に備えて

 今月に入ってから、歯科に通ってます。 2年ぶりなので、近所の歯科でレントゲンで診断してもらいましたがなんと!7個所も虫歯がありました。 3月一杯まで治療にかかりそうです。(*_*)

 他にもA型肝炎、破傷風の予防接種も先週、先々週に1回目を済ませました。 A型肝炎は旅行者がかかりやすい病気の一つです。 同じ鍋をつついた程度で感染するそうです。(@_@)
アジアを旅行される方は事前に予防接種をされることをお勧めします。 詳しくは最寄りの保健所に問い合わせてください。

雪が無い!

 10年前から暖冬、異常気象ばかりですが今回の冬は特に尋常でないです。 雪が降るのですが全然積もりません。 私の記憶では10年前まではこの時期の新潟は大抵40〜50cmの積雪があるのですが、長岡や高田といった1〜2mは当たり前という所でも積雪してないみたいです。
 夏は水不足が懸念されます。


2000年01月17日月曜日

1月17日に故郷新潟Niigata/Japanに着きました。 1月12日に石垣島を立ち、飛行機で東京まで行きました。

 なるべく飛行機は使いたくなかったのですが、那覇->東京はフェリーで\20,050、飛行機はJTAの深夜便で\15,500、那覇のチケット屋で\12,000とフェリーより安いです。

 日本の本土は東南アジア、沖縄より気温が低いですが、それなりの服装をしていること、乗り物や建物には暖房が完備されているしシャワーだけでなくお風呂にも入るのでそれほど寒く感じません。 むしろベトナム北部の方が寒く感じました。

 埼玉の妹宅、墨田区の友人コニちゃん宅に厄介になり、東京で5日ほど遊んでました。
 1月17日には池袋から出ている高速バスで新潟に向かいました。 日本の高速道路は必要以上に整備されているのでよく眠れました。 居眠り防止のためにわざと段差を付けているのは間抜けですね。(笑)
 今年はここ数年でも雪が降らないらしく、湯沢でも土が見える程度の積雪でした。 スキー場は商売にならないでしょう。

 新潟の町、家族には特に変わった事はなかったでした。 変わった事と言えば20歳前後の一部の連中が行き着く所まで来たかというくらい派手になったくらいでしょう。 見かけの変化が激しいのは都市部より町村でしょう。 公共事業が盛んですぐに道ができたりして様子が変わります。


 昨日おとといと北海道で知り合った旅仲間と泊りがけで名古屋に遊びに行きました。 名古屋の町は3年ぶりで、名古屋駅の超高層の駅ビルがほぼできていて工事中だった当時よりすっきりしてました。 しかし、この御時世なのであまりテナントが入らずにガラガラでしょう。
 日曜日は雨だったのでほとんど地下街にいました。 こんな時は便利ですね。

 新潟と名古屋の間にはあまり人の行き来がないので、どうやって行こうか考えてしまいました。 手段としては・・・

1.飛行機
(1)ANA 片道\18,300。 所要約1時間と楽。 ただし、新潟発は16:25、19:00と変な時間しかない。
(2)J-AIR 片道\17,750。 ANAと所要時間は変わらず。 新潟発8:20だが土曜日は休航。

2.JR(東京経由)
片道合計19,850(自由席)。 所要約4時間半。 本数が多いが高い。

3.高速バス(長野、松本乗り換え)
片道合計\7,440。 8:00新潟発で17:00名古屋着。

4.高速バス+JR(長野乗り換え)
片道合計\9,690。 8:00新潟発で14:41名古屋着。

こんな所ですが、高い2.、時間帯が悪い1.は却下。 で、3.と4.で乗り換えが少ない4.にしました。

JRは専用の道を使うので時間に割と正確なのはいいのですが、割高感がします。 高速バスも、道路公団がなんとかなればもっと安くなると思いますが難しいでしょうね・・・。


2000年01月01日土曜日

謹賀新年!
12月20日に香港から沖縄・那覇Naha/Japanに戻りました!

新年は石垣島で迎えました。 とりあえず無事帰国しました。 入国審査はあっさりしたものでした。 税関では薬物についての質問をされただけで済みました。
 帰国して最初に食べたのはホカ弁のカツ重でした。(^^;)

 新潟の家には成人の日の後に帰る予定でしたが、今年から1月の第二週末になったので1月後半以降になります。

 旅行記が溜まったのですが、のんびり更新作業をします。 あしからずm(_ _)m



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