インドネシア・ヌサトゥンガラ


バリの東、ロンボク島からチモール島までの一帯の総称。 インドネシアの行政上ではロンボク、スンバワは西ヌサトゥンガラ州、西ヌサトゥンガラ州以外の島々と東チモール以外のチモール島は東ヌサトゥンガラ州になる。

(スラウェシ2編から)

1.地震の爪痕(フローレス島マウメレ、9月22〜24日)

 ペルニ船は無事、フローレス東部の主要都市マウメレ(といっても田舎町)に着いた。 船の中では戦時中、日本軍に見込まれてシンガポールの警察学校で勉強したことがあることが自慢の農家の御隠居さん、ラロンさん御一行のお世話になった。

 船を下りて、早速ラロンさんご推薦の宿Losmen Ben Goan[I](S16,500Rp)に直行してチェックインした。 港の桟橋や町の中心にある市場が新しかったが気に留めなかった。 翌日、3つの色が違う火口湖があるクリムトゥ山の麓にある村、モニに向かう道中で新しいお墓が至る所にあり、ヒビを補修した家が多いので気がついた。 7年前の92年にこの一帯に地震が発生して5,000人が犠牲になったということを思い出した。 津波でマウメレ近くの島の村が全て流されたということで日本でも報道されたので憶えていた。 表面上では復旧が完了したみたいだが、実際はどうだろうか?

 フローレスの道はスラウェシよりもマシらしく、デコボコは少なかった。 バスの車内が狭いのは相変わらずだが・・・。

2.3色の湖(フローレス島モニ、9月24〜27日)

 マウメレから4時間くらいと思っていたが、3時間でモニに着いてしまった。 料金はここからさらに2時間の終点、エンデと同じ10,000Rpを請求された。 運転手に「変だぞ!」と文句を言ったが運転手はオウム返しに生返事をしただけだった。 あとで別の旅行者に聞いたら7,500Rpだったらしい。 全く観光地だとすぐ外国人から金を奪おうとする。

 連中が勧めた宿には西洋人の旅行者がいたが、部屋に窓が無く、薄暗かったり別の部屋は中から鍵がかからなかったりしたのでその隣りの村の一番はずれにあったDaniel Home Stay(S7,500Rpマンディ共同、朝食付き)にした。 この宿にはオランダ人の婿さんがいて、いろいろ村の事を教えてもらった。

 フローレスの田舎に共通しているが、この村は今でも女性は腰にサロンを巻いて(ラオス、ミャンマーみたい)、荷物があると頭に載せて運んでいくという伝統的なスタイルだった。 中年以上の人は台湾人みたいにビンロウをたしなんでいる。
 フローレスはスラウェシ北部みたいにキリスト教徒が多く、土日の礼拝にはスラウェシ同様皆おしゃれをする。 この村では伝統的な服装でドレスアップする。 貧しい人が多いらしく、2時間かけて教会まで歩いていく人もいる。 5,000Rp札のデザインになるくらい有名なクリムトゥ山目当てで訪れたが、クリムトゥ山抜きでも楽しめる静かな村だ。

 翌日の早朝4:00前に起きてジープに乗って火口に向かった。 ジープの運転手の不手際で山頂からのご来光は見れなかったが、火口湖はそれなりに楽しめた。

3.移動は程々に(フローレス島モニ〜ラブハンバジョ、9月26〜28日)

 クリムトゥ山に行ってから1日モニで休養してからフローレス西端の町、ラブハンバジョに向かおうとしたが、出発の朝に熱が出てしまった。 どうやら、スラウェシのパルから移動移動で疲れたのと標高が高いモニは朝晩冷え込むのでかぜをひいてしまったらしい。 マウメレで2泊して体調を調えるべきだった。 1日休んで翌日はマシになったので途中バジャワと言う町で1泊してラブハンバジョへ向かう事にした。

 移動はスラウェシ同様苦行の連続だった。 道路の路面はあまりデコボコがないのだが、道が曲がりくねっているので横揺れが多く、居眠りをしていると体が横に倒されてしまうので眠れない。 移動に慣れていない土地の人(主に若い女の人と子供)は酔って吐き出す始末だ。
 さらに、標高の低い港町と標高が高い山の町(バジャワは海抜1,100mらしい)を行ったり来たりするので暑かったり寒かったりする。
 しかし、車窓はなかなかで、形がきれいな火山や棚田の景色が良かった。 この辺からジャワ、スマトラにかけて大きな火山帯があるらしく、一直線に火山が並んでいる。 時間があれば少しづつ移動して気に入った村で何日か過ごしても面白いだろう。 大体、350Kmを1泊2日かかって移動した事になる。 日本だったら新幹線で2時間の距離なのに・・・。

4.コモドドラゴンとの遭遇(リンチャ島、9月30日)

 フローレスまで来た目的はコモドドラゴンを見る事だった。 世界最大のトカゲで3mにもなり、水牛を骨ごと食べてしまうらしい。 日本人の女の子が食べられたという噂まである。

 ドラゴンは主にスンバワ島とフローレスの間に浮かぶコモド島、リンチャ島に生息している。 ラブハンバジョはドラゴン観光の基点になる町だ。 町のあちこちにある(といっても1kmくらいの通りが一本)代理店には「Komodo、Rinca Tour」の看板が出ていた。 どちらも船をチャーターするか、3泊4日のロンボク島まで行くツアーに参加するしか行けなく、あまり日がなかったので安くて日帰りできるリンチャ島に行く事にした。

 代理店巡りをしていると、「明日、リンチャに2人行くよ。」と声がかかった。 「3人だったら一人45,000Rpだね。」と言われた。 以前、フィリピン行きの船で一緒だったマサ君が言っていた値段より高かったが(彼は一艘100,000Rpの船にしたが、帰り道でエンジンが故障して長い時間漂流したらしい)船が大きいし、いろいろ質問してもちゃんと答えていたので「大丈夫かな」と思い参加する事にした。
 実は、先に予約した人は同じ宿(Hotel Gardena、W20,000Rp、シャワー、朝食付き)に宿泊していた人達で宿で食事をしていると話し掛けられた。 二人は南アフリカから来たおじさん、イギリスから来たおばさんのカップル(実はオーストラリアか?)だ。 話の途中にスラウェシのマナド近郊のタンココ国立公園の宿で一緒でモニで再会したアメリカ人のマイクが加わった。 彼も渡りに船と言った感じで参加する事にした。 結局、値段はマイクが参加して4人になったのでおじさんが代理店の人と交渉して35,000Rpに下がった。 まずまずの値段だ。

 船は代理店の写真のとおりで漁船を改造した感じだった。 代理店の人の話では15人まで乗れるらしい。 リンチャまで約3時間の航海なので大きい方が楽だ。
 船は出港すると瀬戸内を思い出す多島海を進んだ。 Kanawaなどリゾートがある島がいくつかあるらしい。 ここもダイビングが盛んらしい。 途中、小さな渦潮があったりして操舵は大変そうな気がする。 フローレスはもともと雨が少なく、さらに乾期なので島は茶色の草で覆われていた。 緑は海岸にマングローブがあるくらいだ。 気温は30℃と高いのに冬の瀬戸内みたいだ。

 リンチャ島に着くと国立公園事務所で受け付けをしてガイド付きが義務づけられているのでガイド料を払ってガイド先導で2時間ほど島内を歩いた。
 ドラゴンは朝夕の気温が割と低い時間に活動が活発になるのだが、この日は5匹ほど3mくらいの成獣を見る事ができた。 人間が嫌いらしく、のそりのそりだがすぐ逃げてしまう。 歩き方など、トカゲというよりほとんどワニだ。 ワニ同様、襲う時は相手の足に食いつくらしい。 公園事務所の床下にも1匹くつろいでいて棒で触ると表面はざらざらした少し柔らかい感触がした。
 この島にはドラゴンの他にドラゴンに食べられてしまう水牛や、サルがいた。

5.ドロボー船(フローレス島・ラブハンバジョ→スンバワ島・サペ、10月3日)

 ラブハンバジョ近郊の島のリゾートに行ってみたいなと思ったが、かぜが完治しないし時間が無いのでバリに向かう事にした。
 ラブハンバジョからジャワ、バリ、ロンボクへのフェリー(ラブハンバジョ→スンバワ島サペ)+バス(サペ→各地)のジョイントチケットが宿で発売されていて、これでとりあえずロンボク島の中心マタラムに行く事にした。

 当日、フェリーが出発しそうに無かったので代理店が出ないものと判断して船をチャーターする事にした。 日本だったら代理店側責任になるが、どういうわけか?チケット代85,000Rpの他に15,000Rpをさらに請求された。
 チャーター船はインドネシアらしく、少しでも人や荷物を載せようとしたのでなかなか出港しなかった。 結局、昼前にラブハンバジョを出港した。 それでも早ければまだ許せるが、結局フェリーが出港してしまい、しかも途中で抜かれてしまった。 代理店の人間はサペでバスが待っていると言ったが真っ赤なうそですでにサペからバスが出てしまっていた。 そこで、さらに5,000Rp払ってスンバワ島東部の中心ビマまでバスで行けばバスが待っているらしい。 だったらジョイントチケットの意味がない。

 港から降りた時に預けていた荷物がいじられたらしく変形していた。 慌てて調べるとやはり開けられたらしく、中身がゴチャゴチャにされていた。 その時は登山用ヘッドランプとダイビング用ブーツと蚊取り線香とその安全ケース?が無くなっていた。 どうやら船に荷物を積んでいた時に一人いないと船の人間が言ったのでその時にいなくなったやつが荷物をいじったのだろう。 船で知り合った現地のガイドに警察の場所を聞いて行ってみた。 ガイドは不憫に思ったのか?同行してくれた。
 警官はとりあえず無くなったものとその購入金額を聞いて港に行ったが案の定船はいなかった。 そこで盗難証明を書いてくれると思ったが、なぜか「ビマの警察署で書いてもらえ。」と言って近くにいたベモに乗るように指示した。
 ベモに乗って着いたところが警察ではなく、バスターミナルだった。 そこにいたバス会社の人間に事情を説明して翌日のバスに変更できるか聞くと「25,000Rp払え。」と言った。 ドロボー船をチャーターした事の責任を問うと「関係ない事だ。 どこかに置き忘れたんじゃないの?」と居直る始末。 これ以上損したくなかったのでそのままロンボクに向かう事にした。

 船には他に西洋人旅行者とインドネシア人がいた。 インドネシア人は同情した人がいたが、西洋人は全く関知しないと言った感じだった。 バリからラブハンバジョにかけて一大観光地だ。 スラウェシと違って旅行者同士の横のつながりが薄く、他人に関知しない、もしくは自分達と違う人種は相手にしない風潮になってしまうようだ。

 ロンボクに着いてから改めて荷物を調べると乾電池と栓抜きと金属製コップもなくなtっていた。 現金がなかったので悔し紛れにインドネシアでは手に入りずらいものを盗ったのか?あるいは訴える気がおこらならないように安いものばかり盗ったのか?

 後で考えてみると、警官もバス会社(Surabaya Indah)の人間もその場から私を遠ざける様仕向けていた。 多分、みんなグルなのだろう。
 対策としては
・預ける荷物に盗られると困るものを入れない。
・船に荷物を預けない。
・2次被害を出さない様、安全が確保できる場所で確認する。
ということだろうか?とにかく泣き寝入りせざるをえないのだろうか?

6.天と地の差(スンバワ島ビマ→ロンボク島マタラム、10月3〜5日)

 がっかりしてバスに乗ると今までのシート間隔が狭い功徳の積めそうにない苦行バスではなく、エアコンの大型バスだった。 疲れている時や長時間の移動は贅沢するに限る。 道は格段に良くなって居眠りしてもすぐには起きなかった。 今までいたフローレスは東ヌサトゥンガラ州に属するが、ここスンバワ島とロンボク島は西ヌサトゥンガラ州になる。 日本でも自治体によって道の質が変わるが、インドネシアでも一緒らしい。
 バスは夜通し走ってロンボクへのフェリーが出ている港に到着した。

 フェリーに乗ってからしばらくして日が出て朝になった。 船は2時間ほどでロンボク島に接岸した。 少し進むと形のきれいな火山があった。 富士山と同じくらいの高さのリンジャニ山だ。 ロンボク島は今まで訪れたカリマンタンやスラウェシに比べて人口密度が高いらしい。 あちこちに集落があって、その度に道が詰まってしまう。 土地は開発され尽くされた感じで集落か田畑で森林は無かった。 でも、都市化が進んでいると言うわけでもなくフローレス同様、伝統的な腰にサロンを巻いた人や頭に荷物を載せた女の人が多かった。 2時間ほど島を移動して、ロンボクの中心でありかつ西ヌサトゥンガラ州の州都マタラムに着いた。

 マタラムでは中央郵便局に手紙を受け取って、できればその日のうちにバリまで移動したかったが外国人の利用が多いツアーバスのバス会社に行ってみると既にその日のバスは出た後だった。 別にローカルバスはあったかもしれないが、今までの経験上、外国人ということで余計にお金を取られたしインドネシア人はやたらタバコを吸うのでいいかげん疲れていた。 今までは苦行バスしかなかったが、バリ/ロンボクは外国人旅行者が多いのでツアーバスという選択肢ができたので利用する事にした。
 仕方なく、そこで翌日のバスのチケットを購入して近くの宿にチェックインした。(Kertayoga Hotel、W25,000Rp)

 盗られてしまった日用品を買い直すために商店街のスーパーに行ってみた。 物価はカリマンタン、スラウェシよりやや安いらしい。
 フローレスの東側は色黒で毛が縮れた人が多かったが、ラブハンバジョでは少なくなった。 マタラムでは肌の浅黒い人ばかりになった。 体は大柄になってきてスーパーにはモデルになれそうな背が高い女の子が働いていた。
 フローレスではカトリック、ロンボクではイスラム教徒が多いがマタラムの町にはヒンドゥー教徒も多いらしくあちこちに煉瓦でできた祠があった。

 ロンボクは1泊2日のみの滞在だったが島のあちこちを訪れて何日か滞在しても面白そうと感じた。 バリの隣りなので日本から行きやすいだろう。

 翌朝早くバス会社からバリへのフェリーターミナルへ向かうバスに乗った。 フェリーは日本の中古らしく、売店のドアの上に「食堂」の表示がそのままだった。 大きさからして瀬戸内航路で活躍した船だろう。 船は右手にバリ海、左手にインド洋を望みながらバリ島へ向かった。

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