インドネシア・ジャワ



(バリ編から)

1.過密な島(ジャワ島ジョグジャカルタまでの道のり、10月12,13日)

 バリ→ジャワのフェリーの待ち時間にお隣りの席の寡黙な人に話しかけてみた。 彼はバリ人だが、10年前からスマトラ南部にいるそうだ。 多分、帰省でバリに戻っていたのだろう。 バスを乗り継いで40時間、2晩かかるそうだ。 大変な道のりだ。 しかし、道路事情がいいのだろう。 スラウェシみたいな道路事情だったらどれくらい時間がかかるのだろうか?
 また、同じバスに珍しく日本人女性も乗っていた。 見た感じはごく普通の人だったが、フェリーでお話してみると中国、インドにも行った事のあるツワモノだった。

 フェリーを降りてしばらく進むとドライブインで遅い夕食となった。 ドライブインは新しそうなきれいな建物で、食事は盛り付け自由な今までとは比べ物にならない好待遇だった。 バス会社の競争もあるだろうが、ジャワはインドネシアの先進地域という事もあるのだろう。

 「旅行人ノート・海洋アジア」によるとジャワ島は面積ではインドネシアの7%に過ぎないが人口は3分の2を占めるという。 ちなみにPhilip's Pocket World Atlasによるとインドネシアの面積は190万平方キロ、人口はこの本では2億に達してないが2億人が一般的だ。
 そうなると、ジャワ島の面積は13.3万平方キロ、人口は1億3千万以上になる。 一方、日本の本州は23万平方キロなので本州の半分よりすこし多いだけの面積に日本の総人口以上の人が住んでいる事になる。 日本以上ということは世界でもあまりない人口過密地帯ということになる。

 そんな地域なので、道には日本の夜の幹線国道を思わせるほどトラックの通行が多かった。 他の夜行バスも多かった。
 道は暗かったし眠りながらだったのでどこを通ったのかわからないが明るくなると日本を思わせる田んぼの田園風景だった。 しばらくすると、ジョグジャから1時間半ほどのソロ(スラカルタ)に到着してそこまでのお客を降ろした。 沿道にはこれから学校に向かう高校生や勤めに向かう人であふれていた。 また、バイクや高校生の自転車も目に付く。 バイクの数は台湾並みか?それ以上かもしれない。 日本同様、都市部の人口の集中が激しいらしい。 人口の割に建物が少なく感じるが、一人当たりの居住面積というのだろうか?家の面積が日本とは比較にならないほど少ないのだろう。

 Perama社の人は、このバスが外国人向けの宿が多いソスロ地区に行くと言っていたが、バスターミナルに降ろされてしまった。 ここで日本人女性は世界三大仏教遺跡の一つでジョグジャ近郊のボロブドゥールへ向かってしまった。 時間が無いとはいえ、体力がないとできない事だ。 勤めを辞めて旅行しているということだが、何回も働いて辞めて旅行を繰り返しているのだろう。 それが可能で体力が必要な仕事と言えば「看護婦」かもしれない。
 一方、私は窃盗団が出る事があるといわれていた市バスに乗ってソスロ地区に向かった。 さすがに緊張したが、幸い彼らに遭遇する事無く無事ソスロ地区に着いて宿を決めてくつろいだ。(Losmen Prastha Jaya、T10,000Rpマンディ共同)

2.朝靄のボロブドゥール(ボロブドゥール/プランバナン、10月14日)

 宿にチェックインして落ち着いてからこの町を訪れた目的のボロブドゥール/プランバナンのツアーを調べるために事前にフィリピン行きの船で知り合ったマサ君に教えてもらった代理店へ向かった。

 去年の経済危機に端を発した混乱でインドネシアを避ける旅行者が増えたらしいが、ソスロ地区を歩くとそれが良く分かる。 ソスロ地区は東南アジアを訪れる旅行者で有名なバンコクの宿街、カオサンロードを小さくした感じで外国人向けの宿やレストラン、土産物屋、旅行代理店などが何軒かある。 人通りはまばらで宿やレストランはどこもガラガラらしい。 中にはつぶれてしまった所まである。 同じ宿にいた日本人旅行者によると、その人が前回訪れた2年前に比べて旅行者が減ったそうだ。

 例の代理店(Kartika Trekking)に問い合わせると、ボロブドゥール/プランバナンの車代だけのシンプルなツアーだが教えてもらった金額の20,000Rpと一緒だったのでちょっと考えてから申し込んだ。

 自力でもローカルバスに乗って行けたのだが、ツアーは朝の5:00発で6:00前にはボロブドゥールに着いて観光できるのがポイントだ。 朝早いとそれだけ旅行者は少なく、石造の建物なので昼間にはとても暑くなるが朝はまだ涼しいうちに観光できる。

 事前に代理店に宿と部屋番号を教えておいたので運転手が迎えに来てくれた。 ワゴン車に乗ると既に7人の客がいた。 やはり安いのだろうか? 予想より多かった。 また、バリや他の地域で西洋人に怖がられたジャワなのにお客のほとんどは西洋人だった。
 昨日のバスの車窓と同じバイクが行き交う中を40分くらいで6時前にボロブドゥールに着いた。 まだ土産物屋は店開きしてなかったが、物売りが何人かいた。

 マサ君の話とは違っていた事があった。 それは入場料だ。 彼の話では10,000Rpだったのに最近変更されたのか?一人US$で$5もするのだ! 一応Rp払いも可能だが、この日は1US$=6,500Rpの計算で32,500Rpだった。 おおよそ3倍である! なんだかミャンマーの入場料みたいだ。 ミャンマーは料金所を避けて通るとタダなのだがさすがにここでは柵で囲まれていたのでそうもいかなかった。 ツアーに参加したのに入場料が高すぎてそのまま引き返してしまった旅行者がいるらしい。 恐らく、客が減ったのでその穴埋めにお金を取り易いお客から取ろうという考えなのだ。

 仕方なく大金を叩いて(日本円では\440位だが・・・)入場すると遺跡は霧に朝もやに包まれていた。 日本語のパンフレットによると遺跡は地上部の高さ35.29m、一辺の長さ119mの石造の正方形で大きな石の山といった感じだ。 周囲はレリーフで覆われていて、仏陀の生涯などいろんな物語が表現されているらしい。 ヒンドゥーの遺跡らしく豊満な肉体の女性像が多数あった。 遺跡はかなり放置もしくは具象を嫌うイスラム教徒による破壊で荒れてしまったらしく、現在も修復中の所があった。

 次はプランバナンに移動した。 そこはタイのアユタヤ、ピマーイ、スコタイやミャンマーのバガンで良く見かけたヒンドゥー遺跡に多い塔の建物が6つあった。

 ここも入場料がUS$5なのだが、「Foreigner Entrance」というのを見てもしや?と思ってインドネシア人観光客に付いて行くとやっぱりインドネシア人用の料金所があった。 ボロブドゥールの入場料が極端に高いのにインドネシア人が入場していたのでおかしいと思っていたがやはりそういうことらしい。 
 券売所のおばさんが持っていた券を見ると「2,500Rp」と書いてあった。 つたないインドネシア語で「一人2,500Rp?」と聞くとそうらしい。 そこでダメモトで購入しようとしたらおばさんは「どこから来たの?」と言ったので適当に「ジャカルタから」と言ったら手で四角形を作って何か聞いた。 恐らく身分証明だろうと当たりを付けて「今は無い!」と言い張ったら売ってくれた。 カメラ持ち込みには500Rpの持ち込み代がかかるらしく、おばさんは「カメラある?」と聞いたが、これには素直に従って500Rp払った。
 入場したらモギリの青年に「どこから来たの?」と聞いたのでまた「ジャカルタから!」と言い張った。 日本語で話しかけられたが知らん振りで入場した。 
 バレバレだったのにいい加減なのか?親切なのか? 笑顔で対応したのはインドネシアである。

 入場して塔を見学してみるとタイでも感じたが、建築様式が東洋というより西洋的なのだ。 日本では寺院は木造だからだろうか? 塔の周囲にはボロブドゥール同様レリーフで覆われていたがこちらの方が状態は良かった。 中にはシバ、ビシュヌなどヒンドゥーの神々の像があった。 イスラム教徒の破壊を免れたのか、腕は折れていた像があったが顔の状態は良かった。

 ヒンドゥーの遺跡はタイ、ミャンマー、ラオスそしてインドネシアと広く東南アジアに分布している。 この地域にインドが与えた影響は大きい事を実感させられる。

3.ジョグジャの町(ジョグジャカルタ、10月13〜16日)

 カリマンタン・スラウェシにいたころはジャワ島に近づくにつれて馴れ馴れしいオヤジが増えるのだろうと思ったが、この町は観光客慣れしていることもあるだろうがむしろ今まで訪れた事があるインドネシアの中で上品な所という感じがした。
 ・バスの中で喫煙する人は運転手だけ。
 ・町にあまりゴミが落ちてない。
 ・大声でしゃべる人間が少ない。

 また、引ったくりや市バスに強盗が出ると言う話を聞いていて緊張したが幸い被害に会う事はなかった。 滞在した宿(Losmen Prastha Jaya、T10,000Rp)の人が「近所の宿はスラバヤやバンドンから来た人間も宿泊させているけど、その中に鍵を開けて泥棒をするやつがいる。 うちは外国人だけの宿泊なので大丈夫だよ。」と言っていたので時々盗難が発生するらしい。(この宿は常に玄関に人がいるのでセキュリティがしっかりしている。 Gang[II]のモスクに面した広場にある。)
 それでも、事前にジャワ島は治安が良くないと聞いていたので先入観から何もしなかった事が残念だった。

4.物売り列車(ジョグジャカルタ→ジャカルタ、10月16日)

 ジョグジャからジャカルタへの移動は沿道の町の様子が見られるバスにしたかったが郊外のバスターミナルに降ろされて、強盗が出るという悪名高い市バスに乗る事のリスクやタクシーを使った場合の料金が問題になる。
 一方、鉄道はジョグジャ/ソスロ地区とジャカルタ/ジャラン・ジャクサの外国人宿街の近くに駅があるので便利だ。 そこで今回は久々に鉄道を利用する事にした。

 座席はエグゼクティブ、ビジネス、エコノミーの3つのクラスに分かれている。 ペルニ船のようにどの列車にも3つのクラスがあるわけでなく、列車によって違うらしい。 エコノミーは安いが、混雑するし盗難が多いので見送った。 エグゼクティブは快適だろうが、高い(116,000Rp)のでこれもパス。 そんなわけでビジネスにした。 ビジネスは座席指定でファンのみだが十分だろう。(37,500Rp)

 当日、乗車すると予想した物売りの姿が無く、静かだったが次の停車駅でドッと物売りが押し寄せてきた。 ペルニ船では寄港地だけだが、こちらは常時何かいると言う感じだ。 物乞いも多く、ただ単にもらうだけの体の不自由な人、掃除をする人、勝手に音楽を鳴らす弾き語りなどなど・・。
 特に弾き語りはうるさく、ただ単に騒いで金を取ろうというほとんど嫌がらせをしている人間もいた。

 沿線は意外にも田園風景が続き、時には形のきれいな火山が見えたりして良かったのだが、騒音でぶち壊しだ。

 また、停車した駅で子供が列車に近づいて物乞いをしているのをよく見た。

 さすがにジャカルタ近郊になると民家や工場が増えてきた。 と同時に列車に向かって投石する子供が出てきた。 車両の窓ガラスにヒビが入っていたり割れていたりしていたので誰だろうと思ったがそういう事なのだ。 時々、未舗装路で家が極端に建て込んだスラムが見えた。 川はほとんどドブ川だった。 その辺で投石が激しかった。 そこに住んでいる人達は何を思って生活しているのだろうか?

 結局1時間遅れで列車はジャカルタ/ガンビル駅に着いた。 その周辺は大きな広場になっていて、学生の集会に使われる事があるらしく、兵士があちこちに立っていた。 駅から宿があるジャラン・ジャクサJl Jaksa は歩いてすぐだった。 宿は久々にドミトリーにした。(Wisma Delima、D10,000Rp) ここもジョグジャのソスロ地区同様、閑散としていた。 その中で、バンコクのカオサンにもいた黒人の集団が特に目立った。

5.久々の博物館巡り(ジャカルタ、10月17日)

 ジャカルタに到着した翌日、同じ部屋に宿泊していたポーランドのおじさん、マルクとフランス人のフィリップと一緒に昔のジャカルタの中心、コタ地区にある博物館巡りをすることにした。
 東チモール問題と大統領選挙の影響だけでなくもとともガラが悪いジャカルタなので宿があるジャラン・ジャクサからそれほど離れない様にするつもりだったがコタ駅からガンビル駅まで電車に乗ってきたマルクが「大丈夫だよ!」というので参加することにした。

 ジャカルタ近郊の電車は日本の援助で作られたのか?東京や大阪近郊の鉄道と駅の作りが似ていた。 電車はよその国が作ったものか?日本では見た事が無いタイプだった。 切符を買って乗車すると、昨日見た電車と同じでドアが閉まらずに発車した。 外の風景は東京みたいに家で埋め尽くされて、時々この国では珍しい高層ビルが何本か建っているのが見えた。 車内にはジョグジャから乗ってきた列車同様、物売りや物乞いも乗車して商売?をしていた。

 コタに着いて最初にワヤン博物館に入った。 早い話が人形博物館で、伝統的な影を使った人形劇、ワヤンクリッに使う人形の展示が主だった。 中には政治的な目的で作られた独立戦争物の兵隊人形の展示がしてあって、この国で誰がえらいのかわかるような気がする。 他にも中国やヨーロッパ、インドなどの人形の展示もあってまずまずだった。
 次のジャカルタ博物館はジャカルタの歴史の展示が主らしいが、展示の解説が不十分でイマイチだった。
 その次の陶磁器博物館は絵画の展示もあり、美術館といった感じだ。 展示してあった陶器のほとんどが中国製で、中国の影響の大きさを感じる。
 最後に海洋博物館を訪れた。 ここは伝統的な船、漁業の展示やオランダ人が初期の植民地時代に商館を置いた長崎の出島みたいなジャカルタ近郊の島の展示、戦前のオランダ人のジャカルタ→アムステルダムの航海の様子の展示があってまずまずだった。

 海洋博物館の周辺はパサール・イカンという大きな庶民的な市場で、インドネシアの田舎みたいにあちこちから声がかかった。 外国人が珍しいみたいだ。

6.最後のペルニ船の航海(ジャカルタ→タンジュン・バライTanjung Balai、10月18、19日)

 ジャカルタを訪れた目的は、公害で悪名高いこの町の様子を見る事とフィリピンにとんぼ返りして取り直したビザが10月23日とそろそろ切れるのでジャカルタ発のペルニ船でシンガポールに近いインドネシア領のバタム島へ渡って出国するための準備のためだった。

 10月18日の朝に代理店を訪れて10月20日にジャカルタを出港する船の手配をした。 ところが、その船はドック入り(自動車の車検にあたる)で10月中はバタムにいく船は出ないらしい。 よくスケジュールを見ると確かに10月16日からその船はドック入りすることになっていた。
 代理店の人は「明日のパキスタン航空だったらUS$55だけど?」と聞いたが、18日の14時にスマトラのメダンへ向かうペルニ船があることを知っていたのでその船の手配を急遽お願いした。 11時に事務所に再訪することを約束して荷物をまとめに宿に戻った。

 メダン行きの船には前日ジャカルタ入りしたノブ君も乗船する予定だったので彼と一緒に行動する事にした。 11時に彼と一緒に代理店を訪れ、代理店の人が手配したタクシーに乗って港に向かった。 乗車前に代理店の人は「時々メーターを見て注意した方がいいよ。」とアドバイスしてくれた。 ジャカルタのタクシーはメーター制だが、時々メーターに細工がしてあるらしい。 109,000Rpの券が134,000Rpで手数料は高かったが親切な代理店(PT.ALFA Transnusa Wisata)だった。

 排気ガスが漂い、交差点に物売りの少年がいるジャカルタの道を進み、タクシーは1時間ほどで港に到着した。 料金は港への車両乗り入れ料2,000Rpを含め19,000Rpで代理店の人が事前に教えてくれた20,000Rpより若干安く済んだ。

 例によって大勢の人が船を待っていた。 さんざん待たされて乗船すると早い者勝ちのはずのエコノミーだがベットが指定になっていた。 船はジャカルタ始発なので期待していたが・・・。 仕方ないので例によってキャンプ用マットを敷いて寝る事にした。
 今回の航海も近所のベットにいたメダンの家族連れにお世話になって、食事を分けてもらった。 家族の中に元気な双子の男の子がいて、自分の服で雑巾がけしたりあちこちにおしっこやうんちをしたりで退屈させなかった。
 スマトラの人は敬謙なイスラム教徒が多いらしいが、それを裏付けるように被り物をした女性が多く、お祈りの時間になると結構人が出払っていった。 いつもだったら質問攻めされるのだが、それほどでもなく、平然と喫煙する人はほとんどいなかった。 この国は西に向かうに連れて上品になっていくのだろうか?

 この船は翌々日にメダンに着くが、翌日にTanjung Balaiという所に寄港するらしい。 翌朝、ガイドブックを見るとTanjung Balaiはバタム島ほどではないがシンガポールのそばにあるらしい。 しかもペルニ船にあわせてバタム行き高速船が出ていてその日のうちにシンガポールに行けるらしい。
 そこで急遽、Tanjung Balaiで下船することにした。 ノブ君はメダン郊外にあるオラン・ウータンの保護区ブキッラワンに行く予定だったのでまた彼と別れての行動だ。
 

7.いよいよ出国(タンジュン・バライTanjung Balai→シンガポール、10月19、20日)

 PM6:00にはしけに乗ってタンジュン・バライの桟橋に着いて港の人にシンガポール行きの船の事を聞くとやはり翌朝までないらしい。 バタム島行きは近くの代理店で聞けとのことで行ってみると30〜40人くらいの人が待っていた。 一緒に待っていると、代理店の人が店を閉めてしまった。 何人かは宿を捜しにどこかへ行ってしまった。 残りの人はここで夜明かしする雰囲気だ。 仕方ないので宿探しをする事にした。

 この町はシンガポーリアンが気軽に遊びに来る所らしい。 桟橋近くにはきれいで高そうなホテルが何軒かあった。 あと、国境の町の常で売春宿が多くあちこちから声がかかった。 シンガポールに近いせいか?中国系が多く、マレーシアを汚くした感じだった。

 バリの物売り並みにしつこく、腹立たしいベチャを振り払ってホテルの人に教えてもらって1泊45,000Rpの所で妥協する事にした。(Wisma Nirwana) この宿は中国系の経営で、日本人が珍しいらしくチェックインの際に提示したパスポートをそこの高校生くらいの子供3人が珍しそうに見ていた。
 カリマンタンでも中国系の人にはお世話になったが、この宿の人もRpが少なくて困っていると持っていたシンガポール・ドルから両替してくれたり3,500Rpで簡単な食事を用意してもらった。

 翌日、ペルニの航海のために用意したクラッカーを食べて簡単に朝食を済ませてからチェックアウトして桟橋に向かった。
 この桟橋にはバタム島やシンガポールだけでなく、マレーシアにも高速船が出ているらしい。 人と船の出入りが多く、沖縄の石垣島離島桟橋をにぎやかにした感じだ。
 シンガポーリアン以外の人間はほとんど通過しないことを予想したがそのとおりだった。 役人のいやがらせを心配したが、ただ珍しがられた事と、手続きが慣れてないので他の人達より遅かっただけで問題なく出国手続きを終えた。
 乗船した船にはお客は私を含めて5人だけだった。 多分、週末に大勢のシンガポーリアンが乗船するのだろう。 テレビの大統領選のニュースを見ながら船は出港し、シンガポールに向かった。

(シンガポール2編へ)

東南アジア旅行記へ戻る

アジアを行くへ戻る



トップページに戻る