香港



(ベトナム編から)

1.香港への長い道のり2(ピンシャン->深[土川]、12月14〜16日)

 列車は急ブレーキをかけて止まった。 それからしばらくして若いイミグレーションの役人が部屋に入って入国カードを記入、パスポートを回収した。 しばらく待ってからパスポートが返却されて無事入国した。

 再度出発して居眠りをしていると今度は税関の役人が入ってきた。 中国側の国境の町、ピンシャンに着いたらしい。 日本人は1人が荷物を開けられたがベトナム人の男性は厳しくチェックされて外に呼び出されてしまった。 私はノーチェックだった。 また出発し、定刻通りの朝7時に南寧に到着した。

 同じコンパートメントにいたベトナム人の男性が気を使ってくれて「中国は色々問題があるから行ける所まで一緒に行こう。」と行ってくれた。 善意なのか?下心があるのか見分けが付かなかったのだが、様子を見る事にした。 とりあえず、みんな広州まで一緒らしい。 他の3人は鉄道で向かう事にしていたが、私は寝台車が取れれば鉄道で取れなければ横になれる夜行寝台バスで広州へ向かう事を考えていた。
 鉄道の窓口に問い合わせると寝台車は既に満席らしい。 他の3人は昼発の二等車、「硬座」で広州へ向かう事にした。 未確認情報だが南寧から深[土川]行きバスが出ている事を聞いていたのでバスターミナルへ行く事にした。 時間があったせいもあるがみんな付き合ってくれた。

 問い合わせると噂通り深[土川]行きのバスはあった。 次の便は14:00発だそうだ。 早速券を購入してみると行き先が「平湖」となっていた。 鉄道の深[土川]駅近くに香港との境界があるのだが、そこの地名ではない。 窓口のおねえさんに聞いてみると「地名が変更になった。」とあやしいことを言う。 とりあえず深[土川]のどこかに行くのだろうということにした。
 それから4人で町を散歩して駅で別れた。 南寧の町を見た感じでは台湾の地方都市より少し田舎みたいで思ったより発展していたのが意外だった。
 ベトナムの男性は善意で世話を焼いただけの事らしい。

 バスは大型バスの座席を外して、簡単な2段の寝台を入れただけだった。 寝台と言っても鉄板でマスを作っただけの代物で私の体(身長183cm)では足を伸ばせなかった。 一つのマスはシングルベットの幅だが二人横になるらしい。 これで長時間は辛いだろう。 中国経験者が口をそろえて「夜行寝台バスより鉄道の方がいいよ。」というわけだ。
 時折上のベットから食べ物のカスが通路に降ってくる。 今までの東南アジアでも似たような感じだったがそれは窓から離れた人がしたことだった。 まだ空いていたので窓から捨てることができるのに・・・。 これが悪名高い中国「人民」か?

 バスは出発してしばらくすると北ベトナムに近い景色の中を進んだ。 所々立ち寄る町は南寧に比べると貧しい感じがした。 乗って来る人々の服装は地味でいかにも「人民」といった感じだ。 最初は空いていたバスは満席になった。 日が暮れて食事休憩が終わると隣近所と話をする人、寝る人に別れた。
 何度か寝たり起きたりを繰り返してバスはいつのまにか高速道路を走っていた。 広州の近郊らしい。 かなり大きな町らしく、町を抜けるのに時間がかかった。 広州の町を抜けるとすぐに工場団地になった。 その工場の一つに途中から乗車した若い女の子が10人くらい降りた。 彼女たちは出稼ぎなのだろう。 工業団地(というよりその集まり?)はかなりの規模らしく、1時間ぐらい続いた。 最近、日本だけではなく台湾からもこの地区へと生産ラインの移転が増えているらしい。 もう既に「世界の工場」と化しているのだろうか?

 工業団地を過ぎて朝になった。 それからバスは深[土川]ではない方に向かってしまった。 嫌な予感がしたが、様子を見る事にした。 バスはターミナルらしい所に着いた。 運転手に香港まで行く旨を筆談で伝えると「ちょっと待て」らしい事を言ってどこかに行ってしまった。
 他の乗客に聞いてみるとやはりここは香港との境界から離れているらしく、バスを2回乗り換えるらしい。 日本の「市」がいくつかくっついた物が中国の「市」らしい。 そのため、中国の「市」は広い様だ。
 中国人にものを訪ねても「しらない」の一言で済まされてしまうと言う事を聞いていたが、彼らは私が納得するまで紙に書いてくれた。 華南だけなのだろうか?
 しばらくすると、運転手が戻ってきてバスが発車した。 少し移動する停車して運転手が「こっちに来い」と手招きをした。 追いて行くと深[土川]駅行きのバスがあった。 さらにありがたい事に運転手は車掌にお金を払ってくれた。 私が席に座ると運転手は安心したのか?笑顔で手を振ってバスに戻った。

 乗ったバスはエアコンの通勤バスだった。 そのため、乗客は身なりがいいサラリーマン風だった。 最初は空いていたバスだったがすぐに一杯になった。 風景は今までと打って変わって台湾の新興住宅地みたいだった。
 しばらくすると乗客のほとんどが降りてしまった。 国境のイミグレーションらしい建物があった。 どうも経済特区の境界らしい。 そのまま乗車していると公安らしい制服が乗ってきて乗客の身分証を見ている。 私はパスポートの表紙を見ただけでOKだった。 ゲートを越えると下車して審査を済ませた人達が乗車した。 シンガポール-マレーシア国境を思わせる光景だった。

 バスは高層ビル街を抜けて深[土川]駅に到着した。 シンガポールを思わせるゴミが少ない町だった。 駅で弁当を食べて買い物をして香港への境界へ向かった。

 香港への入域の手続きは国境となんら変わり無かった。 入域してから両替を済ませ、電車で中心部に向かった。 沿線の風景もまた一変した。 日本のようにおしゃれをした人々、携帯電話・・・。 日本の大都市近郊と変りが無かった。 途中で地下鉄に乗り換えて、今年の6月にオープンした日本人宿Go Dai Go Guest House(D70$)にチェックインした。 この宿は日本人の岡林さんが経営されていて中国に詳しい旅行者が多いので初心者には心強い。
 まだ沖縄へのチケットを手配してなかったので代理店で手配して、シャワー/洗濯をした。

2.過密都市(香港、12月16〜20日)

 香港映画をよく見る人はわかると思うが、九龍/香港島と言った香港の中心はビルが多いだけでなく人口密度も高い。 まさに過密都市だ。

 宿の近くのネーザンロードは常に人や車がひっきりなしに通過している。 香港島の北側を縦断する2階建ての市電からの景色には常にビルと人だった。 東京より過密のようだ。 面積はわからないが、数年前に600万だった人口が今は700万に迫っているらしい。 中国に復帰以来、大陸からの流入が増えたらしい。 復帰後に移住した人達は「新移民」と呼ばれている。

 そんな環境にいるせいか?ここの人達はとてもせわしない。 大衆食堂で注文すると吉野屋の牛丼並みの速さで注文した物ができる。 せわしなくても根がやさしいのか?親切なおばさんが多い。

3.流入する日本文化

 台湾ほどではないが、香港にも日本のエンタテーメントが流入している。 テレビには日本のテレビドラマ、ポップスが流れている。 コンビニには日本製のお菓子がある。 町を歩けば吉野屋から高級まで日本料理が堪能できる。
 料理に関しては好みの違いか?日本とは少し違う。 吉野屋のメニューには牛丼の他に「豚丼(豚肉の角切りを甘辛く煮込んだのも。お勧め!)」「鶏丼」がある。 たこ焼には好みで「わさび」をかけて食べる。(港式蛸焼?)

4.マカオ復帰騒動(12月19,20日)

 旅行中、全然意識してなかったがベトナムあたりからマカオ復帰が12月20日にあることを聞くようになった。 そのせいで宿や香港からでる航空券が取れないかもしれないという噂まであった。
 不安だったが、実際は宿も沖縄行きの航空券も簡単に取れた。 騒いでいたのは中国政府と1部の旅行者だけらしい。 とはいえ、宿の客は復帰騒ぎ目当ての人が多かった。

 復帰騒ぎ目当ての旅行者は97年の香港復帰と同様に前の晩に式典会場でバカ騒ぎをするらしい。 私は興味が無かったので宿で他に宿泊していた人たちとその様子をテレビで見ていた。 最初は北京の中央電視台の放送を見ていたが、中国語がわかる人達が当局よりの発言をしているサクラを見て笑ったり退屈したりでしばらくして香港のテレビ局のチャンネルに変えた。
 それを見てもイマイチでパッとしなかった。

 翌早朝、式典を見に行った人達が帰ってきたが私はその日の午後に沖縄へ向かう飛行機に乗るので午前中に宿を出た。 結局、まだ寝ていた彼らの話を聞けずじまいだった。 面白かったのだろうか?

5.とうとう帰国(12月20日)

 1月9日に日本を出たが、ついに帰国の途につく事になった。 宿の近くのバス停からエアポート・バスに乗り、空港へと向かった。 バスはすぐに高速道路に入ってコンテナが山積みされた港湾地区を通過した。 過密な所と中国に接していることを除けばイギリスによる支配を受けた事、商業が盛んな事とシンガポールに似ている。 まあどちらも海運盛んな頃、イギリスによって建設された町なのだが・・・。
 20分経つと日本の瀬戸内のような島が多い景色になった。 イギリスが占領するまでは香港島も九龍もこんなところだったのだろう。
 40分ほどで近代的な新空港に着いた。 デザインが関西空港に似ている。 今の空港の流行なのか?

 香港から沖縄へ向かう場合、火、土の週2便の日航か毎日出ている中華航空の2社を利用する事になる。 3〜4日香港にいてから早々に帰国したかったので台北乗り換えだが毎日出ている中華航空にした。

 現地時間14:30に飛行機は空港を離陸した。 乗客は台湾人や沖縄のアメリカンスクールの修学旅行らしい若者の団体と日本人も若干いた。 1時間後に雪を被った山々が雲の上から見えてきた。 台湾の3,000mクラスの山脈らしい。 台北(正確には桃園市)の蒋介石国際空港は拡張工事が終わったらしくきれいになっていた。 外の様子を見て「立ち寄ってもよかったかな」と思ったが、又の機会にとって置こう。

 台北からの飛行機は日本人の乗客が多いのだろう、日本人乗務員が一人いた。 確かにお客は日本人が増えたみたいだ。 ただ、香港-台北と違って乗り入れている会社が2社(中華航空と日航系列の日本アジア航空)と少ないため機内食はサンドイッチと飲み物とイマイチだった。

 雨の沖縄空港に到着して、悪評がある入国審査で何かあるかと思ったが検疫の書類を書かされて税関で薬物の情報収集の協力を依頼されたくらいだった。

 空港ビルの外に出ると思ったより寒かった。 風が強かったせいもあるが、当地にしては寒かったらしい。 

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