中国西南部



(香港2編から)

1.夏の行楽シーズン入り(広州→昆明、7月17〜21日)

 香港から広州へは、今回は旺角から出ている$100の高速バスを使った。 これは時間帯によっては沙面島内の前回宿泊した宿に近いところに停車するのだ。 今回は特に広州ですることが無いし、台風が近づいているらしく大雨が降っていたので宿の近くの代理店で昆明行きの鉄道のチケットを手配して早々に昆明へ向かう事にした。

 噂には聞いていたが、広州から1日1便の快速の硬臥はほぼ毎日満席らしい。 代理店の女の子は飛行機の時刻表を見せて「これにしろ」と言っているみたいだ。 しかし、鉄道400元、飛行機1,000元近くなので遠慮した。 以前、ベトナムから香港へ移動したときに乗り換えをした広西壮族自治区の南寧は広州と南寧の中間なので南寧行きの列車は無いか?聞くと少し探して「無い!」と言った。
 こうなるとあの狭い、汚い、遅いの3拍子揃い踏みの寝台バスしかないのか?と諦めかけていたら、代理店のテーブルに張ってあった鉄道の時刻表に「南寧行」の文字が見えた。 中国の子はおおざっぱである。
 「南寧行」を指差して彼女に調べてもらった所、2日後の上段の寝台なら空いているらしい。 この際、贅沢は言ってられない。 とりあえず南寧まで行ってそこからできれば鉄道、だめならバスで昆明まで向かおう。

 当日の夕方に列車に乗車すると、3段の寝台のうち下段と中段は早くから代理店を使ったであろう家族連れやグループが、上段には出張のビジネスマン風の人や私同様一人の人が使っていた。 どうやら夏の行楽シーズン真っ只中らしい。
 翌日の朝8時に定刻通り南寧火車站に到着した。 乗客の中には家族連れだけでなく団体のツア客ーまで乗車していた。
 改札を出て切符売場に直行すると意外にも当日の昆明行きの硬臥上段が取れてしまった。 どうやら、広州からの便にはツアー客など代理店がすべて押さえてしまったらしい。 これではいつまでたっても切符が取れないだろう。

 昆明行きは13:44発と時間があるので火車站で荷物を預けて食事に行った。 雨が降っているし疲れていたので、サウナでも探して体を洗いたかったが午前中には営業してないらしい。 そこで、浙江省杭州などで楽しんだ床屋の「洗頭」(シャンプー+上半身のマッサージ)サービスを探した。 新しく清潔そうな店があって「洗頭10元」とガラスに書いてあったので入ってみた。

 中国語が出来ない客に店の人達はちょっと戸惑っていたがサービスを始めてくれた。 この店は若い女の子の店員ばかりだったがその中でも若い部類の子が興味を持ったのか?色々話し掛けてきた。
 シャンプーが終わると店員が紙に「按摩40元」と書いてきた。 残念ながら、マッサージは別料金らしい。 昨日から体を洗ってないし必要なかったので断ると伸びていた髪の毛をつまんで「散髪なら10元」と言ってきた。 もう少し先でもよかったのだが時間があったので散髪してもらうことにした。

 散髪はこの店唯一の若い男性の店員にしてもらった。 散髪が始まっても例の好奇心旺盛な子が話し掛けたり近づいてきたので邪魔になったのか?散髪の彼に怒られて追い払われてしまった。 例によってやることが幼いのだ。
 散髪が終わると散髪の彼と例の好奇心旺盛な子と2人の子が見送ってくれた。 これだけ歓迎されたのは浙江省温州以来である。 どちらもあまり外国人が訪れない町だ。

 散髪が終わると丁度お昼になったので火車站近くの市場で米粉を頼むとベトナムの米のうどん、「フォー」そのものが出てきた。 3人いた店の女性は1人は漢人風だったが他の二人はベトナムにもいそうな風貌だった。 そういえば広西壮族自治区はベトナムに隣接しているのだった。

 火車站で預けた荷物を受け取り、待合室に着いてすぐに改札が始まった。 朝から結構忙しかった。
 乗客は広州からの列車同様家族連れが多かった。 近所に元気な5歳くらいの女の子がいてあちこちに出張して愛想を振り撒いていて皆の人気者になっていた。 そういう子がいると車内の雰囲気が明るくなる。

 今回の路線は比較的新しい路線らしく、設備が近代的だった。 車窓は田んぼ、サトウキビ、バナナ園が多く一気に南国風になった。 桂林ほどではないだろうが、田畑の向こうには小山がニョキニョキ立っていた。 また、違う中国に入ったようだ。

 翌朝6時、まだ暗い昆明火車站に列車は着いた。 昆明の南にはGMT+7のタイやラオスがある。 中国は全土をGMT+8の時間帯に無理矢理統一してしまった。 朝5時ならまだ暗くてもわかる。
 ガイドブック「旅行人ノート・メコンの国」には昆明の宿探しは苦労するらしいことが書いてあったが、火車站に近い外国人向けの宿、昆湖飯店(D25元)はあっさり取れてしまった。 しかも4つベットがある部屋には先客1人いるだけだった。

2.人民の休日(昆明、7月23日)

 昆明に着いた翌々日に雲南省の珍しい動物が見られるという動物園を訪れた。 その日は日曜日だったのでたくさんの人が動物園を訪れていた。

 意味は良く分らないが日本で言えば「天然記念物」、「特別天然記念物」にあたるらしい「国家1級」、「国家2級」と案内に書かれた動物のオリがたくさんあった。 雲南省の動物だけでなく、東北部や日本でも見られる丹頂鶴、チベットの動物にキリン、ライオンといったアフリカの動物もいた。

 熊のオリの周辺に食べ物が捨ててあった。 もしやと思ってその場で人民の様子を見ると案の定、熊にエサをやる人がいた。 熊の方もそれが分っていて催促するしぐさをする。 投げたエサがオリの手前に止まってしまうと長い舌を伸ばして取ってしまう。 北海道登別の熊牧場状態だ。

 一方、象(雲南省南部の西双版納タイ族自治州に生息)のオリでは見に来た子供が近くの林から草を取って柵から身を乗り出して象にエサを渡そうとしていた。 象の方は長い鼻を伸ばして草を取った。 よく見ると子供達の中におばさんが混じっていた。

 園内にはクジャクが放し飼いしてあるクジャク園もある。 そこには一応、「私を追いかけないで」とか「私にエサをあげないで」とクジャクが訴えている感じで注意書きしてあるが、エサをやる人は多い。

 人民は注意書きだけでは守らないのでシンガポールみたいに罰金、罰則を設定してあることを説明する注意書きでないとなんでもするのだ。

3.盛りだくさんで楽しい人民ツアー(石林、7月24日)

 雲南省観光の目玉で石灰石の石柱が立ち並ぶ景勝地、石林を訪れた。
 鉄道を利用した方が安全なのだが時間が限られているので火車站の近くから出ているというマイクロバスに乗る事にした。

 当日の朝に火車站に向かって歩くと「石林1日旅遊」という看板が出ていたので聞くと石林に行って帰ってくるそうだ。 お客で満席になるまで待ってからバスは出発した。
 バスはしばらく高速道路を走って昆明の町を抜けて国道に入った。 1時間ほどするとバスはみやげ物店らしい所で停車した。 そこは中国人が大好きな玉や貴金属のアクセサリーを売っていた店がたくさんあった。 店先のライトで玉の腕輪を鑑定していた人が結構いた。 どうやって鑑定するのだろうか?
 次に温泉かなにか知らないが2元払うと入場できるらしいところで停車した。 外に出るのが面倒だったので車内でじっとしていた。

 2軒目の店を出るとバスは山道に入った。 山道になるとこの古いバスはどんどん他の車に抜かれた。 この区間は事故が多いらしく、あるドライブインに車体の前方がつぶれたバスが放置されていた。 去年か今年に石林に向かうバスの事故で日本人女子留学生2人が死亡するというのがあったが、この辺だったのだろうか?

 突然左後ろから「プシュー」と空気が漏れる音がした。 パンクしたらしい。 運転手は止めやすい所まで運転すると左側後輪を目視した。 問題なかったのか?チューブレスタイヤで空気の漏れが少なかったのか? バスはすぐに発車して石林の町を通過してお昼休憩を過ごすドライブインに入った。 ここで運転手は本格的に整備を始めた。 このドライブインには周囲に住んでいるらしい少数民族の人達が露店を開いて土産物を売っていた。 日本人が多いのか?日本語で話しかけられたりした。 何時間も待たされると思ったが、バスは1時間ほどで発車した。

 ドライブインを出てから少し経つとカルスト台地らしい岩が転がった草原が見えてきた。 それからすぐに石林公園に到着した。 そこで3時まで2時間半ほど自由行動となった。
 55元の入場料を払って園内に入るとサニ族だろうか?カラフルな衣装を着た若い女性のガイドが団体さんを先導していた。 最初はなんとなく反時計周りをしようとしていたのだが、狭い道では道を譲らない団体の人民を待つハメになり時間がかかるので戻って時計周りで散策する事にした。 人民は自分達の団体が離れ離れにならない様にどんな所でも無理矢理くっついて行くので道を譲ろうとしない。 仲間以外の人間は何をしてもいいという中国人の悪い癖だ。
 かといって、仲間か客人と思われるとおせっかいなほど親切だったり中国人は良く分らない。

 丁度、観光バスが集中する時間だったのか?珍しい形をした石柱のあたりは人民の団体で埋め尽くされていた。 あまり旅行した事が無い彼らはよせばいいのにあちこちで無理矢理記念撮影しようとするのでますます混乱していた。 鍾乳洞みたいに岩が垂れ下がった所では子供を肩車させて触らせるお父さんがいた。 これはかわいい方で、いい年をしたおじさんがジャンプして岩を触ろうとしていた。 中国人は何か効能があるのか知らないが、ある所では岩を皆が触ってしまうので岩の表面がつるつるになってしまった。

 高い所からの眺めが見たくて展望台のような所に行ってみた。 下から見ても人でいっぱいだったのがわかっていたのだからよせばいいのだが、ついつい行ってしまった。 しかし、ここは良くなかった。 狭い展望台に数百人の人が押し寄せていたが監視は公安のおじさん一人、何もしないでボーッとしていた。 完全に秩序が無い状態で、私の前で割り込みをした男に文句を言うと彼は逆ににらんですごんできた。
 中国人は3〜10人のグループで行動していた。 ここでこちらが先に手を出した所で近くにいる仲間に袋叩きにされるのが落ちだし、向こうが逆切れして先に手を出してきても公安には自分の都合のいい様に説明するだろう。 明らかにこちらが不利なので「行け!」と言って先に行かせた。 上に上がった所で大した事はなかった。
 展望台から降りるのも一苦労だった。 2人が横に通れる階段に何十人も押し合いへし合いしていた。 いつか将棋倒しになってたくさんの犠牲者がでる事故が起こるだろう。

 展望台で大変不愉快な思いをしたのであとはどうでも良くなり、公園を出てバスに戻ると結構戻っていた人がいた。 皆、笑顔で隣近所と話しをしていて、見ていてほっとした。
 30分後にバスは昆明に向かって出発した。

 来た道をそのまま戻っていたが、昆明市街に入る前に高速道路を降りてしまった。 誰か途中で降りるのか?と思っていたがバスは軍の病院の構内に入ってしまった。 車掌のおばさんは「〜は無料」らしいことを言った。 何事かとバスを降りると教室らしいところに誘導だれた。 ここで、薬のセールスということが分かって逃げようとしたが車掌のおばさんに見つかって教室に座らされた。 他の人達はコップに入った紫の得体の知れない液体を飲んでいたが、幸い遅れて入ったので飲まされずに済んだ。 それから、医者なのか何なのかわからない白衣を着たおばさんの説明が始まり、中国語のパンフレットがまわってきた。
 パンフレットを見ると20種類の薬の名前、効能、使用料が書いてあった。 実際どうなるか知らないが、効能を見ると全部飲むと何にでも効くらしい。 使用量がすごい。 1日2回で1回10〜20錠と極端に量が多い。 まるで埼玉保険金殺人みたいだ。
 車掌のおばさんが無料と言ったのは白衣のおばさんの説明の後に行った健康診断らしいことだった。 やったところで意味が分らないだろうから早々に立ち去った。

 最後にとんでもないおまけが付いたが、バスは夕方に昆明火車站前のバスターミナルに着いた。
全く、「盛りだくさんで楽しい人民ツアー」だった。

4.古き良き?中国(大理、7月26日〜8月2日)

 雲南省に来たのは標高の高い田舎町でのんびり静養するのが目的だったので、ガイドブックにそれらしい事が書いてあった雲南省西北部の大理、麗江でのんびりする事にした。
 とりあえず、先に大理に向かう事にした。

 大理までは例の寝台バスの他に割高だが高速バスも出ている。 5時間ほどで着く高速バスで向かう事にした。 大理までは宿で知り合った留学生の西村君と一緒に行く事にした。

 高速バスは沿岸部の都市間に走るものと同じ車体だったが、発車時間を過ぎてもほぼ満席になるまで発車しなかった。 その辺はまだ田舎だ。 車掌の子は背が高くて手足の長い子だった。 顔つきが北方的だが見た事が無いのでもしかしたら満州族だろうか?
 大抵の高速バスはミネラルウォーターがサービスで付くが、このバスはビスケットも付いた。 ほぼノンストップと言う事だろうかと思った。 途中で休憩があって15分とのことだったが運転手が食事をしたのでもっと長かった。 その辺は運転手次第なのだ。
 バスは山を越え、途中の楚雄の町から高速道路になった。 割と最近に開通したらしく、まだ対面通行の個所があった。 ここも以前通った浙江省の高速道路同様、日本の援助だろうか?トンネルに大型ファンがあって日本的だった。
 バスは5時間後に大理の新市街の下関に着いた。 高速バスは割と正確らしい。 ここのバスターミナルは盗難が多いらしく、車掌はある程度お客が集まってから荷物のトランクを開けた。 後で聞いたのだが、実際そこで盗難に会った人がいた。 そこから、少数民族らしい人で混み合った市バスに乗り換えて1時間ほどで旅行者の間で「大理」と呼ばれる大理古城に着いた。

 この町は外国人が宿泊できる所でも個室で1泊30元くらいなので、部屋にこもって溜まった旅行記でも書こうと思い1ヶ月ぶりに個室に宿泊することにした。 宿は最初に入った第二招待所にした。(S30元) 田舎とは言え表通りに面していたのでちょっとうるさかった。 その上、宿の服務員が10年前の中国の旅行記に書かれていたやる気が無く、態度が悪い人が多かった。 宿替えしたかったが、着いた翌日に探し回ると適当な所は個室がすべて埋まっていた。
 週末になると中国人のグループが多かったのでうるさかったが我慢した。 月曜日に第四招待所に行くと部屋が空いていたので宿替えした。 しかし、ここには噂通りいかにもマリファナが目的らしい茶髪にレゲエのミュージシャンという格好の日本人ばかりだった。 オーストラリアなど西洋ならともかく、中国で目立つ派手な格好をして都合の悪い事が多いのではないだろうか? 彼らは一応中国語が話せたので留学生か留学経験者らしい。

5.挨拶が出来ない日本人(麗江、8月2〜4日)

 麗江へは昆明からの高速バスと同じ車両のバスにしたかったが、満席だったのでマイクロバスにされてしまった。 ところが、意外にバスは汚くなかったし田舎の人にしては乗客の感じが良かったので快適だった。 いつもこうだったら安いバスもいいものだ。 車窓は山の中だが変化に富んでいた。 大理の大きな湖、[さんずい+耳]海に石灰岩の木が生えてない山に信州の民家みたいな伝統的な家の村が続いていた。
 このバスも順調に走ってくれて3時間ほどで麗江の町に着いた。 町は意外に都会で、CitiBankのカードが使えた。 外国人観光客が多いのだろう。

 宿は他の旅行者から教えてもらった古城青年旅館(D20元)にした。 台湾人の女性が経営しているらしく、宿で働いている女の子たちへの教育がいいのか?感じのいい人達だった。
 しかし、ここもお客の雰囲気が良くなかった。 西洋人は彼らでかたまり、にぎやかで朝6時に動き出す中国人グループの他に日本人旅行者も何人かいた。 彼らは個人旅行者らしいが、かたまっていて人が挨拶しても無視する失礼な連中だった。 居場所が無いし、宿は照明が暗いので夜はとても憂鬱だった。

 どんな人間でも誰とでも仲良くできる事は難しい。 話してみて気に入らないというのはわかるが、初対面でいきなり無視するのは日本人が多い。 最初から目を合わせない様にする人間もいた。 大抵は就職した事が無く日本の学校を出てからそのまま留学した連中らしい。 ある程度働いてから留学しないと日本人留学生で固まってしまい、遊んでしまうだけになる学生は少なからずいるのだろう。 他にも留学生の中に私のような旅行者を見下している態度をとる者もいた。 期間が違うだけで同じ旅行をしているのになぜ差別するのだろうか?
中国だけでなくベトナムでもそんな日本人がいた。

 翌日、宿の雰囲気に我慢できずに韓国人が経営している宿(さくらゲストハウス、D10元)に移った。 バンコクで良く利用した宿同様、韓国人旅行者と楽しく夜を過ごせた。 こちらには中国人は宿泊してないので朝は静かだった。
 精神的に疲れてどうでも良くなったので宿を移った早々に翌日の昆明行き高速バスの予約をし、翌日に昆明に戻った。

 大理、麗江ともにシーズンで落ち着かなかったのでいい印象は無いが、大理は西に4,000mの山脈がそびえて信州の北アルプスを彷彿させる風光明媚な所だった。 麗江は世界遺産に登録された古い町並みがある。 着飾った中国人旅行者が記念撮影している一帯から少し離れると普通の人達が生活している昔ながらの静かな町並みが残っている。

6.快適な入院生活(昆明、8月5〜11日)

 ストレスもあるだろうが、以前肺炎を発病して以来胸の違和感が取れずにいた。 去年、一緒にインドネシアを旅行した2人がマラリアに罹ったことがあったので昆明に着いてから宿からそれほど離れてない保険会社と提携している病院で診察してもらう事にした。

 土曜日だったからか?病院で詳細な検査をする事が出来ないとかで、念のために入院して検査する事になった。 月曜日に採血、レントゲンを撮って水曜日に異常が無い事が分ったが熱が出ていたのでそのまま金曜日まで入院した。

 噂通り入院生活は快適だった。 部屋はバス・トイレ付き個室でテレビも付いていた。 中国のテレビドラマの再放送はなぜか1日2話連続で毎日放映するので何度か見ていると話しの筋がわかってしまった。
 食事は3食、上げ膳、据膳だったので部屋から出なくても大丈夫だった。

 あくまでも保険会社と提携している高価な病院だったので快適だったが、普通の日本の病院ではこうはいかないだろう。

7.長江との再会(昆明→成都、8月16,17日)

 雲南省では大した事をしなかったのにあっという間に1ヶ月経ってしまった。 8月末に香港に向かいたかったのでまだ時間があった事だし四川省に向かう事にした。 とはいえ、昆明から成都の間の観光名所を訪れる時間は無かったので真っ直ぐ成都に向かう事にした。

 昆明火車站で寝台の空席状況のボードを見ると明後日まで満席だった。 外国人窓口を探したが見つからなかったので火車站前にあった国鉄の招待所の代理店で聞いてみた。 代理店の青年はこちらの注文を聞くと「わかった!」と言って2〜3回電話すると満席のはずだった明日発の硬臥が取れてしまった。 二等寝台、硬臥は人気があって、大抵代理店が押さえているので代理店を使わないと切符が手に入らない。 手数料は30元。 宿代は25元なので時間とお金を天秤にかけると手数料を払ってでも代理店を使った方がいい事になる。

 当日昼に乗車するとあっという間に荷物棚が埋まってしまった。 観光シーズンなのでお土産物を買ったりしているので荷物が多い。 今回は一族郎党らしい10人くらいの団体と隣接していたので彼らが寝ているとき以外はにぎやかだった。 子供は騒ぎまくり、大人はトランプで騒いでいた。

 山が多い雲南省と四川省を結ぶ路線なのでトンネルが多かった。 また、山を一気に下る区間があるらしく新潟−群馬県境の上越線のようなループ線があった。
 夕方には大きな川に沿って北上していた。 長江の源流の一つ、金沙江だ。 5月末に湖北省武漢で鉄道で越えて、7月初めに上海で見てから3度目だ。 ここではさすがに上流部らしく、断崖の間に流れている感じだった。
 それからすぐに四川省に入りしばらく金沙江と並走して四川省で最初の火車站で鉄道は成都に向かい北へ、川はチベットへ向かい西へ分かれた。 それから暗くなりする事が無いので早々に寝台に横になった。

 翌朝、早々に近所の団体は峨眉山で下車した。 騒々しくて目が覚めてしまったし早めに洗面所を使いたかったのでそのまま起きて顔を洗って明るくなった外を眺めていると私の下の寝台にいた親子連れがなにやら騒ぎ出した。 寝ている間に何か盗られてしまったらしい。
 彼女たちはすぐに警備員を連れてきて事情を説明した。 私も疑われて警備員にパスポートの提示を求められたがそれ以上の事はされなかった。
 それから警備員がどこかから男を連れてきて、母親と言い合いになった。 彼らはどこかに行ってからしばらくして戻ってきたが男から何も出なかったらしい。
 寝台バスの盗難は有名だが、鉄道でも盗難はあるらしい。

 成都火車站の近くで1時間ほど待たされて1時間遅れで成都火車站に到着した。 朝食を済ませてから真っ直ぐに外国人旅行者が多い宿、交通飯店(D40元)にチェックインした。 その日は雨風が強かったのでほとんど宿の中にいた。

8.人民の休日2(成都、8月18〜23日)

 成都に着いた翌日は天気が良かった。 成都と言えば「三国志」の蜀の都があった所だ。 明代に書かれた「三国志演義」の主人公達が祭られている武候祠を訪れた。
 ここはあまり観光ポイントがない成都なので観光客で賑わっていた。 例によってあちこちでポーズを取って記念撮影に余念が無い人民が多かった。 武候祠は「三国志」の主人公とも言える劉備よりも参謀格の知識人、諸葛亮が中心で、他の登場人物たちは後世に加えられた雰囲気だった。
 そのメインの諸葛亮の廟で小さい子供が尿意を感じたが母親がトイレに連れていくには間に合わないと思ったのか?諸葛亮の像の前でおしっこをさせてしまった。
 沿岸部ではあまり見なかったが、内陸部では母親が小さな子供に公道の道端やバスの中などあちこちでおしっこやうんちをさせていた。 子供にとっては「どこでもトイレ」なのだろうか?親にしてみれば楽だが周囲はどう思っているのか?

 20日の日曜日には成都動物園を訪れた。
 ここでも例によって熊山や猿山などで子供だけでなく、大の大人まで大声を出して動物達に餌をやっていた。
 さすがに国宝熊猫(パンダ)舎では万が一に備えて人民からパンダを守るため銀行の防弾ガラス並みの厚さのガラスに覆われていた。 さすがにパンダの出身地、四川省の動物園なので少なくとも3頭のパンダがいた。
 一番傑作だったのはライオン、トラなど猛獣舎だった。 ここでは大の大人が猛獣の鳴き真似をしたりおもちゃの機関銃の音をさせて猛獣たちを威嚇していた。 学校に行ってないようなおじさんたちならともかく、香港人みたいに着飾ったお姉さんがライオンの檻の前で「ワォー」と言ったのにはがっかりしたが・・・。
 そんな騒々しい所でも動物達は慣れっこなのか?気持ちよさそうに眠っていた。

 23日には2,200年前の秦代から蜀、明、清代そして最近では'94年までに繰り返し工事が行われ、今では日本と同じくらいの人口の四川盆地を潤している灌漑施設、都江堰を訪れた。 ここは四川省随一の観光地で入場料が60元だった。
 灌漑施設の周辺が公園になっていて、最初に工事を進めた親子が祭られている二王廟や展望台がある。 例によって展望台では人民が記念撮影に余念が無かった。
 人工的に作られた川と元からの川との間の中州に吊り橋が架かっていて、ここでは人民のグループがわざと橋を揺らせて遊んでいた。

 本当にやる事が幼い。

9.四川料理は辛いか?(成都、8月18〜30日)

 四川料理は一般的に「辛い」と言われているが、実の所はこんなもんである。

 まず、「本当に辛いもの」から紹介しよう。
 四川料理と言えば「麻婆豆腐」が有名だ。 成都の町に「元祖麻婆豆腐」とも言える「陳麻婆豆腐店」がある。 話しのタネに行って食べてみると山椒がたっぷりかかっていて「辛い」を通り越して舌が麻痺してスースー涼しくなった。 実は前日にスープが真っ赤な「排骨面」を食べていたのと中国の前に韓国を訪れていたので涙こそ出なかった。 おいしいかと聞かれるとちょっと考えてしまうものだった。 他の料理はそこまで辛くなかった。
 東南アジアの唐辛子を使った辛さ、韓国の唐辛子とにんにくを使った辛さと違って唐辛子+山椒などスパイスを使った刺激的な辛さというのが特徴らしい。

 そんな四川料理でもトマトと玉子の炒め物などあっさりしたものもある。
 同じ中国人でも所変われば味覚も変わるとでも言えばいいのだろうか? 内陸の雲南の食堂で面にカラシが入っていた事でお客が店の人に文句を言っていたのを見た事がある。 多分、広東か福建あたりから来たお客だったのだろう。 新鮮な食材が簡単に手に入る彼らは日本人同様、辛い食べ物に慣れてない。 逆に、内陸の人達は広東料理の薄味が口に合わないらしい。

10.谷の中の大都会(長江三峡下り2日目、重慶、8月30日)

 せっかく四川まで来たので長江川下りをすることにした。

 成都で宿泊していた交通飯店で長江三峡下りのツアーを申し込んだ。 内容は、

 1日目 成都→高速バス→重慶→川下りの船に乗船、船中泊
 2日目 豊都、鬼城→石宝塞→船中泊
 3日目 小三峡→巫峡、神女峰→三峡ダム建設現場→船中泊
 4日目 岳陽楼→武漢で下船

 以上のようなものだ。

 8月30日の朝に交通飯店に代理店の送迎車が来て成都のバスターミナルまで運ばれた。 ここでは普通の高速バスに乗って重慶に向かった。 このバスは沿岸部の高速バスのお下がりか?古くて乗り心地が悪かった。
 車窓はアップダウンがあるものの、農村が続いた。 高速道路が大きな町を避けたのか?日本と同じ人口の四川盆地という感じがしなかった。
 しかし、日本やインドネシアのジャワ島でも人口は都市部に集中して農村部にはあまり無いのが常だ。 農地が多いと言う事は多くの人口に食料を提供できるということだ。

 昼過ぎにバスは重慶の町に着いた。 長江と嘉陵江が刻んだ谷の中にある市区人口300万近くの大都市で、坂にはビルが密集している。 内陸にありながら、神戸を彷彿させる町である。

 重慶火車站近くの代理店で受け付け、武漢での宿、武漢から広州への鉄道チケットの手配を済ませてから重慶市内観光に行ったが、政治的な観光地ばかりだったので面白くなかった。 他の中国人のお客もいつもは写真を撮りまくりなのだがこの時は大人しかった。
 市内観光の帰り道で市街地の崖の下にたくさんの防空壕を見かけた。 上海から1,000kmはあるだろうか? ここまで日本軍が爆撃しに来たのである。 第二次大戦中、ここは中国の首都だったからである。

 夕方に桟橋近くの代理店の事務所で船の切符を受け取った。 そこから歩いて桟橋へ向かった。 改札と桟橋とは高低差があるのでケーブルカーで下った。 船に乗るのにケーブルカーを使うのは初めてである。

 船室は2等を選択した。 部屋には2段ベットが二つで一部屋4人が定員だ。 エアコンと水が詰まるものの、トイレ、シャワーが付いて快適だった。 同じ部屋には成都から一緒の大学生の馬場君と人がよさそうな中国人の若いカップルだった。 顔ぶれが良かったので楽しい船旅になった。

11.中国のパラダイス?(長江三峡下り2日目、8月31日)

 長江三峡下り最初の観光ポイントは豊都の鬼城という所なのだが、ここは55元という有名観光地の料金を取る割には間抜けな所だった。

 大阪朝日放送で毎週金曜日に放送される「探偵ナイトスクープ」で桂小枝がレポーターを勤める「パラダイス訪問」の中の「パラダイス」そのもので「悪さをするとこうなるよ」と言った感じの地獄を再現したものだ。 しかし、ある意味中国自体「パラダイス」かもしれない。
 ここは町自体が三峡ダム完成の暁に水没してしまうところで、取れるうちに金を取ろうというのだろうか?

 次の石宝塞は崖に沿って高層の木造の建物を建てた所で、いかにも中国的な日本人ならばかばかしくて作らないものだった。 そんなことにとらわれずに実行するのが中国人のいい所でもあるのだが。

 後になって別料金で行ける事になった白帝城は三国志の劉備が最後を迎えた所である。 ここでは当時を再現した人形があるくらいで、他には大した物は無かった。 でも同行した馬場君の話しを聞いていると、帰国してからせめて漫画の三国志でも見たいと思った。

12.天下の険(長江三峡下り3日目、9月1日)

 この日は朝から盛りだくさんで髭を剃る暇すらなかった。

 朝、外を見ると人っ子一人住んでいないような断崖の両岸、峡谷だった。 しばらくすると、船は港に停泊してお客はそこから小さな観光船に乗り換えて小三峡巡りの観光が始まった。

 小三峡は長江の支流にある峡谷で観光地にされるだけあるスケールの大きなものだった。 隠岐で見た魔天涯が川の両岸にそそり立っていた。 こういうことは大陸でなければお目にかかれないだろう。 時折、猿が姿を見せて乗客がガイドのお姉さんの案内そっちのけで猿を見ていた。
 午後に通過した巫峡、神女峰が長江三峡の目玉でここを通過したらほとんどのお客は部屋に戻ってしまった。

 夕方に見た三峡ダムは「現代の万里の長城」とも言うべき広い工事現場だった。 完成の暁には175m水位が上昇するので100万人が移住しなければならないという超大型プロジェクトだ。 2003年に第一段階で135m水位を上昇させ、第二段階の2009年で175m上昇させるらしい。 至る所で「135m」、「175m」の看板や日本のニュータウンのような新しく建設中の町を見た。

 三峡ダム建設現場通過後に船で知り合った日本の名古屋で生活した事があり、日本語が上手な上海人の親子と日本人3人の5人で一緒に食事した。 お父さんの方が日本の梅干しを持っていたので不思議に思って聞いてみると内陸部は衛生環境が良くないので持ってきていたとのこと。

 夜には既に完成したダムを通過した。 とはいえ、水位に差があるのでエレベーターのような所で調整しなければ通過できない。 しかけの原理は簡単で、ダムの脇に二つの水門で閉じた調整する場所を用意して上流からの船はそこの水を抜いて下流と同じ水位に調整し、下流からの船はそこに水を入れて上流と同じ水位に調整する。 水位の差は10mはあろうか? これも見物であった。 三峡ダムでも同じしかけを用意するそうだが、175mの水位差をどのように調整するか見物だ。

13.灼熱の町(武漢、9月2,3日)

 4日目は噂どうり、船は変化が無い平原の中を進だけの退屈なものだった。 かなりの乗客は昨日のうちにダムのある宣昌の町で降りてしまったので船は静かだった。 今まで晴天だったのにこの日は雨が降っていた。
 今日の観光のポイント岳陽楼にも雨が多い事をうかがわせる漢詩が彫ってあった。

 夜の8時に町の明かりが見えてきた。 終点の武漢の町だ。
 武漢は長江中流最大の町で武昌、漢口、漢陽の町が合併してできた大都市だ。 船は漢口に接岸した。 下船すると予約していたホテルの送迎車が来ていて、楽に宿に着いた。 宿では手配した広州までの切符が用意してあった。 至れり尽くせりだ。 ちなみにこのホテルはエアコン付きツインの安い部屋でも1泊240元だが、代理店で支払った120元以外はデポジット(チェックアウト時に戻る)だけ請求された。 暑い武漢で3泊4日の船旅で疲れていたので助かった。

 翌日は夕方まで時間があったのとホテルが漢口の火車站から離れていたのでとりあえず昼前にチェックアウトして漢口の火車站まで行って荷物を預けてから夕方まで漢口の町にいることにした。
 まず、朝食ついでに火車站までのバス停を探した。 この町は中国でも有数の暑い町として有名な所で、夏は40℃まで上がる事が珍しくないらしい。 さすがに9月になったのでそこまで暑くないが、1時間バス停を探して歩くと十分汗をかいてしまった。

 7月に訪れた浙江省の杭州でも40℃近くまで気温が上がったが、エアコンバスが多かったので移動はそれほど苦ではなかったがここではエアコンバスがまだ普及してなかったので火車站に向かうときは暑かった。
 町中のデパートに行くと暑い町らしくお客でいっぱいだった。 結局、一番落ち着けたのは町中にある中山公園だった。 ここは木が多く、木陰で涼む常連のお年寄りがたくさんいた。
 特に観光する所が無く、暑い武漢の町は外国人が珍しいらしく土地の人は言葉が不自由なことがわかると「どこの人間だ?」と珍しがって聞いてきた。

 夕方に乗車した列車には夏休みが終わった事を象徴するように客層が家族連れからビジネスマンと年配の人のグループに占められていた。

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