『あなたに届くまで』後日談 〜フィン編〜


 ラケシスとの甘い夜を過ごした翌日。
 フィンはラケシスの部屋から直接馬小屋へと向かった。
 この日は早朝にキュアンと見回りがてら遠乗りにでかけることになっている。主君の馬の用意をするために、眠い目を無理に開けながら馬の世話をしていた。
 少しくらいの徹夜なら平気ではあるが、時折出てくる欠伸にはフィンにも止められなかった。
「フィン、眠そうだな」
「キュアン様! 申し訳ありません」
 キュアンが思いのほか早く馬小屋に姿を現した。
 主君に見せてはいけない姿を見せたことに、フィンは頭を下げて謝罪する。
「気にするな。昨日の今日では欠伸くらい出ても仕方がないさ」
「昨日の今日? それは一体どういう意味でしょう?」
「隠すことはないだろう。昨夜はずいぶんとがんばったのだろう?」
「? あの……、本当におっしゃられている意味がわからないのですが……」
 フィンは心当たりを探してみるが、キュアンの言葉の意味がわからなかった。
「フィン」
 急にキュアンはフィンの肩を抱くと、小声で話しかけた。
「昨夜はラケシスの部屋で過ごしたのだろう?」
「キュ、キュアン様、な、な、何故……」
 突然のキュアンの言葉に、フィンは動揺を隠せず、口をぱくぱくさせる。
「しかしフィン。いくらラケシスを愛しているとはいえ、あまり無茶なことをするものではないぞ」
「む、む、無茶?!」
「違うのか? いや、あまりにもラケシスの声が激しかったからな。てっきりお前がそれなりのことをしているのかと思ったのだが」
「は、は、激しかったって……。ま、まさかとは思いますが、昨夜の私とラケシス様とのことを、知って……おられるので……?」
「あぁ、知ってるぞ」
 キュアンは特に気にするわけでもなく、簡単にうなずく。
「な、な、何故?!」
「あのな、フィン。ああいう時は窓を閉めた方がいいぞ?」
「窓? 窓?!」
 ラケシスの部屋へ入った時に、彼女が暑いと言ったために自分が窓を開けたことをフィンは思い出した。
「エスリンと2人で星を見ようとベランダに出ていたら聞こえてきて驚いたぞ」
 キュアンとエスリンが使っている部屋は、ラケシスの部屋の真上にあたる。
「エ、エスリン様も御一緒に……」
 人にはあまり知られたくはないことだけに、顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。穴があったら入って隠れてしまいたいほどである。
「一体ラケシスに何をしたのだ?」
「何と言われても……」
 何をしたかなど、口に出して言えるものではない。
 フィンはただ顔を真っ赤にしていた。
「どうした? 私の質問には答えられないか?」
 そう主君に言われては、従者としてはどんな質問であっても答えねばならない。
「いえ、ですから、私は普通にラケシス様と……、その……」
「普通に、どうしたのだ?」
「あ、あの、ですから、その、確かに昨夜は朝までラケシス様のお部屋というか、寝室におりまして……。ですが、そんなにラケシス様のお声が大きくなるようなことはしていないわけで、どうしてキュアン様のお耳に届いたかはわかりませんが、ですからその……」
 ラケシスの声の大きさなど全然気にしてはいなかった。ラケシスの甘い声に酔っていたとは思うけれど。自分はそれほどまでにラケシスに夢中になっていたのだろうか。それこそ自分はあの時普通ではなかったのだろうか。
 赤くなったり青ざめたり、そんなふうにフィンの動揺する姿を見て、いきなりキュアンが笑い出した。
「キュ、キュアン様?」
 笑うようなことは何もないはずなのに、お腹を抱えるほどにキュアンが笑うのを見て、フィンは驚く。心配そうに様子をうかがうが、それでもキュアンの笑いはなかなか止まらなかった。
「いや、すまない、笑ったりして。お前があまりに真面目に答えるから。本当にすまない」
 そう言いながら堪えようとするが、笑いはおさまらない。
「キュアン様?」
「実はな、昨夜は突然ラケシスの怒鳴り声が聞こえてきた後、急に静かになったから気になっていたのだ」
「は? 怒鳴り声……?」
 フィンはよくわからず、口をぽかんと大きくあける。
「あぁ、『フィンのバカ!』だったな。あれは大きくて激しい声だった。エスリンと2人で、お前達がすごいケンカしているのかと思ったのだ」
「ケンカ……」
「で、そのあと急に静かになったじゃないか。何かあったのではないかと思ったが、エスリンが2人がきっと同じベッドで仲直りしているのよ、なんて言うから、気になってな。本当にそうだったんだな」
 キュアンの笑いはまだ止まらなかった。
「ラケシスの激しい声というのをお前は何を想像していたのかな?」
 やっと笑いがおさまったかと思うと、今度は意地の悪い笑みを浮かべてキュアンは訊く。
「そ、それは……」
 さらにフィンの顔を赤くなり、もう耳までも真っ赤だった。
 もう何も言える言葉などない。
「あぁ、フィン。今日の供はいいぞ。眠いだろうし、ゆっくり休むといい」
「えっ、そういうわけには、……っくしょん」
 急にくしゃみが出たかと思うと、なにやら悪寒が感じられた。
「どうした、風邪でもひいたか? やっぱり部屋に戻って休んでいろ」
 キュアンはフィンが用意していた馬にひらりと身軽に乗ると、手慣れた様子で馬を走らせた。
「キュアン様、お待ちください!」
 休んでいろと言われても、主君ひとりで遠出させるわけにはいかない。いつ何があるかわからないのだ。
 フィンは慌てて自分の馬に馬具を付け、そしてキュアンを追いかけた。
 馬を走らせながら、あまりにも思いのままに過ごしたラケシスとの夜を、フィンは振り返る。
 まわりの目、この場合は耳かもしれないが、それがあるということをもっと自覚しておかねばならないと、フィンは改めて心の中で思った。


ちょっとフリートーク

 いくら主君に問われたからといって、プライベートまでは言えませんよねぇ(笑)
 キュアンもまぁ心配してのことなんですけど、やっぱりおもしろ半分みたいなとこあるかな。
 でも、それだけかわいがってるし、2人のしあわせを喜んでいるのですよ、主君夫妻は。
 さて、変なところでフィンはくしゃみをしていますが、くしゃみと悪寒の訳はラケシス編にあります。
 キュアンが何と言っても戻らない方がいいですよ、フィン。