粉家の主人、つまり私のことですが、名前は鳥飼新市といいます。あの『釣りバカ日誌』のハマサキ氏じゃありせんが、私も「とりがい」ではなく「とりかい・しんいち」と濁らずに読みます。私の場合、濁ってしまえば寿司ダネ(そう鳥貝)になってしまいます。
そうそう、私の名前の「市」は、「男」という意味なのだそうです。勝新の代表作である「座頭市」というのは、固有名詞ではなく、座頭=目の見えない、市=男、ということで「目の見えない男」という意味の一般名詞だったわけです。そのデンでいいますと、私の名前は「新しい男」となります。英語でいえば「ニューマン」ですね。よっかったら私を「ポール」と呼んでください。もちろん「ポール・ニューマン」のポールです。
さて、私は1955年、日本が高度経済成長に向けて、そのエンジンをフル回転しはじめたころに、大阪の淀川のほとりで生まれました。すでに人生の大半を東京で過ごしているのに、いまだに大阪弁が抜けません。なんでやろ、と考えたことがあります。そして、ハッと膝を叩きました。
“あっ、オレは大阪弁でモノゴトを考えてるんや”
と、そのとき発見したんですね。
だから、私の文章やシャベリにはときどき大阪訛が出てしまいます。
仕事は、フリーのルポライターです。大学時代から、講義にはあまり出ないで、仕事をしていました。それで、卒業するのに7年もかかったわけですが、卒業の時点でもう食べれていたので、幸か不幸か会社というものに勤めることなくずっとフリー(いわば潜在的失業者ですけど……)でやってきました。
現在、東京の西郊外の小さな一軒家に、妻一人、子ども二人(男と女)と、お袋、パグ犬1匹、雑種猫1匹と共同生活を送っています。
下の娘が3歳で、保育園に通っているのですが、彼女を保育園に連れていくのか目下の私の唯一といっていい日常的な役割です。もともと原稿を夜中に書く習慣があり、世間の人様より6時間は生活時間がずれている生活(つまり、正午に目覚め、夜明けごろ床に就くという生活ですネ)をしていたのですが、娘のお陰で朝早く起きなければならなくなってしまい、極端に仕事の生産量が減ってしまいました。ま、これは妻に対するいいわけですが……
ルポライターとしての攻撃領域は、教育、環境問題、食、南島、現代史といったところです。どちらかというと、人物ルポが好きで、オモロイ人物やヘンな人やトンがかっている人やさりげない人や適当な人や、つまり、どんな人でもその人を面白味を発見して感動してしまう悪いクセがあります。
ささやかな私の人生の夢は、沖縄八重山の石垣島でお好み焼き屋を出して、のんびり暮し、ゆったりと取材をしたルポを何作か仕上げるということです。ま、いったいいつになったらそれが実現できるかわかりませんが、石垣は美しいところです。
著作には『あしたの学校』(大月書店)、『心のゴールにシュート!』(第三文明社)などがあります。
この『心のゴールに……』の取材で1年ほど千葉盲学校の寄宿舎に通っていました。そこで、ほとんどはじめてといっていいくらいに視覚障害者の人生に触れ、いろいろ啓発を受けるような発見をさせてもらいました。その経験から、いま視覚障害者と健常者が一緒になって、「視覚障害者がもっと自由に街に出ていけるように、街で遊ぶことの垣根を低くする」ということをテーマに“東京ウィズインリーチ”という 市民運動をしています。渋谷の触れる地図をつくったり、レストランに点字メニューを置いてもらうように呼びかけたり、なぜ映画館は外国映画の日本語音声テープを常備していないのだろうかなどということを話し合ったり、やっています。ま、私はあまり模範的な参加者じゃないのですが……
そうそう、お好み焼きとパエリアが私の得意料理です。