この本の主人公は、千葉県立千葉盲学校寄宿舎のサッカー部「ペガサス」のみんなと、ペガサスの生みの親でもある監督の霜田幸宏先生です。私はペガサスの14年に及ぶ歴史を1冊のルポにまとめたのでした。私の近著です。写真はフォトジャーナリストの篠利幸さん。
1200円
ペガサスの子どもたちは、どんな子どもたちなのか。『心のゴールにシュート!』の版元である第三文明社が出している月刊誌『第三文明』に、私は彼らを紹介するグラビアにこんな記事を書きました。
ペ ガ サ ス の 挑 戦
世の中には、誰かに話したくてたまらなくなる“物語”というのがある。この「ペガサス」の子どもたちの物語も、そうだ。これまでに、ぼくは一体どれくらいの友人たちに彼らのことを語ったかわからない。
ペガサスというのは、千葉県立千葉盲学校寄宿舎のサッカーチームの名前である。小学生から高校生まで、現在チームのメンバーは26人。その育ての親でもある監督の霜田幸宏先生と一丸になって、サッカーの練習を続けている。
彼らは、みんな目になんらかの障害を持っている子どもたちなのだ。全盲の子どもも6人いる。そんな彼らが、でこぼこの土のグランドをかけまわり、一心不乱にボールに食らいついていくのだ。
サッカーは、とても激しいスポーツである。ある意味では“格闘技”といっていいかもしれない。スピードのあるゲーム展開に加えて、手が使えないという制約から体ごとボールを確保しにいく。それだけに、どうしても危険性が高くなる。
しかし、彼らは、そんなことにはおかまいなしに、思いっきりグランドを走り、タックルし、ボールをシュートする。お互いにぶつかって倒れても、すぐに立ち上がって、またボールを追っていく。
その様子を実際に目にし、さらに、「まわれ、まわれッ」「いけいけッ」「ほら、ボールいったぞ!」……
という元気なかけ声を聞いていると、本当に彼らは目に障害を持っているのだろうかと思うことさえあった。そう感じるのは、ぼくのなかにある固定観念のせいなのだろう。
霜田先生は、静かにこういうのだ。
「目が見えないからサッカーなんて無理だろう。ふつうは、すぐこう考えますよね。でも、それは子どもを大人の固定観念で見ていることなんです。この子たちのように目が見えなくてもサッカーをやりたいと思えば、実際にやれるようになるんです。決めつけることは怖いことです。子どもはどんな可能性を持っているのかわからないんですから」
人間の持つ可能性の無限さを目の当たりにした驚き、彼らの努力にたいする素直な尊敬の気持ち。人間って素晴らしいというさわやかな感動を共有したいために、彼らの物語を人に語らずにはいられなくなるのだった。
* *
「サッカーのシュートってどうするの?」
11年前。当時、小学校4年だったある男の子の一言が、すべてのはじまりだった。
その言葉を真剣に受け止めた霜田先生は、彼と2人でサッカーの練習をはじめた。彼には、眼球振盪という障害があった。見るものが絶えず微妙に振動するのだ。
ボールを地面に置き、蹴る。しかし、まっすぐには飛んでいかない。霜田先生は、彼の足を手でつかみ、ボールに触れさせる。
「いいか。足の甲で、ボールのここを蹴るんだ。ゆっくり当ててみろ。そうだ。その調子で思いっきり蹴るんだ」
くる日もくる日も練習を続け、1か月後、彼は見事なインステップ・キックを蹴った。がぜんサッカーが面白くなる。霜田先生との練習にも熱が入ってくる。すると、ぼくもやりたいと、何人かの子どもたちが練習に加わってくるようになった。
なかには全盲の子どももいた。彼には、ボールを追っかけて蹴るのはやはり無理だ。キーパーをやらせることにした。まず、ボールの動きに慣れさせることだ。
ゴールの前に座らせ、霜田先生がボールを蹴る。同時に、「右だ」「左だッ」とボールの方向を指示する。その声に従って、彼が動く。ボールがもろに顔に当たり、仰向けにひっくりかえることや、鼻血を出したことなどは数え切れない。それでも、彼はボールに食らいついてきた。
そうした彼らの姿を見て、霜田先生は、なんとかみんなを強くしてやりたいと願うようになった。だが、目の障害は、やはり大きな壁であった。しかし、自分があきらめたら、彼らのサッカーをしたいという思いを裏切ることになる。それは教師としてできないことだ。悩み抜いたとき、「メロディ・メイト」というメロディーボールの存在を知った。
* *
「メロディ・メイト」は、ボタン電池を内蔵したメロディー・モジュールが内蔵されている特殊なボールだ。衝撃を与えると、20秒間、電子音で音楽が流れてくる。
このボールが、ペガサスのサッカーを180度変えたのだった。
ボールの飛んだ方向や距離感が音でわかるのだ。みんな以前とは比べものにならないくらいボールに素早く反応できるようになった。全盲のキーパーも、自分の判断でボールをブロックすることが可能になったのだ。
あるとき、ぼくもアイマスクをしてゴールに立たせてもらったことがある。ボールがいつ飛んでくるかわからないという恐怖感がつのって、メロディー・ボールの音を追うだけの余裕はなかった。その音を追える子どもたちに、素直に脱帽したことを覚えている。
ともかく、このボールの出現で、ペガサスは普通小学校のサッカー・チームと試合ができるまでになった。対戦校は、千葉市でもトップクラスの市立大森小学校のチームだ。
去年の2月。その第1回戦をクライマックスにしたペガサスの子どもたちのドキュメントがテレビで放映された(テレビ東京) 。その番組は多くの人の感動を呼んだ。
それはペガサスの子どもたちの物語に、人間の可能性を全肯定する宝石のようなエピソードが散りばまれているからに他ならない。
* *
「障害という事実は、その子が死ぬまで変わらないんですね。でも、その障害に負けてほしくない。障害を持っていても、いや障害を持っているからこそ強くなれる。そのことをペガサスを通して、子どもたちに知ってもらいたいんです」
霜田先生が、しみじみとこう語っていたことがある。彼は、このことを子どもたちに最も伝えたいのだ。しかし、実は、これは霜田先生が子どもたちから教えられたことでもあるのだった。
実際にサッカーをやりはじめると、子どもたちは確実に伸びていくのである。その成長する姿を見守りながら、それは誰の力でもない、彼ら自身の力でなし遂げていったことなんだと、霜田先生は実感している。
「ずっと先、彼らが社会に出て、現実の荒波にもまれたときに、ペガサスで流した涙や汗を思い出してくれたらなと思います。それがそのときに、少しでも彼らの人生のバネになってくれたら最高ですね」
そんな霜田先生の思いを聞いていると、
「子どもたちを幸せにするための教育」を提唱した近代日本を代表する教育学者・牧口常三郎の教育理念とオーバーラップしてくるのだった。
牧口は、いった。
「子どもが生涯幸せになっていくための教育とは、子どもたちの直観力や感覚を養い、『価値創造の能力を開発』するところにその本義がある」と。
それは、まさにペガサスを通して自然な形で行われている霜田先生の実践ではないか。ぼくには、そう感じられてならないのだ。
霜田幸宏 (しもだ・ゆきひろ) さんペガサス監督。千葉盲学校寄宿舎生活指導教諭。1955年、北海道生まれ。子どもの頃から教師志望で、76年、千葉敬愛短大卒業と同時に県立桜が丘養護学校に勤務。80年に千葉盲学校に移り、現在に至る。子どもたちに「怒ると怖いけど、ふだんは面白い先生だ」と、人気絶大な“熱風先生”である。
……と、まぁ、こんな子どもたちなのですが、興味を持っていただけたでしょうか? もし少しでも関心が目覚めたなら、『心のゴールにシュート!』(第三文明社)を手に取って読んでみてください。
ご自分でお買になるまでのことはなく、地元の図書館に購入リクエストをしてくださればと思います。