■又吉栄喜さんの芥川賞受賞


●その日、受賞の瞬間に遭遇した

 今年(1996年)の1月10日。雑誌の仕事で、沖縄に行った。太田沖縄県知事の土地強制使用調書への代理署名拒否と、少女レイプ事件を発端にしてうねりのように高まった基地問題をめぐる沖縄の運動について、沖縄大学の新崎盛暉さんや沖縄国際大学の石原昌家さんなどにインタビューをするのが目的だった。
 その仕事の合間に、旧知の新聞記者である玉城さんに挨拶に行ったら、彼が、
「明日、芥川賞の発表があるんですよ。ぼくは、絶対、又吉さんが受賞する気がするんですよ。ぼくは、明日、彼の家に行くつもりなんです」
 という。沖縄在住の作家・又吉栄喜さんが、候補に残っているのは知っていた。でも、その発表が11日だとは知らなかった。ひょっとして、玉城さんのいうように受賞が決まったら、決定的瞬間に同席できるかもしれない。こんなことは一生に1回あるかないかのことだろう。
「何時ごろ発表の予定なんですか?」
「7時半とかいってましたね」
 7時半だったら、行けるかもしれない。私は、玉城さんに、
「一緒に行っていいですか?」
 と、とっさにお願いしていた。
 次の日──と、いうのは芥川賞の選考委員会が開かれていた1月11日のことだ。私は、昼間の取材を終えてから、玉城さんとドッキングして、浦添市(沖縄県)にある又吉栄喜さんのお宅に車を飛ばしていた。
 時計を見ると7時20分だ。車を降り、急いで玄関に向かった。すると、なかから報道人らしい二人が駆け出してきた。ひょっとして発表があったのかもしれない。
 家に飛び込んだ。座敷は又吉さんの友人や報道関係者でごったがえしていた。テレビカメラのライトは煌々と照り、フラッシュが何回も発光する。その光の中央に、笑顔の又吉さんがいた。
 受賞が決まったのだ。
 電話は、7時14分にあったという。テレビのインタビュアーが、その電話の詳細を本人に聞いていた。会話を再現すると、こうだ。
「又吉さん、ご本人ですか?」
「本人です」
「私、日本文学振興会の者ですが、あなたの『豚の報い』が芥川賞に決まりました」
「2作受賞ですか?」
「いえ、あなたの一作です」
「そうですか。ありがとうございました」……
 大城立裕、東峰夫につぎ沖縄県で3人目の、復帰後でははじめての芥川賞作家が誕生した。数分違いで、その瞬間は見逃したが、喜びの熱気は充分に共有できた。
「天才肌の女性が残っていると聞いてたので、この人が本命だろうと思ってました。だから、心静かに連絡を待つことができました」
 と、又吉さんはいった。電話で思わず「2作受賞ですか?」と聞いたのも、そういう思いがあったからだ。だが、審査委員会では圧倒的多数で彼に決まったという。
 祝福に駆けつけた大城立裕さんも「彼の作品は、沖縄文化の深層に踏み込んで、それが現代の人間にいかに反映しているかを描いた深みのあるものになっています」
と、絶賛してやまなかった。
 又吉さんは『文学界』11月号に発表した「豚の報い」で芥川賞候補に初ノミネートされていた。
 そのテーマは、人間の癒しだ。沖縄の御獄信仰をモチーフにしながら、結局、人は自分自身、あるいはお互いの人間としての交流のなかでしか救済を得ることはできないという通奏低音を響かせた。
「ぼくの沖縄の原風景のなかには、アメリカ占領下の現実と伝統的な沖縄の精神風土の二つがあります。これからも、その二つを書き分けていきたいですね」
 そう抱負を語る又吉さんに、沖縄の精神風土をあつかった作品で受賞したことの感慨を聞くと、
「大城さんはアメリカ占領下の沖縄をテーマにした作品で受賞しました。自分は民族的なもので受賞した。これで車の両輪がそろったかなと思います。少し自惚れていますけど……」
 という答えが返ってきた。
 ホテルへの帰り、那覇の国際通りで「又吉栄喜氏、芥川賞受賞」の号外が配られていた。島全体で受賞を喜んでいる。なんだか、私は沖縄の優しさを見た思いがした。
 又吉さん、芥川賞、おめでとうございます!

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