■沖縄って何や!


●沖縄との出会い

 私は学生時代からライターをしていました。大学へはほとんど行かず、雑誌記者の仕事をやっていたのです。
 そんなとき、太陽賞カメラマンである角田武さんと知り合いました。彼は、日本人としてははじめて独立直後のバングラディシュに入り、そこに生きる人々の姿をドキュメントをしたフォト・ジャーナリストです。
 沖縄は、角田さんのテーマでもありました。彼は若い頃(まだパスポートが必要な時代です)、沖縄に何度も通い、写真を撮っていました。そして、復帰前後には現地に住み込み、そのレポートを続けていたのです。
 角田さんは、私にとってジャーナリズムの実践的師匠の一人だったのです。
 その角田さんが、あるとき、私にこういいました。
「鳥。お前、本当にジャーナリストになりたいのなら、広島と長崎と沖縄を見てこい。この3つを知らないで、モノは語れないよ」
 彼は、広島、長崎、沖縄に、日本の戦後の現実がすべて含まれていると、いいたかったのでしょう。広島、長崎は、原爆です。そして、沖縄は、沖縄戦とその後の米軍占領時代、そして復帰。そうした現実を、まず自分の目で見てこい。というアドバイスでした。
 私の沖縄へのこだわりは、このときからはじまったわけです。もう20年近くも前のことになるでしょうか。
 はじめて行った沖縄は、復帰してから、まだそんなに年月の経っていないオキナワでした。
 沖縄市が、まだコザと呼ばれていた時代です。いまはパーク・アベニューというオシャレな通りになっているゲート前通りは、英語の看板で溢れ、見上げるほどもある頑強な米兵たちが、モスグリーンの服をきて闊歩していました。わけもわからず、私は、これが沖縄か、と思いました。でも、何が沖縄なのか、と問われても、何も答えられません。ただ、これが沖縄か、と感覚的に思っただけです。
 そのとき、私はコザ暴動のあった場所というだけでコザにきていたのです。そういう意味では、少し訳知りの観光客にしかすぎません。それはいまでも同じだと思っています。
 嘉手納基地のえんえん続くフェンスの向こうに広がる青い芝生の丘陵を見ては、アメリカだなと思い。そのフェンスを真上を低くかすめるように飛ぶジェット機の影を見ては、これかベトナムに飛んでいった飛行機かと、ニラみつけ。道に迷ったとき、目的地までわさわざ連れて行ってくれたおばあの優しさに感動し、町中の商店でジュースを買おうと思って「ナイチャーには売らんよ」といわれ、思わずたじろぎもしました。南部戦跡の平和祈念公園の中で、米軍のサプライ物を売っている屋台がいくつもあるのを目にして、ウチナーの人たちの逞しさを感じると同時に、納得のいかない光景を目にした思いになり、ブルーシールのソフトクリームの美味しさに感動し、まだ有名になっていなかった頃の首里・さくら屋の沖縄そばを堪能し、ただただめまぐるしいほどのカルチャーショックを感じているだけでした。
 そして、あの空と海の青さと美しさ。
 沖縄って何や! ようわからん。もっと沖縄のことを知りたい。そういう思いで、何度も何度も沖縄に通いました。でも、いまだに私は沖縄のことは何もわかってないのかもしれません。しかし、ただ一ついえることは、南のたゆたうような気候と、澄みきった海と、夕陽の美しさと、テーゲー主義的なんくる精神の自由さと、美味しい 食べ物に降参し、沖縄が好きだという自分の感情だけは本当だなという手応えだけです。でも、本当に、沖縄って何やろ? 私、自身にとっても、日本にとっても……

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