私は大学でジャーナリズム論を専攻しました。指導教授は、いま日本で最も良心的なジャーナリズム研究者といわれている新井直之先生です。
 その新井さんが、よく口グセのようにいっていたのが、
世論は声に出してシャベラないと形成できないんだ。心の中で思っているだけでは、世論にはならない。そのいい例が戦前の戦争に傾斜していく時代だ。あの時代、戦後になって何人もの人間が、戦争には反対だと思っていた、ということをいいだしたけど、そのときに口に出して『反対だ』と叫ばなければ、いくら思っていても、それは思っていないことと等しいんだ」
 と、いうことでした。そして、彼は、そのことを、こんなエピソードで説明してくれました。
 アパートの隣の部屋に音大に通う可愛い娘が住んでいるとします。その女子大生、夜になるときまってピアノの練習をするのです。その音が薄いアパートの壁を越えて、こちらの部屋にも流れてきます。いつも、「ウワッ、うるさい!」と思って、よし、明日こそ苦情をいおうと決意するのですが、翌朝、アパートの玄関で彼女に会うと、“あっ可愛いナ”という思いが先行してしまって、つい嫌われるのもいやだから今日は苦情をいうのはよそうと、「おっはよう。今日はアユミ(彼女の名前です。為念)も、学校、1時限目からなの? じゃ駅まで一緒に行こうよ」といってしまう。これでは、いつまでたってもピアノの音は小さくならないのです。
 いろいろなことに、みんなで声をあげていきましょう。
 あの“さすらいの社会学者”野村一夫先生も、彼のホームページ「ソキウス」の[社会学名言集04]で、戸坂潤の
「元来から云うと、一切の人間が、その人間的資格に於いてジャーナリストでなくてはならぬ。人間が社会的動物だということは、この意味に於いては、人間がジャーナリスト的存在だということである」
 という言葉を引用していたではありませんか。もっとみんなで声をあげましょう。  


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