AMERICA
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アメリカ旅行記
▼マジックキングダム
▼ユニーバルスタジオ
▼タイフーンラグーン・エプコットセンター
▼ニューヨーク

日付の変わる国、への旅立ちは初めてである。ツアーは、総勢30数名で、私たちグループは4名であった。
いずれも好奇心旺盛で、恥ずかしさをあまり感じない連中である。そのことにお互いが不安を感じつつ、アメリカへ向かったのである。 羽田、成田と日本の空港を飛び継いで、アメリカはダレス空港に着いた。アメリカ旅行記 ニューヨーク
しかし、ここは中継のための寄港であり、アメリカという国にはいるためのチェックインだけである。
太った若い女性が「何のためにアメリカに来ましたか?」、と無表情に英語で聞いてきた。
「観光です」不覚にも日本語で答えてしまった。
「OK」簡単に通ることができた。分かっているなら聞くな。

問題はそれから起こった。入国ゲートを抜けてからトイレに行きたくなった。
大きい方だったので辛抱できず、あちこち探したがわからない。黒人の子供が遊んでいたので、「Where's the toilet?」と聞いた。子供は、「・・・・・」続けて私が、ゆっくりと(そういう心境ではなかったが)「Where am I now?」子供は、指をくわえながらはにかんで、やっとこういった。
「Air port」「Oh no!」
空港は分かっている。もう***は入り口をでそうになっている。乗り継ぎの時間はあまりなく、周囲に同行の連中は見えない。まだ見ていないアメリカで迷子になり、***をちびれば国辱である。腰を振りながら(後ろから見た人はなにをやってんだろうと思っただろう)あちこち走りまわりとにかく探し当て、ほっと一息ついた。

あれほど覚えてきた英語が全く通じない。子供にすら通じない。
アメリカでの第一歩は、幾分かは予想していたことだが、言葉の障害というカウンターパンチを食らわされ始まった。


成田から飛び立った飛行機をローカル機に乗り換え、ワシントンからオーランドに向かった。フロリダが近づくにつれて、ダイナミックな入道雲が立ち上っており、ああこれが写真なんかで見るフロリダの空かと感心した。
これは後日談だが、一緒に行った友人が記録ビデオを見て、「ビデオの写りはいいのだが、成田を出発した時から、空と海ばっかりで、いつになったらワシントンに着くかと思った。ワシントンをでてからまた入道雲ばっかりだった」と笑われた。
それほどに飛行機から見る景色は、胸わくわくするものがあったのである。ちょうど夜明けにアラスカの上空を通過したのだが、朝日のオレンジに、アラスカの大地を流れる川や山すべてが黄金に輝き感動してしまった。払暁のアメリカ大陸は素晴らしかった。(旅慣れている人にはなんてコトもない景色だろうが・・・・)それでつい、窓にカメラをくっつけて、長々と撮ってしまった。ところがそうした連続シーンは、編集の際カットのタイミングがとりづらく、結果的に長く引っ張ってしまったのである。
今見ても、やはり空の時間は長い。 ワシントンからオーランド国際空港までは、約2時間かかった。

めざすは世界のテーマパーク「ディズニーワールド」である。
空港からは全くの自由行動であったので(これが一番いい)効率よくあちこち回ろうと、空港からバスで最初に「EPCOT CENTER(エプコットセンター)」に向かった。
エプコットセンターでの大きな目的は、夜間園内の池で催されるエレクトリカルパレードである。
それまでに時間があったのであちこちの施設を見て回った。
電動の人形を使ったショーをやっていたが、本物そっくりに動く人形(ロボットという方が当たっている?)に見とれてしまった。ワールドショーケースでの、エレクトリカルパレードはすばらしかった。
アミューズメントでもアメリカにかなわないと思わずにはいられなかった。観客が喜ぶポイントを知っている。
2番煎じでない、明確なコンセプトが感じられる。日本に一番ほしいものである。
エレクトリカルパレードを楽しみ、ホテルに戻ったのは夜も更けて現地で9時位であった。
ホテルは「TRAVELODGE HOTEL」というところで、これはなかなかいいホテルであった。
ホテルでは、明くる日の通訳さんをキープするのに悪戦苦闘した。絵にも描けないおもしろさ、というのがあるが、文にもかけないおもしろさで、それぞれがアメリカ初めての夜を過ごしたのである。
私は、電話のかけ方をいろいろやってみたが、日本へのコレクトコールに一番苦労した。
電話番号の数字を何度もやり直したので、相手も私の声を覚えてしまい、電話をすると笑いながらでてくれるようになった。
「Later」と何度言ったか・・・
黒人らしい交換嬢とは、もし近くにいれば、お茶でもと言いたいくらい親しくなってしまった。

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2日目: ディズニー マジックキングダム

アメリカ二日目はディズニーに向かった。ディズニーの施設は、日本でも行ったことがなかったので楽しみだった。
やはりおもしろい。次の日はじめに行ったのはやはりディズニーのメインとして「マジックキングダム」であった。
チケットを買うのにかなり時間がかかった。チケット係(私たちのグループの会計係)がチケットを買う間、残りの3名はある女性に目を留めた。アメリカ旅行記 ディズニーワールドいかにもアメリカの人らしい、きれいな女性が花壇の前に座っている。
「おい、あの子と写真を一緒に撮ろう」
「よっしゃ。えーと英語で写真を一緒に撮ろうというのは、メイ アイ テイク ユアー ピクチャー? OK?」英語で言った。
「May I take your picture, with me.」
「・・・・・・・」
「Please, May I take your picture, with me.」
「・・・・・・・」
こうなれば実力行使。
シャッターを押す格好をして、強引に一緒に写真を撮ってしまった。撮り終わってから、「Will you join us?」「・・・・・・・」ありったけの英語で誘ったが、「With pleasure.」とは言ってはくれなかった。
中にはいると胸がわくわくしてきた。アメリカ旅行記 ディズニーワールドテーマパークの基本コンセプトである、非日常空間が目の前に広がっている。
田舎ものの私は、カルチャーショックを受けた。
「すごい」アメリカ旅行記 ディズニーワールド
日本のものもそうだが、このディズニーの音楽がすごい。胸がわくわくしてき、つい踊りたくなってくるリズムである。園内にはいるだけで、ディズニーワールドの虜になってしまう。こうした施設の運営の決め手は、リピーターをいかに獲得するかにかかるのだが、ディズニーは何度でも行きたくなる。
パレードは雨の関係で1時間ほど遅れて始まったが、この間同じ姿勢で待ち続けたので私の足は大変なことになっていた。ジーパンをはいていたのだが、血流が悪くなり完全にしびれてしまい、歩けなくなっていた。このため、アメリカにいる間ずっと足をひきずることになってしまったのである。
観客参加型のショーにグループの女性が、ステージにあげられてショーに参加した。
何か面白いことをいっているのか、まわりの人々は大声で笑っている。
私もつられて笑っていたら、グループの一人に、
「なにいってるのか分かっているんか?」といわれた。アメリカ旅行記 ディズニーワールド
「わからん。ははは・・・・」
こういうときの対応の仕方は難しい。
でも結局は言葉の分からないまま、周りの人と同じように笑ってしまった。
「ははははは・・・・・」
外国人が落語を聞いたら私と同じ気分になるだろう。
言葉を知るというのは大切なことである。

ともかく、ディズニーワールドの様々な施設やアトラクションは、新鮮な驚きを与えてくれた。アメリカの底力を感じずに入られない。日本の施設のほとんどは、その焼き直しにすぎない。日本型の、日本でしか見られないアミューズメント施設というのはないのだろうか?
現在の施設は、日本でありながらスペインであったりオランダであったりする。あまり行きたいという気にはならない。
戦国時代村は期待していたが、宣伝ほどではない。

英語のおぼつかない私たちは、現地でガイドを雇った。
かわいいガイドさんで、日本人だが国際結婚をしてアメリカにいる。2日間同行してもらったが、楽しい旅にしてくれた。
ディズニーの施設のなかで、グッズ類の買い物をするとカウンター嬢が時々日本語で、「なにを買われましたか?」とか「どちらまで行かれますか?」などレジと関係ない質問をし、「私の日本語これでいいですか?」とか「これで通じますか?」などとよく聞かれた。確かに日本人の観光客も多いのだろうが、こうして勉強をしサービスをしようという態度は好感が持てる。
日本のほとんどの観光地では、外国語を話せないことをおちゃらけでごまかしているが、それはせっかく来てくれた人に失礼であり、交流の機会を逃している。
夕食はミッキーマウスがつきあってくれたが、大人でも楽しくなる雰囲気がある。ウエイトレスの女性も、ほとんどがふっくらしているが、かわいくてよく訓練されている。
ディズニーの運営マニュアルが高い価値を持っているのがよく分かる。
この記念写真のバックの町並みは、平面であるが本物の町並みのように思える。偽物だが本物より本物らしくて面白い。というのがこうしたアミューズメント施設の条件ではなかろうか。公園のジェットコースターなども、パニックを疑似体験しているわけで、考えられるパニックの様々な怖さを作り出している。当然怖ければ怖いほど本物に近くなる。だから面白いのである。しかしそうした類のものはすぐ飽きる。日本的な、歴史を感じるしっとりした情緒を味わえる、そんなテーマパークがあればといつも思うのだが・・・。


アメリカ旅行記 ディズニーワールド
(突然のスコールにもあわてずパレードを待つ)
アメリカ旅行記 ディズニーワールド
(パレードは1時間ほど遅れて始まった)
アメリカ旅行記 ディズニーワールド
(皆熱心に待っている)
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2日目: ユニバーサルスタジオ

マジックキングダムからユニバーサルスタジオへ行った。
ここでは、MCAの会社を訪問し、VIP待遇で各施設を待たずに入場できた。
シミュレータの3D映像では酔ってきて目をつむっていた。それほどリアルであった。
外の景色では本物そっくりの町並みが面白かった。ジョーズやバックツーザフューチャーのセットもあった。
ETのアトラクションでは、ようこそのアナウンスに「ウェルカム・・」と私の名前をいってもらった。VIP待遇で入場したものの特権である。
ステージショーではインディジョーンズを見た。途中何かのトラブルで演技が止まってしまい、それっきり中止となった。その前にオウムが客席のお客さんの差し出したお金を持って戻るというアトラクションがあったが、感心していると、トラブル発生後その客席にいた人がステージに上がりなにやら指示していた。ということは、お客さんと思っていた人は、スタッフだったのである。

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2日目: タイフーン・ラグーン

次にディズニー・タイフーン・ラグーンに向かった。
タイフーンラグーンはかなり高い塔の上に難破船のモニュメントがありすぐわかった。
園内には流水プールと巨大な波発生装置のある砂浜があった。
施設造りは念入りに行われていた。これはリゾート博のワールドビレッジの修景造りに大いに役立った。
プールは巨大で一口に大波と行っても半端じゃなかった。日本じゃありえない施設である。
泳ぐのに自信がある人はできるだけ奥に行き波を待っていた。金槌だと間違いなしにおぼれる。
ウォータースライダーも楽しそうである。シャークプールが海水で作られていて本当にサメ(海底)が泳いでいた。
今回の旅行はこのサメを見るのが目的だったのである。リゾート博の目玉にクリークでサメと一緒に泳ぐということを折り込んだからである。サメと言っても小さな猫鮫がいただけだった。
台風の村から次に向かったのはプレジャーアイランドで、夜も更けていた。夜も楽しめるようなアトラクションもあった。

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2日目から4日目: ニューヨーク

ニューヨークはアメリカで一番行きたいところであった。若い頃から、世界の情報を知るとき、常にニューヨークがあった。
人種のるつぼといわれ、流行でもビジネスでも絶えず世界の中心にあった。そんなニューヨークにあこがれていた。
24時間眠らない都市、高層ビルが建ち並ぶこれぞ都市というイメージが強かった。
フロリダの田舎町から、ニューヨークの空港に降り立ちバスでホテルに向かう間に見たのは、道路の壁面の汚い落書きであった。しかしそれもあばたもえくぼで、センシティブで都市的な光景として目に映った。ガイドさんは、「ニューヨークの曲がり角は、日本のように塀に沿って曲がるのではなく、離れて大きく曲がってください。でないと物陰に潜む強盗が鞄などをひったくられます」と説明をしてくれた。一通りの説明を聞きながら景色を眺めていたが、危険といわれればよけい魅力的な街に思えてきた。時折記憶にあるような景色があった。たぶん映画で見たと思うのだが、今そんな街の中を走っていると言うことで感激してしまった。
ホテルは「ルーズベルト」で、イースト46番ストリートの坂道中程にあり、周辺は銀行などが多くグランドセントラル駅やパンナムビルが近くにあった。ホテル「ルーズベルト」は、いかにも歴史がありそうな建物で、映画の題名は忘れたが主人公がこのホテルから出てくるシーンがあった。中はかなり改装されており、外観のイメージよりは近代化されている。
ホテルでの食事のあと、ガイドが来て夜のニューヨークツアーを募集していたので、私たちはバスに乗り込み夜のニューヨーク観光としゃれ込んだ。憧れのニューヨークをエンパイアステートビルから夜見学した。
これは素晴らしかった。高いところから見下ろす林立したビル群の夜景に、田舎ものの私は圧倒された。エンパイアステートビルから、ブルックリンブリッジを渡り、橋のたもとのレストランでカクテルを飲んだ。これで相手が、映画のような美女なら最高のシチュエーションであるが、男ばかりのナイトツアーであった。 その後ブロードウェイで「グランドホテル」を見に行ったが、疲れから半分寝てしまった。部屋に戻ってテレビを入れると、NHKのニュースをしていた。
ホテルルーズベルトの窓の下で人の声が一晩中響き、朝のぞいてみるとホームレスらしい黒人少年が段ボールに入って寝ていたり、ホテル掃除の黒人のおばさんと友達になったり、様々なことを見聞きしたが、フロリダよりもやはりニューヨークの方が印象深い経験をした。

ニューヨークにいれば、毎日新しい発見があり、新しい出会いがありそうな気がする。
良くも悪くも、新しい刺激を受け続けそうな、そんなワクワクとした気持ちにさせる街である。
世界のアーチストがニューヨークを目指し、サクセスを夢見るというのが実感できる。
ウォール街の片隅に、ポルノ雑誌を売っている屋台があったので、中身を確かめずに一冊買ったが、なんとそれには60歳以上と思われるお年寄りの、無修正大股開きの写真ばかりが載っていた。
アメリカは何でもありとは聞いていたが、そんなおばあさんばかりのポルノ雑誌まであるとは驚きであった。
同好の志があるのだろうか?
アメリカも5日目になると、まわりが英語しかないので違和感がなくなり、分からないままに度胸がついてき、土産物を買うときなどは片言でやりとりできるようになった。それでも失敗談には事欠かない。フルトンマーケットで土産のセーターを買ったとき、誰への土産ですかと聞いてきたので、つい、「For My husband」と言ってしまい、若い店員に大笑いされてしまった。

ほんとに短い初めてのアメリカ旅行であったが、アメリカの田舎と大都会の両方を見ることができたことで、思い出に残る旅の一つとなった。アメリカの人々は、それぞれが無関心を装いながら、自分をきっちりパフォーマンスしている。
最近は日本でも増えてきているが、街角ミュージシャンがあちこちでバンド演奏しているのを、聞きたい人は立ち止まって聞き、それが良かったらお金を投げ入れる。もっと良ければ札が投げ込まれている。
バンドの人は、ただ一生懸命自分のために、演奏を続けている。
明くる日もいい天気で、パックでの市内観光をした。
メトロポリタン美術館では教科書に載っている名画を間近に見て感激し、世界貿易センタービルであらためてニューヨークを見直し、フルトンマーケットではニジマスのムニエルで昼食をとった。
セントラルパークは乳母車を引く人やら鳩に餌をやる人やらで、日本と同じ光景があった。世界最大といわれるこの公園はニューヨークのオアシスなのであろう。ニューヨークを駆け足で回って感じたことは、街全体がなぜかドラマを秘めているような、街全体が劇場のような、そんな気持ちになったことである。ガイドさんが、ニューヨークのビルには200年経っているものもあるといっていた。確かに古いが趣がある。これが歴史なのであろう。
長い時間手を加える必要がないということは、コストがかからずそのコストを他に回せる。
アメリカはスクラップ・アンド・ビルドの国といわれてきたが、基本的な生活空間や文化は自分たちの責任として、きちんと次の世代につないでいるのではなかろうか。
もちろん新しい国であり、移住してきた人々もいるが、それぞれの国の伝統を活かしながらニューヨークという新しい街の歴史を守り続けているという気がする。
いずれにしろニューヨークは写真好きな私にとって刺激的な街で、クリエイティビリティを刺激されずにはいられない。機会があれば、自分の目で見て感じたことを写真にしたい。楽しい夢がまた一つ増えた。
たくさんの人がニューヨークを撮っているが、やはり自分のイメージをきちんと写真にしたいと思う
珍道中のアメリカだったが、面白く充実していた。もう少し英語が理解できたならもっと面白かったのだが。
ニューヨークは是非また行きたい都市である。

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