相田みつを あいだ・みつを(1924—1991)


 

本名=相田光男(あいだ・みつお)
大正13年5月20日—平成3年12月17日 
享年67歳(浄光院徹真求道居士)
栃木県足利市巴町2545 法玄寺(浄土宗)



書家・詩人。栃木県生。関東短期大学夜間部卒。昭和17年から曹洞宗高福寺の禅僧、武井哲応老師に在家のまま師事。独特の書体と闊達な筆の運びで読む人の心をとらえた。平成8年「相田みつを美術館」が開設された。著書に『雨の日には雨の中を風の日には風の中を』『にんげんだもの』『一生感動一生青春』などがある。









むかしの人の詩にありました

君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり

憂いがないのではありません
悲しみがないのでもありません
語らないだけなんです

語れないほどふかい憂いだからです
語れないほど重い悲しみだからです

人にいくら説明したって
全くわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと こらえているんです

文字にもことばにも
到底表わせない
ふかい憂いを
おもいかなしみを
こころの底ふかく
ずっしりしずめて

じっと黙っているから
まなこが澄んでくるのです

澄んだ眼の底にある
ふかい憂いのわかる人間になろう
重いかなしみの見える眼を持とう

君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり
語らざれば憂い 
無きに似たり

                                                          
(憂い)

 


 

 大衆的人気とは対照的に、書や文学の分野での評価は相半ばするものであったが、〈私の書いているものは、いわゆる文学的な詩ではありません。禅宗のお坊さんは、自分の修行して得た心境を、「詩偈」といって漢詩の形式で表現します。お坊さんでない在家の私には、むずかしい「詩偈」はできません。そこで口語版の「詩偈」のつもりで作ってきたのが私の詩です。それにしても羞かしいものばかりで……〉と記したこともある相田みつをは、平成3年11月、近所の歯医者に行った帰りに砂利道ですれ違った自転車を避けようとして転び、左足膝下を骨折。足利市内の整形外科に入院したのだが、その数日後に全く突然に脳内出血、一週間ほどでほぼ正常にもどったものの、再び出血、10日ほどの昏睡状態が続き、意識が戻らないまま12月17日午前11時39分、静かに息をひきとった。



 

 史跡として有名な足利学校や実家ちかくの鑁阿寺を通りすぎ、生涯の師と敬った武井哲応老師と出会った曹洞宗高福寺をさらに西へ行くと相田家の菩提寺法玄寺がある。赤く塗られた山門をくぐると、本堂裏の山腹にひな壇状の夥しい墓石群が眺められる。北条時子姫五輪塔横の石段をジグザグと上って行った先に相田家の墓域があった。みつをの長男相田一人が平成11年に建てた「相田みつを此処に眠る」の墓碑、みつをの筆を刻んだ両親の眠る「相田家之墓」、若くして戦死、「あんちゃん」と慕った二人の兄の墓、一堂に会して欅の古木の樹下に鎮まっている。〈うまれかわり 死にかわり永遠に 過去のいのちを 受け継いで いま自分の番を 生きている それがあなたの いのちです それがわたしの いのちです〉、眼下に見える家々、渡良瀬川の向こうにぼんやり見えるのは、かつて暮らした借宿町の家、それとも八幡町の家?

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


墓所一覧表


文学散歩 :住まいの軌跡


記載事項の訂正・追加


 

 

 

 

 

 

ご感想をお聞かせ下さい


作家INDEX

   
 
 
   
 
   
       
   
           

 

   


   会田綱雄

   相田みつを

   会田雄次

   會津八一

   饗庭篁村

   青木雨彦

   青島幸男

   青野季吉

   青山二郎

   赤瀬川原平

   阿川弘之

   秋田雨雀

   秋元不死男

   秋山 駿

   秋山ちえ子

   芥川龍之介

   阿久 悠

   安住 敦

   阿部 昭

   安部公房

   阿部次郎

   阿部知二

   安倍能成

   天野 忠

   網野 菊

   鮎川信夫

   荒畑寒村

   荒 正人

   有島武郎

   有馬頼義

   有本芳水

   有吉佐和子

   阿波野青畝

   安西冬衛

   安東次男

   安藤鶴夫

   安藤美保