チベット旅行記
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ロンボク - シガツェ
11日目 5/7(Sun)

ロンボク出発

普段は機嫌のいい運転手、タシ
朝、ガイドから「同乗したい人が一人いるけどいいかい?(今回のランクルはベンチシートだったので)助手席の横に乗るから」と聞いてきたので「君たちがいいなら構わないよ」。彼らの説明だとどうやら本当は乗せてはいけないらしいんだけど、ロンボクから歩くのは大変だからね。
この同乗者はちょっと変わった人で、お経や独り言をぶつぶつ言い続けてた。ロンボクから 20kmだけ乗せてほしい、という話だったけど、なぜかなかなか降りない。 突然、運転手が同乗者に対して怒りだした。 結局その場で降ろされて、走っているのとは逆方向に歩き始めていた。何のこっちゃ?

てっきり目的地を行きすぎたのかと思ったけど、 後でガイドに聞いてみたら、 「途中で降ろせばいい、という話だったのに、途中からさらに3人乗せる、 という話に変わっていたので、運転手が激怒した」 ということだった。
確かにどんなに無理してもあの車にもう3人は不可能だ。 怒りっぽい運転手というのもまんざら悪くないかもしれない。ガイドや運転手にはこういう押しの強いところもないとね。
まぁ運転手が怒ったのは話が違うことについてだろうけど。。。

ロンボクを出発したのは8:00くらい。昨日は本当に高山病で二人ともひどい状態だったけど、夫の方はすっかり治ったみたい。妻の方はまだ体調が回復していない。
ニュー・ティンリーとロンボクの間がランクルで2時間などと書いてある本もあるけど、 上りどころか下りであってもこれは不可能な速度だと思う。何かの間違いだろう。

ニューティンリー

本当に営業しているかと思うようなガソリンスタンドで給油。

日本のガソリンスタンドののりで、「トイレある?」と聞くと「あれだよ」と指差した建物に入ろうとしたとたん、体が凍りついてしまった。チベット旅行では何度も汚いトイレにびっくりさせられたけど、これほど汚いことがあっていいのだろうか。なぜ便器の中ですまさないのだ、、、ネパールのトイレが基本的にきれいだったことを考えると、水が少ないということの大変さがよく分かる。
11:19 ガイドたちが借りた毛布をホテルに返してから、ニュー・ティンリー出発。

ラツェ

パンチェン・ラマ
パンチェンラマ 13:52 ラツェ到着して、昼食。
往路で使ったのと同じ中華料理屋で、相変わらず物乞いが群がってくる。彼らが私たちの残飯を食べる姿を見るのはなんとも言えない気分だけど、これが自分の日頃の贅沢生活の責任だと思いましょう。

店内の壁に行方不明の日本人に関しての張り紙が貼ってあった。この国で行方不明になったってどういうことなんだろうな。。。いろいろ考えたり、考えるほど自分の知識がなかったり、、、

パンチェンラマが華々しく飾られている。店員は信心深さから飾っているのだろうけど、ダライラマは飾れないこの国の状況を考えるとこんな物さえ意味深く見えてくる。
14:26ラツェ出発。

行方不明の日本人
69.jpg

シガツェ

シガツェに近づくと周囲に木などの植物がたくさん見えるようになる。 イランなどの砂漠の国と事情は一緒で、 やはり栄えている町は水が豊富なのだろう。

17:00 シガツェに到着。思ったよりもハードな行程ではなかった。 悪路なので駆動を必要とする上りと、そうでない下りではだいぶ状況が変わるみたい。これで下りのニュー・ティンリーに1日停滞(という日程案も存在した)していたら、退屈でしょうがなかっただろう。

シガツェに到着し、チベット料理屋で夕食。高山病の心配もだいぶ減ってきたので、思い切ってバター茶に挑戦してみた。
最初はそれほど苦手でないような気がしてたけど、一杯飲み終わったらもう飽きていた。これがもっと飲めるようになればチベット人との距離が縮まりそうな気がするんだけどなぁ。

ガイドと一緒に本屋に行ってみた。「チベットの歴史」という英語の本があったので「これって中国政府が言ってるチベットの歴史のことだよね」と聞いてみたら「Yes,別の歴史ってこと」。本当のチベットの歴史の書かれたものが売れるほど中国政府はあまくないでしょう。
となりのお店では音楽テープとか売っていたけど、それにしてもうるさすぎ。町中に響きわたってた。
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