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ここ横浜のチベットにもついに木枯らしが吹く。「寒いなぁ」と文句を言う息子に、私は言った。
「こんなの寒くねーぞ、お前なぁ俺が子供の時は、手とか耳とか鼻とかがちぎれるほど寒かったんだぞ」
私は、『極寒の初日の出バイクツーリング』を高校生の時実行して、凍えて死にそうになった経験がある。バイクで風を受けていると体感温度は実際の温度よりか数倍低くなり、国道246の途中で心臓が止まりそうなくらいに凍えてしまい、ほとんどロボット状態で自宅へ舞い戻ったったのだ。だからどうしたと言うわけではないけど、最近冬が寒くない。そう感じているおじさんやおばさん(おいおい、あなたですよ)いませんか?
私の子供の頃の記憶では、朝、自分の家の庭にあった池に氷がカチンカチンに張っているのはごく日常的な姿だった。その池の中では金魚とか多摩川で釣って来た鮒などが元気に泳いでおり、私は嬉しくて、さっそくその氷をぶち割り、割った氷の厚さとか、大きさとか輝きをダイアモンドに恍惚としている女のようになって見とれていたのだ。
まあ、そんな事が普通であったのだ。しかし今どき庭の池がカチンカチンに凍ることは滅多になくなっている。
そうだ!言い忘れた。寒い地域の方はすみません、これはあくまでも東京地区の話。それでもスキー場の雪不足は毎年の話題になっているし、暖かくなっていることは事実なのだ。そう地球は確実に温暖化している。原因は環境破壊からか?それとも地球時間での大きい周期での温暖化現象なのか?よくはわからないけど、どっちにしてもこのまま温暖化が進めば、南極などの氷が溶けていき世界中の海面の高さが平均何センチか上昇してまう。そして一部の都市は水面下に・・なんてことが現実に起こりうるのだ。
毎年、真冬に妙に暖かい朝を迎えたりすると、すでに踏んだときの感触を忘れている霜柱のようにザックザックと音を立てながら心配が押し寄せてくるのだった。
地球温暖化もそうだけどダイオキシンなどの環境汚染の問題は、個人に責任がないとは言えない問題だ。また個人の意識改革が必要な問題でもある。その辺を鼻垂らして歩るいている小学生も今やいっちょまえの消費者だ。何でも買えばいいと思っている。その結果、当然ながら人工物の摂取による化学物質の体内貯蓄や、燃えないゴミ(ダイオキシン)が増加がしている。わがままな個人主義が蔓延している今、これは加速的に進んでる現象だ。こうして考えるとやるべきことは本当に山積みなのだ。リストラされても人は死んだりはしない。しかし環境破壊が進めば、将来の子供達の生死に関わる問題になる。そして最後に人類は滅亡するのだ。いきなり結論出してしまったけど。大変な問題であることには間違いない。
「うーん、参ったなぁ」とぼやいてる場合か!・・と自分に言い聞かせている。
ともかく行動しよう。子供達の未来のために。とまた結論出すのだった。
1998年11月 *生き残りゲーム
ここ横浜は今晩秋である。自宅にいる小動物もついにホトケドジョウ20匹とトカゲ一匹になった。トカゲだが、愛称トカチャンは、いつも腹ぺこだ。秋になるとこおろぎも死滅して、餌はヒシバッタとか草ヒバリ程度となる。さらにこのヒシバッタと草ヒバリ、小さくてよく飛び跳ねるので、全くもって捕まえにくいのである。
休日に私は餌捕りに半日くらい潰すのであるが、それでも最近は1匹も捕れないない。さらに気温が13度以下となる日が多く、これでは虫は動かないので捕まえようがない。もっと温度が下がれば大体虫達は死んでしまう。
これからどうしたらいいのだろうか?
いまのところジグモ(木の根っこに袋上の巣を作っているクモ)でしのいでいるが、どうしようか?それとも冬眠をさせればいいのだろうか?
今更トカチャンを野生に戻すのも可哀想だ。やはり冬眠させよう。でも今までトカゲの冬眠なんて経験ないけどやってみるしかないようだ。
さて、近頃、蓑虫って見ました?実は減っているんだ。秋の風物が消えている。これはある外来種のハエが蓑虫のさなぎに寄生することが原因だそうだ。
これでは下手したら蓑虫は絶滅するかもしれない、動植物界のグローバル化はやはりかんべんしてほしいものだ。
グローバルと言えば、「世界で活躍することを目指す若者は無国籍ではなく、日本人であるということを全面にだして行かないと世界は絶対に認めてくれない」
と北野 武がしっかりした意見を言ってた。さすが世界に通用した芸術家だ。(今TVで言ってた)
本当にTVとかインターネットなどでグローバルな世界を見なれてしまうと、個人というものをなにを基盤にして組み立てていけばいいのだろうかと考えてしまう。
僕の場合は、やはり自分を育てくれた環境(それには親も含む)、日本という国だった。と思うようになっている。
いきなり話が飛んでいるが、ここ2,3年、日本の身近な自然を相手に子供と一緒に過ごしてみて、自分の子供の頃の出来事を追体験するに至って、この日本の季節とか空気とか小動物、友達とかが自分の個性を育んできたんだろうと思うようになった。
そして、私の子供達も同じ道を今歩んでいる。だから身近な自然は日本人を育てる屋台骨なんだ。だから私達は自分が育った環境を残そうと努力することが必要なのである。
皆が自分が過ごした自然を思い出してくれれば、きっともう少し日本の環境も向上するはずだ。そしてそれが世界レベルの環境保護運動を可能にする。
まずは小さな意識改革が必要なのだ。
どうです。あなたもたまには子供達と一緒に原っぱで遊んでみては?そうすれば長い人生の全てはそこで学んだことの応用だと気づくはず。
★今回の写真は子供の外遊びをポイントにして選んでみました。
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