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豊原国周

安政(1854〜1859)〜明治33(1900)

 初めは豊原周信に学び、羽子板押絵の原画を描いていた。嘉永元年頃、歌川国貞(三代豊国)に入門。国貞の没後、役者大首絵や、横三枚続の半身役者絵など奇抜な構図の作品を制作し、明治以降の役者絵界の中心となったが、写真の流行により役者絵の最後を飾る絵師となった。

 個性の強い人であったらしく、仮名垣魯文らと豪遊したり、役者と座敷を張り合って破産宣告を受けたりと、明治の新聞を何度もにぎわしている。死んだ後も、借金取りが列をなしたという話が残っている。
 豊国に入門した国周は、これも個性の強い師匠の下で、けっこう苦労をしたのではないかと考えられる。「門人国周」と 署名させられたり、「国周」という名前を一時取り上げられたりしている。もっともこれは、弟子の個性が強かったせいかもしれない。

 明治3年からは「豊原国周筆」と署名するようになる。これは、明治になって苗字が普通のことになったからでもあろうが、「歌川」を名乗らず「豊原」としたあたり に、最初の師、豊原周信の方を慕う気持ちが現れている。           

国周の落款の変遷

「国周画」は30歳まで  
「国周筆」は30歳から  
「豊原国周筆」は36歳から

国周筆 仮名手本忠臣蔵 十段目

 由良之助に頼まれ、塩冶家に武器を調達した堺商人天川屋義平をためそうとする由良之助。子どもを殺すと脅されても 「天川屋義平は男でござるぞ」と動じない義平。忠臣蔵外伝の有名な場面である。
 枠取りの模様が、討ち入りの義士の袖模様になっている。
 「国周筆」という署名から、明治3年以降の作だと分かる。
国周筆 三十六句仙の内東休

 「桐の実のしまりし影や今日の月」という句が添えられている。
国周筆 妹紅ざう まゝ子かけさう
国周画 東都三十六景 護持院ヶ原

 背景に遠近法が用いられている。まだ若い国周の意欲作なのであろう。
 右手の描写が不自然なのが気になる。
 国周は、豊国の生きているうちは「国周画」と記して いたが、師の死後は「国周筆」と記すようになる。
 国周画 局岩ふぢ

 加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の悪役岩藤。中老尾上の額を草履で打って自害に追い込む。中村芝かんの岩藤である。まだ二十代で「国周画」 と署名している国周が、師匠の三代豊国の構図を真似、その中で多少の独自性を出そうとしているのが分かる。
 国周画 傾城逢り

 坂東三津五郎

 
 国周筆 紀文大尽
 国周画 金剛神彦六

 中村芝かん
国周画 宗玄 折琴姫

 坂東彦三郎の宗玄に、沢村田之助の折琴姫。
 実直な僧を色香に迷わせた折琴姫は、自分の美しさゆえの罪に気づき、仏門に入る。もとはと言えば、清玄、桜姫の伝説がもとになっているが、宗玄の名は楊貴妃に迷った玄宗皇帝にも掛けたと思われる。
 国周筆 中老尾上

 加賀見山旧錦絵の尾上。三代豊国の作と見比べて頂きたい。やがて自害に及ぶ尾上の誠実すぎる人物像が描かれているとは言い難い。尾上という人物ではなく、役者尾上曙山を描くことが重要だったのであろう。
 国周筆 善悪三十二鏡 花うり


 中村仲蔵


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