芸術論

芸術は発見ではないでしょうか。発見とは自分と世界の関係についての新たな情報を得ることです。世界に関する情報を得るためには、「運動器官によって世界に働きかけ、感覚器官を通じて情報を受け取る」という世界との関係を持続することが必要です。その「働きかけ」の積み重ねが生み出すものが芸術作品だと思われます。つまり、自分と世界との関係についての情報を探すのが芸術という行為であり、その結果として生まれるものが作品であるわけです。

芸術は人間と外界の情報交換であり、情報媒体が作品であるとも言えます。情報媒体としての芸術作品の価値は、その作品から引き出すことのできる情報量で決まるでしょう。作品が単に量的に膨大なものであれば、そこに込められる情報量は多くてあたりまえです。また量的な情報量は一目でわかります。そこで、「一目でわかる情報量の割に、多くの情報が引き出せるもの」が情報媒体としての価値が高い、と考えることができます。つまり芸術の価値を美とすると、

美 = 暗黙的情報量 / 明示的情報量

と表せることになります。暗黙の情報とは「明確に表現されてはいないが深く吟味すればわかるような」情報のことで、意識される情報とは「明確に現われている」情報のことです。つまり、「ひとつひとつの形、音、動き、などの要素にどれだけ多くのの意味が込められているか」が問題なわけです。

この式から、美しいものを言葉で表現しにくい理由がわかります。美しいものは暗黙の情報量の比率が高く、暗黙とは言葉で表現できないことだからです。また、美を感じ取るのは直観あるいは無意識であるということもわかります。さらに、美しいものは飽きないということも説明できます。飽きるというのは「もう発見がない」ということですが、美しいものは暗黙の情報が多いので発見が尽きないのです。

この定義は美術や音楽などの芸術ばかりでなく、スポーツや学問から日常生活に至る我々の全ての活動にあてめることができます。なぜなら、我々の活動とは要するに脳の情報処理だからです。我々が世界に対して情報を探求するつもりで働きかければ、どんなものごとでも芸術と同じような行為になると考えられます。

 → 美と社会