Can you keep a secret?

ウソツキが信頼できないのは当り前だが、秘密を守るということに関しては、正直な人も信頼できない。「ここだけのヒミツ」をどこかで正直に話してしまうかもしれないからだ。秘密を守るのは「本当のことを言わない」ということだから、をつくのと同じである。正直な人の言っていることは信用できるかもしれないが、秘密を守るということに関しては、正直者も信頼できないのだ。もちろんウソツキも「秘密を守る」と言って守らないかもしれない。だから、我々は守るべき秘密などというものを持ってしまうと誰も信じられなくなって孤独になる。

秘密を守ることに関して信頼できるのは、「基本的には正直だが、守るべき秘密はちゃんと守る人」である。信頼できる人とは、「正直だけど、嘘もつくこともできる人」のことなのだ。ところで、その「守るべき秘密」とは何だろうか。ある秘密を守る「べき」かどうかは、人それぞれの価値観によって決まる。守るべき秘密というのは価値観そのものだといえるのかもしれない。価値観が違えば、ある秘密を守るべきかどうかの判断も違ったりする。秘密を守ることに関して信頼できるのは、「自分と価値観を共有していて、正直だが、嘘もつける人」だということになる。

「嘘もつける人」などとわざわざいわなくても、嘘くらい誰でもつけるような気もする。しかし、嘘をつける人が秘密を守れるというわけではない。「他人の秘密を黙っていることができない人」というのはたくさんいる。秘密を守るのが嘘をつくのと同じだとすると、秘密を黙っていられないのは「嘘がつけない」のと同じである。我々が秘密を守るのが難しいのは、大事な情報を他人と共有できないと孤独になるからだ。それに、秘密を守ろるためには多かれ少なかれ嘘をつかなくてはならないが、嘘をつくと、バレないかどうか気になって落ち着かない。誰だって黙って秘密を抱えているのはシンドイのだ。

嘘をつくのがイヤなら、秘密を持たなければよい。しかし、我々が生きていくうえで何の秘密も持たずにいることができるだろうか? 別に悪いことをしていなくても、秘密にしておきたいことというのはある。そういう秘密のことをプライバシ−という。個人というものはプライバシ−があることで成り立つ。人間が個人であるためには、自分の秘密を守らなければならない。プライバシーという秘密がないと大変である。何の秘密も持たずに生きるというのは、手札を見せたままでババ抜きをするようなものである。我々がトランプをする時に手札を隠すのは、別に悪いことをしているからではない。

秘密を他人に知られると損をしたり笑われたりするので、我々は自分の秘密はシンドくても守る。我々が秘密を守るためには、孤独感や落ち着かない気分に耐える必要があるが、他人の秘密を別の誰かに話しても自分は平気である。だから、他人の秘密を守るのは難しいのだ。孤独や落ち着かない気分に耐えられる人が、他人の秘密を守ることができる「信頼できる人」である。そういう人は、「正直さ」と「嘘をつく能力」という矛盾した要素を備えており、自分の価値観に従ってそれらを使い分けることができる。