うまくいかないのはなぜか

物事はうまくいかないものである。うまくいかないのはなぜだろう。「うまくいく」というのは「自分に都合良く思った通りになる」ことだが、物事はあまり自分に都合良く思った通りにはならない。それは「自分に都合良く」と「思った通り」という2つの条件を両立させるのがとても難しいことだからである。

「自分に都合良く」というのは「面倒なことやイヤなことをせずに」ということである。面倒だとかイヤだとか文句をつけるのは我々の頭だ。頭にとって手間のかかることは面倒で、プライドが傷付くようなことはイヤなのだ。身体は手間のかかることが好きだし、身体にとってのプライドは「自分でやる」という点にかかっているから、何かを「するのがイヤだ」とは思わない。「自分に都合良く」とは「自分の身体を使わずに」という意味である。

「思った通り」というのは「頭で考えたことが実現する」ということだから、「自分に都合良く、思った通りに」を言い換えると「自分の身体を使わずに、頭で考えたことが実現する」になる。何かが「うまくいく」ことを考える時、我々は「自分が考えたことを他人にやらせる」つもりなのである。自分が考えたことを他人にやらせるには、考えを他人に伝えなくてはならない。自分の考えたことを他人に伝えるには、考えたことを言葉にする必要がある。

ところが、他人に伝えることばかり考えていると、「他人に伝わらないことは考えてもしょうがない」と思うようになる。自分が考えたことを他人にやらようと思っていると、言葉だけでものを考えるようになり、想像力が乏しくなるのだ。その結果、自分の考えというのが、誰でも考えつくような一般論になりがちである。

言葉だけで他人に何かをやらせようとしてもなかなかうまくいかない。うまくいかないから、より細かいことを伝えようとして言葉が多くなる。言葉が多くなると、なぜか余計にうまくいかない。何かをやらせるのは身体を使わせることだから、身体を使う時は言葉が少ないほどうまくいくのである。他人にやって欲しいことを伝えるには自分でやって見せるのが一番だ。しかし、そもそも自分でやりたくないから言葉で他人にやらせようとしているのだ。つまり、物事がうまくいかないのは、「自分がやりたくないこと」や「自分にできないこと」を他人にやらせようとするからである。

物事がうまくいくためには、まず、自分で考えたことを自分でやるしかないのだ。自分でやる場合は、考えを言葉にしなくてもいいので、言葉で考えなくてもいい。そのかわり、言葉で考えることに慣れた人には理解されないし、手間のかかることや他人に理解されないようなことも自分でやらなくてはならない。したがって、自分に「都合良く思い通りに他人がやってくれる」という意味で「うまくいく」ことはない。「うまくいく」のは「うまくやる」ときである。