本能について

岸田秀は「人間は本能の壊れた動物である」と言います。そうだとすれば、なぜ人間の本能は壊れたのでしょうか。人間の特徴に言語の使用があります。人間以外の動物達は言語を持たずにうまくやっており、言語は大脳の産物であることから、本能とは大脳以外、特に小脳の能力なのではないかと思われます。大脳が言語によって小脳の活動を妨げるために本能が壊れるのではないでしょうか。

我々は感覚器官によって外界の情報を得ますが、全ての物理化学的情報を感知することはできず、それぞれの感覚器官が特定の種類の限られた帯域の情報のみを受け取ります。つまり、感覚器官とは情報のフィルタであると言えます。また、大脳は感覚器官から入力される情報を処理しており、情報の処理とは抽象化のことなので、大脳は広い意味でフィルタの役割を果たしています。つまり、大脳も感覚器官の一部と考えることができます。

小脳は大脳の活動をモニタし、それを学習するのだとされています。そのことから考えると、小脳の役割は、大脳から与えられる情報を再統合して外界をシミュレートすることなのだと思います。大脳で抽象化された情報を用いて、小脳が具体的な外界モデルを形成するということです。

動物の場合は感覚器官から言語を介さず生のデータに近い情報が小脳に送られるために、外界のシミュレーションがうまく行き、本能によってうまく生きられるのだと考えられます。人間においては、大脳が発達しているために感覚器官から入ってくる情報に対するフィルタリングが高度になります。それは情報の抽象度が増すということです。特に言語は非常に抽象化された情報です。過度に抽象的な情報に基づいて外界モデルを構成するせいで、人間のシミュレーションは実際の外界との間のずれが大きくなります。このため、人間は本能だけで生きられないのだと考えられます。

また、大脳の発達によって情報の抽象度が高くなったために、異なる感覚器官からの情報が似た形式をとりやすいことになります。このことが言語の発生につながるとも言えます。言語は異なる感覚の間の類似によって成り立つものだからです。さらに、情報の抽象度を極限まで高めた状態が意識というものであるとも考えられます。

我々は大脳が発達したことにより意識を持ち抽象的な思考を行うわけですが、抽象的な情報だけではうまくいかないこともたくさんあります。その場合は言語的、意識的な活動を抑制し、より具体的な情報を小脳に入力することで、本能的な能力をうまく使う必要があるのだと思います。