ハルキ、タミオ、イチロー 2

「声に出して読みたい日本語」がベストセラーになり、近ごろは肩甲骨体操で笑かしてくれている斎藤孝という人がいるが、この人の言っていることは小脳論に非常に近い。小脳論的歴史観においては、近代以前は音声言語の時代、近代は視覚言語の時代であり、近代以後は音声言語と文字言語の調和が求められるだろうと予測できる。音声と文字の調和といっても、文字情報の氾濫する現代でバランスを取るためには、とりあえずかなり音声を重視する方向に揺り戻さなければならない。「声に出して=音声」「読みたい=文字」だから、まさに音声と文字の調和を求めているわけで、この本が近代どんづまりの日本でベストセラーになるのも小脳論の予測と合っている。

「声に出して読みたい日本語」が売れる前から、僕は斎藤孝に注目していた。小脳論と同じようなことを言っている人はいないだろうかと本屋の棚を隅々まで漁っていた頃、「身体感覚を取り戻す」(2000年、NHKブックス)と「できる人はどこが違うのか」(2001年、ちくま新書)を見つけた。斎藤孝が書いているのは「身体で考える方法」であり、身体で考えるのが大事だと主張する小脳論と視点がほとんど同じなのである。文字から音声へのシフトとは、アタマ中心から身体中心への価値観の変化である。

小脳論的観点におけるヒーローは村上春樹と奥田民生とイチローである。斎藤孝は上記の著書でイチローと村上春樹をとりあげて彼らの身体を使ったスタイルの作り方を分析しているが、奥田民生については視野に入っていないようだった。ところが、最近出た奥田民生の本「奥田民生ショウ2」を読んでいたら、タミオと斎藤教授の対談というのがあって、斎藤先生が奥田民生の音楽のスタイルを激賞していた(ついでに村上春樹にも言及している)。

斎藤孝は自分のことを「本より講演会の方が面白い」といい、奥田民生もレコーディングよりライブの方が自分の能力を試せるという。講演会やライブは身体で考えたことを身体を使って表現する場であり、2人ともそこで声を出すのが仕事である。奥田民生の曲が全て曲先(歌詞が先にあるのではなく、メロディーに歌詞を乗せる)で作られているというのも、音声重視である。

ムラカミハルキの本は世界中の本屋で売られるようになり(僕はフィレンツェと上海の小さな本屋で買った)、イチローはメジャーリーグのスターになった。オクダタミオも日本の外でも注目されないだろうかと思っていたら、奥田民生の作品ともいえるパフィーの2人がアメリカでアニメキャラクターになった。

(05.5.30)