村上春樹の文章論 2

村上春樹はインターネット「村上朝日堂」で、「大事なのは自分にしか書けないことを誰にでもわかるように書くことです」と言っていた。僕も漠然とそのようなことを考えていたのだが、言われてみればなるほどそのとおりである。

「文章とは伝達手段である」ということが前提である。「自分にしか書けないが、他人が読んだらよくわからないただの妄想」を書いたのでは内容が伝わらないし、「誰にでも書けて、誰にでもわかる当り前のこと」を書いたのでは伝わる内容がない。何かを伝えようと思ったら、自分にしか書けないことを誰にでもわかるように書かなくてはならないのだ。

自分にしか書けないこととは要するに「主観」であり、誰にでも分かるようにとは「客観的に」ということである。つまり、自分の主観を客観的に表現せよと言っているわけだが、これはすごく難しい。主観というのは一種の無秩序で、客観的に書くためにはその無秩序の中から何か秩序のようなものを見つけなくてはならないのだ。そして、無秩序から何かを発見するのが創造である。伝達というのは創造的行為だということになる。

そもそも、「主観を客観的に」というのは矛盾している。つまり、「自分にしか書けないことを誰にでもわかるように」書こうとすることは、不可能への挑戦なのだ。論理的に不可能である以上、そこには正解がない。だから「完璧な文章なんて存在しない」ということになる。しかし、正解がないということは創造する自由があるということでもある。「自分にしか書けない」と「誰にでもわかるように」という矛盾する条件があるからこそ正解がなくて自由なのだ。

文章を書く上で自由であるためには「自分にしか書けない=主観」と「誰にでもわかる=客観」という矛盾する条件のバランスをとらなければならない。主観に偏ると「妄想」、客観に偏ると「当り前」になってしまう。我々の頭の中には妄想と当り前が詰まっていて、片方だけを出すのは割と簡単なのだが、それでは何も伝わらない。妄想と当り前をうまく結びつけると、言われてみればなるほどと思える表現になる。妄想と当り前の両方が必要なのである。

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