身体で考える方法

身体で考えるというのは、頭で考えるのとは違う。頭で考えるのは言葉や記号で抽象的に考えることだが、身体で考えるというのは具体的なイメ−ジで考えることである。言葉や記号でものを考えるとイメ−ジが貧困になる。具体的なイメ−ジを持つためには、現実のものごとを自分の感覚で感じとらなくてはならない。具体的な現実の物事は言葉や記号では捉えきれない。言葉や記号はいつでも同じものを表すという前提で成り立つものだが、このリンゴとあのリンゴ、この人とあの人、昨日と明日はそれぞれちょっとずつ違うのだ。

現実の物事を自分の感覚で感じとるには、現場に行かなくてはならない。身体で考えるとは現場で考えることである。物事がどういうものであるのかは、自分でやってみなくてはわからない。身体で考えるとは自分でやってみることである。ひととおりのものを見てひととおりのことをやってみると、想像力が身に付く。そのためには、頭で考えてワカッタつもりにならないことである。頭で考えてみるのはいいが、それを実際に自分の感覚で確認するまでは、本当に考えたとおりかどうかはわからない。

現実の物事を実際に体験してみると、頭で考えていたのとは大分違うということが判る。現実には現実の雰囲気やリズム予期しない偶然というものがあって、それらを事前に頭の中で考えることはできない。頭の中で考え過ぎると、現実の物事に臨機応変に対処するのが難しいので傍観者になりがちである。自分でやってみるには、考えるよりも、現場の様子を五感によってよく観察することが大切だ。物事をしっかり感じ取ることができれば、身体は勝手に考えて答えを出すものである。身体で考えるというのは、観察することに集中して、考えるのは身体に任せることである。

身体で考えるのは自分でやってみるということだから、面倒くさい。身体で考えることができるようになる前には、身体で覚えるという段階がある。身体で覚えるというのは、時間と手間のかかる面倒くさいことなのだ。しかし、その面倒くさいことに取り組んでいると、いつの間にか何も考えなくてもできるようになる。面倒くささを乗り越えるには、自分でやることを楽しめばいいのだ。そうやって、何も考えずに物事に対処できるようになれば、お気楽だ。